1
八月十八日。
時刻は正午を過ぎた頃。
生粋のニート野郎、皐月叶人は今日も今日とて怠惰な生活を送っていた。
『どもどもアイワズですっ。今日はですねぇ、夏ということもあってこわぁいこわぁい怪談話でもしようかなぁとか思っちゃったりしてます!』
携帯端末片手にやはり今日も動画を見つめる皐月。画面の中の配信者は、どうやら怪談話を始めるらしい。
『どうやらここ最近、学園都市では同じ顔をした女の子があっちらこっちらで目撃されているようです……。ドッペルゲンガーが大量発生でもしたんですかねぇ、怖い怖い』
ピエロの仮面を被ったアイワズという配信者は身を震わせるが、その奇妙な仮面のせいでイマイチ感情が伝わってこない。
(同じ顔の人か……。でも、世界には自分と似た顔の人間が三人はいるっていうからなぁ。そんなドッペルゲンガーなんて非存在がいる確率は少ないか)
ましてやここ、学園都市だし。
と、その動画の真実を冷静に判断してしまった皐月であった。
アイワズという配信者のプロフィールはあらかたわれている、というよりか自分でさらけ出している。学園都市に住む学生で、年齢不詳。声の性質的に男とも女とも取れるため、性別は不明。毎日動画を投稿し、コンビニアルバイトくらいの給料は稼いでいるらしい。そんな配信者に、皐月の心は釘付けになっていた。
(にしても……この部屋暑いな。クーラーガンガンのはずなんだが……)
八月十八日はとてつもない暑さになると、ニュースでもやっていた気がした。それでも、さすがに暑すぎるとクーラーのリモコンを操作する。しかしどうやら、一定の温度までいくと、それ以下の温度に設定できないらしい。この場合、元々の性能が悪いのではない。
もはやこのクーラーは壊れているということだ。
クーラーを消し、窓を全開に開ける。そして今度は、近くに置いてあった扇風機のスイッチを入れた。
(充分。こっちの方がむしろ涼しいかもな)
クーラーが壊れているのは正直痛手である。新しいのにしてもらわねば、と心に決めた。
涼しくはなったが、今度は喉が乾いてきた。玄関近くにおいてある冷蔵庫の元まで足を運び、ガチャッ!と扉を開け、中身を確認する。
(何も入ってねぇ……)
それも仕方ない。夏休みに入ってからというもの、彼はほとんどといっていいほど外に出ていない。食料調達をしに週に一回ぐらいの頻度である。
「仕方ない。久々外に出るか……」
なので、しぶしぶ外に出ることを決意した。
2
カチャッ……ゴク、ゴク。
部屋を出てからまだ数分しか経っていない。だが、あまりの暑さに皐月は早速へばってしまっていた。
(近くに公園があって良かったぁ……)
近所の公園のベンチによりかかりながら、缶ジュース片手に一息つく。
まさか、こんなにも外の世界が暑いだなんて思いもよらなかった。黒い半袖Tシャツに黒い長ジャージを着こなしてきたのも、熱を吸収しやすいため仇となっていた。
(あぁーぶぉーあぢぃいい……だから外になんてでたくながっだんだよぉ……)
空を見上げると、そこには雲一つ無い美しい景色が広がっていた。太陽の光がガンガンに地上を照らす。
「あれ、カナ兄じゃん。何してんの??」
聞き慣れた声が、聞こえてきた。確かこの声は、茶髪暴力中学生の声のはず……。
「っておい。何無視してんのよ!」
ガンッ。鈍い音が響いた時には、おでこあたりに衝撃が走っていた。
「いってぇぇ!?だから何でお前は挨拶の度にその鞄で僕のことを殴るんだ!?」
「だって、カナ兄が反応しないのが悪いんじゃん」
「あのなぁ……ったく」
怒る気持ちを抑え、もう一度缶に口をつける。
「カナ兄ってさ、毎日何してんの?」
「知っての通り、動画漁り」
「そんなんしてて楽しいわけ?」
「生きがいだからな」
「全く、つまらない人生送ってるわね」
「放っておけ」
皐月は隣に座ってきた御坂には目もくれず、ただひたすらに缶ジュースを飲み続ける。そして飲み終えると立ち上がり、ゴミ箱に缶をシュートしそのまま公園を立ち去ろうとした。
「ちょっと、カナ兄。最近冷たくない!?」
公園の出入り口付近でいきなり服の裾を掴まれた。
「僕はいつもこんなんだぞ」
