落第騎士の英雄譚  兇刃の抱く野望   作:てんびん座

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余談ですが、誤字報告は機能が一新されて以来、本当に助かっています。流石は運営。


どうせみんな修羅になる

 目を奪われる――その言葉の意味を、一輝は身を以って思い知らされていた。

 

 昼食にカレーを作る刀華の手伝いを買って出た一輝は、持ち前の家事スキルを発揮して彼女の料理を手伝っていた。その途中、野菜を切り終えた一輝は不意に刀華の後ろ姿から視線を外すことができなくなってしまう。

 自分でもなぜなのかわからない。しかし直感的な何かがこの光景を見過ごしてはならないと警告してきたのだ。

 

(なぜだろう……まるで吸い込まれるような……)

 

 気が付けば一輝は、料理のことを完全に忘れて刀華の後ろ姿を観察していた。一輝の鍛え上げられた眼力が働き、彼女から何かを読み取ろうとしている。

 では、一体何を? それは当の本人である一輝にもわからず、ただ困惑することしかできない。

 そしてその観察眼の精度は戦闘時のレベルまで徐々に引き上げられてゆく。視覚から得られる情報だけでなく、五感を駆使してあらゆる情報を読み取ってゆく。そして一輝の集中状態が極限まで深まり――

 

「東堂さんを視姦しているんですか?」

「違うよっ!?」

 

 一瞬で霧散させられた。祝の涼し気な囁き声が耳元にかけられる。

 全く気付かなかったその気配と唐突に声をかけられたこと、そして何よりまるで自分を痴漢呼ばわりするかのような言葉に、一輝は思わずその場を飛び退いていた。

 しかし一輝の言葉にも祝は疑わしそうにこちらを見やるばかりで、全く信用している様子はない。

 

「違うも何も、さっきから東堂さんのお尻をずっと眺めていたではないですか。男の本能というものは私も理解できますけど、流石に白昼堂々というのはちょっと……」

「いやいやいや! 本当にそういうのじゃないから!」

「でも車の中でも私のことをチラチラと眺めていましたし。実は黒鉄って見境のないタイプなんですか?」

「ちょ、本当にちょっと待って! それは誤解だから!」

「きゃーらんぼーされちゃうー……ってステラさんに聞かれたらどうなるんでしょうね」

「それは本当に死ぬからやめてッ!!」

「――黒鉄くーん。どうかしましたかー?」

 

 必死の反論をしたせいで声が大きくなったためか、刀華が心配してこちらの様子を伺ってきた。

 そこで一輝は今度こそ我に返る。そうだ、自分は料理の最中ではないか。

 再起動した一輝は小走りで野菜を刀華に届けた。すると「後は一人でできますから」と刀華が料理番をしてくれるとのことだったため、これ以上自分がすることもないと判断して休憩させてもらうこととした。

 すると飯盒で米を焚いている御祓がこちらに手招きしていることに一輝は気が付いた。その傍には祝の姿もある。一輝は嫌な予感がしながらも禊祓の下へと向かった。

 

「やあやあ、後輩クン。疼木ちゃんから聞いたよ? どうやら刀華の大きなお尻をガン見していたようで」

「エロスも大概にしてくださいね、黒鉄」

「……疼木さん、だからあれは違うって言ったよね? 確かに何も言わずに東堂さんを見ていた僕も悪いけど、本当に疚しい気持ちがあったわけではないんだ」

 

 祝への苦手意識を感じながら、しかし学生騎士から変態にジョブチェンジさせられては堪らないと再び弁解する。

 

「何と言うか……不思議と東堂さんに目を奪われてしまったんだ。上手く言葉にできないけど、その、ああして料理をしている東堂さんの姿から目を逸らしてはいけないような気がしてしまって」

「そうですかね?」

「……へぇ? それはそれは」

 

 一輝の言葉に、祝は怪訝そうな顔で刀華へと視線を向けた。

 その一方、御祓は何か感じるところがあったのか一輝の言葉を聞くと感心したように頷いてみせた。

 

「流石、と言うべきかな後輩クン。刀華の姿を見てそれを感じ取るとは。君は本当に凄い」

「えっ?」

「……?」

 

