落第騎士の英雄譚  兇刃の抱く野望   作:てんびん座

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遅くなって申し訳ありません!


代表選抜戦編
私の大鎌は最強なんだっ!(集中線)


 七星剣武祭は成人した伐刀者たちで行われる大会である。

 

 伐刀者は国によって特別な制度を設けられており、15歳という年齢を区切りとして成人として扱われるようになると法律で定められている。

 よって騎士学校の学生騎士しか参加することのない七星剣武祭は自動的に成人しか参加できないこととなり、それによって14歳以下の伐刀者たちによって行われる大会とは一線を画するルールが存在していた。

 

 それが《実像形態》の使用を許可するというルールだ。

 

 《実像形態》とは《幻想形態》と呼ばれる状態と比較して使用される専門用語だ。

 この幻想形態の状態で魔術や霊装を使用した場合、それらから繰り出された攻撃は人体を傷つけることがない。それらのダメージは疲労という形で被攻撃者に蓄積され、結果的に無傷で敵を制圧することができるようになる。

 《実像形態》はその逆で、魔術も霊装も物理的な作用を以って人体に影響を与える形態だ。よって霊装で人体を切り刻めば血が噴き出し、炎を食らわせれば焼死体が完成する。

 以上が七星剣武祭で行われるルールの主だったものと謂えるだろう。それ以外は尋常な決闘と変わらない。定められたフィールド内で伐刀者が一対一で戦闘を行い、敵を戦闘不能にするか降参させれば試合終了だ。

 そしてそのルールは破軍学園で行われる七星剣武祭の代表選抜戦でも適用されている。

 

 霊装と霊装がぶつかり、戦意が激突したかのように火花を散らす。

 

 場所は破軍学園にいくつも存在する訓練場の一つ。

 アリーナの形状を取るそれらの一つの中央で、今まさに一つの決闘が行われていた。それを擂鉢状に囲むような形で配置された客席から歓声が上がり、場は熱気に包まれる。

 春を迎え、新学期と共に新たな一年生を迎えた破軍学園は今、七星剣武祭の代表選抜戦に燃えていた。

 新学期が始まったことにより開始された選抜戦。

 これまでの破軍学園になかった形として生徒たちに戸惑いを与えていたが、こうして始まってしまえばそれらの困惑は瞬時に払拭されていた。間近で見られるスリリングな光景、多彩な魔術と武器によって彩られる千変万化の景色、そして超常の異能者である伐刀者たちをして次元が違うとしか表現できぬ実力者たちの闘いに魅せられたからだ。

 行われるのは未だ一回戦。

 選抜戦に参加した有象無象を間引くための前哨戦だ。

 初日の試合は、嵐の前の静けさのように、しかしその強大な力を見せつけるものが見られた。

 期待の新入生(ルーキー)ステラ・ヴァーミリオンはその圧倒的な魔力と火力を見せつけ、相手はその実力差に慄き自ら膝をついた。

 そして無名のダークホースとして黒鉄珠雫という少女の名も挙げることができるだろう。名を聞けば察しが付くかもしれないが、この少女は一輝の実妹である。一年生でありながらBランクという地位を持ち入学してきた彼女は、水を操るという能力を用いて対戦相手を圧倒した。電気を発生させるという相性の悪い上級生を相手に、超純水を用いて全ての攻撃を防ぎきるという離れ業をやってのけたのだ。試合自体に派手さはなく、見応えはなかったかもしれない。しかし彼女が晒した実力の一端は確かに実力者たちの目に留まることとなった。

 そしてもう一人。有栖院凪という男子生徒がいる。

 彼もこの試合によって注目されるようになった一年生の一人だ。彼は『影を操る』という能力を持っている。その能力を用い、上級生を試合開始から10秒で封殺した。“影を縫い止める”という方法で敵を捕縛し、相手に何もさせないまま試合を完封したのだ。ランクこそDと平均的なものの、能力の応用力とその本来の意味での実力は計り知れない。

 

 では、二日目は。

 

 この日、最も注目される試合は誰の者かと尋ねられれば誰もが答えるだろう――桐原静矢の試合であると。

 彼は昨年の七星剣武祭の出場者だった。そしてCランクという高位伐刀者であり、同時に昨年の新入生首席の地位を持つ優秀な伐刀者だ。

 そして彼のもっとも特徴的とされる点が、“勝てない敵とは戦わない”というスタンスである。彼の五感によって自身の存在を察知させることができなくなる能力《狩人の森(エリアインビジブル)》とそれを用いた戦法は対人戦において無類の強さを誇る一方、狙いを絞らない広範囲攻撃(ワイドレンジアタック)などに対して極端に弱いという弱点を持つ。その弱点を桐原自身が最も知っているために相性の悪い相手が対戦相手となった際は戦わずに棄権してしまうのだ。

