落第騎士の英雄譚  兇刃の抱く野望   作:てんびん座

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前回の前書きでも記載しましたが、最後の部分に5000字の追加がありますのでご注意ください。


試合に逆転ホームランはねぇ!

 この世界において必要不可欠とされる人間がどれほどいるのだろう。

 総理大臣や大統領や国王クラスの人間にさえ、いざという時のために予備の人材が控えている。極論を言ってしまえば、この世界にその人しかできない役割を持つ人間などほぼ存在しないのだろう。

 人間一人など社会から見れば芥子粒の如き小さな存在だ。誰か一人の人間が前触れもなく周囲から消え去ったとしても世界は変わらず回り続ける。それと同じように、たとえ一輝が学園から姿を消そうとも選抜戦は至って順調に進行し続けていた。

 

『さぁ、本日の第五試合! 皆さんが待ちに待った試合の到来です! 会場内は既に満席ッ、通路には立ち見の観客が溢れかえっています!』

 

 実況のナレーションが会場に谺する。

 その言葉の通り、会場は見渡す限りの群衆によって隙間を塗り潰されていた。その大半は制服に身を包んだ生徒であるものの、その中には時折学園の教員と思われる者が混ざり込んでいる。どうやら次の試合の対戦カードを気にしているのは生徒ばかりでなく、彼らもこの試合に興味津々なようだ。

 しかしそれも無理はない。なぜなら今日の対戦カードが公表された時、生徒に限らず教員たちでさえ「遂にこの時が来たか」と息を呑むこととなったのだから。

 

『この試合から会場にいらっしゃった方々のために改めて紹介を! 実況は放送部の磯貝、解説は西京寧音先生が担当しております! 西京先生、いよいよこの日が来てしまいました。現在KOKで三位という実績を持ち、東洋太平洋圏最強の騎士として名高い先生はこの試合の行く末をどう睨んでいらっしゃるのでしょうか?』

 

 実況の言葉に応えるのは、少女と見紛うばかりに小柄な女性だった。

 派手な和装を緩く着込んだ西京と呼ばれるこの女性。普段から教員の一人として試合の解説を任されることはあるが、その仕事ぶりは決して真面目とは言い難いものだった。気紛れに解説に遅刻し、途中で抜け出し、時には実況に任せて姿を現さない。良く言えば豪放磊落、悪く言えば適当な性格をしている人物だ。

 しかし今日は違う。

 彼女自身もこの試合に思うところがあるのか、その瞳は真っ直ぐに実況席の眼下に広がるフィールドに向けられていた。目を細めて怪しげに微笑んだ西京は「そうさねぇ」と口を開いた。

 

『ぶっちゃけ、疼木のクソガキはシンプルな闘い方に見えて細かい手札が多すぎるからよくわかんねー。ウチも去年の七星剣武祭を観てはいたけど、まだ普通に隠し球くらい残しているだろうしねぇ』

『く、クソガキ……? ああいえっ、失礼しました! それよりもです、西京先生! それは疼木選手が去年の七星剣武祭に手を抜いていたということですか!? それが本当ならばとんでもないことですが……!』

 

 七星剣武祭の決勝戦。

 そこで祝と優勝を争った《浪速の星》は誰の目から見ても一流の槍使いだった。そんな彼と繰り広げられた決勝戦もやはり学生騎士の頂点を決めるに相応しい熾烈なもので、万雷の拍手を送られるに相応しい試合だったことは誰もが認めることだ。

 だというのに、それすらも祝にとっては余力を残す闘いでしかなかったというのだろうか。

 

『落ち着きなよ。アイツはあくまで妙に引き出しが多いって話さね。……ただ、何にしてもこの試合は間違いなく荒れる(・・・)だろうよ。何せこれから()り合う二人は破軍きっての実戦経験を持つ連中。試合や決闘じゃねぇガチの殺し殺されの感覚を肌で知っている“本物(モノホン)”ってわけだ。下手すれば一瞬でどっちかが死ぬことになるわけだし、審判(レフェリー)のくーちゃんは気が抜けないんじゃねーの?』

『なるほど……新宮寺理事長、毎度ながらお疲れさまです! ――おおっとォ? どうやら両選手の準備も整い、会場の清掃も無事に終了したようです! それではこれより、第五試合を開始したいと思います!』

 

 実況の言葉に会場から歓声が沸く。

 誰もが待ちきれないと言わんばかりに席を立ち、ゲートから姿を現した二人の選手を喝采と共に迎え入れた。

 