 キョトンとする一輝と祝。

 そんな二人を面白そうに見やると、飯盒に目を戻しながら御祓は語り出した。

 

「あの立ち姿に何かしらを感じたんだろう? それは正しいってことさ。刀華のあの姿こそが、その強さの源泉みたいなものだからね」

「料理が強さの源泉、ですか」

「料理というより、誰かのためにっていうその姿勢かな。昔から刀華はそうだった」

 

 “昔から”という言葉の通り、御祓と刀華と貴徳原はかなり古い付き合いであるらしい。

 というのも、御祓と刀華は貴徳原の実家が経営する児童養護施設『若葉の家』に引き取られていた孤児だったのだ。御祓によれば、三人の繋がりはここから続いているのだとか。

 

「へぇ~、三人とも幼馴染というやつなんですね」

「はは、まあね」

「……あの、不躾な話だということは承知しています。でも御祓さんが良ければなんですが、さっき言っていた東堂さんの強さの源泉というのが何なのかを教えてもらえませんか?」

 

 僅かばかり逡巡した一輝だったが、やがて意を決したように御祓へ踏み込む。

 孤児院時代のことを尋ねるのは、人によっては充分に踏み込まれたくない過去だろう。その頃のことを尋ねるのは一輝としても心苦しかったが、どうしても気になってしまった。自分が無意識に感じ取ってしまった、東堂刀華という少女が持つ強さの源泉というものが。

 

「そう、だね。いいよ、教えてあげる。じゃあ、後輩クンたちは児童養護施設って聞くとどんなイメージだい?」

「……身寄りのない子供たちを引き取って育てる施設でしょうか?」

「右に同じです」

 

 言葉をなるべく選んだ一輝。

 それを悟ったのか、御祓は少し表情を緩めた。

 

「そりゃそうなんだけどね。でも、言葉の上での定義と現実はだいぶ違う。身寄りがないっていっても、親が死んだり捨てられたり……中には虐待を受けて殺されかけた奴だっていた。そいつは役所の力で親元から引き離されて『若葉の家』に来たんだったかな」

 

 御祓は回顧する。

 当時の『若葉の家』は、そういった複雑な過去を背負う子供が多かった。当然ながら子供たちは張り詰めた空気を互いに纏い、施設はお世辞にも穏やかな雰囲気とはいえない状態だった。いつしか刃物のように意識を尖らせた子供たちが、些細なことでもその刃で傷つけ合うようになっていたほどに。

 その中で異彩を放っていたのが刀華だった。

 複雑に絡み合った子供たちの悪意を一つ一つ解き、緩め、施設の中から争いを少しずつ取り除いていったのだ。

 

「親に殺されそうになった奴も刀華に救われた口さ。どこまでも壊れていて、追い詰められるあまり他の子供に乱暴ばかりしていたそいつも等しく助けられた。刀華が見捨てずにずっと手を差し伸べてくれていたから、そいつは人間らしさってものを取り戻すことができた。きっと刀華がいなければ、そいつはそこから碌な人生を送ることもできなかっただろうね。だからそいつは今でも刀華に感謝しているし、世界の誰よりも大好きなのさ」

「…………」

 

 その壮絶な過去に一輝は口を開くことができなかった。

 刀華の過去についてだけではない。ここまで語られれば流石の一輝にも理解できる。その親に殺されかけた子供が誰なのかということに。

 あの祝でさえも御祓の放つ空気を読み、その口を噤んでいる。

 

「そいつがある時、刀華に聞いたんだよ。どうして刀華はそんなに強く在ることができるのかってね。刀華は両親を事故で亡くして施設に来た。辛くなかったはずがないのに、どうして皆に優しくすることができるんだって」

 

 今でも御祓はその時の刀華の力強い笑顔を思い出すことができる。

 その時の彼女の笑顔は、禊祓が今までに見た何よりも美しく、気高く、そして優しかった。

 

「自分は今まで、たくさん両親に愛してもらった。たくさんの愛情と笑顔を貰った。そしてそれは今でも自分を支えてくれている。だから今度はその支えに自分がなりたい。自分の両親が自分にしてくれたように、皆の支えになれるような思い出を作ってあげたい――刀華はそう言っていたよ」

 

