深層のそのさらに下、思考の海を見上げる深海、この場に名をと言われたならば心と答えよう。
ティーノ・ランスターは見上げる。
遥か高みを、波打つ思考の飛沫を、飛沫の一つ一つが所狭しと並べられた監視カメラの映像のようにランダムに写されては消えていく。
その一つに、血だらけとなった外の世界の大人となった自身がいた。
波が跳ねる。
移り変わる自身の姿形。
ある時は、絶望に泣き叫んでいた。
ある時は、何かを決心したかのように虚空を睨みつけていた。
ある時は、誰かと敵対していた。
どの映像も写っては消えていく刹那の微睡でしかない。
そんな映像の数々を見させられて、ティーノは大きく舌打ちをした。
情けない、と―――
自然に口から零れた。
あぁ、見るに堪えない―――
あの世界にいる僕は情けなさ過ぎる。
僕ならもっとうまくやって見せる。
そんな驕りが胸の内から全身を焦がしていく。
過去か未来かなんてわからない。
けれども、自身とよく似た人物の失敗ばかりの映画を見させられて喜ぶ人間なんていない。
それは恥以外の何物でもないからだ。
そして見つけてしまった。
打ち上げられては消えていくしか出来ない飛沫の一部、他よりも一回り大きな飛沫、その中のティーノは、何も出来ずにいて、そんなティーノを守るようにして抱きしめているリインの姿を見てしまった。
リインは泣いていた。
血だらけのティーノらしき人物を抱きしめて泣いていた。
そして、そんな二人に向け魔力の塊が迫る。
ティーノは叫んだ。
「ふざけるな!ふざけるなよ!お前はそこで何をしているんだ!お前しかいないだろ!お前が守る以外に、リインを救えないだろ―――。一体何をしているだ!!」
それは無駄なことだった。
馬鹿馬鹿しいことだった。
テレビで放送されたドラマのストーリーに納得がいかずテレビに向かって吠えるかのように愚かなことであった。
当然だ。
それは決められた脚本通りの流れで、すでに撮影は終わっている。
それは確定した未来を垂れ流すだけの機械でしかない。
そんな物にいくら八つ当たりをしたところで、意味の無い事だ。
確定した未来とは過去だ。
過去は変えることが出来ない。
そんな事、赤子ですら知っている神が定めた世界の常識だ。
だが、ティーノは深海の中でもがいた。
そして遥か天に向け手を伸ばす。
「ふざけるな―――。認めるか、そんな未来を認めてたまるものか。リインは、家族は僕が守るんだ。そう―――決めたんだ!」
ティーノは手を伸ばす。
遥か天で消え入りそうな飛沫の一つに向け引き千切れてしまいそうになるまで手を伸ばす。
そこにいるリインに向け手を伸ばす。
海面に打ち付けられ消えてしまうだけの世界。
そんなところに大切な人を置いていける訳が無い。
だからティーノは手を伸ばす。
いずれ滅びることしか出来ない光の満ちた世界よりも、永久に生き永らえることが出来る闇の世界へリインを導くために手を伸ばす。
リインの感情なんて今は知らない。
光の中で消えることを望んでいるかもしれない。
それでも、ティーノにとってそんな事は関係が無い。
光だろうと、闇だろうと、一度守ると誓った相手は、何が何でも守り切って見せる。
「だからッ!!」
だから―――
「僕の手を取れ、リインフォース!!」
その時だ。
海面が揺れた。
光の世界で水面に叩きつけられた一つの世界が、全ての世界を未来を揺り動かす。
一つの小さな波紋が全てに派生していく。
そして―――
掴んだ―――
過去を―――
未来を―――
欲望を―――
光が流れ込んでくる。
闇に満ちた深海に外界が押し寄せてくる。
だがそれと同時にティーノは感じることが出来た。
掌に感じる微かな温もりを、その命の鼓動を、掴むことが出来た。
だからこそ、ティーノはその手を力任せに引き寄せる。