『青コーナーから現れますは、この選抜戦においてその勝利の殆どを不戦勝で収めてきた覇王! その威光の前にあらゆる学生騎士たちは頭を垂れ道を譲る! まさに万夫不当にして一騎当千! 終わりなき覇道(ロード)を突き進む彼女は、今日もその大鎌で立ち塞がる障害を血の海に沈めてしまうのか! 二年《七星剣王》疼木祝選手です!』

 

 姿を見せるのは幼き覇王。一見すれば闘争という言葉とは無縁にしか思えないその少女。

 しかし観客たちから寄せられるのは熱狂と称賛、そして絶大な畏怖だった。

 化粧っ気こそないが可愛らしい顔立ち。あちこちに跳ねた長い黒髪。そして緩い表情。その全てがまやかしであり、その本質を外見から測る愚者はもう存在しない。これまでに姿を見せた二試合で全ての選手を殺害する形で勝利している祝は、もはや選抜戦における血と闘争の象徴のような扱いとなっていた。

 だがそれに対する少女も破軍に知らぬ者はいないほどの猛者である。全身から放たれる殺気と血の残り香は、それこそ通常の学生騎士とは桁違いの場数を踏んできたことを示していた。

 

『続きまして赤コーナーをご覧ください! 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花! しかし綺麗な花には棘がある! その鋭い棘で一体どれほどの相手を血祭りにあげてきたのか! あらゆる敵は彼女に触れることもできず、血霧となって彼女を抱擁することしか許されない! まるで貴婦人の如き高貴な気配と共に現れたのは、昨年の七星剣武祭出場者にして現職の生徒会役員! 三年《紅の淑女(シャルラッハフラウ)》貴徳原カナタ選手だァ!』

 

 鍔の広い帽子の下から優しくも鋭い視線を覗かせるのは、昨年の七星剣武祭出場者にして祝と同じくBランクの少女。

 純白のベルラインドレスと背の高さも相まり祝と対峙してしまうと成人女性と中学生ほどに差があるように錯覚してしまう。祝の持つ雰囲気が年齢の割に幼すぎるという理由もあるが、貴徳原の纏う雰囲気は些か以上に老成していた。

 

『両選手は《雷切》の東堂選手と共に何度も特別招集によって最前線に臨んでいる破軍のスリーカードッ。この三人が今年も七星剣武祭に出場するのが学園としての理想でしたが、現実は無情! そのスリーカードの内の一枚が今日、この試合で欠けてしまうこととなります!』

 

 実況の言う通り、祝、刀華、カナタの三人は昨年の破軍学園が保持していた三人のBランク騎士。

 彼女たち三人の実力はまさに学園内において誇張なしに圧倒的で、恐らくこの三人がいなくなるだけで学園内の学生騎士は戦力が三分の一まで減少するだろうと称されていたほどだ。

 その三人はランク負けした才能に溺れる騎士ではなく、文字通り本物の高ランク保持者。対戦相手がランダムで決められる以上はこのような展開もあり得ると学園関係者は覚悟していたが、それが遂に現実のものとなったのだ。それを惜しむ者、激励する者、選抜戦の参加者として胸を撫で下ろす者と反応は様々だった。

 

「今日は日傘は差していないのですね。いつもは試合中も会場に持ち込んでいるのに」

 

 フィールドの中央――互いに二十メートルの距離を開けた位置で対峙し、真っ先に口を開いたのは祝だった。

 全身を上から下へと見やれば、授業中以外は試合中であろうと常に差している日傘がない。彼女のトレードマークの一つとも言えるアイテムがその手にないということに祝は純粋な疑問を感じていた。

 可愛らしく首を傾げる祝に、カナタは口元を抑えて優雅に笑ってみせる。

 

「ええ。普段は日光と返り血(・・・)を防ぐための必須アイテムなのですが……恥ずかしながら今日はそれを気にする余裕もなさそうなので。傘で視界と手が塞がれるのも愚かしいですから」

「ならその帽子はどうなんですか? それもだいぶ上の視界を潰していますけど」

「あら、それは確かに。全力で挑む相手にこの装いは少々迂闊でしたね」

 

 そうして帽子を頭から下ろすと、その下からは眩いブロンドの長髪が露わになる。ますます高貴な雰囲気を強めたカナタは、その帽子を手首のスナップによって客席へと投げ込んだ。

 回転によって距離を伸ばした帽子はそのまま客席の最前列に到達し、そこに座っていた刀華の膝元に着地する。「お見事~」と拍手する祝がそちらへ視線を向ければ、刀華だけでなく生徒会の面々、そしてステラたち三人組が並んでこちらを見下ろしていた。

