━11年前、マリンフォード━
「コラさん、この家が…?」
「ああ。センゴクさんの家だ。ロー、ここが今日からお前の家になる。」
中心街からはやや離れた場所にある、一兵卒やその家族らが住む区間とは一線を画する閑静な住宅街。ここは、将校たちの中でも中将以上の者とその家族らが住む区間である。
そこの中でも一際大きな門構えの、ワの国風の木造平屋の一軒建て。
その門の前に、2人の人影が立っていた。1人は白いモコモコのファーで出来た帽子を被った少年、もう1人はシンプルな白いシャツと黒のパンツ姿だが、体中包帯だらけで松葉杖を付いた、身長3mは超えるだろう大男。
少年の名は、トラファルガー・ロー。
かつては大切な者たちを失った事への絶望と、世界政府への憎しみから世界を滅ぼしたいとさえ願っていたが、傍らの青年へと心を開き、また自身を蝕む不治の病“白鉛病”を完治させられるかもしれない、という希望を得てからは少しずつ年相応の姿を取り戻しつつあった。
そして、その隣にいるのが、“コラさん”こそ“コラソン”としてドンキホーテ・ファミリーへと潜入していた海兵、ドンキホーテ・ロシナンテ。
ドンキホーテ・ファミリーボス、ドンキホーテ・ドフラミンゴの実弟だが、幼い頃に実の父を殺した兄への恐怖で逃げ出したところを当時海軍本部の中将であったセンゴクに拾われ、養子として育てられた。やがて自身も海兵となった彼は、海軍本部の中佐に登り詰め、そして生き別れになった兄‐ドフラミンゴの暴挙を止めるべくドンキホーテ・ファミリーへと潜入。そこで海軍に情報を流していたが、ローと出会い、紆余曲折の末に彼の病を治す為にローを連れてファミリーを出奔。その過程でローと親子のような絆を得た。
ロシナンテは、生きて帰って来れた、という感慨深いような顔をしているが、ローの顔色は冴えない。
“オペオペの実”を食べ、海軍に“保護”された事でローの未来は決まってしまった。自身の能力で“白鉛病”を完治させた後は、15歳になるのを待って強制的に海軍に入隊する事となったのである。
本来は完治次第入隊させられる筈だったが、ローの後見人となったセンゴクが世界政府の上層部に“待った”をかけたのだ。これまでの闘病によって削られたローの体力等を考慮し、ある程度体が成長して鍛えられるまで待つべきだ、と。
ロシナンテの一件で多少立場が悪くなった時期もあったセンゴクだが、さすがの世界政府も海軍本部の中でも指折りの実力者であり“大将”への昇格は確実、まして未来の“元帥”候補であるセンゴクを降格させるような真似は出来なかった。結果的に、ガープやクザンらの同意と、何よりも現元帥コングの後押しもあってセンゴクの意見が通り、ローの正式入隊は15歳の誕生日を待つ事となり、そのままセンゴクが後見人となったのである。
後見人となり、また実際に顔を合わせた時に自身の故郷であるフレバンスへの仕打ちについてローに向かって頭を下げ、全面的に世界政府側の否を認めたセンゴクの事は嫌いではない。ロシナンテを育てただけあり、その真っ直ぐさにも好感が持てた。
ロシナンテとセンゴクのような海兵を知った事で、全ての海兵が腐っているとは、今のローはもう思わなかった。本当に憎いのは世界政府の上層部とフレバンスを捨てて自分たちだけで逃亡を図った王族の人間である。
しかし、これまで嫌悪していた組織に強制的に入隊させられると知り、はいそうですか、と納得出来る程大人でも無かった。
「?どうした、ロー。」
微妙な顔をしていたローに気付いたロシナンテがローを見下ろすが、首を振って誤魔化す。
「いや、何でもねェよコラさん。」
目の前の恩人にだけは言う訳にはいかなかった。
ロシナンテはローの為に任務を一時放棄し、“オペオペの実”を盗んだ。最終的に“オペオペの実の能力者”であるローを無事に“保護”という名目で懐に入れる事が出来たからこそ懲戒免職を免れたものの、全くのお咎め無しという訳にはいかず、3ヵ月の謹慎処分と三等兵への降格。これまで築き上げた実績は完全に“無”となってしまったのである。
まして、漸く退院出来たとは言え今日まで入院していた重傷者である。無用な心配をかけるのは本意では無い。そんな彼に、海軍に入りたくないとは言えなかった。
ロシナンテに悟られない程度に軽く溜息を吐きつつ、ローが促す。
「さっさと中に入ろうぜ、コラさん。いつまでもここに突っ立ってたって仕方無ェんだし。」
そう言い置いてスタスタと門を潜ってしまうローに、首を傾げながらもロシナンテも続いた。
ガラガラガラ…
「おお!やっと来たか!!」
玄関の引き戸を開けた途端に響いた声に、ロシナンテが一瞬呆気に取られる。
「ガ、ガープ中将!?何故ここに??!」