 そしてそんな彼女の思いは、年月が経った今でも全く色褪せていない。

 刀華は今でも『若葉の家』に希望と勇気を届け続けている。自分たちのような身寄りのない子供であっても、努力すれば国内でも有数の伐刀者になることができるのだと、立派な人間になることができるのだということを証明し続けている。

 だからこそ彼女は強い。その身に子供たちの夢と希望を背負って前に進む限り、彼女が挫けることはない。そしてその他者を圧倒するほどの意志は、何人(なんぴと)であろうとも砕くことができないのだ。

 

「後輩クン、君は確かに強い。ボクなんかじゃ逆立ちしても勝てないし、カナタでも厳しいだろう。でも刀華は負けないよ。君が何のために剣を振るい、どんな過去を辿ってきたのかをボクは知らない。でも彼女が背負っている子供たちの期待と希望よりも、君が背負っているものの方が重いとは思えないんだ」

「…………」

 

 ぐうの音も出ない。

 刀華の背負うものに一輝は完全に圧倒されていた。他者のために闘うことができる優しい魂を持つ彼女は、誰かのために闘う時にこそ最大の力を発揮する。

 子供たちや御祓の思いを背負っている彼女の刃――そんな重い剣に比べ、自分の剣の何と軽いことか。期待に応えようと輝く彼女の魂が眩しい。自分の意志と信念を通すと聞けば聞こえはいいが、実際は己のエゴのためだけに他者を蹴り落としているだけの卑しい魂が高潔な彼女に勝るなど一輝には到底思えなかった。

 黙り込む一輝から視線を外した御祓は、続いて祝へとそれを移す。

 

「疼木ちゃん、勝てないってのは君もだぜ?」

「はい?」

 

 挑発的な御祓の言葉に、祝はキョトンと首を傾げる。

 漆黒の瞳が御祓を呑み込むように映し出し、暗闇に魂を吸い込まれるかのような錯覚が御祓を襲う。それを内心で恐ろしく思いながらも、御祓は不敵な態度を崩さない。

 

「去年の七星剣武祭で準決勝で《浪速の星》に敗れ去り、刀華は君の待つ決勝に辿り着くことができなかった。でも今度こそ刀華は七星の頂に立つ。この一年、子供たちの期待に応えるために刀華は徹底的に自分を鍛え直してきたんだ。君も成長しているんだろうけど、今の刀華の剣はそれ以上に重く、鋭く成長している。正直なところ――全く負ける気がしないよ」

 

 七星剣王に対し、それはあまりにも大言壮語。

 去年、刀華は祝と闘うことすらできなかった。だというのに、その選手の身内の言葉であろうともこれほどの大口を叩いてみせるとは。下手をすれば身の程知らずと言われてもおかしくはない。

 だが、ここに御祓の狙いがあった。この挑発には祝はどのような反応を見せるのか、それを知ることで祝の器を見定めてやろうという、ちょっとした悪戯のようなものだ。果たして七星剣王である彼女はどう答えるのか。例え七星剣武祭に出場する意思がない御祓個人としても、同じ学生騎士の一人としては興味が尽きない。

 馬鹿にされたと不機嫌を露わにするのか、小物の戯言と嘲笑するのか。あるいは豪快に笑い飛ばし、その余裕さを見せつけてくるのかもしれない。

 それを瞬時に悟った一輝も注意深く祝を観察する。自分に修羅がどのようなものであるのかを教えてみせた彼女が、自分が窮したこの難題にどう解答(こた)えるのか。自らが感じてしまった憧憬の道の果ては、一体この難題に何を感じるのか。それを知りたいがために、心持ち身を乗り出すようにして祝の言葉を待ち構える。

 そして……

 

 

「う~ん……この話、やめましょうか」

 

 

 ニパッと、花が咲いたように祝が笑う。

 祝のその言葉は、雰囲気が悪くなった場の空気を入れ替えようと意図したり、答えに窮したためにお茶を濁した――というわけではないことを御祓と一輝は一瞬で理解させられた。

 なぜならその笑顔とは裏腹に祝が放つ気配は思わずゾッとするほどに寒々しいものだったからだ。細められた目から覗く黒い双眸からは、一輝と御祓を圧殺せんとするほどの負の感情が発せられている。