 その狡猾さと相性の良い相手を一方的に追い詰める狩猟的な戦いぶりから名づけられた二つ名が《狩人》。

 そんな間違いなく強者と呼ばれる部類の選手が注目を集めないはずもない。

 よって誰もがこの試合へと桐原の活躍を期待して見物に訪れていた。

 

 

 その()()だった。

 

 

 しかし今年に限ってはそうはいかなかった。

 対戦相手は黒鉄一輝――桐原以上の高位ランクであるAランクのステラを打倒したFランクという矛盾した存在。

 あらゆる能力値が平均よりも遥かに下回るという抜刀者としては決定的なハンデを持ちながら、それを努力によって覆そうと挑む異端の抜刀者。

 「天才とは持っているものが違うのだから仕方ない」、「努力はしたが、やはり天才には勝てない」という当たり前の道理を真っ向から否定する彼もまた、桐原とは違う意味で脚光を浴びている人物であった。

 

 その試合を多くの者が心待ちにしていた。

 

 ある者は強者たる桐原が、才能の差という運命を遵守して一輝を圧倒する見世物を望んだ。

 ある者は後に己が戦うかもしれぬ者――桐原と一輝の両者を平等にその目で見極めようとした。

 ある者は一輝の奇跡的な逆転を待ち望み、手に汗を握って彼の勝利を祈った。

 あるいは、ただ物見遊山で試合を見物しに来た者も多いだろう。

 様々な動機を持つ者が足を運び、試合が行われる第四訓練場は既に満席となって会場内に熱気を立ち込めさせていた。小さな騒めきがまた一つの騒めきを呼び、やがて全てを呑み込んだ巨大なうねりとなって会場を席巻していく。

 

 そしてその日、人々は魅せられた。

 

 Fランクの伐刀者が、魔術すらもまともに行使できない魔力量しか持たぬ弱者が、武術しか闘う術を持たぬ剣士が、対人戦最強と呼ばれる《狩人》を打倒するという奇跡を。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 やめて!

 黒鉄の《完全掌握(パーフェクトビジョン)》で桐原の人格を把握されたら、《狩人の森》で隠れている桐原の位置が見破られちゃう!

 お願い、死なないで桐原! アンタが今ここで倒れたら、勝ったらステラを彼女にできるっていう約束はどうなっちゃうの!?

 魔力はまだ残ってる! 《一刀修羅》の制限時間を耐えれば、黒鉄に勝てるんだから!

 

 次回、『桐原死す!』――デュエルスタンバイッ!

 

 

 昨日、原作一巻で最高の山場となる黒鉄と桐原の試合があったのだが、中身は概ねこんな試合だった。

 えっ? 大雑把すぎて試合の詳細が全くわからないって? 本当にこんな感じだったから大丈夫大丈夫。実際に桐原が死んでいないところまでこの予告の通りだ。

 見下されていた主人公が強敵を打倒することで周囲から見直され始めるというお約束の展開である。古今東西の物語にありがちなテンプレートと言っても差し支えないだろう。激闘を制した黒鉄には失礼な話だとは思うが、私がこの試合に抱いた感想は以上である。

 まるで見てきたかのように私があの試合を紹介しているのは、実際に観戦してきたからだ。

 私としては剣士と弓手の試合など欠片も興味がなかったため当初は観に行こうなどと全く思っていなかったのだが、ふと「原作通りに筋書きって進んでいるのかな?」と気になったので昨日はちょっと足を運んでみたのである。

 

 いや、別に原作通りだからどうこうっていうわけでははないんだけどね?

 

 しかしここに来て「原作知識というものはどれほど正確なのか」という素朴な疑問が私の中で鎌首を擡げてしまったのである。

 ついこの前の休日、原作によれば学園の近くにあるショッピングモールがテロリストによって占拠されるというアクシデントが起こるとあった。よって私は面倒ごとを避けるために学園から出なかったのだが、その日の夕方にはニュースで本当に事件のことが報道されていたのである。

 このことから私は原作の運命力とも言える力を改めて感じさせられた。そしてそれを利用すれば、いらぬトラブルやアクシデントをいくつか避けることが可能なのではないかと考えたのだ。しかしその事件を以ってしてもまだ私には原作の持つ運命力に確信が持てなかったため、その考えの材料を得るために黒鉄の試合を見物させてもらったのである。

 これで自分の記憶通りに試合が進んだのならば、確信しないまでも原作知識というものがかなりの精度を持っていると考えることができるだろうと。

 

 

 結論、原作知識ってスゲェ!!

