聖王教会のグラウンド、その端では一人の魔導士と一人の騎士が相も変わらず、己が力を示すかのように、全力で模擬戦をしていた。
「はぁあああああッ!」
オルランドが愛剣のデュリンダナを振るえば、氷の礫が無数に生まれ暴風に押されるように、飛び散る。
「その程度!」
ティーノが足に魔力を込め地面を大きく蹴ると、水飛沫の壁が生まれ氷の礫を塞ぎ切る。
氷の礫は水中に捕らわれ、身動きが取れない。
それを良いことに壁は収縮を始めサッカーボール大の球体となった。
ティーノは眼前に固定されたそれを、回し蹴りの要領で蹴り飛ばす。
その様はまさしく砲弾であり、その速力もその通りのものであった。
オルランドが水の玉を鞘で受け止める。
ティーノが指先をパチンと鳴らせると、氷の礫を孕んだ水玉は、そのまま爆弾となった。
泡が弾けるように、回転の力から解放された水と氷は、散弾となってオルランドを切り刻む。
たまらず目元を片手で覆ったオルランドの隙をティーノは見逃さない。
オルランドが片手に覆われた微かな視界の先に見たのは、右拳を振り抜くティーノの姿だった。
晴天の空、小鳥達が歌いながら空を泳いでいる。
ティーノとオルランドは互いに汗だくになりながら、芝生の上に寝転がっていた。
「これで、10対10で並んだ」
ティーノがどこか誇らしげに語ると、オルランドはそれに対して鼻で笑う。
「はっ、今日はたまたま貴様の新魔法に一瞬同様しただけだ。……次は無い」
「へぇ~~、じゃあ確かめるか?」
そう互いにじゃれ合いながら身動き一つとれないでいると、はやてとカリムにアンジェリカが手にバスケットを持ってやって来た。
「あぁ~~! また、お兄様達はそんなになるまで!」
その声に昼食の時間だと気がついたティーノとオルランドは、苦し気に軋む体に鞭を打って体を持ち上げた。
「それにしてもティーノは、水系統の魔法も使えるようになってんな?」
はやてから、サンドイッチを手渡されたティーノは、頷く。
「もともと、そういう魔力の運用変換は、クロノ師匠から叩き込まれていたから……。後は、コツとタイミングの問題だったんだ」
タマゴサンドを頬張りながら話すティーノを見ながら、カリムからハムサンドを受け取ったオルランドが悔しそうに顔を歪めた。
「そんな行き当たりばったりの魔法にまんまとやられてしまったのか……。貴様の力は、底が知れないな」
その瞬間、世界が静止した。
その何とも居心地の悪い空気の中で、オルランドは目をパチクリさせる。
「ど、どうした……?」
「お兄様が、人を誉めた……」
アンジェリカのその言葉に、今しがたの自分の言葉を思い出しオルランドは顔を赤くする。
そしてハムサンドを照れを隠すように頬張った。
その日一日、アンジェリカの体調も良かったことから、三人は教会内を散歩していた。
廊下に夕日の光が差し始める。
暗い影が窓の淵にそって光と共に移動を始め、空気がひんやりとしてきた。
子供らしく、会話に花を咲かせていたオルランド、アンジェリカ、ティーノであったが、突如として、アンジェリカの足が止まった。
「どうかしたかアンジェリカ?」
オルランドがそう言うと、アンジェリカは一つの窓に吸い寄せられるように移動を始めた。
「あの丘は……」
窓の先に広がっていたのは、教会の裏手の塀から少し出た場所にある小さな丘であった。
寂しげに一本だけ木がたっており、誰も手入れしていないにも関わらず、木の足元の草はまるで木を除け者にするように背丈を低く保っている。
その風景を見つめて、アンジェリカの瞳は揺らいでいた。
そして、ポツリと言の葉が漏れる。
「―――外に……出たいな……」
「「……」」
二人が黙ったことに気がついたアンジェリカは、慌てて口元を小さな手で隠すと、誤魔化すように笑った。
「あ、アハハハ……なに、変なこと言ってしまったのでしょう。……きっと、疲れてしまったのね」
その笑顔が痛々しくて、見ていられない。
ティーノは顔を背けそうになるが、オルランドは何かを決心したように、一歩踏み出しアンジェリカの手を握りしめた。
「そうだな……。外に出よう」
