銀河紙メンタル伝説 作:七色プリズム
「ママ、ママ、行かないで!
行っちゃ嫌!」
「マリー、ママは家に帰るだけよ。
また明日もマリーの元に来るから。
ね?」
アリスは愛娘のマリアエレナの額にキスを落とした。
マリアエレナは帝国侵攻作戦において同期や友人の多くを喪失し、それによってトラウマが植え付けられていた。
現在でこそ母の帰宅を渋々ながら許容しているが、PTSDと診断されたばかりの頃は視界から両親がいなくなることを、人間離れした身体能力で許さなかったのだ。
軍病院の精神科に入院したマリアエレナは、医師や家族などの協力によって少しずつ回復してきており寛解に近づいてきている、
と医師はマリアエレナの父ニックと母マリアに説明している。
マリアエレナの類まれなる身体能力は自由惑星同盟150億人の中でも突出しており、寛解し次第、軍への復帰が検討されている。
マリアエレナの病気であるPTSDは精神の病気であって肉体の病気ではない。
その為、マリアエレナは自由な時間があればストレッチや軽い組手などを行っていた。
勿論、この運動もPTSDの治療の一環である。
「ママ……来てね、絶対に来てね」
「ええ、勿論。
パパからのビデオメッセージも貰ってきちゃうわよ!」
アリスはパチリとマリアエレナにとびっきりの笑顔とウインクを見せた。
アリスの生来の陽気で人懐こい性格の表れでもあり、愛娘を安心させるためでもあった。
しかし彼等の穏やかな時間は永遠に訪れることはなかった。
1組の親子が愛情を育みながら人生を歩いている間に、世界では大きな出来事が起きていた。
宇宙歴797年1月20日。
自由惑星同盟イゼルローン駐留部隊の戦艦ユリシーズが帝国軍の使者と接触した。
これまでの戦争のために両国に存在する捕虜の交換の申し入れであった。
宇宙歴797年2月19日。
捕虜交換式がイゼルローン要塞にて行われた。
この時、帝国の代表としてキルヒアイス提督が、同盟の代表としてヤン提督がサインを書面に印している。
宇宙歴797年3月19日。
首都ハイネセンにて捕虜交換式成功祝賀式典が行われた。
宇宙歴797年4月3日。
惑星ネプティス、クーデター勢力に占拠される。
宇宙歴797年4月5日。
惑星カッファーにおいてクーデター発生。
宇宙歴797年4月8日。
惑星パルメレンド、クーデター勢力に占拠される。
宇宙歴797年4月10日。
惑星シャンプール、クーデター勢力に占拠される。
宇宙歴797年4月18日。
ハイネセンにおいて軍事クーデター勃発。
クーデターを起こした者達は自らを救国軍事会議と名乗り、議長にグリーンヒル大将が就任していることを示した。
情報規制、物流の規制、救国軍事会議に従わないビュコック提督を拘禁等の締め付けを行った。
宇宙歴797年4月26日。
ヤン艦隊が惑星シャンプールを攻略し、反乱を鎮圧した。
宇宙歴797年5月18日。
ドーリア星域にて、ヤン艦隊と第11艦隊の戦闘が開始。
宇宙歴797年5月19日。
第11艦隊敗北。
宇宙歴797年6月22日。
ハイネセン・スタジアムで開催されていた無許可の政治集会に、
救国軍事会議から派遣された3,000人の武装兵が乗り込み、先導者のジェシカ・エドワーズを撲殺した。
それがきっかけとなって暴動が発生し、武装兵が襲われながらビーム・ライフルを乱射。
死者は市民20,000人、兵士1,500人にのぼった。
アリスは娘のマリアエレナが陥った、戦争による間接的な被害に対して強烈な衝撃を受けていた。
出兵してすらもないのに病気になる程の負の影響。
いずれ娘が軍に復帰すると分かっていても、個人の感情としての戦争への忌避感はなくならない。
和平派として自己を確立するのは当然のことであった。
そんな時に起こった救国軍事会議によるクーデター。
彼等が主張するのは国民全てが戦争の為の働きをしなければならない、ということ。
そして、弱者を切り捨て多種多様な意見を持つ人々を排除すること。
黙って従っていても駄目なのはアーレ・ハイネセンが証明している。
ならば暴力を使わなくても意見を主張できる場を。
そうしてアリス・メルクーリはハイネセン・スタジアムで死亡した。
マリアエレナが異変を感じたのは、自分が入院している病院にドクターコールが流れた時である。
ドクターコールは通常、患者が急変したときに医師を呼ぶための放送である。
滅多に流れる事はなく、あっても日に1回程度の頻度。
しかし、この日は違った。
何回もドクターコールが流れており、医師以外の職員も慌ただしく動いている。
何かが起きた事は明白だった。
「あの、すみません」
「はい、どうされました?」
「何が起こってるんですか?