光の侵食で瞳は既に機能していない。
それでも、理解出来た。
抱きしめたこの温もりは守ると誓った存在だと―――
ティーノは重い瞼を徐々に開けていく。
腕の中に抱く温もりを敵から守るために、その敵を見据えるために、強引に痙攣していた瞼をこじ開ける。
そして、瞳に写る光景は、良く知った川辺だった。
「あれ……?」
「ようやくお目覚めかい?」
そう声がティーノの鼓膜を揺すった。
目を凝らし一点を見つめると、そこにはいつもの幸薄そうな男が立っていた。
「相変わらず君はアグレッシブだね」
その声はどこか落ち着きを孕んでいて、聞くだけで心の漣は澄んでいく。
だからこそ、ティーノはゆっくりと口を開いた。
「……無茶なことをしたのは理解している。僕がしたことによってどれだけの人に迷惑をかけたのかも、分かっているつもりだよ」
「なら良いんだ。君は間違いだと分かっていながら、それでも突き進んだ。そんなことが出来るのは子供の特権だ。そしてその特権を振りかざした君は、他者にかけた迷惑と同等以上の成果を果たした。これは、実に素晴らしいことだ。失敗を成果で洗い流した」
そう言う幸薄そうな男に対して、ティーノは首を振った。
「……そんなこと、出来ていないよ。だって、リインを傷つけてしまった」
ティーノはそう言いながら、腕に抱く存在、リインの頬を撫でた。
「……傷つけてしまった。……悲しませてしまった。僕は……」
幸薄そうな男は、やれやれと首を振る。
「君は考え過ぎだ」
その言葉に、ティーノの眼光が一瞬鋭くなる。
「君は己に素直になるべきだ。人間の行動原理は全て欲望で構成されている。君は大切な存在を守りたいと言った。そして、自身の過去も追い求めた。全て、ただの自己の欲でしかない。ならば、そこに他者の入り込む余地なんてものは無い。全てが己がために、全てが己の欲望を渇きを満たすために……、だからこそ、その少女がどうなろうとも気にも留めるな」
「なにを―――ッ」
「君だって今し方選んだばかりではないか。守るために、その少女を、光から闇に……こちら側に引き込んだ。相手の了承も得ずに、何も分からず聞こうともせず、微かな繋がりを断ちたくないからと、その細い糸を手繰り寄せて見せた。それこそが、人の本質だ」
ティーノは金槌で殴られたかのように揺らいでしまう。
その通りだったのだ。
ティーノはただ必死だった。
必死に最善を選んだ。
それは、全て独断と偏見と自己満足でしかなかった。
ティーノは温もりに逃げる様に、腕の中で眠るリインを強く抱きしめる。
「じゃあ、じゃあ……僕はどうすればよかったんだ!」
ティーノは叫んだ。
どうすればとかったのかと、何が正解だったのかと、だがそれに対して幸薄そうな男は薄く笑うだけだった。
「考えるんだティーノ・ランスター」
その声はティーノの後方から聞こえた。
項垂れかけていたティーノは、声のした方を向くとそこには、今もっとも憎い男がいた。
その男は、紫色の髪を乱雑に伸ばし、金色の瞳はどこか死んだ魚のように生気が感じられない。
だが、その男はどこか自身を大きくしたような一つの可能性だった。
「お前は……お前がッ!」
ティーノは怒鳴り散らしたくなった。
お前がしっかりしていれば、こうならなかった。
そう叫びたかった。
だが、ティーノはその憎悪を喉で押しとどめる。
今し方理解したばかりだからだ。
そうして、歯を噛みしめている上で、その男は幸薄そうな男に話しかけていた。
「このガキは俺が連れていくが構わないか?」
「別に構わないよ。君ならよく分かっていると思うしね」
「……言ってくれるね」
男は少し怒気を含ませてそう言うと、ティーノの髪の毛を掴み放り投げた。
「ぐっ……痛ッあ……」
ティーノは放り投げられた先で、受け身もとることが出来ずに無様に背中から着地した。
