朝日が眼前で反射した。
流れる無機質な灰色、まだ眠たげな太陽の光がアスファルトを照らし出す。
足元からは、V型4気筒の野太い音が響き渡り、臀部を振動が叩く。
夕日の様な長髪を振り乱し、それすら景色の一部として線にしていたのはティアナ・ランスターであった。
ティアナが走っているのはミッドチルダの中心を縦に伸びる高速道路の上であった。
迫りくるトラックの後部、速度は等に制限速度を超えている。
それは目の前に迫るトラックとて同じであった。
時刻は朝の5時を少し過ぎたあたり、道が混みだすのは後30分程してからだ。
それまでにティアナは目的地に到着しなくてはならなかった。
それは、トラックの運転手とて同じこと、故に勤続20年を超すプロのドライバーは、アクセルをベタ踏み、モンスターマシンと化したトラックを巧みに操る。
トラックのドライバーの視線の先には、緩やかな右カーブ、クラッチを瞬間的に踏み抜きアクセルを数舜ふかし、ギアを下げコーナーに侵入、落ち始めた速度に合わせようと叫びをあげるエンジン、そのご機嫌をとるかのように、コーナー終盤でアクセルを踏み抜きギアを一段階上げる。
理想的なグリップ走行、トラックのドライバーは予定よりも早めに目的地に辿り着けることを確信し、ほくそ笑む。
その時、トラックのドライバーは気づいた気づいてしまった。
野太いV型4気筒の音を、それは400メートル後方を走っていたスポーツタイプのバイクが醸し出す物だと知り、現実に引き返された。
何故ならその音は、すぐ隣から聞こえて来たのだから。
「馬鹿野郎死にたいのか!」
堪らずトラックのドライバーは叫んだ。
コーナーを抜けていく中で、トラックは物理の法則に従い外側に膨らんでいく。
最悪の事態は避けられない。
トラックのドライバーは最悪を予想し、衝撃に身を強張らせた。
だが、それは杞憂となる。
何故なら、次の瞬間には遂先ほどまで隣を走っていたバイクが一歩先を走っていたのだから。
そしてほっとした瞬間には、バイクの姿は点となっていた。
蒼天に輝く太陽が一つ、ベルカ式の庭園が緑を包み光り輝かしていた。
木陰が伸びた先、レンガ造りの道を革靴でリズム刻む様に、ゆっくりとけれど速足で進むのは、八神はやてとシャマルの二人だった。
八神はやてとシャマル、それにティアナが知らせを受けたのはちょうど2時間前の事だった。
今までのことそしてこれからのこと、管理局に対しての牽制に聖王協会に対しての威嚇、何とか話が纏まったところに受けた朗報。
それを聞いた三人の感情は想像に難なく。
まるで自身の事以上にまるで今すぐにでも倒れてしまいそうな顔をしていたティアナに至っては、一人どこかへ駆け出してしまっていたほどであった。
はやてとシャマルが古風な外観に似つかわしくない自動ドアを抜ける。
その先には、天窓から光差し、薬品の臭いを最低限に抑えた白の世界が広がっていた。
一歩進める度にアンビアンスの床がレンガとはまた違った音を出す。
そうやって進んだ先には、長く連なったカウンター、そこに座る受付嬢の頭上には面会者の文字がくるくると回っていた。
さらにその隣では、30分待ちの文字が浮かぶ。
「すみません。面会に来たのですが」
「ご予約は受けておりますでしょうか?」
「いえ……」
「では、こちらにご登録して頂いてお待ちください」
そう言われた八神はやてはそれと無く管理局の制服につけている階級章を受付嬢に見えるようにした。
だが、受付嬢はそれを一瞥すると、長椅子に手を向けた。
「あちらで、お待ちになって下さい」
ここは病院、その受付、ある意味万人に平等なこの場において、いくら時空管理局海上警備部捜査司令であろうとも関係が無いようであった。
大人しく長椅子に腰を下ろした八神はやては、お調子者のように両掌を上げる。
「ここじゃ公務員の力は意味をなさんね?」
それに対してシャマルは、口元に手を当てて静かに笑った。
「フフ、そうですね」
シャマルは気が付いていた。
普段通り、嫌普段以上に冷静に見せている八神はやての指がピクピクしているのを、内心相当焦っているのだろう。
