わがはいは、わがはいである   作:ほりぃー

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しゅくめいのたいけつ

 吾輩は綺麗好きである。くしくしと右手を嘗めてから左手を嘗める。ここをよくよくまじめにやらねばならぬ。吾輩は忙しいのであるが、昼下がりの木陰で小一時間それに没頭せざるを得ぬ。

 一度毛並みの手入れをし始めると止まらぬ。

 それに今日は天気が良いのである。こんな日は心も軽いものである。ここにヤマメでもあれば言う事はないのであるが、あいにく食べるものはない。吾輩は人里に行くか神社に行くか迷う所である。ふむむ。

 神社に行くのであれば何か手土産でも持っていかねばなるまい。ネズミなどあたりにおればいいのであるが、見当たらぬ。巫女とてご馳走に小躍りするであろう。吾輩はご馳走は自分で食べずに分け与える紳士なのである。

 

「はあ、おもいおもい」

 

 びくっ。

いやいや吾輩は驚いたわけではない。いきなり横に人が座ってきてちょっと体が動いただけのことなのだ。断じて驚いておらぬ。見れば頭に鈴のついた髪留めをした少女ではないか、驚くに値はせぬ。背中に背負っておった紐で結んだ本を地面に下ろして、手で顔を扇いでおる。

鈴は持っておらぬ。そのことで今朝、巫女に怒られたのである。

 

「あぁ~阿求のやつこれだけ借りて一気に返すんだから。たまったもんじゃないわ」

 

 少女は吾輩に気が付いておらぬようで一人で喋っておる。しかし本とは興味深いのである。吾輩は字は読めぬが、それでいかぬと最近思い始めてきたのである。巫女も読書をしておる。人里を歩けば書物を手にしておる者は吾輩の腕で数え切れぬほどである。

猫も杓子もと言うではないか。ところで杓子とはなんであろうか。吾輩にはわからぬ。しかし、挑戦をしなければいかぬのだ。吾輩はそう思って少女に近づいてみる。鈴の少女は少し驚いたようであるが、吾輩はにゃあと一声してお辞儀をする。

 

「え? こ、この猫今おじぎしなかったかしら」

 

 驚く前に吾輩へ返礼もあっていいものである。

 

「え、えっとこんにちは」

 

 鈴の少女がそういうので吾輩は一声返してやるのだ。それを聞いて少女はまたのけぞった。いちいち動きが大きいのである。

 

「……じ、実は化け猫とかじゃないわよね……」

 

 失礼である。吾輩はれっきとした正真正銘の猫であるが、と思いつつも吾輩「化け猫」が何を持ってそういうのかわからぬ。しかし吾輩は違う。この前に視た人の姿をした尻尾が二つに分かれた猫は多分化け猫であろう。

 吾輩は深い思案をしていると、少女はまだ吾輩を疑いの目で見ておる。うむ。しかしその手に持ったねこじゃらしはなんであろうか、吾輩がそんなもので遊ぶと思っておるのであろうか。この。目の前で振るではない、にゃあにゃあ! ぱんちをお見舞いするのである。

 

「あはは。やっぱり普通の猫ね」

 

 鈴の少女は猫じゃらしを素早く動かすから吾輩の顔に当たって仕方ない。ほ、白刃取り。失敗である。この毛むくじゃらの先っぽを抑え込まねばならぬ。何故か吾輩それに熱中してしまうのだ。

 噛めぬ、つかめぬ。鈴の少女はいつの間にか吾輩と同じく寝ころんでニコニコしておる。むう。今日はここまでにしておいてやると、吾輩は許してやるのである。

 

「あれ、ほらねこじゃらし、ねこじゃらし」

 

 吾輩の尻にねこじゃらしを当てるのはやめるのである。この鈴の少女はよくわからぬ。吾輩はそっぽを向いて伏せる。鈴の少女はそれに不満のようであるが、ねこじゃらしを高速で動かすのはいかぬ。普通にとれぬ。

 

 今日は風が気持ちいいのであるな。吾輩はこんな日も好きなのである。いや吾輩嫌いな日がない。朝も昼も夜も、雨もお天道様の日も好きである。雪の日はまあ、好きである。そう考えれば世の中には良い日しかない。

 