目の前に立っていたのは、自身の養父であるセンゴクの新兵時代からの腐れ縁、“英雄”と名高いモンキー・D・ガープ中将だった。ローも1度顔を合わせた為、見知った相手ではある。センゴク同様、“フレバンス”の一件について謝ってくれた。
「何じゃ、センゴクから聞いとらんのか?」
「な、何をですか?」
ガープの方が意外そうな顔を見せた事に驚きつつ、否定する。
「わしもこれから遠征に行かねばならなくての。その間お前たちにターニャを預かってもらおうとした訳じゃ。センゴクの奴は自分からロシナンテに言っておく、と言っておったが、本当に聞いとらんのか?」
「そう言われれば、センゴクさんが演習に出かける前に“大事な預かりもの”があるから早く家に帰れ、と言っていたような…。」
出がけにトラブルが起こったらしく、珍しくバタバタと出かけて行ったので肝心な事を言い忘れていたのだろう。
「たぶんそれじゃろうな。あいつももっと分かりやすく言ってやれば良いものを…。」
「ははは…。それよりターニャはどこに?」
呆れたように呟くガープに苦笑しつつ、ロシナンテが肝心のターニャの居場所を尋ねる。
「うむ。実は今病院におっての…。」
「病院に?風邪でも引いたんですか?」
珍しい、と言いたげなロシナンテの言葉に、ガープが一瞬言葉に詰まった。
「いや、そういう訳でも無いんじゃが…。お前が任務に出とる間に色々あっての…。実は今、ターニャは定期的に病院でカウンセリングを受け取るんじゃよ。」
「カウンセリング?」
「詳しい事は言えんが、3ヵ月程前に大怪我をしてな…。その時の事がきっかけで、今男の海兵の姿を見ると怯えるようになってしまってな…。幸い、わしやセンゴク、クザンは平気じゃからロシナンテ、お前も大丈夫じゃろう。」
「大怪我って、もう大丈夫何ですか?!そんなトラウマが残る程の!?」
「怪我はすっかり良いんじゃが、問題はな…。ともかく、わしもそろそろ行かねばならん。お前たちでターニャを迎えに行っとくれ。ターニャには既にロシナンテたちが行くと言ってある。じゃあ、頼んだぞ!」
そう言い置いて足早に靴を履いて出て行ってしまったガープを、黙って見送ってしまったローが呟く。
「相変わらずスゲェ勢いのあるじーさんだな。…なぁコラさん、…コラさん?」
「あ、あァ。何だロー。」
「そのターニャってのは一体誰だ?」
ボケっとしていたロシナンテを仰ぎ見ながら尋ねる。
「ターニャはガープさんの孫娘でな。確か…、今6歳になったトコだったかな?」
「…だったら、早いトコ迎えに行かねェといけねェんじゃねェのか?」
そんな子どもこれからしばらく一緒に暮らさなくてはいけないのは憂鬱だが、そんな年齢では放置する訳にもいかない。一般的に見れば、まだ充分に庇護が必要な年齢である事は明白であるし、それとローの個人的な感情は別物である。
それだけの分別はローとて心得ていた。
「…そうだな。早ェトコ迎えに行ってやんねェとな。行こうぜ、ローってイッテェ!!!」
まずは自身の疑問よりもターニャの迎えを優先したらしいロシナンテが踵を返そうとし、見事に松葉杖を滑らせてビタンッ!と勢い良くスッ転ぶ。相変わらずなロシナンテに溜息を吐きつつ、ローは黙って手を貸した。
何とか病院に辿り着くと(ロシナンテはそれまでに3回転んだ)、目的の子ども‐ターニャは待合室で行儀良く座っていた。
この時の事を、ローは11年経った今も、嫌に鮮明に覚えている。
ロシナンテを見付け、こちらに駆け寄ってくる子どもの顔には、全く感情が浮かんでいなかった。
そんな人間をローは以前にも見た事があったのだ。ローの父親は国1番の医者であったから、毎日様々な患者が父を頼ってきた。
その中に、精神的なショックがきっかけで表情を変えられなくなってしまった少年がいた。表情筋が麻痺しているという訳では無く、何も感じていない訳でも無い。ただ、感情が表に出なくなってしまったというケースだった。
目の前に立つ子ども‐ターニャはその時の少年を連想させる。
恐らくは、元々感情豊かな子どもだったのだろう。ロシナンテは子どもの予想を超えた様子にショックを受けているらしく、ローの隣で固まってしまっていた。
「ロシナンテさん…?」
そんなロシナンテに、ターニャも困惑している様子だった。表情は変わらないが声にそれが表れており、目にも微妙な感情の変化が見て取れた。
“心”まで閉ざしてしまった訳では無い。ただ表に出てこないだけ。これならばまだ間に合う。
ローが1歩前に出る。
「おれはロー。トラファルガー・ローだ。お前は?」
そんなローに目を向け、1つ瞬いたターニャは、表情は動かないものの目だけはその感情を如実に表していた。困惑したような様子から、どこか安堵したような光がその目に宿っている。
「モンキー・D・ターニャです。初めまして。」
それが、後に義兄弟としての契りを結び、無二の絆を得る2人の出逢いだった。