欠伸が出るような日だ。
吾輩はうだるような夏の日が嫌いだ。こう熱いと何もする気が起きないのである。
それにしても人間はやかましいものだ。こう熱いというのにあっちにいったりこっちにいったりと忙しく働いている。商売繁盛といえば結構結構、と言いたいところであるが吾輩の昼寝の邪魔だけはしてもらいたくないものである。吾輩は蝉の声も中々に嫌いである。
のそのそ起き上がる。
近くを通りかかった人の子共に一声挨拶をしておく。吾輩は挨拶にはうるさいのである。おや、子供達も吾輩へ挨拶を返してくれた。感心なことである。しかし、吾輩の声を真似するのはいかぬ。
雑多な街中はいろんなものがあるのだ。
呉服屋もあれば八百屋もあり、何を売っているのか吾輩にも分からぬ場所もある。しかし、道が舗装されているので歩きやすい。肉球が痛まぬことが何よりなのだ。
おお、あっちからやってくるのは天秤棒の魚屋であるな。
そこ行く人間よ、吾輩に一匹くらい魚を分けて欲しい物である。そう邪険にするではない。しっしと蚊を追い払うようにっされると吾輩も考えがあるのだ。
てやっ、とう。天秤棒の片側に頭から突っ込むのだ。おお頭が冷える。水が入っていたか。吾輩は綺麗好きでお風呂は大好きであるが。うむ。魚臭い水は少しどうかと思うのだ。
かぶっ。よし。一匹魚を咥えてやったのである。小さなヤマメであるな。山魚の中では好きである。
魚屋よそう怒るではない。吾輩を虫けらのように扱ったことがいかぬのであるぞ。魚どろぼうとは心外であるな。これは慰謝料なのである。と説明したいところではあるが「に」と「ゃ」では少し人とのこみゅにけーしょんは難しいのである。
さて、逃げよう。これこれ、魚屋。魚泥棒を捕まえてくれなどと叫ぶでない。いずれ代わりにイチジクかグミかネズミでも持ってきてやるのである。
人里の真ん中を奔ると風を感じるのである。子供達が吾輩を応援しているのである。
むむ、魚屋に助っ人であるな。目の前に立ちふさがって来る者がおる。
年端もいかぬ少女のようである。黒いリボンをした銀髪の女子。吾輩は今魚を咥えておるので威嚇してあげることはできぬ。許すのだ。いのちまではとらぬ。
というよりもあの女子は腰に大小の刀を差しておるのである。むしろ吾輩のいのちをとらないで欲しいのである。
それに肩に白い何かが乗っておる。もしやあれは人ではないかもしれぬ。
吾輩はそうと知っていても前足と後ろ脚を止めることは出来ぬのだ。
「止まりなさい!」
言われてもとまるわけにはいかぬ。左に曲がるのだ。
「この」
甘いのだ。後ろ脚で地面を蹴れば右へ回れるのである。
「わわ」
その緑のスカートの下を通り抜けていくのだ。おわっ。こやつ座りおった。まずいのである。スカートに囲まれてしまった。出られぬのである。落ち着くのだ。吾輩。
「つ、捕まえましたよ」
よし。ヤマメをこの子の足にぬるぬると塗り付けてみるのである。吾輩も魚は好きだがぬるぬるは嫌いなのであるから。くらうがいい。ついでにお尻のあたりにヤマメをぶつけてみるのである。
「ひ、ひゃ」
よし、飛びのいた。
そして刀を抜きおった。
わ、吾輩にそこまで本気になる意味があるのか。顔を真っ赤にしておるが、もとはと言えば吾輩を捕まえようとしたお主がいかぬのだ。
「ゆ、幽々子様のおやつを買いに来ただけだったのに……こ、この猫!」
これはかなわぬ。吾輩は争い事は嫌いである。だがヤマメは返さぬ。それは吾輩の沽券にかかわるのだ。しかし、この殺気は凄まじい。おしりのあたりを触ったのがいかぬことだったのかもしれぬ。
