東方悲恋録〜hopeless&unrequited love〜   作:焼き鯖

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勿忘草に想いを寄せて②

『化け物め! こっちに来るな!』

 

 

 

『お前がいるだけで不快なんだよ!』

 

 

 

『ここから立ち去れ! お前の居場所なんて何処にもねぇんだよ!』

 

 

 

 ──なんでみんなそんな事を言うの? 私は何もしてないのに。

 

 

 

『分からねぇのか? お前はさとり妖怪なんだぞ!』

 

 

 

『俺たちの心を見境なく読む気持ち悪い奴だ!』

 

 

 

『そんな奴が近くにいてみろ! 気味が悪い上にいつ自分の本心が他人に暴露されるか分かったもんじゃねぇ!』

 

 

 

 ──私はそんな事はしないし、これからもする気はないよ? 

 

 

 

『嘘だ! 聞いた話じゃさとりに会った奴らは心を読まれてみんな食われたって噂だぞ!』

 

 

 

『だったら尚更だ! 出て行け! 二度とここに来るんじゃねぇ!』

 

 

 

『出てけ!』『失せろ!』『二度と来るな!』『消えろ!』『死んでしまえ!』

 

 

 

 ──私は何もしてないのに、人を食べる気も、本心を暴く気もないのに、どうしてそんな酷い事が出来るの? さとりっていうだけで、どうしてそんな事が出来るの? 助けて……香……私にはもう、貴方しか味方はいないの……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……君、誰?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 最悪の目覚めだ。久しぶりに嫌な夢を見るし、そのせいでパジャマが汗でグッショリと濡れて気持ち悪い。

 朝の騒がしくも活気のある地霊殿の空気とは反対に、私の気分は憂鬱に沈んだ。告白された次の日の朝に、なんて夢を見るんだろう……

 悪い夢を見るって事は、自分の心が満たされていたり、自分の心が変わりたがっている証拠だってお姉ちゃんの本には書いてあったけど、あんな夢を見た後はそう思う事は出来なかった。だって、あの夢には早ければ今日にでも実現してしまいそうな程の、妙な説得力があったから。予知夢って言う類のものらしいけど、そう思うのは私の気のせいなのかしら……

 

 

 

「……とにかく香の所へ行こう。香なら笑って『そんなの気にしない方がいいよ』って言って、そのまま抱きしめてくれるよね」

 

 

 

 そうだ、きっとそうに違いない。

 不吉な考えを振り払うように心の中でそう言い聞かせ、私はベッドから起きて身支度を始めた。今日も空が曇ってたら、香と一緒にあの場所に行こう。昨日は香のお弁当だけだったから、今日は私からお菓子を持ってって一緒に食べよう。香もきっと喜んでくれる筈。

 いつもの服装にいつもの帽子を被って鏡を見れば、もうそこには不安に揺れる私の姿はなく、代わりに笑顔一杯の私がそこに映っていた。よし、これならいつでも香に会える。

 あ、朝ごはんを忘れてた。うーん……香の所で食べようっと。

 

 

 

「行ってきまーす!」

 

 

 

 元気よく挨拶をして、私は地霊殿から飛び出した。

 

 

 

「こいし様!? 朝ごはんはちゃんと食べていってくださいよ〜!」

 

 

 

 お燐の声が遠くから聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 行く途中のお菓子屋さんでお饅頭を買ってから、私はスキップしながら香の家までやって来た。今日は雲一つない快晴で、春の柔らかくて暖かい光が沢山の花を優しく照らしている。時々吹くそよ風に揺れる花達を見ていると、なんだか幸せ一杯って感じがして、こっちまで幸せな気持ちになってくる。あの場所に行けないのは残念だけど、今日は香の家で一緒に楽しく過ごそうっと。

 香の家の近くまで来た時、急にどう挨拶していいか分からなくなった。告白されてから昨日の今日だし、今更だけどどうやって声を掛けたらいいんだろう。いつも通りに振る舞えばいいのかな? それともほっぺにチュー? ……こんな事初めてだから、どうしたらいいか分からないや。

 結局前と同じく笑顔で声を掛けるという結論に至り、いつものように縁側のある庭から香の部屋に来た。地面に物が散乱し、少し荒れている部屋の中、香はもう起きていて、寝ぼけているのか正面の壁をボーッと見つめている。

 

 

 

「おはよう! 香!」

 

 

 

 そんな香の眠気を吹き飛ばそうと、私は縁側に座りながら大きな声で挨拶をした。

 私の声を聞いた香はゆっくりと此方を向くと、無表情な紅い二つの目で私の方を見つめた。多分まだ寝ぼけてるのかも。目がトロンとしてる。

 

 

 

「も〜、まだ寝ぼけてるの? もう朝の九時だよ? ほら、早く起きて一緒に朝ごはん食べよう? 私も食べて来てないからお腹ぺこぺこなんだ〜。あ、そうそう。今日はお菓子持って来たの。三時になったら一緒に「……れ?」」

 

 

 

 そのまま靴を脱ぎ、香の部屋に入ろうとした瞬間、香が何かを呟いた。

 

 

 

「ん? どうしたの?」

 

 

 

 私が聞き返すと、今度ははっきりとした口調で信じられない事を言った。

 

 

 

「君、誰なの? 僕の事を知ってるっぽいけど、僕は君に会った事もなければ顔すら見た事ないよ?」

 

 

 

 わざと知らないふりしてからかってるかと思った私は、香の部屋に入るとはにかみながら、香の側に近づいた。

 

 

 

「やだなぁ愛しい彼女の事をもう忘れちゃったの? だったら私の熱〜いチューで思い出させてあげ」

 

 

 

「僕は此処から一回も出た事がないんだよ? 忘れるどうこうの話じゃないと思うんだけど」

 