それでも、腕に抱くリインだけは傷つけないように守る。
そんな様子を見ていた男は鼻を鳴らした。
「フン……一貯前に女は守るってか……、嫌、それは人ですらないモノ、融合機なのに……本当に、滑稽だよ。お前―――」
「お前に何がわかる―――」
ティーノは立ち上がる。
拳を握りしめて、血潮を指先まで行き渡らせて、酸素を脳に全力で送り込む。
「お前に僕の何がわかるって言うんだッ!」
「分かるさ。俺はお前の可能性でお前は俺なのだから―――」
その言葉が鼓膜に届いた時、心臓内を血の塊が通ったような衝撃がした。
ティーノと男、ジェイル・スカリエティを包む空間は今までいた場所とも先程いた場所でもない。
全てが闇に包まれた世界だった。
嫌、遥か天には黒いばかりの太陽が輝き、その太陽の涙が大地を濁していた。
そんな世界で目の前の男はダルそうに腕を組んでいた。
「そんでお前も見たんだろ。―――地獄を?」
「……かっ……ぐ」
「言葉にも出来ないくらい程強烈だったか?でもな、あれがお前の欲した世界だ。……どうだった?素晴らしいまでに地獄だっただろう?」
ティーノは必死に口元を抑える。
その地獄を見てしまったからだ。
脳裏に霞めただけで、吐き出してしまいそうなまでの地獄、精神を汚す猛毒を思い出してしまったからだ。
ティーノの瞳からは涙が次から次に溢れてくる。
「……あの程度でビビってんじゃねぇよ。あの程度の地獄はな、世界のあちこちに溢れかえってんだ。その一つでしかないんだよアレは―――」
「でも、僕は―――」
ティーノがそう涙声になりながらも泥を吐き出しそうになりながらも口を開く。
「僕には、力がない―――」
ジェイルの口元が歪む。
「そうだとも、お前には力が無い。だから、お前の全てを俺に寄越せ」
「えっ―――?」
「俺なら、その地獄もろともぶっ殺してやる。お前が守りたいと叫んだ全てを守ってやる。でも、今のお前ではそんなことは不可能だ。だから、俺に全てを任せてお前は眠れ」
言外に伝わった。
お前に無理な事でも、俺なら出来る。
だがら楽になれと、ジェイルは告げていた。
その言葉のなんと甘美な事か。
目の前の男は、全ての苦悩を一手に引き受けてくれると、そう言っているのだ。
目の前にぶら下げられた安楽へと繋がるエサ。
今のティーノにはそれが猛毒であろうと、黄金のリンゴのように見えた。
だから、手を差し伸べるジェイルに手を伸ばそうとした。
今すぐにでも、こんな地獄から逃げ出したいと願ったから。
だが、それは予期せぬ妨害を受ける。
「―――その必要は無いのですよ」
伸ばしたティーノの手を握っていたのはリインだった。
「リイン……?」
「はい♪」
リインは笑顔でティーノに応えると立ち上がる。
そして、ジェイルに向かって指さした。
「ウチの弟を甘やかさないで下さい!さっ、ティーノしっかりするのですよ!!」
リインはそう言うと、ティーノの背を力一杯叩いた。
「痛いッ!!」
「痛くて当たり前です!強く叩いたのですから」
「なんでこんな……、それよりも、なんで飛び出して来たんだ!」
「ティーノが危なかったからですよ!」
「それでも飛び出して良い筈がないだろ!?」
「良いのです。私はお姉ちゃんですから、弟を守るのは当然です!」
「そういう事じゃなくて!!」
ジェイルの目の前で繰り広げられる口論。
それはなんとも下品で、意味がなくて、とても眩しいものであった。
ジェイルはその光景を見て、伸ばしていた手を下げる。
そして、ニヤケ面のまま口を開く。
「そんでどうするんだ。ティーノ・ランスター?」
その声に今の今まで口論をしていたティーノとリインは真剣な顔になり、ジェイルを見た。
互いに固く握りあっている手の内から微かに光が漏れる。
