1
「……っ」
ひんやりとした何かが、頬に触れた。温度自体は冷たかったのだが、何故だろう。懐かしさと共に、安心するような暖かさも感じた。まるで、母親に頭を撫でられた時のような。安堵の気持ちが胸いっぱいに広がっていく。
「……ぁ」
ゆっくりと瞼を持ち上げる。そこで、皐月は寝ていたことを実感した。
目覚めて初めに眼に映った光景。それはなんとも素晴らしいものであった。
「やっと起きたか」
真っ白な美少女が、こちらを覗き込むようにしてじっと見ている。少女の顔は、世界が反転したかのように視界の上にあった。つまりこれは……。
「え……これ今僕、膝枕……されてる?」
間違いない。後頭部の柔らかな感触も確かに感じる。あれだ、世間一般で言う、あの
「正確には膝ではない。脚だ。脚枕だ」
脚枕。言われてみれば、頭の位置が少し居心地悪い気がした。なるほど、この少女は今胡座をかいている、ということか。その脚の上に自身の頭が乗っている、と。
皐月は状況を把握した。把握した上で、叫んだ。
「えっ!?ちょ、ちょっと待ってぇ!?な、なにこの状況!?ななな、な、なっ、なんで僕、女の子の脚の上で寝ているの!!??ヴぇっ!?何が!?何が起きたというのっ!?」
慌てふためく皐月。そんな状況を知って飛び上がろうとしたが、身体が言う事を聞かなかった。動かせなかった、というのが正しいかもしれない。
「しかも動けないっ!?なにこれ金縛り!?」
「私に驚き、飛び上がって怪我されても困るし、暴れられても困るからな。身体の制御は今、私がしている」
「え!?え!?状況が読めないよ!?」
「うるさい。可愛い女の子の脚の上で寝ていられるんだ。少しは静かにしていろ」
「あ……はい」
真っ白な少女の、空気も凍るような冷たい声に負け、皐月は騒ぐのを止める。なんだろう、何で今僕が怒られたのだろう……と、しゅんとなる少年をまじまじと見つめる少女。彼女のクリクリとした真っ赤な瞳には、皐月の表情全てが映っていた。
「え、えーとぉ……き、聞いていいかな」
「どうぞご自由に」
とりあえず、皐月は落ち着くことにした。落ち着いて、今の状況を整理しつつこうなる前の事を思い出していこう。それにはまず、この目の前の少女のことから解決していかなくてはならない。全く持って知りえない、どれだけ記憶を辿っても出てこないこの少女のことを。
「えーとうーんと、まずは、君の名前から聞こうかな……!」
「私の名前はエトロス。エトロス・クルカフォルニアよ」
明らかに日系の顔つきではないと思っていたが、やはり外国の少女か。
ふむふむ、と一人で首を縦に二回振り、次の質問を投げかける。
「エトロス……ちゃん?僕はなんで君の脚の上で寝ているんだい?」
「簡単な事よ。あなたは昨晩、学園都市第一位に襲われた。そこからあなたを救出し、今、このような状況になっているの」
「学園都市……第一位。……っは!!!!」
思い出した。ブワッと。脳の奥底から何かが吹き出しくる異様な感覚がした。
ドンドンと溢れて出す、恐怖の記憶。
逃げても逃げても追いかけてくる、白い少年。その行動の一つ一つが、人間のを逸脱していた。最早、あれを人間と呼んでいいのかというレベルの所業であった。
そしてもう一つ、思いだす。
……吹き飛んだ右手の事を。
「右手はっ!!!!????」
右手を確認しようとするが、行動が封じられているせいで認識出来ない。神経ごと操られているのか、これではあるのか無いのかハッキリと分からない。
「ちゃんと存在している。安心しろ」
必死に求めた答えを、エトロスは軽々と提示してくれた。だが、自分の目で、感覚で、認識出来ていないため、まだそれが本当かどうかは分からない。この拘束が解かれて初めて真実を目にすることが出来るのだから。
「てか、この拘束いつまでしてるの!?もうよくない!?」
「確かに、もう解いてもいいかもな。お前が目覚めた以上、まだ拘束を続ける理由が無くなった」
ふわっ、と。エトロスの左手が皐月の身体に触れる。すると、何かが弾け飛んだ音と共に、皐月の身体が自由を取り戻した。
「み、右手……ホントにある……!!良かったぁ……っ!!」
左の掌でギュッと右手を掴む。ここで初めて、皐月は大事な右手の存在を確認できた。
安心した最中、一つの疑問が浮かび上がる。
何で……右手があるんだ?