 その言葉は決して提案などではなく、この少女による決定であり命令でしかなかったのだ。その絶対的な言葉に、御祓の精神は抵抗もできず屈服する。

 

「そんなことよりも、御祓さん。お米の焦げる匂いがしますし、そろそろ蒸した方がいいのではないでしょうか? ……ほら、御祓さん」

「え、うん……ああ……」

 

 どこか呆然としながら、御祓は火元から飯盒を離す。

 この後は飯盒をひっくり返して蒸らしの作業に入るのだが、禊祓は全く作業に集中できていない。まるで祝の言葉に操られたかのようにフラフラと手を動かし、ともすれば意識すらも曖昧になっているのかもしれない。

 その姿を一瞥すると、祝は何も言わずに踵を返した。その背中を見てようやく硬直から回復した一輝は、咄嗟に祝のその背中を追いかけていた。理由はわからない。しかし刀華の後ろ姿を眺めていた時と同じく、これもまた何となく彼女を追いかけなければならない気がしたのだ。

 

「疼木さん、あの……!」

「何ですか?」

 

 振り返った祝は、薄い笑みを浮かべながら首を傾げた。そこには先程の寒々しさはない。

 一輝は言葉に詰まってしまう。声をかけてみたのはいいが、一体自分が何を彼女に話そうとしていたのか、それが自分にもよくわからないためだ。逡巡する一輝を不思議そうに見やり、祝はますます首を傾げる。

 

「黒鉄?」

「ああ、うん……何ていうか。さっきの疼木さんが、何だか怒っているみたいに感じたから。僕が機嫌を損ねてしまったのなら謝ろうかと思って」

「あぁ、なるほど」

 

 得心がいったように頷いた彼女は、「別に貴方に怒ってはいませんよ」と笑った。

 

「ただ、ああいう話は凄く嫌いなので。つい無理に打ち切ってしまいました」

「ああいう話って?」

「御祓さんが話していた剣の重さがどうとか、そういう話です。心底“どうでもいい”と思っています」

「……えっ?」

 

 一輝は思わず耳を疑った。

 どうでもいい――目の前の少女はそう言ったのだ。御祓の語ってくれた刀華の強さの源泉についての話を、刀華が剣を取るに至った崇高な動機を、彼女は一輝の目の前で吐き捨てるかのように。

 そこで一輝は先程の祝の寒々しい視線に含まれた感情を、全身から発していた気配の正体を悟った。

 

 

 ――周囲を押し潰すかのような“倦怠感”。

 

 

 拒絶と無関心――それが祝の答えだった。先程の禊祓の話に対して、いっそ無慈悲なまでに祝は興味を持っていない。そして退屈な空気に不機嫌となった祝が一輝と御祓を圧迫していたのだ。

 これには流石に温厚な一輝であっても眉を顰めてしまう。御祓も同情してほしいがためにあの話をしたわけではないだろうが、その発言と態度はあまりに失礼だ。

 

「疼木さん、そのどうでもいいという言葉は、いくら何でも御祓さんや東堂さんに失礼だ。本当にそう思って御祓さんの話を終わらせたというのなら、彼に謝ってきた方がいい」

「なぜです?」

「えっ? な、なぜって……」

 

 夜空のように暗く、しかしどこまでも純粋な黒を魅せる祝の瞳が一輝を射抜く。

 まっすぐに返された祝の言葉に一輝は思わずたじろいだ。理由を問われるまでもなく、それが人としての礼儀だからだ。自分の過去をどうでもいいと切り捨てられれば、人は当然ながら不快感を示すだろう。それは誰だって同じはずだ。

 ましてや刀華と御祓は騎士だ。騎士が剣を取る理由を他者がぞんざいに扱うのは、その騎士に対して最大の侮辱と言える。

 それを彼女は“なぜ”と返してきた。逆に一輝としては、その言葉にこそ「なぜ」と返したいほどだ。

 

「確かに、お二人に複雑な過去があるということは理解しました。人がどのような理由で剣を取ろうと“自由”ですから、彼女がそういった期待を背負っていることも良いと思います。ですが――」

 

 祝の笑顔が消える。

 その瞳の奥から覗き込む深淵に、一輝は思わず後退りした。しかしその距離を一瞬で詰めた祝は、深淵に僅かでも触れた一輝を逃さない。

 