「……やっぱり、止めておくよ」
「それはどうして?」
「だって、カッコ悪いじゃないか。男なのに、楽な方に逃げてばかりで……」
「さっきも言ったが、それが人の本質だ。人はどこまで行っても自己のためにしか動けない欲の袋でしかない」
「分かってる……。なんて、言えないけど……。これは、僕が決めたことなんだ。……僕だけの欲望。僕の、ただの我儘だ。それに―――」
「それに?」
「甘えてばかりいると、お姉ちゃんに怒られちゃうからね」
ティーノはそう言うと、リインを見た。
リインは満面の笑みで、慈しむ様にティーノを見ている。
そんな二人を見て、等々ジェイルは笑い出した。
「ククククっ、そうか、そうだな。それも立派な欲望だ。女に情けない姿は見せられないよな?」
ジェイルのその言葉に、リインの頬は一瞬で桜色に染まり声なき声を発する。
だが、ティーノは堂々としていた。
「うん。大切な人の前では強い僕でいたいんだ」
その言葉に等々、リインの頭から湯気が噴き出した。
「あぁ……、本当に言い物語を見せてもらったよ。後は、俺が望んでお前が望んで融合機が望んだ結末を用意すればいい。そこに行き着くまでの道順は俺が教えてやる」
ジェイル・スカリエッティは徐に右手を掲げた。
そして、一度世界を叩き起こすかのように指を鳴らす。
次の瞬間、世界が砕けた。
黒く全てを抱いた闇がガラス細工のように砕け落ちていく。
ティーノとリインは見つめる。
世界の終焉を、今と過去の境界を見つめる。
過去に取り残されたジェイルはティーノとリインを見つめていた。
ティーノにはその顔が挑発的な笑みに見えて、そしてリインには自身が知るジェイル・スカリエッティと同じ人間なのかと疑いたくなるまで、眩しいまでのまるで少年のような笑みに見えた。
闇の欠片に徐々に飲まれるジェイルが思い出したかのように口を開いた。
「あぁ、アイツに一言頼む。―――おめでとう、俺は間違ってなかった。だから俺は悪くない」
その言葉を聞いて、ティーノは確かに頷いた。
任せておけと―――
それくらいの事は僕にも出来ると―――
力強く頷いた。
そうして、全ての欠片が抜け落ちた先には、別の地獄が広がっていた。
空を炎が覆い、足元には透き通るまでに澄んだ水面が広がっている。
そして見渡す限りの地獄をたった一つの夕日が炎と水面の中間で照らしていた
その世界の名は原初。
ティーノがティーノとして産声を上げた心象世界。
ティーノの心の奥深くに生まれたこの世の全てであった。
「ここがティーノなのですね……」
いつの間にか向かい合い小さく両手を握りあっていたティーノとリインは微笑みあっている。
「僕もここにくるのは初めてなんだ。だから、少し恥ずかしいな……」
ティーノがそう言うと、リインは首を左右に振った。
「そんなこと無いです。皆が皆、もっている世界。誰にも明かすことの無いその場所……、わたしは……私は、嬉しいです!」
リインは微笑む。
その笑顔は夕日に照らされ、輝く。
そんな表情を見ていられなかったティーノは、独白を始めた。
「ねぇ……。お姉ちゃん……?」
「はい……」
「僕は……僕はね……。怖かったんだ。すごく、怖かったんだ―――」
ティーノの口から漏れ出した後悔の念。
それは止まることを知らない。
「ティアナがね、言ってくれたんだ。僕は、僕のままでいて良いんだって。僕が良いって言ってくれたんだ」
「でもね。僕……知っていたんだ。皆、僕の事をどこかで怖がっているんだってこと……。うぅん違う……。皆、僕の事を敵と認識していたんだ」
「目がね……、そう言っているんだ。僕を抱き上げてくれた時も、僕に笑いかけてくれた時も、僕を叱っている時も、いつもいつも瞳の奥底で僕を恐れていた」