 祝がそれに手を振れば有栖院が爽やかに、兎丸と御祓は勢いよく手を振り返してくる。他はスルーだった。

 

「カナちゃん、会長命令です! そこの阿呆をぶち殺してやりなさい! そのお花畑な腐れ脳味噌に生徒会の恐ろしさを刻みつけるんです! 二度と私たちに逆らえないよう、少なくともリングの染みになるまで手足を引き摺り砕いて――」

「ちょっ!? 刀華ホントに落ち着いてっ!」

 

 客席とリングの仕切りに足をかけ、刀華が鬼の形相でカナタを激励している。そのあまりに過激な内容に御祓を始めとした生徒会役員たちは顔を青褪めさせ、後ろから羽交い締めにして席へと引っ込んでいった。

 

『さて、両選手がフィールドに出揃いました! それではこれより試合を開始したいと思います! 皆さんご唱和くださいッ。

 ――Let's Go Aheadッッ!!』

 

 試合開始のブザーが鳴り響く。

 そして二人は同時にその手に自身の霊装を展開した。

 

「参りますよ、《フランチェスカ》」

「《三日月》、行くよ」

 

 祝の小さく細い手に漆黒の大鎌《三日月》が収まる。大鎌の全身から噴き出す漆黒の瘴気が空気を染め上げ、その暗闇の中で鈍く光る二つの刃がチェシャ猫の口元のように弧を描いた。

 一方、カナタがその手に顕現させたのは細身のレイピアだった。刺突性能に優れた特徴を見せるその細い刃は、しかしその得意な突きで折れてしまいそうなほど薄い。それどころか刃が透けることによってその反対側の風景が晒されてしまっており、まるで硝子細工のような脆さを見る者に感じさせる。

 

「あれがカナタさんの霊装なの? 何だか随分と頼りない感じだけど」

 

 言葉こそ油断があるが、警戒心と好奇心をその瞳に浮かべたステラがカナタの霊装をそう評する。

 確かに一見すれば明らかに脆そうな霊装だ。あれで敵の武器と打ち合うことができるとは到底思えない。だがカナタの霊装が真の姿を見せるのはここからだった。

 霊装を胸元まで上げたカナタは、その切っ先を持ち手とは反対側の手へと向け――やおらその手へと刃を突き立てたのだ。しかし刃は掌に刺さることはなく、その脆さの通り砕けて虚空へと散っていく。そうして切っ先から刀身の全体へと罅が広がっていき、やがて柄を残して刃が全て砕け散った。

 

『出たーッ、貴徳原選手の伐刀絶技《星屑の剣(ダイヤモンドダスト)》だァ! 刃を粒子レベルまで砕き、数億にまで分かたれたその小さな刃を操作することで敵を削り取る凶悪な能力! これを相手にまともに闘うのは煙を斬ろうとするようなもの! これまでの試合を一斬で決めてきた疼木選手には最悪の相性と言えるでしょう!』

 

 けたたましい実況にステラは息を呑む。その恐ろしさを理解できたが故に。

 それを見た兎丸が得意げに鼻を鳴らした。

 

「あれがカナタ先輩の《星屑の剣》だよ! 無数の刃は広範囲のカバーができて、オマケに細かい粒子になれば外から相手を攻撃するだけじゃない! 肺に潜り込んで内側から相手を切り刻むことだってできるんだから!」

「そうそう。呼吸をするだけでもカナタを前にしては命取り。それに純粋な攻撃力だけでもカナタは凄い。こと対人戦に限るのなら、あるいは刀華以上に優れた実力者なのさ」

 

 御祓の言葉にステラたちは戦慄する。

 術者が遠距離から、しかも見えないほど小さな億の刃を操るということの恐ろしさを改めて認識させられたからだ。ましてや純粋な接近戦タイプの祝にはより相性の悪い相手であるはず。

 このような相手とどう闘うのか。それをステラたちに限らず、会場全ての観客たちが固唾を飲んで見守っていた。

 しかし……

 

『さて、試合が始まったわけなのですが……どうしたことだ! 二人ともその場を動かなァい! 互いに様子を伺うように攻撃を仕掛けません! 好戦的な疼木選手が開幕速攻を仕掛けないということが個人的にはとても意外です!』

 

 実況の言葉の通り、祝とカナタは開始線の上から動こうとはしなかった。試合の滑り出しとしてはこの上なく緩慢だ。

 しかし、依然として二人が放つ尋常ではない気配に変化はない。祝の瘴気とカナタの殺気が混ざり合うことで会場は異界を形成しており、観客たちの中には立ち眩みを起こしたように席に崩れ落ちる者もいた。