これほどまでに嬉しいことは無い。だが、確かに、皐月の右手は吹き飛ばされたはずだ。あの、白い少年に。
どうにか立ち向かおうとして、博打の策で突き出した右手は軽々しく宙を舞い、闇夜の中に消えていった……はず。それが今、こうして右腕に引っ付いている。くっつかっている。復活している。
「何で右手が復活しているんだ、とか考えているんだろ?」
「……っぐ!?何で分かった!?」
「答えは簡単。単純。明確。私は君の半分だからだ」
余計に訳の分からないことを言わないで欲しい、と心の底から皐月は思った。
ただでさえ今色々な事が重なってパンクしそうだっていうのに、また新しい要素をぶち込まないでくれ。
「この右手……元々なかった……よな?」
「あぁ、そうだな。私が駆けつけた時には既に
「……もしかして、君が治してくれた……とか?」
「いいや、違う。そんなこと絶対にない」
そんな否定の仕方しないでくれよ……、と内心少し傷つきつつも、右手の謎を改めて考える。
「考えなくても、答えを言ってやる」
拘束を解いてなお、永遠と皐月の瞳を凝視するエトロスは近くにあった一人用ソファへと座り込んで言った。
「生えてきた。もしくはくっついた。それだけだ」
「はい?」
「なんだその不満気な顔は。お前の求める答えを提示してやったぞ。何の問題がある」
「待て。なんだその自然現象的な……」
気付いたら生えていた。
なあんて事が人間の身体に起こるわけがない。きっと、最初から右手はなくなっていなかったんだ。あれは夢だったんだ。夢を見ていたのだ。
そう、ポジティブに解釈した。
「お前の右手は、お前と一心同体。持ちつ持たれつ。運命共同体。そういうことだ」
確かに、元々手がある状態なら死ぬまでその手は残っている。なんらかの要因で切り落とされない限りは。
だけど、一回離れてしまったモノがまた同じように、なんの傷跡も残さないでくっつくなんてありえない。そうではなくて、生えてきたとしても、その生えるという工程自体が人間としてありえない。
「君は……僕の右手の何を知っているんだ?」
「『触れたあらゆるモノを破壊する』。それがお前の右手だ」
「それって……能力……??」
「能力。お前の言う能力は
それはなんだ。学園都市の能力開発の事を言っているのか?そうだと仮定すると、前者がそれに値する。すると後者は生まれつき能力を持っている『原石』のこと……か?確かそっちは学園都市第七位が相当すると聞いたような。
質問に質問で返してきたエトロスの言葉を真剣に考えてはみるが、やはり彼女の言っている事はとても難しい。
「多分だけど、僕は後者の場合で質問した」
「ふぅん。それならば、能力とは少し違うな。お前のその力は能力ではない。能力の一段階上と言った方がいいか。その力は『神様』が与えし力。……まぁ確かに、それを人は総じて『能力』と称するだろう。だけど、間違いだ。能力開発、いじくられて発現した力とは桁が違う。なにせ、神様が与えてくれた力なのだからな。この世界に神様から力を与えられた人間は数十人と言った所か。学園都市の奴等は『原石』と呼んでるらしいがな」
皐月の考えは正しかった。エトロスの質問の意味をしっかりと理解し、返した事にまず嬉しさを感じるが、問題はそこではない。
「つまり僕は、『原石』……ってことなのか」
「学園都市的に言うとそうだな。『神様の力』の片鱗。奇しくも、私も『神様の力』の片鱗をもっている」
「お、お前も!?」
よく考えてみれば分かった。どうして僕は助かった?あの怪物から逃げきれた?その意味を考えてみれば、分かった。エトロスはきっと、皐月を助けてくれた。だが、助けるにはあの怪物をどうにかしないといけない。
……そう。きっと、どうにかしてしまったんだ。彼女の、『神様の力』とやらが。
「今いる場所だって、私が作った空間の中だ。誰も干渉出来ない。だから、お前を追いかける者も来ない」
