吾輩も負けてはいられぬ。
今日は暖かい日であるが、吾輩の心は燃え盛っているのである。人であれば胸が躍るというらしいのであるが、吾輩が自分の胸のあたりを見ても吾輩自慢の毛並みしか見えぬ。ううむ、どうやって踊るのであろうか。
いやいや、そうではない。
この前に巫女と話をしていたさくやとれみりあは「ぱちぇ」なる猫を飼っているというのである。なんと、驚いたことに人の字が読めるというではないか、それができるのであれば人とこみゅにけーしょんも取れるかもしれぬ。
そこで吾輩は思ったのである。人の子が通う寺子屋とやらで書物を勉強しようと、固い決意である。
だからこそこんな草むらで寝転がっている場合ではないのである。ちょうどお天道様も真上に来たからには、そろそろ起きねばならぬのだ。ごろごろ、起きねばならぬ。その前に毛並みを手入れせねば。
少し吾輩は前足を嘗めておめかしをするのである。決してまだ起きたくないわけではない。こう、ちゃんとしておかねばならぬ。後ろ足も、こう。楽しくなってきたわけでは決してない。
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吾輩はしっかりと健康に気を遣っているからこそ時間がかかってしまったのである。紳士であるからには毛並みの手入れを欠かす訳にはいかぬ。まんぞくしたのである。
吾輩はすくっと立ち上がり胸を張って歩くのだ。行動はめりはりが大切というであろう。ところで「めりはり」とはなんなのであろうか、とんと分からぬ。ぱちぇならばわかるかもしれぬ。
しかし、吾輩他の猫に頼っている時ではない。向上心に燃えている吾輩を止めることのできる者は何もない。おお、手ごろな石があるのだ。ころころと転がしてみると中々におつであるな。
はっ。いかぬいかぬ。遊んでいる場合ではない。吾輩道草を食うような暇はないのである。速く人里に行かねばならぬ。吾輩は街道にでた。
「おお、猫ではないか」
にゃあ、ふとではないか。いつも妙な帽子を被っているものであるな。そういえば吾輩も帽子が欲しいと思うことがあるのであるが、猫用の帽子はないであろうか。
それにしてもふととはよく会う。もしかしたら吾輩を慕っているのかもしれぬ。
「最近よく会うな、もしや我を慕っているのか?」
ふとよ、それは吾輩がさっき思った事である。
だからにゃあにゃあと吾輩が鋭い抗議をすると、ふとはわかったわかったというではないか。
「我を慕ってくれるのは嬉しいが今は何も持ってはいない。今度にぼしをもってきてあげるから」
どうであろうと鼻を鳴らして吾輩を見下ろしてくるふとである。
何も分かっておらぬようであるが、にぼしとなれば話は別である。吾輩、ここは大人で寛大な心を持って全面的に許すのである。ぅう、ふとが頭を撫で始めたのであるが、吾輩は忙しい。今日は人里に行かねばならぬ。べんきょうせねばならぬ。
「ここがよいのか」
もっと首のあたりがよいのである。
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じんそくな行動とは難しいものであるな。ふとの遊びに付き合ってあげたら、時が走るように過ぎてしまったのである。今日はもうどうしようない、夕日が沈んで遠くで鴉がかあかあと鳴いているのである。
そういえば鴉天狗とは鳴くのであろうか? 吾輩はとんとわからぬ。前にもみじなるものにご馳走を貰ったことがあるが、あやつは元気であろうか。台風の時の疲れがでたと言っておった。
そんなことよりも吾輩は今日の寝床を探さなければならぬ。吾輩ほどになればこの幻想郷は庭のような物であるが、逆にどこで寝るか悩むところであるな。いや、それよりも吾輩は大変なことを思い出してしまったのである。
今日、吾輩は大事なことをしていないことに気が付いてしまった。不覚である。嘆かわしいことである。これではまだ見ぬ「ぱちぇ」に笑われてしまう。そうである、吾輩今日は、
ごはんを食べておらぬではないか。
そう思うととたんに腹が減ってきたような気がするのである。ううむ、ここからは寺も神社も遠い。りんのすけの所に行ってもよいのであるが、たまにゲテモノを出すから考え物である。
うむ? なんかいい匂いがするのである。おお、なぜであろう体が勝手にそちらに動いていくではないか。不思議なことである。確かこの先には沢があったような気がするのである。
夜の道は暗い暗いというが、吾輩の眼にはそこまで暗くは見えぬ。何故であろうか、それよりも夜は寒いのがいけぬ。お月様もお天道様のようにあったかになればよいと吾輩は常々思っているところである。
うむ、ほのかに明かりが見えるのだ。あれは沢のほとりであるな。火を起こしているのであれば人か妖怪であろう。吾輩は恥ずかしながら火というものを扱ったことはないのである。
草むらを抜けると小さな滝のある沢に出たのである。周りを木々に囲まれた場所で吾輩は始めてくるのだ。庭とて見た事ないところくらいはあるであろう。
「あ、ねこだ」
そこにこんがり焼かれたヤマメを木の枝にさして食べている少女がいたのである。
たき火の前の石に座っているから、顔がよく見えるのだ。銀色の髪に赤い瞳がきれいであるな。頭には大きな赤いリボン。それにしても上着がぼろぼろである。寒くなってきたのに半そでとはいただけぬ。下に穿いているものをよく知っておるのだ、人里でもんぺといわれているものである。
「なんだ。これを食べにきた? ほらおいでおいで」
たき火の周りにはさらにヤマメが焼かれているようである。わ、吾輩の足が勝手に動いていくのである。これはふかこうりょくというものであろう。吾輩は一つ身をもって知識を得たのだ。
「猫か、昔からいるんだよね。名前とかあるの?」
吾輩を少女はだっこして何か聞いてくるのである。わがはいは、わがはいである。それに昔からとはよくわかっているのである。吾輩はこのあたりでは少し有名になってきたかもしれぬ。
「私は妹紅……って。猫に自己紹介してもなぁ」
もこおであるか。それよりもこおよ、吾輩お腹が減ったのである。吾輩の眼はさっきから炙られているヤマメにしか向いてはおらぬ。それに気が付いてくれたのかもこおは自分が食べていたヤマメを地面に近くにあった岩に置いたのである。
「ほら、おたべ」
もこおとは初対面であるが一匹のヤマメを分け合うことになるとは思っていなかったのである。食べかけとはいえ、贅沢は言ってはいられぬ。吾輩は紳士であるから、貰ったものに文句など言わぬ。
吾輩がもこおのひざ元から足を伝って降りる。
「おー。体が長い」
降りるときに足を延ばすから、身体も伸びるのは当たり前であろう。しかし、感心されることには悪い気はせぬ。
吾輩がヤマメに近づくと、良く焼けた皮からいい匂いがする。それに一部で剥き出しになった白身からほんのり湯気が立っている。はむはむ。はむはむ。ううむ。もぐもぐ。
吾輩はまなーにはうるさいのであるから、食事は静かにとるのだ。虫の声と沢を流れる水の音くらいは許すとしよう。それにたき火からぱちぱちと音がしているのだ。もこおも火にあぶっていたヤマメをとって食べ始めた。
「あち、あち」
なんか言っているのである。吾輩はちらっと見て、すっと視線を戻す。口に物を入れて喋るわけにはいかぬ。もこおは別に吾輩を撫でてくるでもなしに、岩にもたれかかって食べているようである。
「明日は何をしようかな……ふぁーあ。眠い」
涙を浮かべてもこおが欠伸する。それからぼんやりと空を見ているのである。
吾輩つられて大きな欠伸をしてしまう。