 緊張感に包まれる中、西京だけがのんびりと解説を続けている。

 

『まぁ、お互いに人間を一撃で殺せる力量を持つ騎士だし、オマケに一つのミスが命取りになりかねない相手だ。特に貴徳原のお嬢はクソガキが苦手とする全方位攻撃を可能とする上に中距離型の騎士。位置取りをミスればクソガキは一瞬で霞にされるんだから慎重にもなるさね』

 

 西京の言葉に観客たちが納得の表情を見せる一方、それだけではないと理解する者もいた。

 そして刀華もその一人である。

 

「確かに疼木さんとカナちゃんの相性は悪い。でもそれは一方的というわけじゃなくて、お互いにやりにくい相手でもあるんです」

「会長さん、それはどういうこと?」

 

 人体に流れる伝達信号(インパルス)を感知する伐刀絶技《閃理眼(リバースサイト)》――それを持つ刀華は、人間の動きや感情の機微を誰よりも早く察知する。その能力から得られる情報をより正確にするため、あえて眼鏡を外すことで視力を弱めるのが彼女の見せる本気の証だ。

 そして今、刀華は眼鏡を外すことで常人以上の情報を試合から読み取っている。その能力と多くの実戦経験を持つ刀華にはステラたちとは違う光景が見えていた。

 常識的に考えるのなら、この試合は祝が圧倒的に不利。しかしそうではないと言い切る刀華に、有栖院がどういうことなのか訊ねる。

 

「カナちゃんの《星屑の剣》はまさに煙のようなものです。しかし霊装は細く薄い形状故に体積が少なく、作り出せる刃も比例して少なくなるため刃をより細かく砕かざるを得ない。そして数億の刃と聞けば恐ろしさが先行しますが、レイピアの僅かな体積でそこまで細かく分裂した粒子一つ一つの威力などタカが知れています。カナちゃんの伐刀絶技はそれらを一気に攻撃に使用することで人体を容易に削り取ることを可能にしますが……」

「なるほど。つまり貴徳原さんの霊装はあまり広範囲に霊装を散布することができないのね。正確には、そうすると威力が極端に落ちる」

「はい。カナちゃんの霊装は基本的に一つの纏まりとして遠隔操作されていて、その形状を煙のように伸ばしたり集めたりすることで変幻自在の攻撃を繰り出しているんです。しかしあまりに広範囲へ霊装を展開してしまうと、対応範囲が広くなる代わりに一度の攻撃で使用できる刃が減ってしまいます」

「つまり貴徳原さんはいざ疼木さんを攻撃しようとした瞬間、砕けた刃のほぼ全てを攻撃に回すことになって本体が無防備になる、と」

 

 珠雫の言葉に刀華が頷く。

 もちろん、刃を複数の群体に分けるなどして複数の敵、あるいは速度のある敵に対応することもできる。しかし群体の数が多いほど操作性、速度、威力が落ちるのは自明の理で、速力に優れる祝には却って隙を見せることになりかねない。

 

「恐らく複数の群体に分かつことはカナちゃんもあまりしないはず。致命傷にもならない下手な攻撃を仕掛ければ強硬に突破されます。そして疼木さんは未来予知の能力者――自分が一撃で死ぬかどうかは攻撃する前に察知されてしまう。肺を害そうにも、脳か心臓を一撃で破壊するくらいしなければ彼女は構わずカナちゃんを斬り伏せるでしょうし」

 

 霊装による攻撃を祝が回避するなり突破するなりして《星屑の剣》とカナタの間に入り込んでしまえば、もはやカナタを守る障壁は存在しなくなる。

 ステラによれば一輝の最高速度にすら迫るという祝だ。抜かれたが最後、もはや《星屑の剣》では追いつくことなどできないだろう。そのまま祝はカナタに急接近し、大鎌の一撃で終わりだ。

 少しのミスが命取りとなるのは祝だけではない。カナタも選択の一つを誤るだけで決着がつきかねない危うい立場にいるのだ。

 

(とはいえ、必ずどちらかが行動を起こさなければならない。そろそろ動かないと)

 

 当然ながら刀華の語る危険性を理解していないカナタではない。刀身の消えたレイピアの柄を握りながら、カナタは悠然とした佇まいに反して強い警戒心を胸に祝を注視していた。

 理想は《星屑の剣》などの魔術による中距離攻撃で接近を許さず、祝を外へと追い散らすことで決着をつけることだが……

 

「……このままだと埒が明きませんし、ぼちぼち始めましょうか」

 