きょろきょろとすれば周りに人だかりができておるではないか。むむむ。これでは容易に逃げることができぬのだ。人間達の足元に逃げ込むこともできるが、それでは巻き添えにしてしまうかもしれぬ。紳士な吾輩にはそれはできぬ。断じてできぬ。
しかしこの女子刀を振り回すなど穏やかではない。それにそう吾輩を睨みつけて威嚇するのもいかぬ。闘いとはこうするのである。
こう、身体を、くねらせて。ヤマメは傍に置いて。お腹を見せる。どうだまいったか。
「……降参ということですか」
ため息をついて女子が刀を納めておる。さらに吾輩はごろごろしてやるのだ。そうするとくすくすしながら近寄ってきておる。
「もう悪いことしてはいけませんよ」
お腹を撫でるではない。おお、顎を触るな。眠くなる。だが心外なことがあるのだ。悪いことなどしておらぬ。簡単に刀を抜くようなおぬしにはきつーいおきゅうをすえ、うむうむ。顎の扱いがうまいではないか。
ごろごろ。むむ、そうそうそのあたり。中々に才能があるぞおぬし。だが吾輩はきょうこない精神を持っているからして、そう簡単には屈服などせぬ。これはかの諸葛孔明のようなあれである。
ばっと起き上がる吾輩。おどろく女子の胸へ飛び込むのだ。そりゃあ。吾輩のお腹を撫でたが運の尽きである。その体勢では踏ん張りがきくまいて。
「わっ。わあ」
どすんばしん。転げた女子の胸の上で勝ち名乗りならぬ、勝ち鳴きをしておくのだ。吾輩に喧嘩で勝とうなど千年早い。見れば悔しそうな顔の女子。吾輩はささっと降りて、ささっとヤマメを咥えて、たったか走りさる。
「ま、まてぇ!」
くるりと一度だけ振り向いてやるのだ。倒れたままスカートがめくれておるぞ。吾輩はそれを注意してにゃーと鳴いてやる。伝わったかどうかはわからぬ。尻尾を二、三ふりふりしてから逃げるのである。
★
お腹がいっぱいになった。吾輩は満足である。
ここは行きつけの神社の縁側である。横にいつも座っておるのは赤白の服を着た女子は巫女というらしい。吾輩にたまにご飯をくれる、中々愛いやつである。
「あんたまたきたの」
巫女はお茶をすすりながら吾輩に話しかけている。吾輩は律儀ににゃあにゃあと答えてやると巫女は少し笑ったようである。この女子吾輩の尻尾をぐにぐにする癖がある。大人な吾輩は我慢してやるのであるが、これが隣町の寅やらであればまたたび一つではたりぬ。
こうして縁側でごろごろしながら、身体を伸ばすのは吾輩、一番の楽しみである。しっかりと毛をなめて艶を出したり。大きく誰にはばからず欠伸をするのである。人前で欠伸など出来ぬ。紳士な吾輩は礼節にもうるさいのである。
巫女よ背中のそのあたりが撫でるのがすごくよい。手付きが中々様になってきたではないか。吾輩が育てた甲斐はある。これであればどこの猫を撫でても恥ずかしくはないぞ。
「あんた。どこから来たの? って猫に聞いてもわからないか」
(それがとんと吾輩にもわからぬ)
「……え?」
どうしたのだ巫女。鳩が弾幕を食らったような顔をしておるぞ。
「今喋った? 疲れているのかしら」
ふむふむ疲れておるのであれば吾輩。昼寝の極意を教えて進ぜようではないか。日差しが強すぎるところではいかぬ。こう、縁側の奥の方の陰になっている場所に身体を移して寝転がるのである。
「あ、こら奥に勝手に行くんじゃないわよ」
両脇を持たれて宙に浮く吾輩。足が地面につかぬは少し気持ちが悪いことである。無理やり日差しの強い場所に持ってこられてもここでは寝れぬのだ。巫女よ。そのあたりのことは多めにみてくれぬだろうか。
「そうにゃあにゃあ鳴いたってあんたを飼う余裕なんてないわよ。用が済んだらいつも通り帰りなさい」
やはり人とのこみゅにけーしょんは難しいのである。吾輩は仕方なく欠伸をする。