「いや、絶対変わったね!高校生になる前はもっと相手してくれた!」
「じゃあちょっと遅めの反抗期ってことで」
「何で私に反抗するわけ!?」
「だって、お前僕の保護者なんだろ」
「うぐぐ……っ。こういう時だけ!!」
ぷいっ、とそっぽを向く御坂を横目に今度こそ皐月は公園を出た。
3
公園を出てから数十分といったところか。スーパーの特売品を買いまくり、大量の缶ジュースと食料が入ったレジ袋を両手に皐月は先ほど立ち寄った公園に来ていた。だが、今回は入らない。寄る予定はない。なかった。
そのはずだった。
「……、」
おかしい。あれから数十分……いや一時間近くは経ったはず。なのになぜ、
(人違いか……?いや、あれはまさしく美琴……だよな)
様々なことに無関心な彼だが、幼馴染みが関わっているからか、今回に限っては興味を示してしまった。
「まだいたのかよ」
すぐ側まで近付き、話しかけた。
「まだ、とは何ですか?私はさっきここに来たところですよ。とミサカは嘘偽りない真実を告げます」
ん?何か変だ。なんだろう……この感覚。さっきまでなかったゴーグルを頭に付けてるし、それに口調もおかしい。まるで、姿形は本人だけど中身がまるまる入れ替わってしまったかのような、違和感。
「お前……御坂美琴……か?」
皐月は思わず聞いてしまった。
「いえ、ミサカは『
どういう事だ……一体。
皐月の頭の中を掻き乱す発言が飛んできた。こいつは御坂美琴ではない。それは分かった。一応幼馴染みである身として、そこだけは確実だ。でも、なんだ。オリジナルってなんだ。仮にも、あいつに妹がいたとしよう。いや、そんな話一度も聞いた事はないのだが。妹にしては似すぎていないか?気持ち悪いくらいに。双子の妹ならまだしも。いや、そうだとしても。これは出来すぎている。完成し過ぎている。
気持ちが悪い。
「おおっと!!こんな所に……っ!!」
ザザザザっ!!アスファルトを蹴る音と共に、もう一人の茶髪少女が登場した。
「ちょっとアンタ!何やってるのよこんな所で!?」
「気分晴らしに散歩を。とミサカはスーハースーハーと胸いっぱいに深呼吸をします」
「勝手に出歩かないでよねもう!……って、ゲッ。何でアンタもいんのよ……!?」
どうやら気づいていなかったらしい。いやはや、全身真っ黒なんだから気づいてくれよ。こんな炎天下の中こんな格好でいるのはバカなんじゃないかと突っ込んでくれよ。
「おい美琴……こいつ、何だ?」
率直に聞いてみた。
「ええっと何だと言われましても……。あっ、あれよ!私の従姉妹なの!紹介が遅れて悪かったわね!」
「ふぅん。従姉妹……ねぇ」
「何よっ!?疑ってるの!?」
「いや別に」
こいつ、何か隠してるな。そう思ったが、それ以上踏み込むのはやめにした。
皐月はふと思い出す。『アイワズ』の今日の動画のことを。
『どうやらここ最近、学園都市では同じ顔をした女の子があっちらこっちらで目撃されているようです……。ドッペルゲンガーが大量発生でもしたんですかねぇ、怖い怖い』
まさか、あの動画はこれの事を言っていたのでは……。
「あ!アンタ達、喉乾かない?私が買ってきてあげるよ」
頼んでもいないのに御坂は颯爽とこの場を離れ、公園を出て少し先にある自販機の方へと走っていった。皐月と茶髪少女は立っているのもなんなので、ベンチに座って待つことにした。
「ふぅむ……。まぁあいつがああ言ってるなら従姉妹って事か」
自分の中で一旦整理し、
「僕の名前は皐月叶人。御坂美琴とは昔からの腐れ縁。よろしく」
そっ、と皐月は茶髪少女に手を差し出した。
「ミサカの名前は……御坂花子です。と、ミサカは腑に落ちない気持ちを露わにさせながら握手に答えます」
そういえば、皐月を見た瞬間に御坂は同じ顔をした少女にボソボソと何かを話していた。
(あれは口合わせ……か)
何かを隠しているのは最早バレバレなのだが、きっと今は語りたくなはないのだろう。皐月はあまり興味も無いのでこれ以上はこの件について考えるのをここでやめようとした。
そして、皐月と御坂花子(?)の手が触れ合う。
お互いがお互いの手を握った瞬間に、それは起きた。
カッッッッッッッ!!!!!!!!!