 

 

 本当に私が記憶している通りに試合は進み、そして黒鉄は勝ってしまった。

 常識的に考えれば相性的に黒鉄が桐原に勝てるはずはない。コーラを飲めばゲップが出るくらい確実だ。だというのに黒鉄はその常識を覆し、そして原作の通りに勝利を収めていた。

 何も知らない観客たちからすれば予想外の奇跡と思えるのかもしれないが、私としては原作知識が正確過ぎて少々恐ろしくなったくらいである。時折、ネット小説で原作知識に従って筋道を極力崩さないよう細心の注意を払うという転生者の主人公を見たことがあったが、この光景を見せられればそれにも頷けるというもの。

 転生者(じぶん)という異物さえ存在しなければ、この知識はまさに完璧だ。

 そして物語のここぞという場面で介入しようという人物が存在したのならば、嫌でも慎重にならざるを得ないだろう。何せ詰めさえ誤らなければ自分は最高の栄誉と利益を得ることができてしまうのだから。

 

 まぁ、私にはあまり関係ないが。

 

 どうせこの『落第騎士の英雄譚』というライトノベルは業界の中でも特に短い期間についてしか描写のない作品だ。精々が今年の春から夏くらいまでで、そこから先はそもそも前世の私が生きている間は発売されていなかった。

 つまり未来の知識など半年先程度までしか存在せず、しかもその殆どが試合というスポ魂。そして前世で特に熱中したキャラクターもいないということから誰それと仲良くなりたいという欲求もない。よって私が原作知識に求めるものは、前述した不要なトラブル回避くらいだ。

 話が逸れたが、もちろん私も危機回避以外で原作知識を便利に思ったことくらいはある。例えば、原作に登場した伐刀者の能力を事前に知ることができたことが代表的だろう。伐刀者にとって恐ろしいのは“未知の敵”に尽きる。それを事前に知っていることは伐刀者として大きすぎるアドバンテージとなるだろう。

 

 ……私は登場人物の殆どとまだ出会うどころか名前すら聞いたことがないんですけどね。

 

 だってずっと修行していたし。わざわざ登場人物を探しに出るほど暇ではなかったし。よって原作知識のありがたみというものを今まで実感したことがなかった。なかったのだが……

 いや、しかしこれは確かに凄いね。何が凄いって全能感が。

 自分の知識通りに群衆が動くということがこれほど面白いとは思わなかった。確かに原作知識で転生者が調子に乗ってしまうのも理解できる。こちらの世界のネット小説で転生者が主人公の作品を見かけたら、これからは温かい視線で今後を期待してあげよう。

 

 

『二年・疼木祝さん。試合の時間になりましたので入場してください』

 

 

 スピーカーから音声が響き、意識が現実へと戻ってくる。

 暇だったために昨日までのことを思い返していた間に待ち時間が終わったらしい。

 安っぽい長椅子から「ヨイショ」と立ち上がった私は軽く伸びをしてから控室の扉を開いた。その先に続くのは薄暗い通路。そして眩い光を放つゲートだ。

 ゲートからは数えきれないほど多くの声が雪崩込み、私の鼓膜を盛大に震わせている。

 

「それじゃあ、今日も布教のために頑張りますか」

 

 代表選抜戦・三日目。

 私はこれから、第一回戦の試合を控えていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 破軍学園の代表選抜戦で最も注目度の高い選手は誰なのか。

 それを思い知らせるかのように試合会場の熱狂は凄まじかった。観客たちの声は鼓膜を襲うだけに留まらず、今や一輝の肌すらもピリピリと震わせる。

 これから眼下で試合を行う選手からすれば集中力を欠く要因となりかねないほどの声援だった。

 しかし一輝には彼らを責めることができない。なぜなら、許されることならば自分もその熱狂に加わってしまいたいという衝動を紙一重で抑え込んでいる人間だからだ。これから始まる試合は伐刀者として非常に興味深いと同時に、己に憧憬の感情を抱かせた者の試合。これで何も感じるなという方が無理な話だろう。

 

『さあ、続きまして赤ゲートから姿を現したのは我が校最強の使い手にして日本の学生騎士の頂に君臨する覇王! 昨年の七星剣武祭にて一年生ながら無敗を誇り、その勇名を天下に轟かせた女帝! 大鎌という一見使いにくい武器は、しかし敵対した者の命を刈り落とす死神の刃と化す!

