魔法少女リリカルなのは~僕は私を知らない~   作:はんふんふ

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クイント

 

 右頬に冷たい感触が広がった。

 それは、右頬を中心に首筋から全身に広がりを見せる。

 その寒さが、ティーノの意識を覚醒させた。

 

「う……っ……」

 

 両掌を体の下側に回し、無理矢理体を引き起こす。

 まるで、そこに地面があると信じたがっているようであった。

 次にぼやけた視界を正常に戻すために、両目をその小さな手で擦った。

 次第に鮮明になっていく視界。

 まず初めに映ったのが、真暗な岩壁。

 それを目にして、ティーノは急激な酔いに襲われその場で嘔吐した。

 

「うげ……うっく……」

 

 止まることの無い不快感。

 今まで全身を支配していた冷たさは、その頃には熱を帯びていた。

 体の内側から何かが外に出ようと暴れる。

 まるで、肉と皮膚が無理矢理ひっくり返ろうとしているかのような激痛が全身を支配していく。

 

「俺は……僕は……?なんだ、ここは?俺は何をして……?違う!僕は、空っぽだった僕を満たすために、ここに!」

 

 二人の自分が記憶の混濁を招き、ティーノの世界を飲み込んでいく。

 それはなんと皮肉な事か―――

 無くした記憶を欲したティーノは、その代償として、自分の今までを贄に捧げようとしていた。

 

「痛い、イタイ、いたいっ……」

 

 小さな体を包み込む苦痛を封じるように両手で抱きしめる。

 だが足りない。

 贄が混生が器が足りない。

 だから、混じった。

 交わり合った。

 夕日のような髪の女性と、海原のような青い髪の女性の笑顔が重なった。

 守りたい笑顔が交わった。

 それは、新たな生の誕生を意味し、そしてティーノの死を意味していた。

 

「守らない、と―――」

 

 だから、行かなければ。

 俺は、行かなければならない。

 ティーノであった何かは、痛む体に鞭をうち立ち上がると、その歩みを一歩踏み出し闇に溶けた。

 

 

 

「オァアアアアッ!!」

 

 飛び出したザフィーラは、狼形態でクイントの懐に飛び込むと瞬時に人形態に変身し、鉄をも砕く拳をクイントの腹部に叩き込む。

 今し方目が覚めたばかりのクイントは回避しようとすら出来ずにその拳が体にめり込んでいくのを知覚し、徐にそれを相殺した。

 

「ヌっ!」

 

 ザフィーラは驚愕した。

 クイントがした行為に対してだ。

 クイントは自身の背に拳を叩き込んでいた。

 それは、ザフィーラの繰り出した衝撃を体の内部に止め、さらに体の内部を動き回る衝撃に指向性を与えた。

 ザフィーラの拳がまるで飴細工のように骨が砕け指の関節一つ一つがありとあらゆる方向に向きを変える。

 

「下がれザフィーラ!!」

 

 後方に大きく飛び退くザフィーラと入れ替わりヴィータが前に躍り出る。

 グラーフアイゼンをラケーテンフォルムに移行させ、ザフィーラが微かに飛ばす血飛沫を顔に浴び、それでも瞳の中にクイントを捕えて離さず。

 そして、一度大きく地面を踏みしめるとヴィータは加速した。

 

「おりゃああああああッ!!」

 

 ヴィータの渾身の一撃は、まるでギロチンのようにクイントの頭頂部を狙う。

 クイントは、グラーフアイゼンの軌跡に視線を移すことなく。

 体を半身移動させ目の前でグラーフアイゼンを振り抜いているヴィータに向け左手を伸ばした。

 その動きは散漫で億劫であった。

 そう見えた。

 だが、伸ばされた腕は人ならず姿形となる。

 それは、回転刃であった。

 ドリルのように、揃わせた指先が手首から先、駆動音を奏で回転している。

 クイントが小さく呟く。

 

「リボルバー・ギムレット……」

 

 回転刃はさらに速力を増し、風すら生み出す。

 伸びる、伸びていく―――

 ゆっくりと、ヴィータの首先目掛けて一直線に―――

 だが、ヴィータの瞳に悲壮感は無い。

 その刃が届かないことは織り込み済みだからだ。

 

「はっ!」

 

 シグナムが間一髪、レヴァンティンの刃先でクイントの左腕を弾く。

 大きく体制を崩されたクイントの瞳にはもうヴィータは写っていない。

 その寂寥を帯びた瞳には、さらなる敵である桃色の髪の騎士を捕えて離さない。

 その粘り気は、水飴の様に甘美で嫌気がさす。

 だから気が付かない。

 機械だから、心が凍てついたから、感情が枯れ果てた砂漠の様だから。

 だから、気が付かない―――。

 その時、クイントの足元から莫大な熱量を感じた。

 敵意を乗せたかのような、肌に突き刺さる熱。

 それを知覚した時、唸り上げる声を聞く。

 

