静かに目が覚める。眠気や気怠さをまるで感じない、私にしては珍しいほど、寝起きの意識はすっきり明瞭だ。
薄手の布団をめくり、音を立てずにむくりと起き上がる。時計の針はまだ六時を少し回ったところだ。空は少し薄暗い。
ここで目覚めるのは八年ぶり、かな。そのときと違うのは瀧くんの体ではなく、自分の体、宮水三葉として朝を迎えた、ということだ。あとは季節。暑くない。
床に目を向けると、そこではフローリングの床に敷いた布団の上で眠る瀧くんがいる。部屋は同じだけど、眠る布団は別々。
それが瀧くんと初めていっしょに迎えた夜。
……瀧くんのお父さんもいるからしょうがない、というのは理解しているけど。
「いっしょの布団でもよかったんやよ?」
寝ている瀧くんを起こさないよう、小さな声で語りかける。
わずかな衣擦れを鳴らしてベッドから降り、瀧くんの枕元に座った。じっと寝顔を観察する。
規則的な寝息をたてながら気持ちよさそうに眠っている。
瀧くんが言うには「がまんできなくなるから」という理由で寝床は別れることになってしまった。もうちょっと、がまん強くなってもらいたいところだ。自分のことは棚に上げながらそう思う。
「たーきくん」
名前をささやきながら、そっと頬にふれる。ちょっと荒れ気味かな?瀧くん、スキンケアとかに無頓着だもんなぁ。
そのまま二本の指で頬をなでていると、むずがゆそうに瀧くんの顔がゆがむ。んー、と唸りながら顔を背けた。まだ起きる気配はない。
そして顔を背けたことでその首筋が露わになる。
とくん、と。ワンテンポだけ鼓動が速くなった。
昨日はこの首筋に何度キスをしただろうか。数えてはいないけど百や二百はゆうに超えている。
瀧くんは嫌がってなかったな。むしろ興奮していたように見えた。
頬をなでていた指を、そのまますすっと下にスライドさせる。
「キスがよかったの?それともここが気持ちよくなっちゃった?」
指先がふれるかふれないかほどの加減で、首筋に沿うように手を動かす。
すると布団にくるまれている瀧くんの体がわずかに震えた。そしてかすかに漏れ出た吐息は妙に熱っぽい。
眠ったままだけど、それは明確な答えだった。意識がないからこそ素直、とも言える。体は正直ってね。
その反応だけでしてあげたくなる。してほしくなる。
「でも今日はがまんしないとね」
瀧くんにも自分にもそう言い聞かせる。それにしてもこれだけイタズラしてるのに瀧くんはまだ目を覚まさない。
まあ時間も時間だしね。私も二度寝しちゃおうかな。あと一時間くらいは眠っていてもいいだろうし。
ということで。
「おじゃましまーす」
瀧くんが寝ている布団に忍び込む。
温かい。瀧くんのぬくもりだ。
息を吸い込む。瀧くんの匂いがする。
全身を瀧くんに包まれているような感覚。安心感と幸福感が押し寄せてくる。それに抵抗することなく身をゆだねて、私はまた深い眠りの世界へ誘われていった。
* *
これはどういうことかと、今自分の身に起きていることを冷静に把握する。
ベッドで寝ていたはずの三葉がなぜか俺の布団の中にいる。
よし、現状の確認は済んだ。そして俺も三葉も衣服を着用している。つまり行為には及んでいない。たぶん。
恐らくは寝ぼけたか何かして俺の布団に入ってきたんだろう。こいつは畳の上で寝る暮らしが長かったから間違えたのかもしれない。ドジな奴め。
さしあたって今の状況の問題点は三つある。
一つ目は三葉にガッチリとホールドされていて身動きが取れない、ということ。両手だけでは飽き足らず、布団の中では足さえも絡まり合っている。これじゃ俺が抱き枕みたいだ。
いやまあ振り払おうと思えばできるけど、それを実践するのはさすがにひどすぎるだろ。熟睡している三葉を叩き起こすのもしのびないし。
そして二つ目。男には早朝の生理現象がある。本人の意思とは関係なく臨戦態勢に入るあの現象のことだ。
