恋姫†無双 「復讐剣月蝕」   作:我楽娯兵

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一章 宿命の魔剣
目覚め


 月琴の音色を響かせ、夜空を覗く。

 暗黒の端々を埋め尽くす無数の光を数えることは不可能に近い。

 しかし彼女はそれは安く容易く遊戯に近い。

 元より彼女の時間は無数にあり、その果てのない時間の果てを探して、ようやくその果てを費やすもの苦労し見つけ出す。身近に存在したものによって。

 

「人の思念の数はいかに多きかな。我これを数えんとすれどもその数は星よりも多し」

 

 彼女は無数を見通す、世界の時間を、過去を未来を。そしてそれに平行する世界も。

 不可思議の果ては限りなく、それを読み解くことこそ今の彼女の生き甲斐となっていた。

 月琴の静穏な音色は僅かに強く、不安を掻き立て底気味悪い音色へと変化を遂げる。

 天空に昇っている白肌の満月はそれに合わせるように、姿を変え端より欠け始める。

 それは音色と合わさり彼女の音色を更に不気味なもに助長させた。

 彼女の話を聞いていた客は、その雰囲気に身震いを起こしていた。

 

「あんたの予言は信じるよ。でも悪い話ばかりじゃなくてもっといい話も聞かせてくれよ」

 

 客の一人はそう言った。

 時勢は乱世へと転がりだしていた。

 匪賊の跋扈は止まる事を知らず、疫病はその黒き魔の手を広げている。

 帝はすでに古びた神輿であり意味は無し。各地の英雄は頭角を現し始めていた。

 凶報か吉兆か――彼女はどちらに転ぼうとも受け入れる。

 ただ唯一不安がある。見通せぬいくつかの影が、彼女の見る無数の光を一つへ収束させていた。

 それは露骨な介入であり、彼女と同等、もしくはそれ以上の存在が送り込んできた異物であった。

 その中でも一際輝きを放つ二つの凶星がある。

 一つは赤き太陽、すべてを焚き平等な滅却がある。

 そしてそれに対となる白き月が――太陽を追い続ける哀れな月の姿が。

 彼女は月琴の弦を激しく弾いた。

 耳を引き裂く音色と共に一つの未来を見た。

 空に合った欠け始めた月は完全に姿を消し、天の奇怪を露にしていた。

 見上げる彼女に客は青ざめていた。

 

「月が...血みてぇに赤ぇ」

 

「旱魃の次は天災か、やってられねえよ」

 

 客達は絶望よりも先に諦めの色が濃く、疲れていた。

 彼女の月琴の音色が穏やかなものに変化し、それに合わせ赤き月も白く戻り始めた。

 安堵の声が聞えた彼女は予言を言った。

 

「三度夜の月が赤く染まり、三度昼の空に月が昇るとき、世は平安を迎える」

 

 月琴を背負い、店仕舞い。

 白く地を照らす月、かの剣士はどう転ぼうとも道筋は変わらぬようだ。

 時は乱世。

 預言者は管輅、双星の行く末を視ていた。

 

 

 

 +  +  +

 

 

 

 伊烏の息は薄く、そして長く吐いていた。

 構えはなく、自然体にいつものように。殺気を悟らせない姿で、その生命を絶つ構え。

 腰には愛刀の“はな”が差されており、彼を知る者であれば震え上がるような立ち姿であった。

 ただ“はな”には細工がされていた。

 といっても大掛かりな細工ではない、鞘より刃を抜かぬよう栗形に紐を通し鞘と結び付けているだけだ。伊烏のある程度の保険であり弟子を斬殺しないようにしているのだ。

 伊烏の見据える相手、それはこちらに来て良くしてもらった人で兵法綾瀬刈流(へいほうあやせかるのりゅう)の最後の――いや、時間的流れで見れば最古の使い手であった。

 垢抜けぬ顔立ちであったが、女性的魅力に溢れる美女。

 磨き上げられた木刀を担ぐように右肩へ構えてる。

 刈流では“指の構え”と呼ばれる構えだ。攻撃へ推移した結果、極自然的にどの流派も上段構えにはなるものだ。薩摩示現流の「蜻蛉の構え」然り、この“指の構え”も。

 ただ“指の構え”は刈流の理念たる腕の脱力、それに付随し理解する体重移動を顕著に活用した構えだ。その一閃は仕手の全体重がその剣に乗る。即ち例え仕手が女性であろうとも剛剣を揮えることに他ならない。油断は出来ない構えだ。