そう、さっきからここはどこだ、と皐月はちょくちょく頭を働かせていた。しかし、どう頑張っても、どこかのマンションの一室程度の事しか把握できなかった。一言で表すなら、殺風景。一人の人間が最低限暮らすことのできるような七畳の部屋。その一室にキッチンやら冷蔵庫やらトイレやら布団やらと、生活に必要な物が大体揃っている。
「規格外過ぎて……僕はもう何が何だか」
「そうだな。一度に与えた情報量が多すぎて整理がつかないかもしれないな。だけど、これが真実だ。お前は『神様の力』の片鱗を手に入れた。後悔することはない。むしろ喜ぶべきだ」
「だけど僕は……この右手で……一人の女の子を……殺してしまった」
「なんだと?」
「きっと、殺してしまったから、あの化物に襲われたんだ。実際に関係があるかは定かじゃないけど……でも、そうじゃなきゃ、あんなのに襲われる理由がないもの」
「……発現したタイミングが悪かったのか」
「……ほんと、いきなりだったよ。この右手に触れた女の子の手が……首が……あぁぁぁぁ!!!!」
嫌な事を思い出してしまった。皐月は頭を抱えしゃがみ込む。そんな姿を見た真っ白な少女は、少年に寄り添い、優しく頭を撫でた。
「そういった人間を私は何人も見てきた。大丈夫。きっとなんとかなるさ」
簡単に言ってくれるな、と心の底から嘆いた。だけど、その言葉と手は暖かく、皐月の心を少なからずとも癒していた。
皐月は思考する。次の行動を。
「……とにかく、まずは美琴の所に行ってくる」
「……、」
「あいつの従姉妹を殺してしまった事は事実だ。一度会って、謝る」
「謝って、どうするんだ?その後、警察にでも身を差し出すのか?」
「……そこから先は、また考えさせてくれ」
「そうか。なら一度、私の所へ戻ってこい。私には目的がある。その目的の為にこうして学園都市に来て、こうしてお前を見つけたんだから」
「うん。美琴に会ったら、戻ってくるよ」
「必ずだぞ」
「あぁ」
皐月は、エトロスに背中をポンと押された。
次の瞬間、目の前の世界がガラリと変わっていた。
殺風景な景色から一転、人が溢れる街中へ。皐月は一瞬にして移動していた。
サッ、と。ポケットから携帯端末を取り出し、ボタンを押す。
「八月十九日、午後一時……か」
一晩を越し、日付は変わって八月十九日。眩しい太陽がサンサンと皐月を照りつける。
「美琴はどこにいるだろう」
とりあえず、辺りの様子からして今いる場所は自分の通う学校付近なのは把握できた。手当たり次第に思いつく場所を当たってみようと思ったが、そんな非効率な事はしたくない。真っ先に思いついたのは昨日、御坂と、御坂と全く同じ顔をした御坂の従姉妹(?)がいたあの公園だ。
「……あれからどうなったか気になるし、行ってみるか」
2
自宅付近の公園。
そこには、何事も無かったかのように普通の、いつも通りの公園が存在していた。
飛び散った血がベンチに付着したのを昨日確かに確認したのだが、その跡すら綺麗さっぱり無くなっている。
その徹底さと不気味さに、皐月の身体が少しゾワッ、とした。
「何も残っちゃいない……」
あの後、一体どうなったんだ。御坂は……あの従姉妹は……。
と、そこへ。
一人の少女が公園の中へとやって来た。遠くでよくは見えないが、茶髪でゴーグルを頭に付けているのが見えた。
茶髪に……ゴーグル。
思い当たる人物が、一人だけいる。
「……生きてる!!??」
まさしくあれは、昨日出会った御坂の従姉妹(?)だった。
衝撃が走ると共に、気づけば足も進んでいた。走っていた。自分が殺したはずの少女の元へ、ダッシュしていた。
そう、この時は気付かなかった。
殺したはずの少女がいるはずがない、と。
でもそれは彼の中で『夢』だった、という形で簡単にねじ伏せられてしまう。嫌な事は全部『夢の中』。そんな子供じみた精神が、彼を地獄の底へ突き落とす。
走って向かってくる皐月に、御坂従姉妹(?)は気付いた。
と、共に。
「襲撃者補足、迎撃体制に入ります。と、ミサカは銃器を構えます」
キラリ。
鮮やかな光沢の銃口が皐月に向けられた。
「……嘘、でしょ」
刹那。
無数の銃弾が皐月に襲いかかった。