「フランメ・シュラーク!!」

 

 突如として、クイントの視界は爆炎に飲み込まれた。

 大きく吹き飛ぶクイントを見たヴィータとシグナムは、体制を整えるため、ザ フィーラの傍まで跳躍した。

 ザフィーラの傍には、オルランドとリインがいた。

 オルランドは咳き込み続け、リインは震えている。

 傍らで膝を付け、二人の様子を確認するザフィーラの丸太のような腕を、オツランドは咳き込みながら掴んで立ち上がる。

 

「ゲホっ、カハっ……ハァハァ……、情けない。この程度で……」

 

 そう言って立ち上がろうと、自身の膝に片手をつき上体を起き上がらせるオルランドにザフィーラは告げる。

 

「無理をするな」

 

 だが、そんなザフィーラに対して、オルランドはニヒルに笑みを作った。

 

「無理はするでしょ……男の子なんでね」

 

 オルランドはそう言うと、戦線に加わるために駆け出した。

 その背を見つめ、少しばかり羨望を覚えたザフィーラは足元に座り込むリインに視線を移す。

 

「……お前は何をしている?」

「わ、私は……ただ、ただ……」

 

 そう言いながら、大きな瞳から涙を零し震えるリインがザフィーラを見上げる。

 そんなリインの頭をザフィーラは大きな手を乗せて悲しみを奪う様に撫でた。

 

「お前がそうでも私は構わないと思っている。お前の優しさ、気品、温もり、それはお前の中に眠るアイツと同種で、アイツから我々が奪ったモノだ。だからこそ、お前の立ち位置は我らが後方で、主の傍にいて欲しいと願っている。……夜天が残した蒼天、それは弱さしか無い燃えカスだろう。だが、そこから何を生み出すかはお前しだいだ」

 

 ザフィーラとリインは見つめる。

 すぐ傍で繰り広げられている戦闘を、シグナムもヴィータもオルランドも一人の女を救うために、懸命に戦っている。

 リインは気づいていた。

 シグナムやヴィータが全力を出せば、相手の命を奪うつもりなら、クイントをすでに大地に足を立ててはいないだろうと、だが目的はそこでは無く救済にある。

 そのため、クイントになるべく傷を負わせないで無力化させなければならない。

 それは、余りにも難しいことである。

 

 ―――でも動かない。

 

 心が脳が後一手足りないと言っているのに、体が震えて動かない。

 

「私は……私はぁ……」

 

 リインのその呟きが闇に飲まれ霞んでいく。

 その時、シグナム達の頭上が爆ぜた。

 そして爆炎の中から声が降り注ぐ。

 

「マッハキャリバァアアアアアアア!!」

 

 天より伸びる青い道、その先からスバルとギンガ、ゲンヤが姿を現す。

 そして、スバルはクイントの攻撃を真正面から受け止めると、マッハキャリバーの出力を上げ、クイント事壁に突っ込んだ。

 シグナム達の前にギンガとゲンヤが立つ。

 

「遅くなってすまねぇ……」

「いえ、助かりました」

 

 短い言葉のやりとり、だがそれだけでゲンヤの言いたいことは伝わったのだろう。

 シグナムは一歩下がる。

 

「ここから先は、家の問題だ」

「お母さん、お母さん!!目を覚まして、私だよ!スバルだよ!!」

 

 スバルはシールド越しにクイントに叫ぶ。

 当然だ。

 目の前には死んだと思っていた母親がいるのだ。

 黙っていることなど出来るわけが無い。

 出来ることなら、今すぐにでも抱きしめたい。

 でも、それは出来ない。

 クイントは今も尚捕らわれている。

 なら、目を覚まさせなければならない。

 自身の欲求を、寸でのところで押し込めて、その想いすら力に変換する。

 エース・オブ・エーズである高町なのはの生き様に学んだこと。

 今為さなければならない行動。

 優先順位の確立。

 力付くでも、意地を通して、話し合う。

 それしか出来ない。

 でも、それだけで高町なのはは困難な壁を不可能と言われた事柄を成し遂げて来た。

 その教え子が、出来ない道理なんてこの世に無い。

 

「リボルバー・キャノン……」

「くっ!」

 

 クイントの攻撃を、シールドで受け流す。

 爆炎が立ち上り、その先から腕が伸びる。

 スバルはその腕を取り、背負い投げの要領で投げ飛ばす。

 

「はぁああああああッ!」

 