 油断は出来ぬが、伊烏には余裕はあった。

 その理由として息使いにある。

 伊烏とは違い、息を吸い、吐いている。あまりにも無防備だ。

 息使いは生命活動には非常に重要な立ち居地を占めている。最も酸素を消費する脳に酸素を取り込んでいるからだ。だがそれは普通に生活しているならばだ。

 立ち合いになれば、息を吸うという行為は肉体反応を遅くする行動だからだ。

 僅かな遅れでも生死を分けてしまうのが仕合であり、必然だ。

 そういった面では彼女はまだまだ未熟だ。伊烏としか立ち合っていないことが原因である、手心を加えていることも災いしている。

 嫁入り前の女性を傷物にするわけもいかず、熱心に鍛錬を積むものに手を抜くのは心苦しい。

 それを加味した上で最小限の傷を負わせずに済む打撲に辿り着いた。

 女性を殴り悦に浸る趣味はない。ましてや人を傷つけ快楽を得たこともない。

 これは所謂、最終試験。

 伊烏が持った唯一の弟子、鼎に技を教えきるに値するか。

 鼎は走り出す。

 ただ一直線に担いだ木刀を伊烏の体に叩き込むために。

 

(......駄目だ)

 

 伊烏は内心で落胆した。

 口伝に値するものではなかった。

 鼎は筋はよく、伊烏が伝えた刈流の術理を見事に吸い取って見せた。

 そして伊烏自身で見出した、飛翔の理――脚力だけでは成り立たない術理。

 地面の弾性をいち早く理解し、それを利用し踏み込む瞬間その反発力で空へ翔ぶのだ。

 鼎はそれを理解しえた。ただそれだけでは駄目なのだ。

 伊烏が果された復讐の為に作り上げた魔剣。殺人の機構。

 ――昼の月を立脚させるには。

 鼎は走りに合わせ、僅かに後ろに下がると同時に鼎は翔ぶ。

 見事な飛翔である。羽が無いことのほうが理不尽にさえ思えるほどに。

 だがそれだけでは足りない。

 伊烏は後ろへ軽く躱し、“はな”の届く手ごろな距離へ降りてきた鼎の頭を叩いた。

 

「いたッ!!」

 

 頭を叩かれ地面に落下した鼎、擦傷や特に目立った傷はない。

 転げる鼎の頭部に瘤がないことを確認する。

 

「先生。心配しすぎ」

 

「お前はもう嫁入りする身だ。傷物というわかには――」

 

「もう、先生もお父さんみたいなこと言わないで」

 

「いや...だが...しかし...」

 

 伊烏はどのように立ち回っても、女性には勝てぬ星回りである事を再確認させられる。

 鼎は美しく育った。

 数年前まで子供という印象が強かったが、時の流れとは恐ろしくある。

 綺麗な黒髪に整った顔立ち、静かに大人しくしていれば深窓の姫君のように見える。

 いや、これはもう時期そうなるのだ。ある時に鼎の父に話を聞かされた。

 とある郡太守の目に止まったと。

 すでにその者は妻子は居り、二房ではあるが側に置きたいと話が舞い込んだそうだ。

 云台山の霧深き山村の貧乏茶屋には渡りに船。

 両親ともどもその話を受け入れた。伊烏も歓迎するところだ。

 結婚はいい。鼎もすでに髪上げを終え、伴侶を探すにいい時期に来ている。

 お転婆、じゃじゃ馬娘も子を身篭れば角も無くなるであろうと伊烏は思っていた。

 だが、鼎は頗る反対した。

 ――私は刈流を極める、先生を越える武将になる。

 そう言ったのだ。

 これに関しては伊烏に全面的に責任があった。

「武」に興味を持たせ、それの手解きをてしまった伊烏の責任である。

 子供の戯れがいつの間にか真剣に練磨を積み重ねていたのだ。

 伊烏は護身術を教える程度であったが、嫁に行きたくないと大いに駄々をこね、しまいには嫁に行くぐらいなら腹を掻っ捌く、と言い放ち刃物を持ち出してきたのだ。

 ここまで暴れられては両親は手の付けようがなかった。

 青褪めた表情でやめるようにと諌め続ける。対する鼎は死んでやると。

 覚悟を決めた伊烏は条件を出した。

 ――来年の春までに刈流を修め、昼の月も修めれば嫁に行かなくてもいい。

 鼎は喜んだが、これは武芸者にとって法外であった。

 刈流は目録まで修めていい程に腕を付けていた鼎は免許皆伝も間近にあった。

 そして昼の月まで教えると約束してしまった。

 韋駄天の速さで奥許しを得た鼎は、早々に昼の月を学び始め、年を越し春となり今に至る。

 結果は言わずとも。

 