という、弾ける音と共に眩しい光が皐月を襲った。突然の閃光に思わず目を瞑る。
「……っ?」
ゆっくりと、瞼を持ち上げる。
「……ぁあ」
自身の手元を見る。その右手は確か、少女の華奢な右手を掴んでいた、はず。だがそこにあるのは、ベチャベチャに血まみれになった己の右手。
「戦闘態勢に入ります」
目の前の少女から、恐ろしく低いトーンで声が聞こえてきた。
「ちょっと待てっ!!!!違うんだ!!」
少女がそこから離れようとする所を見て、皐月は咄嗟に、反射的に右手を少女へ伸ばしていた。
その行動が、全てを一転させた。
指先が、少女の首元へ。
先程の閃光は起きなかった。
しかし、
「あ。……あぁ……うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!???」
気づくと、首から先と、右手首の無い少女の身体がそこに転がっていた。
ポツ、ポツ、と。
急に天候が悪化し、雨が降り始めた。
「なんだ、なんだよ、なんなんだよこれぇぇ!!??僕が!?僕が……ッ!!僕がやったっていうのかぁぁぁぁっ!!!!!?????」
と。
後方の方で、雨の音に紛れて、何かが落ちる音がした。それは、缶ジュースが落ちた音に似ていた。
ゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、よく知る幼馴染みだった。さっきまで喋っていた女の子と同じ顔をした、腐れ縁の少女である。
凄い顔をしていた。まるで、親を殺された瞬間に偶然立ち会ってしまったかのような。絶望の形相。
「何してんの……アンタ」
今にも消え入りそうな声で呟く。
「違うんだ……違うんだよぉっ!!僕じゃない……こ、この右手が勝手にッ!!」
一歩一歩、皐月へ近づいていく御坂。
それから逃げるかのように一歩一歩、後ずさりする皐月。
「とりあえず、話を聞くね」
バチバチバチッ!!
御坂の背中から青白い光が散っている。知っている。あれは……あれは……!!
「一応、ね。死なない程度にはさ、力抑えるからさ……大人しくしよっか?」
「だから……だから!!違うんだってぇ!!!!!!!!」
皐月は、逃げ出した。あの少女に背中を見せてはいけないことを知っていてなお、彼は走り出す。
「そっか。逃げるんだ。じゃあ、仕方ないね」
少女の手の中にあったコインが、綺麗な音と共に宙を舞う。そこから繰り出される何かを、皐月は知っている。その行動を、仕草を、彼は知っている。これから放たれるモノ。それが、彼女の異名の発端となったことも。
(
ギュウィィィィィィィィィン!!!!!!!!
宙を舞ったコインが、電撃に乗って放たれた。あれを食らったら、身体が粉々になってもおかしくはない。
ふと、一つの考えが皐月の頭をよぎった。
茶髪少女の右手は、首は、なぜ吹き飛んだ?
そういえば、右手に触れた瞬間に吹き飛んだ。もちろん、彼は無能力者だ。そんな能力を持ち合わせてはいない。だが、この原理からいったら。右手に触れることがトリガーだとしたら。
「死んだら死んだ、そん時だ」
後ろから迫り来るコインに向かって右手を突き出した。
刹那。
強烈な破裂音が公園に響いた。
そして、眩い閃光があたりを包む。
次に御坂が目を開けた時には、少年の姿はどこにも見当たらなかった。