――吾輩は食べぬ。
「そりゃないぜ、せっかく取ってきたのに」
吾輩の前で金髪の白黒の娘があからさまに肩を落とした。帽子を深くかぶってやれやれと首を振るところも芝居がかっているのである。確かに吾輩は腹をすかしている、それは正直なところである。
「ほらほら」
どう言っても吾輩とてどこで取ってきたかわからぬ赤いキノコなど絶対に口にせぬ。
この金髪の娘は何度も巫女の所に遊びに来ておるから、吾輩、顔見知りなのである。名前ももちろん知っておる。ただ少し思い出せぬだけなのである。
「ちぇ、せっかく毒見させてみようと思ったんだけどなぁ」
ふむ。吾輩はそんなことは既に見切っていたのである。それに神社の片隅で日向ぼっこをしておった吾輩ににやにや近づいてきた時から怪しいと思っていたのである。吾輩のような紳士であれば、妙な物を口にすることはないのである。
にぼしであれば考えぬこともない。
吾輩は目の前の赤いキノコを前足でどかしてから、日向ぼっこに戻るのである。空にはお天道様が輝いておる。こんな日には吾輩は横になって動かぬ。だから吾輩のお腹を指でつつくのはやめるのである。白黒の娘よ。
「猫はいいなぁ」
なにやら羨ましがられているのであるな。ふむ、隣の芝生は青いと申すではないか。人の子も吾輩もそういう物なのである。しかし芝生とは吾輩羨ましいのである。あの巫女も神社に芝生を植えてはくれぬものかにゃ、いや。植えてくれぬものであろうか。
吾輩は横になったまま前足と後ろ足を延ばしてリラックスするのである。ううむ、この体勢はなんどやっても楽であるな。前に「ふと」と寝た時もこんな感じであったのだ。
「このきのこ食べてもいいぜ?」
だから食べぬ。赤いキノコなど食べて腹でも壊せばどうなるかわかった物ではない。
それにしても首筋がかゆい。吾輩はむっくりと起き上がって、後ろ足でごしごしと首元を掻いてみるのである。おお、おおお。気もちいい、のである。
ところでこの娘の名前を思い出したのである。確か、まりさとかいう気がするのである。巫女がそういっていたのを吾輩はちゃんと覚えていたのである。そういえば巫女の名前はなんであったか。
にゃあと聞いてみようとまりさを見れば両手を組んで吾輩を睨んでおる。だが、ふと何を思いついたのかにやにやしだした。吾輩その顔によからぬものを感じて、離れようとするとまりさに飛びつかれた。むむ、痛いのである。
吾輩は脇を抱えられて宙を浮く。巫女と言いまりさといいこの持ち方をよくするのであるが、多少恥ずかしいのである。紳士な吾輩としては抗議したいところではある。
まりさはそんな吾輩の心が通じたわけではないであろうが、片腕で吾輩を胸元に抱きかかえた、首が少々つらい。上を見ればまだにやにやしておる。空いた片手で近くにあった箒を掴んでまりさはそれにまたがった。
まりさは神社にある巫女の住む母屋に叫んだ。耳元で叫ばれるとうるさいのである。
「れーむ! ちょっと空をとんでくるぜ!」
★
わわわ、吾輩は吾輩である。
少し下を見ればふわふわの雲が見えているのである。断じて焦って等おらぬ。まりさの腕にしがみついておるのではない。あたる風の冷たさを感じれば、まりさとて寒かろうと思って抱き付いてあげておるだけである。
どこまでも広がる青い空にお天道様が近いのである。ひゅうひゅうと耳元でなる風は冬の風のようである。吾輩は顔を上げてみれば歯を見せて笑っておる、まりさがいる。吾輩もいたずらをすることはあるが、空を飛ぶことはせぬ。
遥か下に人里が見えるのである。
ああ、あすこにはヤマメを分けてもらう魚屋がおるのであろう。そういえばこの前刀を振り回していた少女は何をしているのであろうか、何故か脳裏に昔のことが思い出されてならぬ。