「駄目だよね、先生」

 

「......残念だが」

 

「そっ...か」

 

 鼎は泣き叫ぶわけでも暴れ回りもせず、大の字に転がって蒼穹の空を見ていた。

 良いところまでは辿り着いていた、だが僅かに足りないのだ。

 このままでは昼の月ではなく夜の月だ。技はじめの足運びがまだ拙い。

 時間があれば出来ていたかもしれない。時があれば完成していたかもしれない。

 だがその時間はもうないのだ。

 

「お前はよくやった。だが予告したとおりだ――お前の昼の月は未完だ」

 

「お嫁か...実感湧かないな...」

 

 伊烏は心の中で安堵していた。昼の月を鼎が修めなかった事に。

 知人の娘が嫁に行くとなれば当然喜ぶが、昼の月は忌むべき業だ。

 伊烏が心より憎み、怨み骨髄に徹すまで身を焦がし、怒り狂い不眠へ陥りその時間を剣へと注いだ結果に生れ落ちたのが一つの技――魔剣昼の月であった。

 冷徹に怨敵を殺す為に磨き上げた殺人の機構。

 もはや不要であり、忘却へ捨て去るべきものである。

 こちらに来て疾や幾年、得たものは少なくとも僅かな居場所は得たのだ。

 山村茶屋の夫妻、そして愛弟子である鼎。

 彼らに伊烏の心の底に潜む佞悪醜穢の悪鬼、見せることは憚り避けるべきだ。

 だがどこかで、残念でもあった。この技を誰かに口伝したかった。

 後世に残る燦々と輝く魔剣達と同じように、昼の月の名を打ち立てたかった。

 剣士の性と、人としての良心が双方打ち消しあっていた。

 しかし今は戦うべき相手は居ない、素直に鼎の嫁入りを喜ぶことが人として重要であろう。

 

「先生、ありがと」

 

「......」

 

 嫁に行く鼎を静かに送り出そう。

 碌な嫁入り道具もありはしないが、行く末を見守るならば。

 いつまでもこの山に引き篭もるのもあれだ、いっその事鼎の嫁ぎ先の武官にでも就くのも悪くはないだろうか。ともあれ既に夕日も沈みきり、月も当に昇っていた。

 今夜、鼎は小屋に泊まると言って来ているそうだ。

 この家で過ごす最後の夜だ。豪勢とは程遠いが少しは酒も下ろすのもいいだろう。

 空に昇る月の白肌は雪のように白く美しかった。

 

(あの夜の月のようだ)

 

 過去へ里心のようなものを思い起こした。

 復讐に取り付かれた伊烏の最後。

 東京タワーの頂で俺と、怨敵武田赤音との仕合。

 一度は負け、二度目は勝った。真打との戦いでは赤音の魔剣に敗れ死して、報復の念により二度目は贋作と仕合勝ちを得た。どの夜もこの様な美しい満月であった。

 月と縁深い伊烏はこの月が鼎を祝福していると思っていた。

 だがそれは違った。

 

 ――――この夜より三度目の復讐は始まっていた。

 

 

 

 +  +  +

 

 

 

 云台山を下山し見慣れぬ街道を行く暗黒の人、伊烏義阿。

 腰には愛刀の“はな”を差し、戦闘は可能としている。

 時勢は不安定、今この漢王朝の帝はお飾りと着ているそうだ。

 各地では異教の徒が跋扈し暴れまわっているそうな。正当防衛の構えは必要であろう。

 しかし今のこの身体を血で穢すことは望まぬ。袖元に収める巻子本に血を着けることだけはなんとしても避けたかった。

 

(俺から渡せる唯一の)

 

