わがはいは、わがはいである   作:ほりぃー

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のきしたでもあたたかいものである

 吾輩の辞書に不可能の文字はない。しかし、とんと文字という物は読めぬ。

 いきつけの神社で巫女が書物とにらめっこしているところを見ると、吾輩は思わずそんな面白くないことするくらいであれば、吾輩が遊んでやろうと目の前で転がるものだ。これがなかなかにコツがいる。巫女とて最初は一顧だにせぬ。

 

 根気がいるのである。ここでうるさくしてはいかぬ。ごろごろとしながら、巫女がこちらをみるまでやるのだ。その内にねこじゃらしなる、猫としては不名誉な遊ぶ道具を巫女が持ってくるが、吾輩は紳士である。文句ひとつ言わず巫女とあそんでやるのである。

 

 さて、今日はそれができぬ。

 ざあざあと雨の降る日である。地面を叩く音に耳をぴくぴくさせてみる、特に意味はない。退屈なのである。

 

「あんた。家にはいれないけど軒下ならいいわよ」

 

 巫女はいつも通り縁側にいる吾輩にそういった。どうやら今日の寝床を貸してくれるというのである。さらに少しのにぼしを吾輩の前に置いた。かりかりと食べていると巫女は雨戸を締めながら吾輩に話しかけてきた。

 

「今日は風が強いから。雨戸も締めるわよ、あんたもさっさと軒下でも潜ってなさい」

 

 にゃあと返事をしてやるのだ。ふむ。嵐が来ているのかもしれぬ。見れば木々が騒めく音が聞こえる。縁側には屋根はあるのだが、さっきから横風に飛ばされてきた雨が顔を打っておる。これはいかぬ。吾輩はしゅたっと縁側を降りてごそごそと軒下へ潜った。

 床の下は思いのほか暖かいものである。我は少し砂利を踏みしめながら奥へ歩みを進めるのだ。上ではどたどたと巫女の歩く音が聞こえる。それと合わせて後ろを見れば床と地面の間に雨の降る景色が見える。吾輩は濡れるのは嫌いであるが雨の日は嫌いではないのだ。

 

 どこで寝るかを考えねばならぬ。奥へ行くのだ。

 しかし、どうやら先客がおる。人間が軒下にもぐりこんでいるとは珍しいこともあるものである。吾輩は一声挨拶をする。礼儀作法には吾輩少しうるさいのである。

 

「わ! ななんだ。猫か」

 

 どうやら少女のようである。銀髪で白い着物を着ておる。ふむ、人里でもあまりみぬ恰好であるな。胸元に烏帽子を抱え込んで腹這いになった人間は吾輩初めてである。

 

「おぬし。ここに住んでおるのか? 我は太子様より重大な命令を授けられて張り込みをしておるのだ。騒ぐ出ないぞ!」

 

 耳に響くくらいに大きな声であるな。そもそも吾輩は何も言ってはおらぬ。ふと、耳をすませば床の上から巫女の声がする。

 

『な、なに? 今の声。どっかで聞いたことがあるような……』

 

 それを聞いてから目の前の少女が吾輩に抱き付いてきた。何故か吾輩の口を押えてくる。ここが納得がいかぬ。どう思ってみても先ほど騒いだのが悪い気がするのであるが。軒下で顔が近いのである。

 少女は床の天井を不安げに見ている。ばれぬか、ばれぬかと存外大きな声で騒ぐので吾輩の方が心配してしまうものである。

 

「猫よ……さ、騒ぐでなむぐ」

 

 吾輩、この少女が何をしているのか分からぬが悪人には見えぬ。だからよくしゃべる口に肉球を押し付けてやるのだ。

 

「な、なにをすむぐ」

 

 吾輩の親切な肉球を押しのけたのでもう一度押し付ける。まったく最近の軒下はやかましい物である。別の猫がいることもある。

 床の上ではどたどたと巫女の歩く音が聞こえてくる。目の前の少女も冷や汗を流しながら黙り込まざるを得ぬ。

 しばらくすると音も止んだようである。吾輩は少女から肉球を外して、代わりに自分の足でかゆいところを掻く。ああ、気持ちがいいのである。それから欠伸をしようとして、目の前の少女にいたことに吾輩は気が付く。