 君は知るだろう! 覇王の道を妨げることがどれほどの恐怖を伴うのかということを! しかし七星の頂に挑む者はこの戦いを避けては通れない! 全ての学生騎士に立ち塞がる見果てぬ壁! その壁の高さを我々は今日、再び仰ぐことになる!

 二年《七星剣王》疼木祝選手ですッ!』

 

 実況席の月夜見という女子生徒に促され、祝が暗がりからゆっくりと歩み出てきた。

 破軍学園の制服に身を包んだ彼女は、降り注ぐ歓声に「あっ、ど~も~」と小さく手を振りながら進み出てくる。天井に取り付けられた巨大モニターには祝のバストアップの映像がリアルタイムで流れており、彼女の素顔を観客たちに見せつけていた。

 一言でいえば『普通の少女』でしかない。化粧っ気のない顔に薄く笑みを浮かべ、背中まで伸ばされた長髪は癖と手入れの悪さのせいで所々が跳ねている。

 実況の語るような仰々しい気配など微塵もなく、町の中を歩いていればその可愛らしい顔立ちに目が行くことはあれど彼女が日本最強の学生騎士などとは微塵も思えないであろう。それは実況席に座る解説役の折木有里先生も同じらしく、『相変わらずほんわかしてるね~』と評していた。

 

(でも、だからこそ彼女は恐ろしい)

 

 その自然な佇まいに一輝は固唾を飲む。

 強者とは自然とそれ相応の空気を纏ってしまうものだ。ある者は荒々しく、ある者は重く、ある者は洗練され、ある者は刃のように鋭い。意図して隠そうとも闘争の気配が視線や足運びから滲み出ているものだ。

 だが祝にはそれがない。強者はおろか闘う者特有の気配がない。異常なほど自然体に過ぎるあまり、彼女が強いのか、あるいは弱いのかという彼我の戦力差が非常に測りにくいのだ。

 そう――それは一度刃を交わした一輝でさえも。

 

「何というか、リングでもあの人は変わらないわね。ほにゃっとしていて」

 

 一輝の隣で腰かける紅い髪の少女、ステラは困惑した様子だった。

 無理もない。彼女の在り様は自然体過ぎる祝とは正反対に位置するといえる。絶対強者としての風格を纏い、障害物は全て叩き潰すかのような圧倒的な気配を振り撒くのがステラのスタイルだ。そんなステラからすれば、祝の気配は穏やか過ぎる。

 

「確かに一見すると威厳も何もない人です。でも、その実力をテレビ中継で見ていた私としては普通すぎて逆に怖いですよ」

 

 ステラに対し、一輝の内心を代弁したかのように述べたのは一輝を挟んでステラの反対側に座る短髪の少女だった。

 彼女の名は黒鉄珠雫――一輝の妹に当たる人物だ。

 後の選抜戦で必ず勝ち残ってくる祝という存在の情報を少しでも集めようと、一輝とステラに付いて彼女もこの試合に足を運んでいた。

 

「なるほどね。ステラちゃんを“動”、珠雫を“静”とあたしは考えていたけど⋯⋯疼木さんはそれが見えない」

 

 珠雫の隣で長身の少年――有栖院凪が女性的な口調で呟く。

 有栖院の細められた目は、祝の姿形だけでなく身に纏うその気配を映していた。

 エネルギーに満ち溢れた動的なものでなく、しかし鋼の精神力で己を支配する静的なものでもない。本当に自然体過ぎて逆に見ている有栖院が不安になってしまうような、そんな危ういほどの穏やかさが祝にはあった。

 有栖院の勘と経験を以ってしても、これから命すらも危険に晒す試合に臨む人間には思えない。そしてその感想はある程度の観察眼を持つこの場の全ての人間が感じていた。これが祝の化けの皮なのだとすれば大した役者だと称賛する他ないだろう。

 