 膠着状態に飽きたのか、祝が先んじて動きを見せた。

 ガリガリと、大鎌の曲刃でリングを引っ掻きながら祝が前進を始める。まるで散歩をするかのような気軽さで一歩、また一歩と祝が歩を進めてきたのだ。そして祝の爪先が丁度リングの中央部、つまりカナタから十メートルの間合いに入り込み――カナタの瞳孔がきゅっと細まった。

 それは思考を介さない反射の領域。

 極限の集中状態に至ったカナタの脳は意識に先んじて《フランチェスカ》に攻撃を命令していた。

 

「――《星屑の斬風(ダイヤモンドストーム)》」

 

 カナタの周囲に展開されていた群体が一斉に祝へと襲い掛かる。

 会場のライトを反射して煌めくそれらはまさに白銀の砂嵐。その血肉を塵芥となるまで削り落とそうという殺意が牙を剥き、祝の小さな身体に刃の嵐が覆いかぶさった。

 多くの者が祝の死を確信した。肉は削げ、骨は摩り下ろされ、砂嵐が赤く染まることを誰もが予感した。

 しかしこの程度の攻撃は高位の騎士たちにとっては挨拶のようなもの。無数の刃が蠢く直前、殺気が突然に重く鋭くなった瞬間に祝は身を翻していた。

 

『貴徳原選手の伐刀絶技が炸裂! しかし疼木選手は余裕の表情でこれを回避! さぁ、本格的に試合が動き始めました!』

 

 前方から迫る砂嵐を側面へと回避した祝。

 しかし白銀の砂嵐は休むこともなく祝を追い立て、彼女が足を付けた地面は一秒と待たずに切り刻まれる。

 ここで時計回りにカナタの側面へ側面へと回り込むことで祝はこれを振り切ろうとしているのだが、砂嵐は最短距離を直線的に移動して祝の前へと逆に回り込もうとしていた。

 

(悪くない出だし……このまま近づかせない!)

 

 空中で《星屑の剣》が蛇のようにうねる。

 しかし祝は所々で《既危感》が発動しているのか、まるで半透明のそれらが見えているかのように的確に身を躱していた。

 

「逃がしませんよ……!」

 

 《星屑の斬風》の軌道を変更。刃を二つの群体に分割。

 速度を無理に上げ、祝を両側から挟み込むようにして回り込む。そしてその中央に祝を捉えた途端、二つの《星屑の斬風》が祝を削り潰そうとその暴風を撒き散らした。

 しかし祝もそう簡単には捕まらない。その二つの砂嵐が逆巻き始めた瞬間、徐に大鎌を振り上げるとその曲刃を思い切り背後に突き立てたのだ。地面を削り飛ばしながら突き立てられた刃によって祝は急減速をかけ、そして祝が進むはずだった軌道が白銀の砂嵐によって蹂躙される。

 これを好機と見た祝は突き立てた大鎌の柄を手に大きく跳躍することで背転し、その勢いで深々と地面に刺さった曲刃を引き抜いた。

 そして貴徳原へと接近する――そう思われたが、どういうわけか祝は「あちゃ~」と表情を歪めると接近を断念。襲い来る《星屑の斬風》を躱し、再びリングを駆け回った。

 

『貴徳原選手、疼木選手を容赦なく追いかける! 疼木選手が走った軌跡をなぞる様にリングを削り飛ばされていきます! 疼木選手変則的な軌道でこれを撒こうとするものの、変幻自在に形を変え、縦横無尽に暴れまわる《星屑の斬風》は執拗に追い続ける! やはり間合いの差は七星剣王と言えども覆せないのかァ!』

『それだけじゃねぇよ。お嬢をよく見てみな』

『貴徳原選手ですか? 彼女はいつものように後方で霊装の操作に集中して……いや違います! よく見ると視線は疼木選手に向けたままですがゆっくりと移動している!? 西京先生、これは一体……?』

『簡単な話さね。あの霊装の攻撃だけならクソガキは大して苦労はしねぇよ、単純な速度でどうにでも撒ける。アイツが逃げ回っているのはお嬢の位置取りが巧いからさ』

 

 そう、魔術の性質に加えてカナタのポジショニングも絶妙だった。

 カナタは霊装の攻撃に専念するばかりでなく、常に祝と《星屑の剣》の直線状に立つように意識している節がある。主に動きがあるのは霊装の方なのだが、カナタもその場に留まることはなくゆっくりとだが確実に足を動かし続けていた。