「お、お兄様っ!?」
「お、おい……」
オルランドの言葉にアンジェリカとティーノは驚く。
アンジェリカはその存在その者が秘匿されている存在である。
その血は、万人の血よりも価値があり、一たび外に知れ渡れば、一体どうなってしまうのか想像も出来ない。
なにより、アンジェリカ自身の体は病により、いつどうなるかも分からない身である。
それなのに……。
「ティーノ」
オルランドが突然、振り返る。
その表情は、どこか達観したような何かを待っているかのようなそんな表情だった。
「私達がそろえば、大抵の無理は覆せるだろ?」
その言葉には、圧倒的なまでの信頼が籠っていた。
一体コイツになにが起こったのか。
急に信頼し過ぎだと思いながらも、ティーノはその想いが嬉しくて頷いていた。
「これが、外の空気―――、外の風―――、外の匂い―――」
アンジェリカは感動した様子で、でも子供らしくまるでダンスを踊るように蕾だけの花道を進んで行く。
オルランドとティーノがその様子を見ながら、連れてきて良かったと思っていると、オルランドが幸せそうに話しだした。
「ティーノ……」
「なんだよ……、急に名前で呼ぶな、気持ち悪い」
「私とアンジェリカが、実の兄弟でないのは知っているな」
「あぁ……」
「私とアンジェリカは、幼少期から兄弟としてディオニソス司教様の下で暮らしてきた」
「……」
「アンジェリカ様のご両親は、……すでに他界されている」
「亡くなった……理由は……?」
「聖王の血を欲した何者かに、襲われたと聞いている。アンジェリカのご両親は、アンジェリカを教会のもっとも安全な場所に事前に避難させ……そして、血の一滴すら残すことなくこの世から旅立たれた……」
「そ、そう……か……」
ティーノの頭の中にノイズが走る。
聞いてはいけない何かを聞いてしまったような気がした。
アンジェリカの両親の事なんて、知る由もない。
でも、何故だか、オルランドの悲しみの表情と、明るく笑うアンジェリカの顔を見て、途轍もない罪悪感が、胸に襲い掛かってくる。
「それと……、私の両親の話しだが……、あの話は真実だ」
「あぁ……」
オルランドは夕日を見ながら苦しそうに微笑む。
「記憶は無い……。だが、私がこの剣……デュリンダナで二人を斬り殺したのは覚えている」
オルランドは空を仰ぐ。
「ディオニソス司教様がおっしゃるには、二人は教会内で革命を起こそうとしたらしい。……それを未然に防いだ私は、紛れもなく騎士なのだと……ディオニソス司教様は抱きしめながらおっしゃって下さった。それでも……、騎士としては正義でも……子として、私は最悪の部類に入る人間だ」
オルランドは後悔していた。
過去の己の行いに、何を間違えてしまったのだろうかと泣いていた。
「だからな、ティーノ・ランスター……」
その先を聞いてはいけない気がした。
聞けば、もう後戻りが出来ない気がした。
だが、オルランドは止まらない。
「友としての願いだ……。罪に塗れ、血で真っ赤に染まった私からの願いだ……」
アンジェリカが手を振りながらオルランドの名を呼んでいる。
本当に嬉しそうに、今この瞬間が永遠であるかのように笑っている。
その笑顔を見て、一歩踏み出したオルランドは決心がついたかのように微笑み瞼を閉じると、ティーノに初めて見せる笑顔で振り向いた。
「もし私がダメになったら……アンジェリカを頼む」
その笑顔を見て、ティーノは息が詰まった。
もうそうなるのが決まっているかのような顔でそんなことを言われて、まして友と言われどうしていいか分からなかった。
だからとりあえず、そんな事にならないために、させないためにティーノはオルランドの背中を力一杯引っ叩いた。
痛がるオルランドの先を進みながら、ティーノが呟く。
まるで独り言だと強調するように―――
「情けないこと言ってんじゃねぇよ……。アンジェリカの隣にいてやれるのは……いていいのは、僕じゃない。お前以外に、その役目が務まる奴はいない」
だって、アンジェリカも言っていたではないか―――
私の剣だと―――