「だから僕は出来る限り努力したんだ。僕は敵じゃない、悪い子じゃないってことを知ってほしくて……、っでもダメだった。なにがダメなのか分からないけど、ダメだった」
「ずっと、ずっと考えていた。皆を、僕が守りたい家族にそんな目をさせる僕は何者なのかって、……でも、心当たりはあったんだ」
「ジェイル・スカリエッティ―――、この名前を聞くと、僕は無性にイライラしてしまうんだ。……それこそ、殺してしまいたくなる程に」
「だから、僕は調べたんだ。調べようとしたんだ。……でも、出来なかった」
「どの端末を使っても、無限書庫に行っても、調べることが出来なかった。させてもらえなかった」
「だから、僕は聞きに行ったんだ」
「高町なのはに、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンに、八神はやてに、―――ティアナ・ランスターに……ッ!」
名を上げた瞬間、ティーノの喉は震え、瞳からは滴が止めどなく溢れる。
「みんな……皆、その瞬間に、僕の知らない皆になっていたんだ。一瞬だったかもしれない。でも、僕を見る皆は、僕を敵として見ていたんだ」
「僕は……僕はッ!!怖かったッ!やっと手に入れた温もりを、笑顔を、全てを失うのが怖かった!」
「でも今の僕にはなんでなのかわからない!」
「だから、僕の知らない僕、過去の僕が関係しているんだって、そう考えた」
「だから、ゲンヤさんの奥さんの話しを聞いて、僕は正直有り難かった」
「だって、そこに僕の過去が眠っているって感覚で分かっていたし、ゲンヤさんの奥さんであるクイントさんを救い出すことが出来れば皆の僕を見る目が変わるって、そう思ったんだ」
「でも……、でも、ダメだよリイン……。僕は……僕は……どれだけ、ジェイル・スカリエッティの事を知っても……、どれだけ彼の過去を見て来ても、彼と僕に何があるのか分からないんだ。なにも―――なにも分からないんだ!」
「僕は、どうにかなってしまいそうだ……。怖い、怖いよ……。お姉ちゃん」
ティーノは震える声で全てを出し切った。
顔は涙でぐしゃぐしゃで、叫ぶその姿はお世辞にも良いとは言えない。
それでも、心の全てを開けたティーノの苦悩は、リインが思う以上であった。
リイン自身は、区別したつもりであった。
ジェイルとティーノは別人だと、赤の他人だと、そう裁定を下したと。
だが、違っていたのかも知れない。
自分が知らない間に自分は、ティーノをジェイルとして見て、線引きしていたのかも知れない。
自身すら気づかないその深層を、ティーノには見えていたのかも知れない。
皆、ジェイル・スカリエッティに対してトラウマを抱えている。
そして、絶対悪と断じ―――戦った。
その過去を全て無かったことにすることなど、出来はしない。
だが、でも、それとこれは話が別だ。
ジェイル・スカリエッティがしてきたことを許すことは出来ない。
だが、ティーノのこれからを、ジェイルという過去で覆う事は出来ない。
私を含め、皆がそう決めたのだ。
そう決めて、今を生きているのだ。
リインは、ティーノの両手を引っ張り抱きしめた。
ティーノの背中に手を回しきつく抱きしめる。
「ティーノの苦しみも悲しみも、私は少しだけですが理解出来ます」
ティーノとリインの足元にベルカ式の魔法陣が現れ薄く輝き始める。
「……私も同じです」」
「私も、過去にとても多くの人を傷つけました。取り返しのつかない事を多くしました」
「それは私の中で生きる記憶でしかありません。私自身は、その罪を犯した人とは別人です」
「その人の記憶は確かに私に引き継がれている。私の中でその罪は闇となって生きています」
「でも、私は決めました。その罪すら私は背負って生きていくのだと、関係が無い赤の他人だったとしても、それが私の記憶なら、私はそうやって生きていこうと、決めました」