 これによって祝が側面から回り込むことを防いでいる。

 しかしそれだけではない。カナタは常に《フランチェスカ》が自分から離れ過ぎないように操作しており、祝とカナタの間に回り込む際にも殆ど時間がかからないようにしていた。現に祝は何度かカナタから距離を離して《フランチェスカ》を誘い込もうとしているが、そのどれにもカナタは乗らずに距離を維持している。

 こうして祝は上手く外へ外へと追い散らされていた。

 

『何ということでしょう! 戦術と魔術を駆使し、貴徳原選手が一方的に七星剣王を追い詰めている! このまま疼木選手は大鎌を一度も振るうことなく敗北してしまうのかァ!』

(――そんなことあるわけない)

 

 興奮する実況に対してカナタは至って冷静だった。

 そもそもカナタ如きの戦術で一方的に斃されるような人間に《七星剣王》という称号が与えられるはずもない。祝は必ず、それこそ本当に追い詰められているのならば腕や脚を犠牲にしてでも大鎌の間合いに自分を収めてくる。その様子がないということは、彼女にはまだそれだけの余裕があるということだ。

 ならばこそカナタはあらゆる事態を想定し、臨機応変に最大限の力を発揮できるように構えていなければならない。

 これはある意味では祝への信頼から為せる心構えだった。

 カナタは特別招集という機会を通して祝の背中を見守ってきた、ある意味では彼女と最も共に戦ってきた戦友だ。だからこそ敵という立場に祝が立っていても、その実力に微塵の油断も抱くことはなかった。

 

(それに、見た目ほど余裕があるわけではないですしね……!)

 

 前髪に隠れているが、カナタの額には珠のような汗が浮かんでいた。

 その理由は偏にオーバーワーク故だ。

 目に見えないほどの破片にまで砕いた《フランチェスカ》を操る伐刀絶技《星屑の剣(ダイヤモンドダスト)》。そしてそれを数億の斬撃に昇華させる《星屑の斬風(ダイヤモンドストーム)》。一見すると自由度の高さから非常に利便性が高い伐刀絶技に思われるが、使用者のカナタからすればそれは見当違いもいいところだ。

 自分の手元から離れた数億の刃を三次元的に動かす――それがどれほど難しいことか。特に速さと複雑な動きを見せる祝のような相手ならば尚更だ。既に脳内で処理できる限界値は超えており、その補助のために先程から左手を虚空に翳して刃の位置を調整している。

 さらに祝との位置取りまで意識して絶えず足を動かさなければならない。

 一方的など冗談ではなかった。自分の得意な間合いに相手を引きずり込み、そして必死に力を振り絞ってようやく互角なのだ。むしろここまでやっても互角にしかならないという事実にカナタはもはや嗤うしかなかった。

 

 

 そしてそんな状況を正しく理解していたからこそ、《星屑の斬風》が祝を呑み込んだ光景を見た瞬間にカナタの思考は停止することになる。

 

 

 何の前触れもない終わりだった。必死にカナタの攻撃から逃げ回っていた祝の速度が急に落ち、そしてその隙を逃さず《星屑の斬風》が彼女へと襲い掛かったのだ。

 足を滑らせたのか、スタミナ切れか。何にしてもあまりに呆気ない幕切れ。白銀に呑まれていく祝の姿に一同は信じられないと言わんばかりに目を瞠り、そしてこれから起こるであろうグロテスクな光景に観客席のどこかから悲鳴があがった。

 カナタはそのあり得ない展開に完全に虚を突かれ、何が起こったのかを認識できず呆気に取られる。

 あの疼木祝が……学園中から恐れられた兇刃が……こんなにあっさり……? まさか勝ってしまったというのか。こんな突然の、それも前触れのない終わりで自分は“最強”を打ち倒してしまったというのか。

 あり得ない。あり得るはずがない。……しかし、まさか。

 

 

 その一瞬の思考停止がカナタの命運を分けた。

 

 

 観客の悲鳴は直後に観客一同の驚愕に変貌する。

 なぜなら、速度が落ちたと思われた祝の後方を(・・・)砂嵐が呑み込んでいたためだ。無人の空間を《星屑の斬風》は削り回り、祝には傷の一つもない。

 そしてカナタは自分が致命的な隙を晒したと遅まきながら悟った。

 

「第四秘剣《蜃気狼》――結構上手でしょう?」

 

 足捌きによる急激な緩急で敵の視覚を欺き、前後や左右にありもしない残像を作り出す()()()()()オリジナル奥義。

 その足捌きに誘導され、カナタは祝の速度が急速に落ちたと錯覚させられてしまったのである。

 そして完全に目測を外した《星屑の斬風》を置き去りに、祝はカナタへ向けて一気に方向転換した。カナタが《フランチェスカ》を慌てて引き戻すもののもう遅い。既に祝の進路上に障害物は存在しないのだから。