 不覚である。人前で欠伸をするなど礼儀に反するがこれは止められぬ。大きくそれをしてしまうと

 

「ふぁぁあ」

 

 少女も吾輩と同じように欠伸をするものである。これでお互いにふぇあといっていいのであるな。

 

 ★

 

「実は暇だったのだ。我はこうして一人でずっとここにおるが、やることがなくてな。一人でしりとりをしておった」

 

 吾輩と少女は横になって寝ている。しりとりとは何なのか吾輩にはわからぬが、吾輩は少女の言葉をこの耳で全て聞いておる。

 

「おぬし、しりとりはできるか」

 

 やったことはない。しかし、物はためしというもの。やれぬとは軽々には言えぬ。吾輩はにゃあと固い意志を表示する。それを見て少女はくすりと笑ったようである。少し間の抜けたところはあるが、白い肌が餅みたいで美味しそうである。もちろん食べぬ。

 

「意味のないことを聞いた。許せ……」

 

 少し眠たそうに吾輩に言う少女であるが、吾輩はしっかりとにゃあと鳴いたのである。ううむ、人とのこみゅにけーしょんの方法はないものか。しりとりとは何か分からぬがやってみたかったものである。言葉から察するにお尻をどうするかというものであろうな。吾輩はしっかりとわかっているのである。

 

「おぬし……名前はなんというのだ」

 

 少女はうつらうつらと吾輩に聞いてくるのだが、そこがとんと分からぬものの一つである。吾輩にも自分の名前は分からぬ。昔はいろいろと呼ばれたような気もするが、よく覚えておらぬ。

 

「我は……物部布都というのだ」

 

 ふと、というのであるか。良い名前であるな憶えやすいのである。ふと、いやこれは名前を呼んでおるのではないのだ。ふと、いや不意になんとなく思ったのであるが吾輩も何か名前が欲しいような気もしてくるのである。

 吾輩も名前を考えてみるものである。あまりありきたりな名前ではいかぬ。こう、吾輩はわがはいであるような、そんな吾輩だけの名前が欲しい物である。

 ふと、いや今度は名前を呼んでいる。憶えやすい名前ではあるが妙な引っ掛かりを覚える名前であるな。

 見ればふとは寝ている、すうすうと寝息を立てておる。吾輩も眠たくなってきたような気もするのだ。だが、吾輩は綺麗好きなのである。しっかりと毛づくろいを舌でしながら、外の雨の音を聞きながら眠る準備をするのである。

 

「うう……」

 

 ふとがもぞもぞと動いておる。もしかして寒いのかもしれぬ。吾輩周りを見てみれば砂利しかないのである。こんなものを掛けてもいやがらせにしかならぬ。仕方ないのである。吾輩はすすっとふとの胸元に歩み寄り。腕の間にもぐりこんでやるのだ。

 ふとは吾輩を少し強く抱き付いてくる。すりすりと無意識に背中に顔を押しあてて来るのはくすぐったいものである。吾輩、こういう時の為に毛並みのめんてなんすを怠ったことはないのである。

 

 ★

 

 いかぬ。少し寝てしまっていたようである。もぞもぞと動くとふとが吾輩を離さぬ。仕方ないのである。少し強引に体を引き抜いておる。

 雨の音が聞こえぬ。蝉の声すらも遠くに聞こえるのである。吾輩は外を見る。天井と床の間におれんじ色の地面が見える。どうやらもう夕方のようである。嵐は去っているのであろう。

 吾輩は寝ているふとににゃあと声を掛ける。すると寝ぼけていたのかふとも

 

「にゃあ……」

 

 と返すではないか。ううむ人間とこみゅにけーしょんが取れた気がするのである。それではと頭を吾輩は下げ、風邪を引かぬようにするのであるぞともう一度鳴くと、ふとは

 

「たいしぃ」

 

 とよくわからぬことを言う。まあいいのである。

 吾輩は軒下を歩き、外に出る。湿った地面を踏みしめて夕日の暖かさを身に受ける。

 空を見ればちぎれた雲がどこかに行こうとしているようで、山の間におれんじ色の太陽が沈もうとしているのである。

 今日も良い日であった。

 


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