「次にそんなことを言ったら、本気でぶん殴るからな」
ティーノのその言葉に、オルランドはどこか安心したように笑う。
そして二人は、アンジェリカの下に歩みを進めた。
その日の夜ティーノはヴィヴィオと同じベッドでいつもの様にヴィヴィオと眠っていた。
ティーノは寝付けずに天井を見つめている。
見つめ続ける天井は次第にぼやけ出す。
すると、隣から声が聞こえた。
「まだ起きてるの?」
ヴィヴィオは、眠たげに瞼を擦ると、上半身を起こした。
ティーノもそれに倣い上半身を起こす。
「来週にはインターミドル地区予選でしょ? 早く寝なよ」
ティーノがそう言うと、ヴィヴィオは首を左右に少しだけ振った。
「ティーノが何か悩んでいるようだから、その話を聞くまで寝ません」
強情なヴィヴィオに溜息を吐きたくなったティーノは、何気なく言葉を漏らす。
「ヴィヴィオ……」
「なぁに?」
「もし、僕が過去に取り返しがつかない大きな罪を背負っていたら、どうする?」
「えっ……?」
「もし、その罪のせいで大切な人を傷つけることになってしまうなら……僕はどうすれば良い?」
ヴィヴィオは黙っている。
こんなことを聞くなんて、どうかしている。
普通は答えなんて出せない。
そうティーノが考えていると、布の擦れる音が聞こえた。
「……ん!」
「突然、どうしたの……?」
ヴィヴィオはどこか真剣な瞳で両手を広げていた。
「……んん!!」
ティーノは訳が分からず体をヴィヴィオの方に向けると、ヴィヴィオはティーノの頭を強引に抱きしめ、ベッドに倒れた。
急に抱きしめられたティーノは驚き声を出せない。
だが、ヴィヴィオは静かに語り出す。
「……私は、分からないよ。どうすれば良いのか、なにが正解なのか……」
ヴィヴィオの手がティーノの後頭部を撫でる。
優しく壊れ物を扱う様に丁寧に―――
「だから、少しでもいい結果に行き着くために……。少しでも多くお話をすると思う。それが例え、過去の自分であったとしても、過去のことに苦しんでいる人であっても、苦しんでいる人がいれば、大切な人が苦しんでいるなら、私は……そうする……。私が、そうやって助けてもらったから……」
話し合い―――
そんなことで苦しみが取り除かれるなら、どれだけの事が防げるだろうか。
現実には、そんなことでどうにか出来る程世界は優しくない。
だけど―――
ヴィヴィオがそういうなら、出来そうな気がする。
ヴィヴィオに抱きしめられ、心臓の音を子守歌にティーノは深い眠りに落ちていく。
そこでティーノは思った。
ティアナなら、どうするのかな、と―――
今、どこで何をしているの?
会いたいよ―――
ティアナ―――
「クロスファイアーシュートッ!!」
街はずれの道路では、夜の静けさを薙ぎ払う爆炎が上がっていた。
「はぁ……はぁ……クロスミラージュ、大丈夫?」
「大丈夫です」
ティアナは、とうとうロストロギア強盗の犯人を見つけることが出来た。
次に狙うと思われていた内の一つのロストロギアが運搬される道沿いで、人がおらず比較的狙われやすいであろうと、定めていたポイントに犯人は現れた。
犯人は金髪の青年であった。
身の丈程ある巨大な剣を持ち、正確無比で協力な斬撃を放ってくる。
だが、ティアナも伊達に修羅場を潜っていない。
幻術魔法と射撃魔法のコンビネーションでうまく敵を錯乱させていた。
それでも、敵の方がティアナに多くの傷を負わせていた。
それは純粋な覚悟の違い、鬼気迫るその覚悟が敵の能力を何倍にも跳ね上げていた。
その時、岩陰に隠れていたティアナは妙に肌寒いことに気が付いた。
「……雪?」
ティアナがそう呟いた瞬間、クロスミラージュが叫ぶ。
「マスター!」
「ッ!!」
気が付いた時には、辺り一面の地面が氷に覆われていた。
ティアナはすぐにこの場を離れなければと移動を始めようとするが、足が地面と共に氷漬けにされ動けない。
そして首筋に寒気が走った。
月の光を反射した剣が首元まで伸びていた。
そしてティアナの首が跳ね飛ばされる。
だが、それと同時にティアナの存在は魔力残滓となって消え去った。
