私の神社にはよく来る猫がいる。
縁側に座っているといつの間にか足元にやってきてじっと見てくる。餌なんてやらないって言っても、その場であくびしたりするふてぶてしい奴。
今日は単なる気まぐれで膝の上にのせてやる。こいつ顎を撫でるとごろごろと喉を鳴らすことがある。
ごろごろ。
今日はその日みたいだった。
「あんたさ、いつもどこからきてんの?」
それには「にゃー」と答えてくる。
「まあ、猫に言葉なんてわかるはずもないか」
すくっと猫が立ち上がってじっと見てくる。丸い目が少しかわい……いや、なんでもない。
頭をなでてやると気持ちよさそうに目を細めている。
みゃー。
何が言いたいのかさっぱりわからない。たまに猫って話しかけているんじゃないかって思うこともあるけど、そんなのは妖怪の猫。こいつはただの猫だからそんなのはない。
「お、今日はお揃いなのね」
見れば白沢がいた。上白沢慧音という人里で寺子屋をやっている物好きなやつ。神社に来るなんて珍しい。
「お揃いって何よ」
「いや、その猫」
私がなでている猫を指さす慧音。ん? こいつ慧音をみて立ち上がった。なーおって鳴く。なにそれ、挨拶のつもり? ふふ。
ん? 慧音が私を見て目をぱちくりさせている。
「なによ?」
「いや……巫女にもそんな優しい顔ができたんだなって」
「……は?」
はぁ? この妖怪は何を言っているのだろうか。いつ私がそんな顔をしたのだろう。
……なんか慧音が横に座ってきた。
「こんにちは猫さん。今日は神社に泊まるの?」
「あんたも知り合いだっけ? こいつ、意外と顔が広いのよ」
「ああ、知り合い」
慧音はそういって私の膝から猫をひょいととると自分の膝に乗せる。
「この子はあごの下が好きなんだ」
「知ってる」
「……へえ」
ごろごろ。
たわいのない会話の途中でも猫は気持ちよさそうに顎を撫でられている。
「この子はたまに言葉がわかるんじゃないかって思うような時があるんだ」
それには同感。さっき思った。それにしてもあごの下といい思うことと言い、結構みんな同じように思っているのかもしれない。
それにしてもいい日だ。暖かくてただ座っているだけで気持ちがいい。すこしうとうとしそうになる。
見れば猫もあくびをしてから手をぺろぺろなめている。猫はきれい好きというけど、こいつの毛並みはきれいだ。そう思って手を伸ばすと、私の手をなめてくる。ざらざらした猫の下特有の感触。
「こいつって名前とかあるのかしら?」
ふと思った。ただの野良だから、いつもてきとうに呼んでいた。
猫がじっと私を見て、みゃーと言った。何それ。
「あんたの名前はにゃーって言うの?」
じーっと見てくる。何か言いたげな顔のようにも見えるがふっと私は笑ってしまった。なんでだろう。
「あはは」
「ふふふ」
慧音と笑った。彼女は猫を抱っこして言う。
「この子は紳士だからな。意外とかっこいい名前があるのかもしれない」
「しんし? なによそれ」
「いや、いつもちゃーんということを聞いてくれる時もあるから紳士のようにしなさいって教えている」
「ますます訳が分からないわ」
猫の奴もなんかふんぞり返っているように見える。
「じつはうむなんて思っているんじゃないわよね」
私はそう言って猫のおなかを触る。ふさふさで心地よい。でも猫は少し身をよじってとんと縁側に降りた。それからひょいと奥に入っていく。私は焦った。
「あ! こら。勝手に上がり込むんじゃないわよ」
どたどたと追うと猫もしゅたたと逃げる。コラまて。いつの間にか寝室に来てまだ畳んでなかった布団の中にさっと猫が入った。私はふとんをばさっとはねのけると猫はそのすきに布団の間から走り去っていく。
「すばしっこい!」
そんな感じの望まない追いかけっこをしてから、やっと捕まえたときには少し疲れた。私は猫を抱いて縁側に連行する。そこでは慧音が笑っていた。
「なかなか愉快ね」