「難しく考える必要は無いのです。その記憶も含めて自分自身でなのです。過去に苦しみを見出すことは簡単です。でもだからこそ、その頃の私が感じた幸せを噛み締めて今を生きているのです」
「でも、時にはその闇に負けてしまいそうになってしまう時があります」
リインの肩に顔を埋めているティーノが聞き返す。
「負けてしまいそうになったら、どうするの?」
その言葉にリインは微笑み、ティーノの頬にキスをした。
「皆に一杯甘えます。助けてって叫びます」
「誰も助けてくれなかったら……、どうするの?」」
「そんな事はありません。誰かがきっと助けに来てくれます。―――少なくとも、私はティーノを助けに行きます。なにがあっても、どんなことがあっても、絶対に助けます」
リインがその言葉を発した瞬間、足元の魔法陣を中心に世界が脈動した。
「僕も助けるよ―――。なにがあっても、どんなことがあっても、どれだけ傷ついても、絶対にリインを助けるよ」
脈動が加速する。
足元の水面が震え、天から火の粉が降り出す。
だが、夕日の温かさが、その双方からティーノとリインを守る。
そして僅かな粉雪と黒い羽が魔法陣から溢れ出し、天に向かって舞進む。
リインとティーノは互いに抱きしめ合っていたのを止める。
黒い羽が舞う世界の中心で、ティーノはリインの瞳を見た。
リインの瞳には、慈愛しかない。
そこに、ティーノに対する恐れや憎しみ、敵対心は無い。
その瞳を見て、ティーノの内側に温もりが溢れていく。
何も解決はしていないだろう。
これから、苦しみ抜くのだろう。
だが、その度に、目の前のこの人は自分を助けてくれる。
そんな確固たる信頼が、生まれていた。
だからこそ、自分もそうであらねばならない。
例え世界を敵に回しても、守り通して見せる。
ティーノとして生を受けてから張り通してきた意地。
それは、その想いは―――
何も間違ってなどいない。
リインは笑う。
「それでは、ここから始めましょう」
「……うん、ここから始めよう」
二人は笑い合いながら、まるでそうなるのが当然かのように声を合せた。
「ティーノ、私を助けて下さい」
「リイン、僕を助けて」
光が二人を包む。
温もりに溢れた光が、産声を上げる。
その光は二人を祝福し、優しい風が吹いた。
暗天が世界を照らし、粉雪が息を白くした。
そこは、どこか知らない世界の丘だった。
見える眼下には町の光が灯る。
一つだけの街灯とそれを守るかのように聳える一本の木。
足元には古代ベルカ式の魔法陣が刻まれている。
その光景はまさに息を飲む程美しく悲しみに溢れていた。
それもそのはずだった。
その光景は、誰かの墓標の記憶なのだから。
初代リインフォース、夜天の書の管制人格、かつて地球と呼ばれる世界の海鳴と言う町で少女達に悲しみの中から救われた。
その最後の風景なのだから。
雪の絨毯の上に立つ男は、寒さにズボンのポケットに腕を突っ込み、無遠慮に新雪を踏み荒らし歩を進めた。
それに呼応するかのように、周囲の粉雪が一斉に浮き上がった。
そして、そんな世界にその者はいた。
今必要な最後のピース、足りない力を埋める存在、初代リインフォースがそこに。
「……こんなところになんの用だ?」
「嫌ね。あのガキ共の心が触れ合った場所に道が出来てたんでね。こうやって、好奇心に身を任せて歩いていただけさ」
「そうか……。存外、貴様も暇な身の様だな、ジェイル・スカリエッティ?」
「まぁね。多忙に多忙を重ねて、過労死する寸前だったんだ。たまの息抜きくらい構わないだろ?」
「ふん……。戯言をいうために、ここまで来たわけではあるまい?」
初代リインフォースが銀髪を靡かせジェイルに向き合う。
「話が早くて助かる……。お前の力、それを頂に来た。文句は無いだろ?」