それは当然と言えば、当然だ。
今回の件に関して言えば、八神家も無関係ではないのだから。
そうこうしていると、澄んだ声でアナウンスが響いた。
「80番でお待ちの八神はやてさん―――」
その声を聞いた瞬間、はやてはバッと立ち上がる。
そうして、抑え気味で、でもどこか大きな声量でこう言った。
「ハイっ、私が八神はやてです!」
はやてとシャマルが案内された場所、引き戸の扉に小さな縦長の窓が一つ、その隣を少し目で辿れば、目的とした人物達の名があった。
はやては、一度息を吐き出し服装を整えると、今まで煩かった指先を黙らせるように一度力強く握り拳を作った。
そうして、はやてはやっとの事扉を開くことが出来た。
扉を開いた先には、良く見知った者達の顔があった。
「主はやて……」
「うん、お疲れ様や。シグナム」
二人用の病室は思いのほか広く、大人数でも収容出来る作りとなっていた。
シンプルな作りをした冷蔵庫に、テレビ、そして机が二つ置かれている。
そんな家具達に囲まれるようにしてベッドが二つ置かれており、そのベッドを囲む形でパイプイスが置かれており、シグナム以外の皆、ヴィータとザフィーラが寝ていた。
オルランドは一足先に、カリムに引き渡されたと聞いている。
はやてが静かに、ヴィータ達を起こさないようにして、ベッドに近づくと、二人は一つのベッドで抱き合うようにして眠っていた。
窓から差し込む太陽の光とそよ風が泳がす白いカーテン、そんな中で眠る二人の姿は、童話の中に出て来そうな程に愛らしくて、そして本当の姉弟のようであった。
はやては今までシグナムが使っていたパイプイスの一つに腰掛けると上半身を乗り出し、眠っている内の一人リインの頬を優しく撫でた。
「まったく、心配させんでや……」
その声は安堵によって涙声に変わっており、リインの温もりが後少しで失われていたかもしれないと言う恐怖心から、はやては確かめるように何度も撫でる。
その感触が心地よかったのか、リインの瞼がゆっくりと開く。
「あ……ぅ……、はやてちゃん……?」
そう言いながら、目元を擦り上体を起こしたリインにはやては笑いかける。
「おはよう、リイン♪」
「はいです!」
未だに眠たいだろうに、リインは元気に答えた。
そうして、段々と状況を理解していくと、はやてを前にして青い顔になっていく。
「え、えっと……はやてちゃん……その……」
しどろもどろに声を出すリインに対し、はやては笑顔のままリインの後頭部に手を回すと、そのまま抱きしめた。
そうして、さらさらとした髪を撫でながら、万感の想いを乗せながら言った。
「よぉやったなリイン。さすが、私の家族や……」
もともとはやては説教をするつもりでいた。
当然の事だ。
いくら多少なりとも腕に自信があるからと言っても、まさかあんな事になるとは思っていなかったにしても、リイン達は余りにも世間を甘く見ていた。
はやてと一緒に数々の凶悪な犯罪を解決に導いてきたと言っても、その全てがスケールの大きすぎる。
それこそ、世界の存亡をかけたような戦いばかりだったのだ。
今回の事件はその観点からであれば、容易い小さな事件となるのだろう。
だが、その小さな事件で命を落とす者が後を絶たないのがこの世界なのだ。
その点を理解していたとしても、年長者として、リインの責任は大きい。
だが、結果としてリインは無事に帰ってくることに成功し、ティーノとオルランドの二人の子供も無事である。
その過程をはやては聞いている。
何も出来なかった時間があったことも知っている。
でも、無事だったのだ。
ちゃんと、ケガの一つも無く手元に帰って来てくれたのだ。
それだけで、良かった。
十分だった。
だから、それ以上の言葉を紡ぎはしない。
その代わりに力の限り抱きしめてあげた。
胸の中から、リインの静かな泣き声が聞こえてくる。
その全ても涙すら、包み込んで見せると、はやてはリインを抱きしめ続けた。
そうこうしている中で、皆が目を覚まし、その光景を温かい瞳で見つめる。
勿論その中にティーノも含まれていた。
それはもう、自分は部外者だからと「えぇもん見せてもろた……」みたいな感じで二人を見ていた。