なんか大変なことが起こっているみたいなんですけれど……」
マリアエレナの元にテレビは存在しない。
何故ならマリアエレナの病気は、喪失を恐れるという症状だからである。
よって、多くの環境の変化を教えてしまうテレビは今のマリアエレナには不適当だとされ、
テレビ等のニュースを受け取るための物には一切関わりがなかった。
「そうですね……。
実は、ハイネセン・スタジアムで暴動が起こっているらしくて、それの怪我人が沢山運ばれてきてるんです」
「怪我人……!
ママは、ママは、無事なんですか!パパは!」
「今の所は何も分からないんです。
ごめんなさいね」
「そうなんですか……」
「あっ、でもテレビかラジオに名前が流れるかもしれないので、チェックしておきますね」
「お願いします……」
この会話の2週間後、この看護師はテレビニュースの画面でアリス・メルクーリの名とニック・メルクーリの名を見つける。
死者の欄に。
「ママ……パパ……なんで、なんでなの?約束したでしょ、明日また来るって、パパからのビデオメッセージ持ってくるって……嫌だ、なんで……?なんで、なんで、なんで、なんで……」
マリアエレナはその身体能力を使って病院を脱走していた。
しかし、マリアエレナ本人はその事を認識していない。
一時的な混乱と視野狭窄が、現状の認識を不可能にしていた。
病衣と裸足という異様な風体に気がつき、軍服を着た男がマリアエレナに声をかけてきた。
「おい、何をしている!
ここが何処か分かっているのか!
お前の名前は!」
「嫌……なんで、置いていかないで、嫌だ、嫌だ、ママ、パパ……」
強い口調での詰問にも関わらず、下を向いてブツブツと独語するマリアエレナの肩を男は揺さぶった。
「おい、大丈夫か!」
「……え……あれ、なんで私……?」
「よし、しっかりしてきたな。
いいか、ここはハイネセン・スタジアムだ。
俺は救国軍事会議に参加していて、ここに誰かが立ち入らないようにしている」
「救国、軍事会議……」
「そう、だからお前は早くここから……」
「……くっ、ふ、」
「おい?」
「ふふ、くふふふふふふふふふふ、あはははははは!ははははは――――」
「――――死ね」
マリアエレナが突き出した手刀は、易々と衣服と男の肉体を突き破った。
脊髄損傷による生理的な動きだけが、男の生物的な要素をその肉体に留めている。
男の腹部に差し込まれたマリアエレナの腕は、男の血で真紅に彩られた。
そのまま腕を横に薙ぎ払う。
バキャリ、と脊髄を潰しながら折る音と共に男の身体は上下2つのパーツになった。
彼が1つの身体に戻る事は最早、生物である時には無理だろう。
ゆらりと何の感慨もなくマリアエレナは歩き出す。
「――――殺す、私から奪う奴等を殺す、殺す、殺さなきゃ、泥棒は悪いことだから殺す。うん、可笑しくない。悪いことする人は殺さなきゃ。悪い人がいなくなれば皆で楽しく暮らせるもんね。殺そう。そうだ、ママとパパを探さなきゃ。殺そう。これからのことも考えなきゃいけないし。殺そう。原作の展開もよく覚えてないし。殺そう。ヤン艦隊が来るまで保留という事にしておこう。殺そう」
宇宙歴797年8月。
バグダッシュ中佐がヤン提督の要請により、クーデターがラインハルトによるものであると証言する。
これによって救国軍事会議の大義名分が机上の空論と化した。
ヤン艦隊は救国軍事会議の降伏を促すためアルテミスの首飾りを12個完全破壊する。
グリーンヒル大将と扇動者のアーサー・リンチの死亡をもって、救国軍事会議は完全降伏。
首都ハイネセンのクーデターは終了した。
最も死体の数が多かった場所はハイネセン・スタジアムであり、
その中には車の横転による事故であろう死者も少なくない数が見られた。
1つ違和感があるとするならば、車の横転での死者は全て救国軍事会議の者であるということだが、
集合した和平派の者達は徒歩であり、救国軍事会議の者達だけが車で来ていたのだから特に不思議ではなかった。
能力はギャルゲー世界のものだが、存在する世界は皆殺しの田中。