「くっそ……危なかった……」
敵が今まで一人も怪我人を出していないからと舐めていた。
アイツは、障害となるものに対して容赦しない。
ティアナは認識を変える。
だが、その時にはすべてが遅かった。
敵である騎士は、剣を逆手に持つと魔力を収束しだした。
まずいと、直観で理解したティアナは防御魔法を張ろうとする。
そして、剣は白銀の大地に突き刺された。
「……イスベルグ・プルガトワール」
生まれ出は、氷山の群れ。
広域魔法まで扱う敵に戦慄する。
ティアナは即座に回避行動に移り、隙の大きい敵に対してここが決める場だと狙撃の構えをとるが、その時見つけてしまった。
待機を命じていたはずの局員の一人が道端に転がるロストロギアの回収に向かっているのを―――
その場に向かって氷剣の山が突き進んでいるのを―――
「くそッ!!」
ティアナは即座に、あまり得意としていない移動魔法を使いロストロギアを拾うとしていた局員を突き飛ばす。
さらにその場で、無理に体を反転させる。
「ディバインバスターッ!!」
クロスミラージュから放たれたディバインバスターは、氷剣の群れを薙ぎ倒し敵に向け突き進む。
終わったとそう思った―――
だが―――
「執務官ッ!!」
別の局員が叫ぶ。
ティアナが振り返ると、そこには剣を掲げた敵がいた。
ティーノは走っていた。
白一色で塗り固められた長い廊下を、脇目も振らず走り続けていた。
そして目的の場所に辿り着くと、そこにはなのはにフェイト、はやて、スバルがいた。
「ティーノ!」
誰かが叫ぶが関係が無かった。
ティーノは白い扉を開け放つ。
一瞬光で塗り固められた視界が正常に機能しだすと、そこは異世界のようであった。
なにも無い部屋にベッドが一つ。
訳の分からない機材からチューブがベッドまで伸びている。
ティーノはフラフラとした足取りで、ベッドの傍までよるとそれを見てしまった。
包帯を幾重にも巻いたまま、眠っているティアナの姿を―――
ティーノの中で、なにかが大きくひび割れた。
視界がぶれる。
息がまともに出来ない。
それでも、伸ばした手はティアナの手に触れて―――
冷たくは無いけど、温かくも無くて、今にも消えてしまいそうで―――
その時ティーノの肩に誰かが手を乗せた。
「大丈夫……、命に別状は無いって医師も言っていた。今は、意識を失っているだけで、すぐに目を覚ますって……」
だが、ティーノの耳にその声は入ってこなかった。
誰が、一体誰が、ティアナにこんなことをした。
許せない―――
許すことが出来ない―――
その時、病室の扉が静かに開かれた。
どうやら、ティアナの包帯を変えに来たらしい。
皆が退室していく中で、ティーノだけは退出することなくずっとティアナの手を握りしめていた。
「守るって、誓ったのに―――」
体に巻かれていた包帯が取り除かれていく。
それを虚ろな瞳で見ていたティーノは見てしまった。
その傷を―――
知る人でなければ知らない、まるで鋭利な氷で斬られたかのような傷を―――
それを見て、瞬時に答えに行き着いてしまったティーノは急激な吐き気に襲われる。
そして病室から走り去った。
廊下で待っていた皆が驚くが気にしている場合では無かった。
このこみ上げる何かを吐き出すために、必死だった。
ティーノは気が付けば屋上に来ていた。
そして、コンクリートの壁を力の限り殴りつけた。
「何故ッ!どうしてッ!なにがッ!なんでッ!」
何度も何度も殴りつける。
拳は等に傷つき、血だらけとなっていた。
脳裏でオルランドの言葉が思い出される。
思い出して思い出して思い出して、それでも認めたくなくても、脳が決定付けている。
誰が、ティアナを傷つけたのかを―――
「どうしてなんだ。オルランドッッ!!」
頭の中で友と呼んだオルランドの顔が霞んで見えた。
ディオニソスは、祭服に身を包みアンジェリカの部屋にいた。
アンジェリカは静かに寝息を立てている。
ディオニソスはその姿を見て微笑む。
「これで全てが揃った―――。道を進もう、扉を開けよう。ジェイル・スカリエッティが残した遺産……。ティル・ナ・ノーグへ」