「その高尚な動機を持っていることがさも強さに繋がっているかのように誇るのは、烏滸がましいにも程があると私は思うんです。誰かのために闘っているから強い――本気でそんなことを考えているのならばそれは“闘争”という概念そのものへの侮辱です。重要なのは闘いたいか否かという意思、そして強いのか弱いのかという純粋な実力、それだけでしょう? ならば個々人の闘う動機を比較し、あまつさえ優劣をつけるなど……無粋にも程がある」

 

 それは御祓の語った刀華の強さの源泉というものを全否定する言葉だった。

 思い返してみれば、彼女の過去について語る御祓を見る祝の目は酷く無機質なものだったような気がする。彼女の言葉が本心からのものなのだとすれば、ずっと彼女はこの恐ろしく濃密な倦怠感を胸の内に隠していたのだろう。

 それが御祓からの問いによって僅かなりとも噴き出した結果があの圧迫感だったのだ。

 

「そういえば黒鉄は、先程の御祓さんの話に窮していましたね。もしかしてですけど、あの“背負うもの”とやらで迷いを抱いたのではないですか? 彼女の重い剣に対して自分の剣は何と軽いのか、という感じで」

「そ、それは……」

 

 心の内を言い当てられた一輝は、呼吸することすら忘れて祝の瞳に視界を吸い込まれる。

 身長差から見下ろしているはずだというのに、一輝の心は逆に遥か高みから見下ろされているかのように感じていた。まるで自分以外誰もいない高原で、星すら見えない黒い夜空を見上げているような……

 

「そんなことを気にする必要はありませんよ。闘いとはもっと純粋で単純なものです。敵を斬るだけの“強さ”があれば剣が軽いか重いかなど関係なく、どれだけ高潔な魂の持ち主であろうと弱ければ死ぬ。当然のことです」

 

 それとこれは忠告ですけど、と祝は纏う気配とは裏腹に可愛らしく表情を怒らせる。

 

「自身の剣の重さを決めるのは自分自身なのだと私は思っています。貴方が自分の剣を軽いと感じているのなら、それは他ならぬ貴方が自分の剣を軽んじているんです。そういうのって、努力を続けてきた自分に失礼だと思うんですよ」

 

 一輝は息を呑んだ。

 思い当たる節があったからだ。先程、自分は刀華の気高い魂を知り、己の魂を卑下してはいなかったか。彼女のように背負うものが何もない自分の刃は軽いに違いないだろうと、どこかで諦めてしまっていたのではないか。

 そんな一輝に、私を見てください、と祝は笑ってみせた。

 

「私には背負うものなど何もありませんよ? 修行のために私は家族や日常や人との関わりを捨ててしまいました。だから期待してくれる人などいません。私は自分の夢のために闘っていますが、それを心から賛同してくれている人を知りません。ですから私が勝っても私しか喜びません。この世界のどこかに私と喜びを共有している人がいるのかもしれませんが、私がその存在を知らない以上は誰も存在しないも同然です。……ほら、私の大鎌なんて誰の意志も期待も乗っていない軽いものでしょう? しかし私は独りでも七星剣王になることができました。なぜでしょう?」

 

 

 ――それは私が誰よりも強かったからです。

 

 

「強いから、誰にも敗けなかったから私は七星剣王になれた。剣が軽かろうと、強ければ自分の意志を徹すことができる。そして武の存在価値は眼前の敵を屠るための“強さ”であることなど明白なこと。だから例え天地が裂けようと、例え神が定めようと他人に私の大鎌は貶めさせません。私の夢と希望しか乗っていないこの欲塗れの大鎌は、しかし東堂さんの剣より遥かに“強い”と私は確信しています。そんな私の大鎌を欲望と野心によって穢れた兇刃だと揶揄するのであれば、私はそれで一向に構わない」

 

 ――まずい。

 全身の産毛が逆立つ感覚に、一輝は猛烈な危機感を覚えた。

 

「背負うものがあるから強いのではありません。剣を取る動機が高尚だから強いのでもありません。信念があるから強いのでもありません。敵に勝てるから強いんです。私も、東堂さんも、黒鉄だって今日この場所に立つまでに多くの敵に勝利してきたはず。だから私たちは“強い”んです。そして禊祓さんが何と言おうと、強い限り貴方にも勝算はある。背負うものの有無や軽重ごときで、私たちの強さは揺るがない」