当然今の俺もそうなっているのだが、それに加えて三葉に密着されているというこの状況。
温かくて、柔らかくて、すべすべしてて、いい匂いがする。そんな気持ちのいい物体が全力で抱きついてきているのだ。生理現象が治まるわけもなく、現在進行形で理性がガリガリと削り取られている。
ちなみに今の三葉の服装は、初めて入れ替わったときに着ていた、あの肩口ゆるゆるのワンピースだ。防御はうすっぺらで、攻撃力だけはべらぼうに高い。
しかも感触でわかってしまう。絡み合っている足は生足だ。抱きつかれたことで俺の左手の甲が三葉の太もも辺りにふれている。当然のように生足だ。
見えてこそいないが、布団の中では三葉の下半身が九割ほどむき出しになっているとみて間違いない。残りの一割は下着をカウントしているので、パンツがノーカンだとしたら十割丸見えということになる。
最後、三つ目。夕べ父さんに借りたタブレットを返し忘れて部屋の机に置きっぱなしだということ。
そして今日の父さんは仕事であり、このタブレットは毎日職場に持って行っているので必ず取りに俺の部屋に来る。現在の時刻はすでに七時を回っている。タイムリミットはすでにほとんど残されていない。
もう四の五の言ってられねぇ。
「おい、三葉。起きろ」
声をかけるが反応しない。能天気そうな顔して寝やがって。
こっちは身内に恥ずかしい勘違いをされそうになっているというのに。
「起きろって、三葉!」
まだ自由な右手で三葉の肩を掴んで揺らす。それが功を奏してか三葉が薄目を開けた。
「ん……たき、くん?」
「ああ、俺だ。とりあえず起きて……」
「たきくんやぁ」
「お、おい」
寝ぼけているのか、おぼつかない口調で俺の名前を口にしながら、さらに強い力で抱きついてくる。痛くはないし、少し息苦しい程度の抱擁。
けれど乱暴にせずに振り払うのは難しいという絶妙な力加減。
そして体の右側だけを起こすという不安定な姿勢だったところに飛びつくように抱きつかれてバランスを崩した。
結果、俺は三葉の上に覆いかぶさる形になってしまった。何このラブコメでよくあるやつ。
そんな下らないことを考えていたのが致命的な敗因となった。
コンコン、と部屋の扉がノックされる。
「瀧、ここに俺のタブレットあるか?」
扉越しに父さんがそう声をかけてきた。
ない、と言ってしまいたいところだがそれは仕事の妨げになる。
「あるにはあるけど……」
「なら取ってくれ」
「おう。あ、でもちょっとだけ待ってくれ。後一分」
三葉を引きはがすのに悪戦苦闘しながら、それを表に出さないように会話を繋げる。
「はあ?もう出たいんだが」
「いや本当にちょっとだけだから!」
「……もういい、入るぞ」
無情にもそんな言葉と共に父さんが部屋に入ってくる。
それは俺が何とか三葉から解放されたその瞬間であり、入ってきた父さんには俺が眠っている三葉の手首をつかんで押し倒しているように見えただろう。
唯一救いがあるとすれば、三葉の下半身はまだ布団に覆われているということくらいか。俺への救いじゃなかった。
「……弁明を」
「帰ってきたら聞こう。じっくりとな」
父さんは机の上に置いてあったタブレットをカバンに突っ込むと、こちらを見ないように部屋から出る。
しかし後ろ手で扉を閉めようとして動きが止まった。そしてやけに実感の籠った声で言う。
「瀧」
「な、なんだよ……」
「――避妊だけはしっかりしろよ」
そのあまりにも真に迫った声に、俺は反論する気も湧かなかった。
そういや父さん、デキ婚だったっけな……。
『君の名は。』の興収が100億円を突破したとか。
すごい。
「100億を超えるのが怖い」と言っていた新海監督には申し訳ないけど、まだまだ映画観に行きますよ。
しかし本当に大ブームですね。
その波に乗って俺の願望を垂れ流す場と化したこの小説を漫画にして描いてくれる人いないかなぁ。
瀧三成分が欲しい。