ジェイルのその言葉に、リインフォースは悲し気に瞳を伏せる。
「……力を貸すことに文句は無い。まさか、私の存在があの子をあそこまで苦しめていたなど、想いもしなかった。この罪をあの子の手でなく自身の手で償うことが出来るなら、その申し出、例え悪魔の囁きであったとしても握りしめよう」
「その答えを聞けて助かるよ。では、さようなら」
ジェイルが指を鳴らすと、リインフォースは黒い羽の束と化し天に昇って行った。
リインフォースは理解していた。
自身が死ななければならなかった最大の要因、夜天の書の防衛プログラムの再構築並びに、その暴走。
だが、ここにいるのはただの記憶の残滓、リインフォースの本体は防衛プログラム諸共すでに、死んでいる。
さらには、目の前の男の力量と知識が、この世界に足を踏み入れた瞬間に、全ての不安材料を消し去っていた事実。
さらに万が一すら潰すその徹底ぶりは、ジェイルの心を読むことで理解出来た。
そしてだからこそ、そのための犠牲も初代リインフォースは知っている。
だが、初代リインフォースはそのことについてとやかく言うつもりは無い。
何故なら、ジェイル自身も、初代リインフォースと同等の大罪人なのだから。
黒い羽が風に流されたのを見送ったジェイルは、主を失った世界を塗りつぶすかのように歩みを進める。
人口的に作り上げられた仮初の人の息吹を見下ろすために、丘の先に足を向け、眼下の街を見下ろした。
その光の群れは、どうにも好きになれそうにない。
ただ―――
「存外、こういったのも悪くないな」
そして、溜息を一つ零す。
「気張れよ。ティーノ・ランスター、俺に出来ることはしてやったからな……」
さらに、頭をボリボリと乱暴に掻きむしる。
思い出すのは、過去のひと時、あの時は本当に幸せだった。
そう、今でもあの時の光景は瞼の裏に焼き付いている。
「……おめでとう。君に心からの賛辞を、クイント」
シグナム達は、困惑していた。
嫌、既視感を覚え、だがそんなことはありえないと脳が拒否反応を示し、行動を阻害した。
見上げた先には、すでに蒼天は無く。
今は、夜と見間違うまでの夜天の天幕が世界を覆っている。
突然の天変地異、偽の聖王すらその事に動くことが出来ずにいた。
嫌違う。
偽の聖王は恐れていた。
無機物でありながら、恐怖していた。
今から生れ落ちる何かに、恐れ戦いていた。
「こ、これ……」
ヴィータが静かに、だがしっかりと口を開いた。
知っていた。
この前触れを―――
忘れる訳が無い。
心の奥底で繋がった同胞を忘れる訳が無い。
だが、心は歓喜を叫ぶが脳が冷静に言葉を述べる。
それ即ち、ナハトヴァールの復活を意味しているのだと。
まるで難解な暗号を紐解いたようにそれを理解した守護騎士達は、即座に動こうとする。
何故なら、ナハトヴァールの復活は、八神はやての命運を左右する事象そのものだからだ。
その時、、鐘の音が響いた。
その都度は七。
先程の世界終焉の音と違い、今度は祝福の音に他ならない。
だから、涙した。
ヴィータも、ザフィーラも、シグナムも皆涙を流した。
そして、これで決着したと確信を得た。
突然の三人の変化に怒りで我を忘れかけていたオルランドも狼狽える。
「ど、どうした?」
その問いに、ヴィータがどこか安堵に似た表情で、涙を拭い言った。
「帰って来たんだよ。アイツが―――」
その言葉に、オルランドが疑問を告げようとした時、オルランドは途轍もない寒気を覚えた。
まるで、背筋に剣を突き刺されたかのように、弾け飛ぶようにその発信源に顔を向ける。
そこには、天使がいた。
黒い片翼を羽ばたかせ、祝福の風を全身に浴び、そして顕現した。
誰かが叫んだその名は、世界最強にして最幸の魔道書の名。
「リインフォース!!」