 

 このままではまずい。知らず知らずの内に聞き入っている自分がいる。祝の言葉に頷いている自分がいる。そして何よりも確信をもって告げられたその言葉を一輝は否定することができない。

 

 

 なぜなら祝の言葉は、一輝の剣と生き様を完全に肯定している言葉だったのだから。

 

 

 一輝は実家では“いない者”として扱われ続けた。伐刀者としての才能が欠けていたから、兄や妹のような伐刀者の教育を受けることが許されなかったのだ。非才の己を父は早々に見限り、それを見た他の者たちも一輝の傍から去っていった。残されたのは、悪意と嘲笑に塗れた地獄のような生活だけ。

 そう、一輝の剣には何も乗っていない。

 誰かの期待に応えたいという思いで剣を振ってなどいない。なぜなら自分に期待してくれる人など、今まで誰一人として存在しなかったから。一輝は今まで、『自分のような非才の人間でも諦める必要はないのだ』という信念に基づいて闘ってきた。曾祖父が齎してくれた希望を信じ、またその希望が偽りではないことを証明しようと足掻いてきた。その信念が正しいと証明できれば、自ずと自分の存在価値を証明することができるから。しかしそれは今日この日まで誰にも認められることはなく、そして自分は一人になった。

 そんな剣が、誰かの期待を背負った剣に勝てるはずがないのだ。

 誰かの期待を得たいがために、認められたいがために、信じていると言われたいがために歩み続けてきた一輝はそう思い込んでいた。

 

 だが、目の前の少女は違った。

 

 認められずとも。期待されずとも。信じられなくとも。

 ただ自分の信念に従って進むだけでも人はこんなに強く在ることができるのだと、この少女は身を以って証明してみせた。例え独りでも、心が折れない限り信念が挫けることはないのだと証明してみせた。

 

「私は強い。私に及ばずながら貴方も強い。そして私も貴方もその力を使いたい。闘いに必要なのは、純粋にそれだけでしょう? それ以外は全て付属品(オマケ)に過ぎないのですから。貴方の迷いは杞憂です。むしろそんなもので剣を鈍らせることこそが、貴方の強さと闘いに対する侮辱ですよ」

 

 一輝の胸の内に何かが込み上げてくる。肉体の芯から湧き上がるこの熱い感情――それは歓喜。

 自分の信念を遂げるまで、誰に理解されることも認められる必要もないと自分の中で必死に言い聞かせてきた。しかし心のどこかではその生き方に疑念を感じ、もっと要領の良い生き方もあるのではないかと逡巡していたことも事実だ。

 だが祝はその生き様に間違いなどないと断言してみせた。それも言葉だけでなく、一輝以上に凄烈なその生き様を以って。

 それが人として外道の生き様であるということは一輝もわかっている。自身の良心と理性は未だに彼女を拒絶している上に、その生き方に果たして未来が存在しているのかは一輝にもわからない。だが、それでも一輝は祝という存在に頼もしさを覚えていた。

 

 ――孤高。

 

 祝の生き様を示す言葉として、ふとその言葉が浮かぶ。

 一輝のような孤独ではなく、彼女は“孤高”なのだ。周囲から除け者にされた一輝と、周囲を除け者にした祝。独りであることを恐れない少女。誰もが望む光の世界を夢のためならば不要と断じ、暗い闇の世界を嬉々として求める修羅。

 

 

 もし……もしも自分もあんな修羅になれば、こんな苦しみを感じずにいられるのだろうか……?