 隣でぱらぱらと音がするのである。吾輩思わず耳をぴくりとさせてしまうのである。ちらっと横を見れば鈴の少女が本を開いて真剣なまなざしで見つめておる。積まれた本の束から取ったのであろう。

 何故人間は文字を楽しんでみるのであろうか、吾輩はそれが知りたいものである。しかし、今はいかぬ。さっきまでねこじゃらしで顔を叩かれた後である。

 吾輩はじっと鈴の少女の顔を見てみる。大きな目であるな。真正面から見れば鏡のように吾輩が映るのかもしれぬ。しかし今は本が映っておるのであろうか。

 

「わ」

 

 吾輩はたまらず鈴の少女のあぐらを掻いている真ん中に飛び乗った。そしてすかさずに開かれた本を見る。ううむ、墨の匂いがする。吾輩はこの匂いが好きでも嫌いでもないのである。

 これは漢字というものであろうか、吾輩は肉球で文字に触ってみる。しかし、鈴の少女が吾輩を片手で抱いて直ぐに引き離してしまったのである。

 

「だめよ、汚しちゃ」

 

 むむ。言いがかりである。吾輩は汚そうとしておるのではない。単に文字に触ってみたかっただけである。にゃあと抗議すると鈴の少女は、

 

「あとでねこじゃらしで遊んであげるから」

 

 と吾輩望んでもいないことを言われてしまう。どこかに吾輩とこみゅにけーしょんのとれる人はおらぬものであろうか。吾輩がそれが残念でならぬ。人間と話すことができればヤマメを平和に譲ってもらえるかもしれぬ。

 

 

 本を重ねて背負った鈴の少女が遠くを歩いていく。吾輩はただ静かに見送るだけである。視よ、この吾輩の周りに散らばったねこじゃらしを。遊び疲れて吾輩はくたくたである。途中で鈴の少女が両手でねこじゃらしを持ちながら「にとうりゅう」と眼をキラリとさせながら言ってきたが、何のことかわからぬ。

 

 吾輩は再び草の上で寝ころびながら毛並みのめんてなんすを行うのである。しかし、よくよく考えれば何も食べてはおらぬ。腹も減ったが艶を出さねばならぬ。忙しさに目が回ってしまいそうになるのだ。

 

 空を見ればお天道様も昇りきっておる。吾輩は毛並みのめんてなんすにひと段落が付くとむっくりと毅然に起き上がるのである。ちょっとどこからかいい匂いがするのもあるのだ。見れば鈴の少女が歩いて行った道から、逆にこちらに来る者がおる。手に大きな包みを抱えいるがどうやら饅頭であるな。

 美味しそうに食べ歩きしておるのだ。あれだけ持っているのであれば丁寧に礼儀を尽くせば吾輩にも少しはくれるかも知れぬ。だから吾輩は艶を出した毛並みと毅然とした歩みで歩いてくる者に近寄って見るのだ。

 

 灰色の髪に大きな耳のような物がある少女である。なんであろうか、あの耳はネズミのようである。それによくよく見れば尻尾もあるではないか、おそらく妖の類であろう。それにしても口いっぱいに饅頭を詰め込んでおるのがやはり吾輩にはネズミに見えるのである。

 

 にゃあにゃあ。吾輩は丁寧に頼み込んでみる。

 

「……なんだ猫か」

 

 その少女は赤い瞳をしておる。あと首から綺麗なぺんだんとをしておる。

 

「猫にあげる物はないね」

 

 ふんと鼻を鳴らして少女は足で吾輩を追い払おうとする。吾輩がこれだけ頭を下げておるのに一顧だにせぬ。むむ。これはいかぬ。少女がネズミに似ているのもあるが。吾輩は怒った。

 少女は穴の開いた妙なスカートをしておるが、太腿は出ておる。吾輩は紳士であるから女子に牙はたてぬ。しかし吾輩を邪険にした足を許せぬ。だからさっと後ろに回ってから足首のあたりを嘗めてみるのだ。

 

「ひ、ひい」

 

 少女は何か言って飛び跳ねた。

 

「な、なにするんだ。この猫! あ、あれ? ど、どこにいった」

 

 この手を使う時はすぐに離れなければならぬ。しかし、吾輩はこの時気が付いてはおらなんだが、吾輩はネズミの少女と争ううんめいなのである。

 

 

 

 

 

 

 


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