 投げ飛ばされながらも空中で体制を立て直すクイントにギンガの拳が襲い掛かる。

 殴り飛ばされたクイントは受け身を取りダメージを最小に抑えた。

 スバルの隣にギンガが立つ。

 

「ギン姉!」

「分かってる!」

 

 スバルとギンガ、そしてクイントの間に静寂が生まれた。

 それは、緊迫感を持っていて、頬を伝う汗が顎先から零れ落ちる。

 

「はぁッ!!」

 

 刹那の時、ギンガが躍り出る。

 それと呼応するかのようにして、クイントが飛び出した。

 ギンガが繰り出した左の拳を叩き落とし、クイントは左足を大きく振り上げた。

 ギンガの蟀谷に迫る。

 だが、ギンガとクイントの間にスバルが割り込み、クイントの腹部を強打した。

 一瞬の貯めの後に放たれた右ストレート。

 今までの疲れが吹きだしてきたのか、クイントはその攻撃をまともに受けてしまい。

 溜まらず後退してしまう。

 そのタイミングを待っていたギンガは、即座にバインドを発動した。

 淡い紫色の鎖に捕らわれたクイントは、バインドを振り払うでもなく、ただ力任せに引き千切ろうとしていた。

 その光景を見たギンガは、泣き出しそうになってしまった。

 自身の母親であるクイントの二つ名は、アンチェイン、それは如何なる拘束だろうと意味をなさない体術の奥義。

 バインドの無効化。

 それを、得意としていたクイントが、今は力でバインドから脱そうとしていた。

 それが、目の前のクイントが見た目が似ているだけの別人であると、告げているような気がして、それを認めたくないのにけど脳が結論付けようとして来て、そのことがどうしようもなく辛くて、ギンガは視界が涙で歪んでいくのを知覚してすぐに拭い取った。

 だが、ギンガはまだ諦めない。

 何故なら、妹のスバルは、ずっと母の名を叫んでいるからだ。

 諦めることを知らないスバルらしいその一直線な思いが、ギンガの心に火を灯す。

 だから、握りしめろ。

 その拳は誰に授かった。

 その心は誰に磨かれた。

 その血潮は、どこから来た!

 全てだ、全て譲り受けた物ばかりだ。

 まだ、その礼を言えてない。

 まだまだ、まだ足りない。

 だから!

 

「母さん!!」

 

 ギンガは、駆け出した。

 その時だ。

 本当に微かだった。

 自身の神経が極限までに高められていたからこそ、聞き取ることが出来た。

 

「強く……なったわね……。ギンガ……スバル……」

「「……母さん?」」

 

 虚ろな瞳、震えただけの唇。

 でも、聞こえた。

 その言葉が、今まで待ち望んでいた。

 ずっと、欲しかったその言葉が聞こえた。

 聞こえてしまった。

 だから、一瞬立ち止まってしまった。

 その一瞬の内に、スバルはクイントに殴り飛ばされた。

 

「うわ!」

「スバル!!」

 

 吹き飛ばされたスバルの名を叫ぶギンガ。

 だが、その眼前にはクイントの蹴りが迫っていた。

 

「しまッ!」

 

 それに気が付いた時には、ギンガの意識は刈り取られた。

 ギンガは薄れゆく意識の中、瞼の闇の隙間から確かに見た。

 自身とスバルを守るように、そしてクイントを救い出すように。

 まるで、母と娘の親子喧嘩の仲裁に入るかのようにして、ゲンヤが割って入るのを、その大きな背中を見ながら、ギンガの視界は幕を閉じた。

 クイントの前にゲンヤは立つ。

 クイントの体は、至る所に切り傷や打撲の跡が付いており、長く蒼穹を思わせる髪も、汗と埃で汚れてくすんでいた。

 そんな女だ。

 どれだけ、美しい女だとしても、その魅力は半減以下になってしまうだろう。

 ましてや、暴力まで振るってくるのだ。

 ヒステリックで済む話ではない。

 それでも、ゲンヤは気だるげにそれこそ、一泊二日の旅行から帰って来た妻に土産を強請るような仕草で、そこに立っていた。

 

「おいおい、ちぃ~とばかし見ない間に、随分と別嬪さんになったじゃねぇか?」

 

 ゲンヤは、皺が増えた頬を吊り上げそう言うが、皺の一つも無い若い姿のままのクイントの頬は動くことが無い。

 

「お前がどこぞに家出をしている間に、俺は大分苦労をしたんだぞ?ギンガの野郎が思春期に突入した時なんてのは、死ぬ思いだった。スバルも昔は父さん父さん、可愛かったのに、お前がいなくなってから、変に背伸びを始めやがった」