 津波のように祝を背後から追いかける砂嵐は、しかし直進の速度において彼女に遥かに劣る。

 

『うぉぉぉおおお《蜃気狼》だとォ!? 黒鉄選手が綾辻選手との試合で披露した秘剣の一つです! 疼木選手の予想外すぎる技に驚愕が隠せませんッ! 彼女は黒鉄選手と対戦した過去があると聞いていますが、その一回で《蜃気狼》を盗んだというのでしょうか!』

『別に驚くことじゃない。クソガキの予知は“未来の経験”を何万回以上も味わったかに感じさせるほどの既知感として認識するんだ。だったら一度見せた技くらい、種も仕掛けも飽きるほど知られているだろうよ。しかも体術や武術はアイツの得意分野。下手に見せたが最後、その全てを盗み出されちまうのさ』

 

 西京の解説に会場は驚愕の渦に巻き込まれる。

 ということは、だ。その能力を踏まえた上で祝が一輝と対戦した経験があるということを考えると、既に一輝の秘剣の悉くを祝が使用できてもおかしくはないということになる。

 化け物か――そう呟いた客席の誰かは、一同の代弁者だった。

 

「クッ!」

 

 一方、カナタは西京の解説に耳を貸す余裕などない。

 しかし起こった事態だけを冷静に見極め、現状が凄まじく危機的だと判断していた。逆転は一瞬。狩る側だったはずの自分が一瞬にして獲物になった。

 祝は既に大鎌を振り上げ、カナタの胴を両断せんとこちらに迫っている。二十メートルほどあった距離は僅か二歩で半分以上を踏破され、もはやカナタの敗北は一秒強で訪れてしまうだろう。敗北は目前にまで迫っている。

 後退するか――否。それは最悪手。祝の速度を相手に後退すればリングの際までハンティングの哀れな兎のように追い詰められるだけだ。

 では魔力防御で一撃だけでも凌いでみせるか――否。確かに一撃を耐えれば《フランチェスカ》を呼び戻す時間ができるだろう。しかし祝の一撃は霊装すらも断ち切る。成功確率は絶望的だ。

 

(ならば残された手段は一つ!)

 

 そして次の瞬間、観客たちは仰天した。

 普通、武器を振りかぶった敵が眼前に迫れば防ぐか躱そうとする。自分の手元に武器がなく、反撃の手段もないのならば尚更躱すしかない。しかし、カナタは――逆に祝の間合いへと飛び込んだ。

 

「――お手柔らかにお願いします」

「へぇ……?」

 

 祝の表情に感心したと言わんばかりの笑みが浮かぶ。彼女はその一瞬でカナタの思惑を読み取ったのである。

 《三日月》の刃に引き裂かれれば一撃で戦闘不能に追い込まれるのは必定。だからこそカナタはあえて大鎌の刃の内側に飛び込むことで刃を回避し、少しでも生存確率の高い長柄による打撃に身を晒そうというのだ。

 もちろん、霊装すら両断する祝の一撃が軽いものであるはずもない。たとえ柄まで潜り込んだとしても耐えられる可能性は低いだろう。

 絶望的な状況の中、それでも勝利のために足掻き続けるというその精神。常人にできることではなく、祝だけでなく試合を実況席から見守っていた超一流の騎士である西京を以ってしても見事としか言い様がない。

 その不屈にして勇気ある行動を讃える意味を込めて、祝は敬意と共にカナタに言い放つ。

 

「一応言っておきます。死ぬほど痛いですよ」

 

 直後、祝は下半身の筋肉を捻り《三日月》の軌道を大鎌特有の引き斬るモーションから棒術の叩きつけるモーションへ修正。柄を半回転させ、曲刃を後方へ。僅か一瞬の後、大鎌の斬撃は殺傷力を少しでも上げようと槍の薙ぎ払いに変貌する。

 

 頑張って耐えてくださいね――カナタの耳には祝の聞こえざる声がハッキリと響いていた。

 

 そして一閃は音速超過を阻む大気の壁を当然のように引き裂く。

 既にカナタは打点から外れていたが、《三日月》の柄は撓りを見せながらカナタの胴へ炸裂。咄嗟に出たカナタの左腕を粉砕し、その下の肋骨をまとめて圧し折り、内臓を破裂させ、そしてその場に踏み止まることも許さずリング上から叩き出した。

 地面と平行に吹き飛ぶカナタはそのまま客席の下、リングと観客席の間に設けられた段差の壁に轟音を起こしながら激突する。強化コンクリートに罅が入るほどの勢いで叩き付けられた細い身体は壁から跳ね返り、そして受け身を取ることも出来ず地面へと転がった。