 それは兵法綾瀬刈流の印可状であった。

 鼎が嫁に行き数ヶ月が流れた。時より便りをよこし都は山とは違うと楽しげに書かれていた。二房であるが本妻の方もよくしてくれていると。

 ろくなこともできなかった伊烏だが、こうして印可状を渡すのも師の役割のようにも思えた。

 こういった責任感は初めてだ。

 兵法綾瀬刈流の宗家、鹿野道場では師範代まで勤めたが。

 こうして一から十まですべてを教え上げたのは今までやった事がない。

 鎬を削り高めあうことはあった――かの怨敵は燃ゆる道場より雲散霧消するずっと以前よりそうであった。

 高める事はあるが、己を見つめることはなかった。

 今にして思えば怒りのあまり自身の錆びにより、剣は鈍っていたのかもしれない。

 復讐を果さねばならない――そう思うたびに心鉄を錆びさせ、剣は鋭利に脆くなっていた。

 鼎はそれを研いでくれた。

 弟子と云う存在となり、剣とはいかなるモノか。

 どう動くか、どうすれば勝つか、どうすれば己となるのか。

 弟子と云う写し鏡によっていかに自身が錆び付いていたかを理解させられた。

 心鉄の錆びの悪鬼はすでに死んだ。そう思い込み歩みを進めた。

 

(妙にカラスが多い...)

 

 空を飛ぶ十を超えるカラス達。

 見慣れた光景――それは死体を啄ばむ者たちだ。

 無人の街道でふと人影があった。

 その者は籠を背負い、その籠には弁慶よろしく無数の剣、槍を詰めていた。

 すれ違いに予感が現れる。

 あれは何所から来た。

 振り向き籠を背負ったものを見た。

 籠の底は、血で染まり滴り落ちて散ってた。

 まさか――戦場稼ぎ。

 予感は膨らみ、無数の瘴気が形を作り始めた。

 緩い歩みは走りに変わり、鼎の元へと急いだ。

 視界は歪み、街道の風景も地獄へと変わり始めた。

 矢を身体より生やす死体が目立ち、その者たちの目や舌を啄ばむカラスたちが居た。

 死臭が辺りを包み、死体たちの口や肛門よりガスが溢れ出ていた。

 吐き出しそうな臭気を薙ぎ払い。目的の都へ――

 

 

 ――――地獄が目の前にあった。

 

 

 人が死に悪鬼が跋扈していた。

 

 都は死に匪賊の巣窟へ姿を変えていた。

 

 大通りには見せしめの断頭台があり、そこにはその者達の血で『天誅』の文字が。

 

 

「あ、あ...あああ」

 

 

 信じたくはなかった。

 断頭台に並ぶ頸たちの中に――

 

 

 ――――鼎の頸が並んでいるなんて。

 

 

「――――――――――――――――」

 

 伊烏の口より出たのは人の言葉ではなかった。

 錆びの悪鬼が眼を覚まし、どす黒い何かが心を壊した。

 目許より血涙を流し、鬼は気づく。敵の存在を。

 鼎の頸の隣につき立てられた小太刀、それには見覚えがあった。

 忘れる事はできなかった。

 その小太刀は、その剣は――綾瀬の脇差。

 

「...なぜ...ある」

 

 ある筈がない。

 刈流兵法宗家、鹿野家伝来の宝刀の綾瀬の脇差はこの時代に作られてはいないのだから。

 俺と共にこちらに来た? そんな訳あるわけがない。

 俺がこちらに来たときは、この五体と“はな”と衣服だけだ。

 なら何故こちらに。

 

「――――」

 

 ようやく理解した。

 そうだ。

 俺は願った。

 戦いを。

 更なる練磨を。

 

 綾瀬の脇差を最後に帯刀していた身体は。

 

「――赤音」

 

 心の裡に潜む悪鬼は溢れ出た。

 伊烏は人ではなく、剣鬼へ姿を変えていた。

 叫びを上げ、自身を呪った。

 あの願いがなければ、鼎は死ぬことはなかった。

 己への呪いは次第に鼎を殺した剣鬼に矛先を変えた。

 

「赤音......武田赤音ッ!!!」

 

 剣鬼達は見える(まみえる)

 剣を突き立てある、魔剣を携え死合いの時と。

 

 

 ――花散らす風の宿りは誰か知る 我に教えよ行きてうらみむ 。

 

 伊烏は綾瀬の脇差を抜き取り、懐にしまった。

 もはや剣鬼とも言えぬ相貌で走り出した。

 伊烏も焦点は定まらず、人以下の存在へ墜ちた。

 人間以下であり、鬼以上。

 修羅道を駆けはじめていた。


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