 

 ゲンヤの一人語りにクイントは動かない。

 それでも、続ける。

 

「俺がどれだけ情けない男なのかお前が一番良く知っているだろ?俺一人に子育ての全部を任せやがって、仕事と家庭の両立とかどれだけ苦労したことか……。だから……」

 

 そして、ゲンヤはクイントの瞳を全身をその全てを視界に納め、一歩踏み出す。

 

「やっぱり、俺にはお前が必要だ。お前がいないと、俺はどうにもうまく人生を歩いていけない。だから、帰ってこい」

 

 ゲンヤが大きく一歩を踏み出す。

 クイントが半歩下がる。

 クイントはまるで、何かに怯えるように下がり続ける。

 だがゲンヤは、その恐怖すら包み込んでやると、クイントの目の前に立ち。

 そして、クイントを抱きしめた。

 

「もぅ……離さねぇ……。俺を、俺達を……一人にするな……」

 

 クイントは、ゲンヤの少しだけ覚えていた男臭さに包まれて、その温もりと音を聞いて、虚ろな瞳に輝きを戻し、涙を流した。

 垂れさがっていた両手に力が戻り、ゲンヤを抱きしめ返す。

 クイントを取り戻すと言う行い。

 奇跡的にも今、それが叶うとしていた。

 そんな姿を見て、ヴィータ達は溜息をつく。

 

「私達って別にいらなかったんじゃねぇか?」

 

 そう不満げでありながらも、嬉しそうに笑うヴィータにザフィーラがポツリと零した。

 

「……これも愛の力か」

「「は?」」

 

 シグナムとヴィータが驚愕に染まった顔をザフィーラに向けると、ザフィーラは「何でもない」、とそっぽを向いた。

 その時だ。

 ザフィーラの耳が微かに動いた。

 そして、知覚したそれを把握するためにその発信源に視線を向けた時、思わず叫んだ。

 

「今すぐ離れるんだ、ゲンヤ!!」

 

 その声と同時に、魔力の暴風が空間内を埋め尽くす。

 そして、その暴力のすぐ傍にいたゲンヤは容易く吹き飛ばされた。

 

「クイントッ!!」

 

 ゲンヤが尻餅を付きながらも叫ぶ。

 魔力が集中的に吹き出し、そして集まっていく。

 そんなあり得ない光景の中心で、クイントは辛そうに顔を歪めながらも、笑った。

 

「まったく……私が目を覚ました途端にこれとか……簡便してほしいのだけれど……」

「く、クイント?」

「アナタも何そんなところで……、情けない恰好してるのよ……。ちゃんと、ギンガとスバルを守り……なさい……」

 

 クイントは必死に体を抱きしめていた。

 それは、体の中から何かを出さないための行いのようにも見えた。

 光がどんどん強くなる。

 もうまともに瞳を開けることも出来ない。

 それでも、ゲンヤは立ちあがり前に進もうとする。

 魔力が無いゲンヤにとって魔力の暴風はそれだけで災害であった。

 触れればたちまちに傷つき壊れ去ってしまう程の、暴力であった。

 それでも、諦める訳にはいかなった。

 愛した存在だからだ。

 共に愛し合った存在だからだ。

 世界に一人しかいないから、だから、手を伸ばす。

 魔力の波がゲンヤの伸ばした手を切り刻んでいく。

 魔力の光がゲンヤを吹き飛ばす。

 それでもゲンヤは止まろうとしない。

 なんどでも、立ち上がる。

 その光景を見て、クイントはさらに涙を流した。

 自分をここまで愛してくれた男の姿が、どこまでも眩しく見えて胸が高鳴った。

 クイントは思った。

 もう、いい歳をしたおばちゃんなのに、何を乙女なことを思っているのかと、でも堪らなく嬉しかった。

 そして、悲しかった。

 そんな愛した男にもう二度と抱きしめて貰えないと、なんとなく理解しだしていたからだ。

 さらに光が、クイントを飲み込んで行く。

 それは、もはや抑え込めない程に大きく膨らんで行った。

 

 嫌だ―――

 

 クイントは思った。

 

 こんなところで、終わりたくない。

 こんなところで、離れたくない。

 娘たちの成長を傍で見ることが出来なかった。

 夫老けていく様を隣で見ていられなかった。

 もっと、もっと、今までできなかったことを、これからしていきたい。

 こんなの、後もう少しで手が届くのに、後少しなのに、私はいつも届かない。

 嫌だ、こんなのはもう嫌だ―――。

 助けて、誰か助けて―――。

 

「兄さんッ!!」

 

 

 

 

 

 

「ったく、お前は……仕方ねぇな……」

 


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