 

『一撃ーッ! たったの一撃で貴徳原選手がまるでボールのようにリングから吹き飛びました! というか吹き飛ぶ時に貴徳原選手が側面にくの字に曲がっていたように見えましたが、彼女は無事なのでしょうか!』

 

 実況の懸念通り、倒れ伏すカナタの姿は凄惨なものだった。

 防御に回した左腕は肘でもない部分が九十度以上に拉げ、脇腹の付近は傍目から見てもわかるほど陥没している。口元からは吐血交じりの咳が漏れ続け、全身が痙攣していた。

 打点をずらし、魔力防御で可能な限り威力を減衰させてこの威力。もしもカナタが刃を防御するのみに留まっていた場合、間違いなく上半身が千切れ飛んでいただろう。

 もはや瀕死と判断されてもおかしくないカナタに審判の黒乃が逸早く駆け付け、その容体を確認する。そして実況席の方へ顔を上げると首を横に振った。

 

『し、試合終了ーッ! 審判がこれ以上の試合続行を不可能と判断しました! 勝者は《七星剣王》疼木祝選手です!』

「あれま、残念。ここまでですか」

 

 実況の宣言に祝は僅かに残念そうにカナタを一瞥した。

 しかしやがて視線を外し、「いえ~い」と大鎌を頭上に掲げてみせる。

 祝が選抜戦で見せた試合らしい試合に、騒めくばかりだった観客席の中からも次第に拍手が漏れ始める。最初は少なかったその拍手も、やがてそれらが波紋となって会場は喝采に包まれていった。

 

『ああっ、観客の方々から拍手が!? 今まで対戦相手を一方的かつ一撃で斬り伏せるあまり、試合に勝とうともドン引きされるばかりだった疼木選手にもとうとう拍手が送られています!』

『まぁ、今回はそこそこ見れる試合だったからね~。お嬢は全力でクソガキに闘いを挑み、クソガキはそれを凌ぎ切った。今までのワンサイドゲームじゃなく、アイツにしては久々にまともな試合だったよ』

 

 称賛の声を聞きながら、祝は「ありがと~」と手を振ってゲートへと戻っていく。

 その一方、カナタは黒乃の指示の下、担架で反対側のゲートへと運び出されていった。しかしそれは惨めな敗北などではない。強敵に全力で立ち向かった末の敗北であり、その姿を哀れに思う者など会場にはいなかった。意識のないまま運ばれていくカナタにも、惜しみない称賛の拍手が送られる。

 その拍手の送り主の一人である刀華は、ステラたちに「カナちゃんの様子を見てきますね」と言い残し席を立った。彼女に続き、御祓たち生徒会役員も去っていく。

 あれほどの重傷を負ったとなればiPS再生槽による治療を必要とするため、面会はしばらく後のこととなるはずだ。しかし彼女たちは友であり仲間の義務として、きっとカナタの目が覚めるまでずっと彼女が眠るベッドの隣で待ち続けるのだろう。

 

「行っちゃったわね、会長さんたち」

 

 刀華たちの後ろ姿を見送った有栖院が呟く。

 自分たちの仲間が目の前で敗北したのだ。刀華たちにとっても悔しくないはずがない。

 ここはそっとしておくべきだろう、というのがステラたちが言葉にせずに出した結論だった。

 

「それにしても、まさかハフリさんがイッキの技まで使えるなんて……」

「西京先生の解説が本当ならお兄様との相性が悪すぎます。武術を鍛え続けたお兄様はいわば技と技術の宝庫。闘えば闘うほど手の内を彼女に写し取られる。いえ、既に写し取られている。それだけでお兄様が敗れるとは思いませんが、苦戦は必至です」

 

 珠雫の分析した通りだ。

 現に一輝は手の内を読まれ過ぎたあまり、祝との決闘に敗北している。

 ただでさえ《雷切》という強力な騎士が残っている中、残りの試合の中で祝と一輝がぶつかれば勝利は覚束なくなるだろう。

 査問会のことだけではない。“勝ち残れるか”という面からも一輝の道は険しさを増すばかりだった。

 

 

 




祝「デュー◯ホームランッ!」

久々の戦闘シーンでしたが、作中でカナタ先輩の活躍があまり出なかった理由が少しわかった気がしました。書いてみたはいいのですが、かなりわかりにくい戦闘シーンになってしまい自己嫌悪です。
《フランチェスカ》の戦闘シーン本当に書くの難しい

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