 

 

 一輝にとって、今の祝は夜闇を彷徨い、進むべき道すらもわからない中で輝く月のようだった。

 月の輝きは見る者を狂わせる――そんな話を聞いたことがある。聞いた当初は面白い俗説だと思いながらも一輝は全く信じていなかったが、今ならばその意味が少しだけわかる。一切の光のない静寂の世界で輝く月を見てしまったならば、例え禍々しくともその光に魂を囚われてしまう者がいても不思議ではない。

 眩しすぎる太陽を人は直視することができない。淡く輝く月にこそ人は(いざな)われるのだ。

 

「僕は……僕、()……」

 

 憧憬が膨れ上がり、その色を変えようとしていた。

 声帯を震わせようと、肺から送り出された喉元まで空気が迫る。

 一輝は考えるまでもなく理解させられた。自分は今、祝の言葉へ肯定の返事をしようとしている。彼女の信念に一輝の魂が完全に共感しようとしている。

 それは一輝という人間の在り方を大きく変える意味を持っていた。ここで祝に共感したが最後、一輝は自分の信念のためならば余人を軽んじることが“できる”外道の人間になってしまうだろう。だがそうなれば一輝はこの孤独から解放され、孤高への道へと舵を切ることができる。

 そうすることができたのならば……

 

 

 ――もう、父さんに認められたいと悩むことも……

 

 

 

「イッキー! そろそろお昼ご飯できるってー!」

 

 

 

「――ッ!?」

 

 次の瞬間、鼓膜を震わせるステラの声によって一輝の意識が深淵から引き上げられた。

 勢いよく振り返れば、刀華の隣でステラがこちらへ手を振っている。カレーの鍋からは湯気が揺蕩っており、それを恋々が目を輝かせて覗き込んでいた。

 禊祓と別れてからそれほどの時間が経っていたということに一輝は驚愕する。そして自分が今、一体何を考えてしまっていたのかを自覚して愕然とした。もしもステラの呼び声がなければ、本当に一輝はあのまま深淵に沈み込んでいたかもしれない。

 

「不覚です。食前の運動をするつもりが、お喋りに時間を浪費してしまうとは」

 

 祝の声に一輝は肩を震わせた。

 この可愛らしい声が、円らな黒い瞳が、そしてあの愛らしい笑顔が外道へと一輝の手を引いていたのだ。まるで自分の死角にあるだけで、足元に底の見えない崖が口を開けているかのような恐ろしさ。もしも振り返れば、またあの仄暗い奈落の底から手を伸ばしている祝の姿があるのではないかと一輝は恐怖していた。

 

「行きましょう、黒鉄。食べたらお仕事です」

 

 顔を背けたままの一輝の横を、仄かな柑橘系の香りを残して祝が通り過ぎる。

 長い髪を靡かせて歩き去る祝の後ろ姿を見送りながら、一輝は言い知れぬ恐怖にしばらく立ち尽くすこととなった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 結論から言おう。東堂さんのカレーは大変美味しゅう御座いました。

 このカレーのルーは東堂さんの自家製らしく、今日に備えて作ってきた自慢の一品らしい。流石はオカン属性を持つ生徒会長。これに眼鏡属性、委員長属性、博多弁属性、戦闘狂属性を加え、実はドジっ子属性までも持ち合わせているというのだから、破軍の生徒会長は化け物かと言わざるを得ない。

 

「では、散策の班分けはこれでいいでしょう」

 

 食事の後、東堂さんを中心に山狩りの編成が纏められた。

 これから私たちは破軍学園の持つ山の敷地内を探索し、例の不審な巨人に関する情報を足で集めることとなる。しかし山の中を歩き回るのは伐刀者といえども危険であるため、こうして班を編成して散策しようというというのが東堂さんの提案だった。

 これに異論を持つ人は特にいなかったため、事前に考えていたらしい班編成を東堂さんが発表する。

 まず、東堂・御祓ペア。それから砕城・兎丸ペア、黒鉄・ステラペア、そして私である。貴徳原さんは連絡役兼非常時の予備戦力として合宿所に残るらしい。……うん、何かおかしいよね?

 

「はいっ、東堂さんに質問です!」

「そうですか。それでは皆さん、散開してください」

「えっ、無視?」

 

 人数的に偶数人なのだから、私も班のどこかに組み込まれると思っていればこれである。まさか東堂さんが平然と私を一人で山に送り込むとは。どう考えても悪意を感じる。

 そして何よりも納得できないのが、東堂さんの号令を聞くと誰もが当然のように周囲へ散っていったことだ。ちょっと待って。せめて黒鉄くらいは何か言ってくれると思っていたのに、何なのこの扱いは。私、これでも学生騎士の憧れこと七星剣王なのよ? それをこんな適当に扱っちゃっていいの?