すると、はやてが顔を上げてティーノを見やる。
「な・に・を・部外者みたいな顔しとんのや」
「ふがぁ~」
はやては、片手を伸ばすとティーノの鼻を摘まむ。
それが少し痛かったのか、ティーノの涙腺が少し緩んだ。
だが、それはすぐに終わりを見せた。
「イタイ……」
ティーノが赤くなった鼻を小さな手で撫でる。
それを見ていたはやては、ティーノに最後通告をした。
「うちからは、これくらいのしとくけど、ママの方はどうやろなぁ~?」
その言葉にティーノの肩が一瞬跳ね上がる。
それと同時に、扉の先から、中に聞こえてくるほどの靴音が響き出す。
その靴音が近づいてくる音を合せてティーノの顔がだんだんと青くなっていく。
そして、扉が勢いよく開かれた。
「ティーノッ!!」
そこにいたのは、女ではなかった。鬼だった。
体から漏れ出す魔力が髪の毛を逆立たせ、走ってきたのだろう息を切らせ、顔は赤くなっている。
もうその姿を見ただけで、子供は泣き出してしまいそうな姿だった。
鬼と化したティアナは、肩で息をしながら、病室内を見渡す。
その中にはやての姿を見つけると、少しばかり冷静さを取り戻したのか、髪の毛は重力に従うこととなった。
「はやてさん、何故私よりはやく?」
「ティアナってば、一人で飛び出して、バイク乗っていってまうんやもん。電車つこうた方が早いのに」
はやてにそう言われて、ティアナは自分が冷静でなかったと、片手を顔面にあてて天を仰いだ。
「私の馬鹿……、それよりもティーノを知りませんか?」
ティアナはそう言いながら、病室内を見渡す。
扉から右側、冷蔵庫のある側にいたヴィータはティアナと視線が合うと、首が吹っ飛びそうな勢いで左右に振る。
続いて、ベッドを見ればはやては楽しそうに笑っており、手を小さく振って知らないとジェスチャーする。
続いて、ベッドの奥に立っていたザフィーラに視線を向ければ、ザフィーラは咳払いを一つして視線を逸らした。
その視線を辿ると、丁度カーテンがはためく窓の傍に立つシグナムがいた。
シグナムは、ティアナからの視線から逃げることなく真っすぐに視線を合わせる。
ただ少し、油汗をかいていた。
その動作を不審に思ったティアナが、シグナムの全身を見るために上から下へと視線を下げていくと、見つけてしまった。
仁王立ちするシグナムの後ろ側でシグナムの片足に隠れるようにして震えている仔羊を―――
「ティ~ノォ~~~ッ!!」
ズンズンと足元が聞こえてきそうな勢いでティーノの下に向かうティアナの前に否応なくシグナムが壁となる。
「シグナムさん、そこをどいて下さい」
静かにだが明らかにドスノきいた声で、ティアナが言う。
「……少し落ち着け、ティアナ・ランスター」
そのティアナが余りにも怖いのか、ついついフルネームで呼んでしまう。
シグナムとて騎士である。
そして今回の一件に関して少なくない責任がある。
だからこそ、足元で必死に足にしがみ付きながら震えている子供を少しばかり助けてやろうとした。
だが、それが甘かった。
「……どいて下さい。シグナム副隊長」
「すまない……」
怒髪天がつきかかり、また浮遊しだした髪の毛に呼応するようにして、シグナムは一歩左側に動いた。
唯一の盾がなくなった御かげで、恐怖から震えが止まらない仔羊の姿が露わになる。
その姿は、もうなんと言ったら良いのか……。
全身を小刻みに震わし、叱られた犬の耳のように髪の毛から生気が抜けてペタンとしており、青い顔している。
今から拷問が執り行われる亡国の姫のように、震えていたのは、ティアナ・ランスターの息子、ティーノ・ランスターであった。
ティーノの姿を視界に収めたティアナは、口を一度大きく開くと、肺一杯に空気を取り込む。
その姿を見たはやてを含めた守護騎士達は耳を塞ぐ。
そして、病院内に死人も目を覚ますような大音量が響き渡った。
「ふぅえぇぇぇ……ぐすっ……、うぇぅ……」
少し湿気た遊歩道を歩くのは一組の親子であった。
夕日のような長髪を風に靡かせ歩くティアナ・ランスターは、少し重たそうに抱っこしている子供がずれ落ちないように軽くジャンプするようにして抱き直す。