「アタシは去年の七星剣武祭の試合を観たことがないから知らないんだけど、あのハフリさんってどんな闘い方をするの?」

「疼木さんは生粋の武術家だ。ステラや珠雫みたいな遠距離攻撃をほぼ持たないから、とにかく相手に近づいてからの接近戦っていうシンプルな戦法だよ」

「七星剣武祭ともなると様々な種類の能力や魔術が見られますけど、去年のあの人はシンプルすぎて異質な感じでしたね。まあ、日本に武者修行に来ているのにその頂も知らない勉強不足の誰かさんは、実際に見た方が覚えやすいと思いますけど」

「喧嘩売ってんの!?」

「まあまあ、二人とも」

 

 有栖院がステラと珠雫を宥めていると、やがて実況の語り口が勢いを増した。

 リングの中央に選手が揃ったのだ。それを期に自然と四人は口を噤み、試合が始まるのを待ち構える。

 ここでステラは改めてリングへと視線を向けた。先程から祝ばかりを視線で追いかけていたが、リングの中央に目を向ければ主審(レフェリー)として立っているのは新宮寺理事長だ。先程までの試合は別の人物が主審を務めていたが、この試合になって()()()交代している。

 

(どういうこと?)

 

 自分と一輝の決闘の際にも彼女が審判を務めていたことはあったが、それは選抜戦のような事前に予定された試合ではなく、加えて黒乃本人が焚き付けた決闘でもあったからだ。もしかすると他の審判の係の人と入れ替わりで出てきたとも考えられるが、しかしこの試合は今日の四つ目の試合。交代には早すぎると思わなくもない。

 

『それでは両選手、霊装を展開してください!』

 

 微かな違和感を残しながらも、スピーカーから流れる大音量の実況にステラの思考が途切れる。

 同時に祝の対戦相手である大柄な男子生徒が雄叫びを上げた。

 

「うぅぅぅぅぉぉぉぉぉおおおおおおおッ!!」

 

 男子生徒の身体が鋼鉄の鎧によって覆われていく。

 足元から昇っていったその鎧はやがて頭頂部までを覆い隠し、その身に鉄壁の防御力を与えた。

 

『で、出たー! 三年・桃谷選手の甲冑型霊装《ゴリアテ》! 《重戦車(ヘヴィタンク)》の二つ名を持つ彼の突進力は人体を軽々とひき潰す攻防一体の技ッ! シンプルであるが故に攻略が難しい桃谷選手の破壊力ならば七星剣王にも一矢報いることができるのかァ!』

 

 実況に応じたかのように桃谷が再び吼える。

 パフォーマンスとしての効果は置いておくにしても、確かにあの巨体から繰り出される突進は大したものだろう。もちろん人類最高峰の魔力を持つステラには遠く及ばない膂力だが、しかし平均的なランクにしてはという前提が付けば確かに驚異的である。少なくともパワー型ではない珠雫や一輝であれば当たれば一撃で沈められるだけの力があることは間違いない。

 そんな力を前にした祝はというと、特に驚くこともなく「お~」とその勇ましさに拍手していた。今の雄叫びに全く呑まれている様子はなく、それどころか未だに宙に浮きそうなほど呑気な様子のままだ。

 

「うわ~、これは私もパフォーマンス的な何かをしないといけない流れなんですか? 新宮寺先生、私はどうすればいいのでしょう」

「いらんからさっさと霊装を展開しろ。試合が進まん」

「あ、そうですか」

 

 祝が「ふんっ」と気合を込めて右手を前方に伸ばす。そして次の瞬間には既に黒い柄が握られていた。

 その姿に観客の多くが息を呑む。これがあの、祝の代名詞とも言える大鎌なのか、と。

 

 漆黒の大鎌だった。

 

 祝の小さな手が握る長柄は照明によってできた影のように黒く、そして石突から刃を固定する細かな部品までも全てが同じく黒い。

 長柄の側面から伸びる幅広の曲刃は浅い弧を描き、その鋼色の鈍い輝きからは命を吸い込むかのように不気味な気配を発している。その曲刃の反対側からは細身の短刃が突き出ており、同じく鋼色の瘴気を纏わせていた。

 

「よし。今日も絶好調だね、《三日月》は」

 

 小さく祝が呟き、それに応えるかのように細腕の中で一旋された歪なT字がウワンと唸る。

 まるで照明の光を大鎌が吸い込んで視界が暗くなったかのようだ。その中で刃だけはギラギラと禍々しい光を放っており、その名の通りまるで夜闇に輝く三日月のようだった。霊装が放つ気配はまさに死神の鎌というに相応しく、淀んだ瘴気が会場を浸蝕してゆく。まるで景色が歪むかのような圧迫感に一同が声を潜める中、静寂を破ったのは祝の気に呑まれなかった解説の折木だった。