「……あー?」
「そんな顔しないで」
慧音はそう言って立ち上がった。
「そろそろ帰るかな」
「そもそも何をしに来たのよ」
「……お参り?」
少し考えてとってつけたようなことを言った妖怪をじろっと見る。
「お賽銭は?」
「現金ね」
くすくすと慧音は笑う。私ははあとため息をついてなんとなく猫の肉球をくにくにと指で触る。みゃーみゃーこの子は言っているけど、逃げた罰だ。猫はくすぐったりできるのかよくわからないから、こうしてやる。ほらほら。……いや、これ嫌なのだろうか? よくわからない。
「それじゃあね」
慧音は本当にそれだけで帰っていく。散歩がてらに来たんだろうとおもうけどちゃんとお賽銭を入れていきなさいよ! それにしても今日は暇だ。慧音が帰ってから縁側にごろんと横たわる。あ、これ気持ちいい。神社の庭を見ながらあったかい中で少しずつ、眠りに落ちていく……。
いつの間にか猫も横で丸くなっている。私はその背中をなでながら……くぅ……。
☆
ここはどこだろう。
私の前を一匹の猫が歩いている。
その猫は
朝も
昼も
夜も
楽しそうに前を歩いていく。私はその後ろを何となくついていく。
山の中や川に落ちそうになったりしたり。
ああ、ここはどこだろう。いや、一度行ったことがある、地底の底だ。
温泉の湯けむりがもうもうと立ち込める。鬼や妖怪が楽し気に笑う声がする。
そうおもったら花火が上がった。これは人里のお祭りだ。出店が多く並んでて、楽し気に大勢が行きかう。
次の瞬間には夜の空の中……星空の下を歩いている。
きれいな星の瞬く中をあの猫はどんどん歩いていく、でもたまに振り返って
にゃーと私がちゃんとついてきているかを聞いてくる。
聞いてくるって言い方はおかしいかもしれないけど、まあいいや。
「どこに行くの?」
そう言うと猫は言う。
――どこでも吾輩のにわである!
私は耳を疑った。猫がしゃべったように思った。でも足元に来た猫が見上げてくる。ふっと笑う。
「あんたさぁ、何よそのしゃべり方」
☆☆
はっと目を覚ます。あれからどれくらい寝ていたのだろうか。いつの間にか猫のふさふさのしっぽが顔の前にあった。それに鼻をくすぐられて起きたみたい……あー変な夢を見た。
猫はすやすやと眠っている。寝顔は結構……あー、うん。……かわいい。
頭をなでるとすりすりとこすりつけてくる。寝ぼけているのだろうか? そう思ったけど、猫は目をぱちりと開けて立ち上がって体を伸ばす。猫の体って柔らかいっていつも思う。
猫がぱっと縁側から飛び降りる。それからたったっと神社の鳥居に向かって走り出した。
どこに行くのだろうか。
だんだんと猫が小さくなっていく。なんでかわからないけど、その時不意に寂しさを覚えた。いつの間にか靴も履かずに縁側から飛び降りた。
小さくなっていく猫の背中に向かって私は言った。
「どこに行くの?」
猫は遠くで振り返った。
少しだけ私のことを見てくる。それからにゃーと返事をするように言ってくれた。……言ってくれた? 変な感じだけど、でもあの夢と同じで、安心した気がする。
猫は走っていく。そうして鳥居をくぐって見えなくなった。
ざああと風に揺られた木が鳴る音がする。
……でも、どうせまたやってくる。あいつは食いしん坊で気まぐれな奴だから。
今日くらいは人里でやまめを買ってやってもいいかもしれない。
あいつは今日はどこで遊んでくるのだろう。私はすでに背中の見えなくなった猫に向かって語りかけた。
「いってらっしゃい」
あんまり遠くには行かないようにしなさいよって、続けようとしてやめた――
これにてわがはいの物語は完結になります。
きっとこの子はこれからも幻想郷を庭としてくれると思います。
途中、最後まで書くことが寂しくて書けない時がありましたが、
この最後を描けて良かった気がします。
お付き合いいただきました方々に心の底から感謝申し上げます。