あの後、ティーノは八神家の皆が見ている目の前で大説教を受け、お尻ペンペンまでされた。
本来ティーノからしてみれば、お尻ペンペンくらいたいして痛くは無い。
オルランドを含め、様々な強敵と戦う中で少なくない痛みに対する体制は出来上がっている。
それでも、ティアナにされるお尻ペンペンは、泣き叫びたくなる程に痛い。
その姿を見ていた八神家一同は知らず知らずの内に尻に力を入れていた。
未だに泣き続けるティーノに少しやり過ぎてしまったかなどと考えながら、ティアナは自宅の玄関の扉に鍵を差し込む。
「おかえり~」
開いた玄関の先には、狼形態のアルフがいた。
靴を脱ぐために、ティアナがティーノを下すとティーノはそそくさと靴を脱ぎ捨て、一目散にアルフの横腹に向けダイブして抱きついた。
その姿を見たアルフは仕方が無いなと溜息を一つつきティアナに目配せすると、ティアナが申し訳なさそうにしていた。
アルフは再度溜息をつき、器用にティーノを背に乗せるとリビングに向け歩みを進めた。
リビングについたアルフは、ティーノをカーペットの上にゴロンと下す。
そうして伏せの体制になったアルフの腹にティーノは再度顔を押し付ける。
ティアナは、諸々の報告を各方面にするために電話をし始めていた。
片手に受話器を持って忙しそうに動き回るティアナを見て、アルフは母親と言う者がどれだけ大変なのかを改めて実感していた。
だからこそ、ずっとぐずり通しているティーノにその事を少しばかり理解してもらわなければと考えた。
それはある種当然の感情だった。
ティーノの初期の教育を行っていたのは、ティアナよりもアルフの方が長い。
だから、アルフには自信があった。
悪い事をしたら、きちんとごめんなさいが言える子に教育しているとの自信が。
アルフは待つ。
ぐずりモードに入ったティーノが落ち着くそのタイミングを。
ティーノがぐりぐりと押し付けていた顔の力を緩める。
「ティーノ?」
「……なに?」
「ティアナがどうしてあんなに怒っているか分かるかい?」
ティーノが一度頷く。
「一杯、い~っぱい、迷惑をかけて心配させたのも、ちゃんとわかっているかい?」
再度ティーノが頷く。
「なら、行っといで」
アルフはティーノを引っぺがすと、鼻先でティーノの背を押した。
ティーノはアルフに押され、たたらを踏む。
そうして、歩み始めたティーノは一歩一歩静かに、半ばすり足で進む。
それに気が付いたティアナは、作業を一端止め膝を付き視線をティーノに合わせる。
「……あの、あのね」
ティーノはそう言うも、次の言葉が出てこない。
ティアナは、そんなティーノに対して出来るだけ無表情を崩さないように必死に我慢する。
「勝手に、ティアナに何も言わずに一人で危ないことして……その……心配させて、ごめんなさい!」
精一杯に頭を下げて声を出してごめんなさいを言ったティーノは、反応が無いのに不安になりながら、恐る恐る顔を上げる。
すると、ティーノの瞳に写ったティアナの表情は予想外であった。
ティアナは怒るでもなく笑うでもなく、泣いていた。
鼻先から耳元まで赤くして、瞳に大粒の涙を貯めて貯めて必死に、涙を零さないように目元に力を入れながら、それでも涙は止めどなく溢れてきて、それが遂には決壊して、まるで子供のように普段の気の強そうな眉をハの字にして、泣いていた。
ティーノはティアナの涙を見てパニックになる。
「ティアナ、ティアナ大丈夫?どこか痛いの?誰かに虐められたの?」
とうとうティアナは両手を目元に持って行き泣き出した。
「ひっく……ぐすっ……ふぅぇえええ」
オロオロしていたティーノだったが、次の瞬間にはティーノはティアナの頭を抱きしめていた。
そして優しく頭を撫でる。
「ごめん、ごめんね。心配かけて、本当にごめんなさい。……大丈夫だよ。大丈夫だから泣き止んで、ティアナが泣くと、心が痛いよ。僕はここにいるから、だから泣き止んで」
えぐえぐ泣くティアナを精一杯に抱きしめて慰めるティーノの姿、その姿を見てアルフは呟いた。
「本当に似た物親子アンタ達は……」