 

『は~い、それじゃあ二人とも準備が整ったみたいだし、そろそろ試合を始めちゃおうか~』

『ッ、両選手の準備が整いましたので、これより選抜戦三日目・第5試合を開始します!』

 

 我に返った実況の言葉に、会場の熱狂が息を吹き返す。

 その熱狂に影響されたのか、あるいは己を鼓舞するためなのか。試合はまだ始まっていないというのに油断なく祝を睨んだ桃谷は、徐に獰猛な笑みをヘルメットの下に浮かべる。

 

「七星剣王さんよ。俺の知る限り、お前はこの鎧を突破するための炎だの雷だのって魔術を持っていないんだろ? つまりその鎌だけで俺の鎧を突破する必要があるってぇわけだ」

 

 桃谷は確信していた。目の前の七星剣王は、自分のような甲冑型霊装を持つ相手に対して非常に不利な立ち位置にいると。

 通常、霊装はよほど強力なダメージを受けなければ折れも曲がりもしない性質を持つ。魔力によって編まれた武装の強靭さに魔力量は関係ない。そして桃谷の《ゴリアテ》はこの性質によって全身を守られた、対人戦における物理的な衝撃に対して最強の防御力を持つ霊装なのだと桃谷は自負していた。

 

「去年のお前の試合は全て知っている。確かにお前は武術の達人だが、恐らく去年の七星剣武祭のどこかで《鋼鉄の荒熊(パンツァーグリズリー)》とぶつかっていれば優勝はあり得なかった! 物理攻撃に縛られている以上、お前の欠陥武器の刃が俺の《ゴリアテ》を突破することはできねぇ!」

「…………」

 

 桃谷の全身に力が滾る。試合開始の合図を待ちながら、全身の血流がこれまでにないほど躍動する。

 勝てる――七星剣王を相手にそう信じ込むほど桃谷は愚かではない。しかし勝ちの目があるとは感じる。ならばその結果に向けて突き進むのみ。

 元々、桃谷は祝のことが好きではなかった。彼女の去年の凶行によって彼の友人も何人か被害に遭っており、これはその仇討ちという意味合いもあるのだ。例え勝てずとも、必ず一矢報いて見せるという気概が桃谷の精神をさらに昂らせていた。

 そんな桃谷に対し、祝は薄く柔らかい笑みを浮かべたままゆったりとした動作で大鎌を肩に担ぎ、試合の開始を待つ。

 ――そして、ついにその瞬間が訪れた。

 

『それでは……試合開始ッ!』

「ッ、グゥラァァァァアアアアアアッッッ!」

 

 そして桃谷は全身の筋肉に溜め込まれた力を爆発させる。

 その瞬間、彼は標的を穿つ一個の砲弾となった。魔力放出による追い風は進撃する砲弾をさらに加速させ、鎧という質量をもって敵を蹂躙せんと駆ける。地を踏み締め、風を裂き、目の前の死神を粉砕せんと迫る。

 10メートルほど取られていた距離は瞬く間に縮まり、まだ一歩として動いていない祝の前髪を空気の乱流が撫でる。

 開幕速攻に不意を突かれたのか。笑止、と桃谷は内心でほくそ笑んだ。まさか七星剣王である自分を相手に先手を取り、剰え一撃で沈めようなどという暴挙を犯すはずがないと油断していたのだろう。ならばその傲慢をここで自分が叩き潰す。激痛に悶えながら己の所業を後悔するがいい。

 

「……欠陥武器、ですか」

 

 表情に反したその冷めた言葉が耳に届いたのは、対峙する桃谷だけだった。

 爆走する鎧が突如その動きを止める。遅れて響く轟音。全く進まなくなった自分の身体に桃谷の笑みが完全に消える。

 その光景は異様の一言に尽きた。客席の生徒たちが「そんな、まさか」息を呑む。

 

 まさか《重戦車》の突進を片手で受け止めるとは、と。

 

 右手で《三日月》を肩に担いだ状態のまま、なんと祝は左手一本で桃谷の突進を阻んで見せたのだ。足は僅かたりとも後退しておらず、それどころかほぼ前後に開くこともしない棒立ちに近い状態。そんな姿勢で外部からの衝撃を受け止めることなど物理的に不可能なはず。

 だがそれを祝は実践して見せた。その事実に桃谷は悟ってしまったのだ。自分がどれほど身の程を弁えない所業を犯していたのかを。

 