「おやおや、そんなに急がれてどこに行かれるんですか?」
「げ! おまえは」
「人の顔をみてそれはご挨拶ですね」
吾輩の傍で何か聞こえてくるのである。見れば吾輩と魔理沙の上を悠々とついてくる娘がおる。頭に赤い紐を付けた六角形の帽子をかぶった、黒髪のものである。ちょっと耳が尖っておるのは、ふむなんとなく噛みついてみたいのである。
「魔理沙さん。猫なんて抱えて、もしかしてなにか異変でも?」
妙に近くを飛んでくるのである。みればまりさも胡散臭げな顔をしておる。そんなことにはお構いなしに六角帽子はシャツの胸元からメモ帳を取り出してずいずい顔を近づけてくる。こんなに早く飛んでいるのに世間話をしてくるとは、こやつできる。
「ああ、もう、うっとおしい! ちょっと買い物に行くだけだぜ」
「ほうほう」
何が面白いのか六角帽子がメモを取っておるのである。吾輩もいつかメモをしてみたいのである。それにはまず勉強せねばならぬ。しかし六角帽子はにやりと歯を見せて笑っておる。手にはいつの間にかキャメラが一つ。吾輩は国際派であるからいんぐりっしゅもできるのである。
「まあ、記事なんていくらでもおもしろくできるわ。とりあえず魔理沙さん、写真を一枚」
「そういうのをねつぞうっていうんだろっ! 今はそんなことしている暇はないぜ」
ぎゅんと吾輩の頭に音が鳴る、と錯覚したのである。とたんに風が吾輩の顔を叩く。まりさが空中を箒を傾けて、一直線に天空から地上へ降りていくのだ。ううむ、うううむ。止まってくれ。
「いいですねその真面目な表情。猫さんもこっち見てください」
六角帽子がすぐ横にいるのである! キャメラを手に悠々ついてきておる。侮れぬ。まりさもそう感じてか、横に上に下にぐるぐるぐる飛んでは落ちては上っては一回転をくり返して逃げようとするのだ。
ぱしゃ。と音がするのだ。
いつの間にかまりさと吾輩の前に先回りした、六角帽子がさかさまに飛んでキャメラで吾輩たちを撮ってきた。むむむ、た、魂だけは取ってほしくはない。
「わあぁああ!」
耳元でまりさの叫び声するのである。六角帽子に驚いたのであろう。
途端に吾輩、空を自分で飛んでいるような錯覚を覚えた、おお世界が回っておる。手を伸ばしているまりさが遠ざかっている。吾輩はついに自分で飛べるようになったのかもしれぬ。
「おっと、危ない」
六角帽子の体に当たった。しかし、その瞬間に視たのはにたりとしている六角帽子の悪そうな顔である。この娘の体に沿ってころころと吾輩転がるのだ、捕まえてはくれぬ。おお。
「ああ、両手がカメラでふさがっていて捕まえられませんね」
わざとらしい声がするのだ。しかし吾輩は諦めぬ。前足を伸ばして必死に縋りつくのだ、ずるりと何かの手ごたえがあった。ただ目の前が真っ暗で何も見えぬ。それでいて落ちていく感触がするのだ。遠くで悲鳴も聞こえる。
ああ、吾輩の猫生もこれで終わりであろうか。もっとねこじゃらしで遊びたかったのである。黒い布で前が見えぬ。
だが、吾輩の体を抱きとめてくれたものがおる。
「ふう、危なかったぜ」
この声はまりさであろう。恩に着るのは、もとはと言えばまりさが連れてきたのが悪いのである。と思いつつ、それは紳士ではない。素直ににゃあにゃあと抱き付いて感謝するのである。
まりさが吾輩の顔から黒い布を取ってくれたのである。なんであろうかこれは。よく見れば金色の柄に紅葉の模様などもあるのである。
「あいつ、これがないと困るだろうな。ま、人を捏造記事なんて書こうとするからじごーじとくだぜ」
そう言ってまりさは空の真ん中で黒い布を捨てた。
※投稿時間をみすりました、来週からまた11時投稿します