 

「……? 何を突っ立っているんですか? 疼木さんも早く散策へ向かってください」

「ちょ、これって不当人事ですよね! なぜ私だけ一人なんですか? 私の班は?」

「疼木さんは個人で行動した方がいいと判断したが故の班編成です。貴女の気性が集団行動に全く向いていないことは自明の理なので、このまま一人で山に投入してしまおうと考えました」

「で、でも事故とか起こったら……」

「事故? 貴女の“能力”で事故が起こるわけないでしょう? この世全ての伐刀者と比較しても、貴女ほどに事故という言葉と縁遠い伐刀者がいるとは思えません」

 

 え、えぇ……。

 絶賛されているように聞こえるけど、これって皮肉られているよね。東堂さんが言うほど万能な能力でもないのが実態なのですが。実際、逃げ切れない規模の山崩れとか地割れとかが起こったら……うん、その気になればそれでも何とかなると思うけど。

 それと東堂さんが知らないのも無理はないが、私と同じくらい事故と縁遠い伐刀者だっていないわけではない。例えば原作で登場した紫乃宮天音とか。彼レベルになれば、もはや事故に遭う光景の方が想像できない。

 

「……わかりました。疼木祝、これより一人で山狩りに行ってきます」

「はい、どうぞお気を付けて。何かあったら必ずッ、電子生徒手帳で連絡を。報連相を絶対にッ、怠らないようにお願いします。死んでもッ、勝手な行動は慎んでくださいね? 貴女のせいで山が崩れたりしても怒られるのは私なんですから」

「わ~い、信用されていな~い」

 

 もはや清々しいわ。

 というか私でも流石に人様の山を崩すようなことはしない。というよりも、その心配は可愛い後輩を相手にする心配ではないよね?

 するとゲンナリする私を面白そうに眺めていた御祓さんが、私たちの間に入って「まあまあ」と東堂さんを止めた。

 

「刀華、そろそろ行こう。後輩が働いているのに、生徒会長がこんなところで油を売っているわけにはいかないだろ?」

「うたくん、私の話はまだ終わっていないんだけど」

 

 余談だが、東堂さんは御祓さんのことを下の名前から『うたくん』と呼ぶ。

 これが幼馴染の持つ破壊力かと当初は戦慄したものだ。前世の“俺”だったのなら、禊祓さんのポジションを血涙を流して羨ましがっただろう。

 

「はいはい、刀華が疼木ちゃんのことが大好きなのはわかったから。刀華は手のかかる疼木ちゃんを可愛がりたくて仕方ないんだよね。ボクはわかっているから」

「はぁッ!?」

 

 御祓さんの言葉に目を剥く東堂さん。口をガクンと開けて呆然とする彼女を余所に、御祓さんは「わかってるわかってる」と頷きながら優しく微笑んだ。

 

「出来が悪い子ほど可愛い、って言うしね。刀華はオカン属性を持っているから、疼木ちゃんみたいなちょっと駄目な感じの子に母性本能を擽られるんだろ?」

「誰がこいつば好いとっち言ったッ! うたくんばってんそん侮辱は許さなか!!」

「え~、なぁんだ~。東堂さんはツンデレさんだったんですね。普段のお小言も、実は私に素直になれないことの裏返し――」

「ぶち殺しますよ?」

 

 東堂さんの手元に日本刀型の霊装《鳴神》が顕現する。

 紫電と轟音を纏いながら抜き放たれていく刃。冷え切った声と視線。そして本気で闘う時に外される眼鏡を東堂さんが投げ捨てたのを見て身の危険を感じた私は、全速力でその場を退散するのだった。

 

 

 




生徒会長の博多弁(熊本弁?)難しい……
私の地元は方言が殆どない地域なので、訛りのある人に少し憧れます。


なお、原作を知らない人のための解説その弐。
紫乃宮天音とは、原作四巻から八巻で一輝たちに立ち塞がる学生騎士です。
最凶の能力《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》は登場人物たちだけでなく読者すらも混沌の渦に叩き込んだチート能力で、その凶悪さから《凶運(バッドラック)》の二つ名を持ちます。
あらゆる読者に「勝てる気がしない」と言わしめた天音の登場はもう少し予定の後です。

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