『ど、どういうことだァ! 桃谷選手の渾身のタックルがまるで通用していない! まるで覇王の余裕を示すかのように棒立ちの疼木選手に止められてしまったぞ! 彼我の戦力差を示すかのような王者の振る舞いに客席の皆様も開いた口が塞がらない様子!』

『相手の攻撃をあえて受け止めて見せるなんてプロレスの試合みたいだね~。でも、やっていること自体はとてもシンプルな魔力放出による防御だから驚くことじゃないよ。……むしろ、驚くべき部分は他にある』

 

 そう、それこそが折木を含めた少数の強者たちが驚愕する点。

 それを折木が解説しようと口を開くが、しかしそれを遮るかのように祝が大鎌を振り上げたことで口を閉じさせられる。

 

「こ、このッ! 放せェ!」

 

 振り上げられた《三日月》に、桃谷は咄嗟に大鎌の間合いから逃れようとした。しかしそれは叶わない。突き出された祝の左手が《ゴリアテ》を掴んで放さない。

 そして祝が右手を振り下ろすために右足を退いたことで桃谷は、ここで生まれて初めて濃密な“死”の気配を知った。

 

「鉄板で身体を覆ったくらいで大鎌を攻略とは、面白いことを仰いますね」

「ま、待て! まい――」

「なら試してみましょうか」

 

 祝の左手がトンッと桃谷を押し出す。

 唐突な力の変化に思わず桃谷は踏鞴を踏み――《三日月》が霞む。

 

「……あ?」

 

 気が付けば桃谷は訓練場の天蓋を眺めていた。

 なぜ自分が頭上を見上げているのか。一体何だ? 何が起こった?

 その疑問が解消される前に、今度は天蓋がどんどんと遠ざかっていく。そして遠ざかる天蓋を呆然と眺めながら、桃谷は地面に落ちる前に意識を失った。

 

 

「……身の程知らずが」

 

 

 誰にも聞こえないほど小さく、祝は目の前に転がる桃谷の()()()()​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​吐き捨てた。

 遅れて鎧ごと両断された桃谷の上半身がリングに落下する。

 空中で上半身から噴水のように噴き出した鮮血はシャワーのように周囲へ撒き散らされ、リングを赤く彩る雨となる。それを頭から被った祝もまたその身を赤く染め、しかし微塵も笑みを絶やさない。それどころかむしろ深くなった笑みに含まれていたのが嘲りと痛快さであることを悟ったのは、それを間近で見た主審の黒乃だけだった。

 

「……おい、あれ……」

「し、死んでる……」

「マジで殺しやがった!」

「いくら《実像形態》だからって選抜戦であそこまで……」

「完全にオーバーキルじゃねぇか! 最初から殺す気だったぞ、あいつ!」

 

 圧倒的な力に客席が黙らされていたのはそう長い時間ではなかった。

 誰かが呆然と漏らした言葉が波紋し、俄かに会場が騒めく。

 誰もが知識として理解していた。選抜戦や七星剣武祭は《実像形態》で行われる実戦。当然ながら血は流れるし怪我もする。下手をすれば人だって死ぬ。最悪の場合、観客を巻き込んだ事故に発展する可能性もある危険な試合だということを彼らは理解していたはずだった。しかし《幻想形態》という刃引きの世界に慣れ親しんだ中学生までの世界を卒業したばかりの多くの人々にとって、人間の“死”が知識以上のリアリティを持つという現実を突き付けていた。

 

「《時間凍結(クロックロック)》」

 

 騒然とする会場に響く乾いた銃声。

 白銀の拳銃から撃ち放たれた弾丸は桃谷へと吸い込まれ、そして桃谷の時が停まる(・・・・・)

 銃弾の主は黒乃だった。

 

「事前に想定していた通りだ。担架急げッ、私の魔術が効いている間にカプセルへ運ぶんだ」

 

 《時間操作》――それが理事長である新宮寺黒乃の能力。

 彼女の能力はこのような試合の場における治療行為で重宝されており、今年度の七星剣武祭でもスタッフとして参加するよう要請を受けている。そんな彼女の能力と現代の医療技術にかかれば、脳が消し飛んでいようとも負傷から選手を救うことができる。

 黒乃の言う通り事前に想定していたのか、リングに担架を背負った医療スタッフが飛び込んできてから桃谷が退場するまでに1分とかからなかった。

 

『し、試合終了ォ! 何という怒涛の展開ィ! これはどういうことか、桃谷選手の鎧が全く機能することなく一撃で試合が終わってしまった! ハッキリ言って私ごときの目では何が起こったのかまるでわかりません! 折木先生、一体何が起こったのでしょうか? 桃谷選手が両断されたという結果しか私にはわかりませんでしたが、鎧の霊装ごと中の人間を叩き切ることなど可能なことなのでしょうか?』

『不可能とは言えないけど、私もこの目で見たのは初めてだよ。霊装は伐刀者の魂を魔力によって具現化したもの。魂っていうのは案外頑丈で、滅多なことでは傷一つ付かない。それを真正面からいとも簡単に叩き壊すなんて普通じゃないね。そして何よりも怖いのが、これがただの魔力放出による身体加速の延長でしかないってことだよ』

『ま、魔力放出ですか……!?』

 

 折木の解説に会場が騒めく。

 《魔力放出》とは、読んで字の如く体内から魔力を放出するという伐刀者にとっては基礎中の基礎にさらに基礎を付けても良いほど基本的なスキルだ。これを利用することで伐刀者は常人を超えた身体能力を発揮し、さらにこれを応用して衝撃の威力を減衰させる魔力防御という能力を持つ。これができない伐刀者は恐らくこの世に存在せず、魔力量が平均値よりも絶望的に低い一輝ですらできる能力なのだ。

 だが、だからこそ驚く。

 自分と同じ技術を使っているはずだというのに、同じことができる伐刀者がこの会場に何人存在するのか。圧倒的な魔力量を誇るステラのような人間ならば、あるいはその怪力によって可能かもしれない。しかしこうまで軽々と霊装を破壊されては、それを武装として扱う伐刀者にとって脅威でしかない。

 

(でも、本当に驚くべきところはそこじゃない)

 

 月夜見が白熱した実況を流す中、折木は目を細める。

 彼女が最も祝に対して驚異を抱いているのが、試合を通して“魔力を感じなかったこと”だ。

 試合の内容から鑑みて、祝が魔力を使用しなかったとは思えない。だというのに折木は最後まで祝の魔力を感知することができなかった。

 

(去年もそうだったけど、ますます『迷彩』に磨きがかかっている。流石というべきか、異常というべきか。相変わらず人間辞めてるなぁ)

 

 『迷彩』という技術を説明するためには、まず『魔力制御』という技術について説明しなければならない。もっとも難しく考える必要はなく、読んで字の如く伐刀者がどれだけ魔力を巧く扱えるかを示すステイタスだ。これに秀でている伐刀者は平均的な伐刀者と比べ、魔術を行使する際に使用する魔力量を少なく抑えることができるようになるのだ。

 そして『迷彩』とはこれの応用技術に当たる。使用する魔力を極限まで抑えられた魔術は、その発動を魔力の流動から感知することができなくなる。よって敵に魔力の行使が見破られなくなることから『迷彩』と呼ばれているのである。

 だが、霊装を叩き斬るほどの魔力放出を行いながらも魔力を隠蔽し切るレベルの『迷彩』など聞いたことがない。それほど少量の魔力でこれほどの効果を出すなど、燃費が良いどころの話ではないだろう。秀でた伐刀者は1の魔力で10や20の威力を持つ魔術を行使するというが、祝のしたことは0.1の魔力で100の威力を弾き出したようなものだ。

 

 まさに“非常識”。

 

 その理不尽さに人々は改めて思い知らされる。

 眼下で全身を赤く染めるあの少女こそ、七星剣武祭の頂に立つ七星剣王なのであると。全国の学生騎士たちを蹂躙し、踏み潰してきた覇王なのであると。

 戦慄する伐刀者たちを余所に、祝は観客と桃谷が去っていったゲートへと軽く一礼する。そしてそのまま踵を返すと同時に霊装を解くと、血の足跡を残して悠々と会場を去っていったのだった。

 

 

 

 




原作ではステラと試合をした桃谷くんに割を食って戴きました。桃谷ファンの方がいらっしゃったら申し訳ありません。


なお、原作を知らない人のための解説。
《鋼鉄の荒熊》とは原作の七星剣武祭でも登場した加我恋司という選手の二つ名です。本気で闘う時は霊装の『廻し』一丁となって戦う生粋の相撲レスラーで、身体を鋼鉄に変えて文字通り鋼の防御力を得る学生騎士。
なお、本人は大柄で厳ついものの気のいいおっちゃん風の青年です。

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