 

 

 無表情のままそう言い切られた。その言葉を聞いた時、一瞬頭が真っ白になり、身体が凍ったみたいに固まった。

 

 

 

「……本当に覚えてないの?」

 

 

 

「だからさっきからそう言ってるじゃないか。僕は君の事なんか知らないって」

 

 

 

 鬱陶しそうな表情で香は答えた。

 

 

 

「私だよ! 古明地こいしだよ! さとり妖怪で、香の初めての友達で、昨日香に告白されたこいしだよ! ねぇ冗談はやめてよ! 私、本気で怒るよ!」

 

 

 

 嘘だ、香が私の事を忘れるわけがない。能力を使ったわけでもないし、現に香は昨日までは私の事を覚えていてくれた。私の反応を面白がって、まだこんな悪い冗談を続けているんだ。

 藁にすがるようにそう思いながら、彼の机に置いてあったペンダントを掴み、突き出すようにして彼に見せつけた。

 

 

 

「これ見て! 昨日私がプレゼントしたペンダント! 香も嬉しそうだったじゃない! これでもまだ思い出せないの!?」

 

 

 

 それを見た香は血相を変え、乱暴に私からペンダントを奪い取った。よかった、やっぱり悪い冗談だったんだ。そう思った束の間、

 

 

 

「やめろ! これは元からそこにあった物だぞ! 君のものじゃない! 勝手に触るな!」

 

 

 

 きっぱりと強く言われ、愕然とした。足元が抜けるような絶望感が、私の心を包み込んだ。

 

 

 

「ねぇ、本当に分からないの!? 一緒におしゃべりしたじゃない! 一緒にご飯も食べたじゃない! お願い! 思い出して! いつもの香に戻ってよ!」

 

 

 

 それでも諦めきれない私は、香の肩を掴んで強く問い詰める。全てが全部悪い夢だとすがるように。しかし、それを突っぱねるように彼は私の体を突き飛ばし、立ち上がった。

 

 

 

「うるさい! うるさいうるさいうるさい! 何回言えば分かるの!? 僕は生まれてから一人で生きて来たんだ! 友達なんて一人もいないし、君の事なんか知らないって!」

 

 

 

 怒りが滲んだ声で香が叫んだ。そこへ騒ぎを聞きつけた香のお母さんの緑さんが、心配そうに襖から現れた。

 

 

 

「香〜? どうしたのかしら〜?」

 

 

 

「だ、誰? いつの間に僕の家に入ったの? なんで僕の名前を知ってるの?」

 

 

 

 怯えた表情で尋ねる香を見た緑さんは、驚いて目を見開いた。が、すぐに落ち着きを取り戻し、香に自己紹介を始めた。

 

 

 

「私よ、お母さんの緑よ。生まれてから今日までずっと、貴方と一緒に居たわ。どう? 何か思い出しそう?」

 

 

 

 いつものようなのほほんとした口調ではなく、しっかりとした口調で香に尋ねた。しかし、

 

 

 

「知らない! 僕は貴方の事なんか知らない!」

 

 

 

 それでも香の記憶は戻る事はなかった。

 やがて、この状況に耐えきれなくなった香は、手当たり次第に物を投げつけ始めた。

 

 

 

「出てけ! 出てけ出てけ出てけ! ここは僕の家だぞ! 勝手に入って来るな!」

 

 

 

 投げたものが四方八方に飛び、私や緑さんに当たる。私が持って来たお饅頭も箱ごと投げられ、辺りにお饅頭が散らばった。

 

 

 

「……分かりました。すぐに出て行きます」

 

 

 

 全てを悟りきった表情で、緑さんは襖を閉じた。その後に続くように私も靴を履き、尚も物を投げつける香から追われるようにそこから立ち去った。とぼとぼと重い足取りで玄関まで着くと、小包みを持った緑さんと行き当たった。

 

 

 

「こいしちゃん、今日はごめんなさいね。折角ここまで来てくれたのに」

 

 

 

 申し訳なさそうに緑さんは頭を下げた。

 

 

 

「ううん、いいの……それより……香は、香はどうしちゃったの? なんで私や香のお母さんの事を覚えてないの?」

 

 

 

「その事なんだけどね……」

 

 

 

 そう言って緑さんは、風に揺れる花畑の一つを指差した。

 

 

 

「少し場所を変えて話しましょう。こいしちゃん、朝ごはんはまだなのよね?」

 

 

 

 言い終えたタイミングで私のお腹が鳴り、恥ずかしさで少し頰が熱くなった。

 

 

 

「おにぎりを作っておいたの。おばさんも朝ごはんを食べてないから、そこで一緒に食べましょう?」

 

 

 

 優しく、労うように笑いながら提案した緑さんに安心し、私はストンと首を縦に振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 歩いて十分、綺麗に整備された道を行くと、辿り着いた先には、丁寧に刈り込まれた芝の上に小さな白いベンチがあった。それを囲むようにシバザクラやバーベナ、チューリップに梅にアネモネ──全部香に教えて貰った物だ──なんかが咲いていて、遠目から見ると、そこだけ炎が巻き起こってるみたいだった。

 私がそのベンチに座ると、緑さんは包みを開け、二つあるおにぎりのうち一つを私に差し出した。

 

 

 

「どうぞ召し上がれ?」

 

 

 

「……頂きます」

 

 

 

 沈んだ声でお礼を言い、おにぎりを受け取って口に運ぶ。お燐やお空、お姉ちゃんが作るものに勝るとも劣らない程の絶妙な塩加減で、とても美味しかった。途中から香の事が思い出されてきて、それを振り払うために私は無心でかぶりついた。

 

 

 

「そんなにがっつかないの。ほら、お茶をどうぞ。温かくて落ち着くわよ」

 

 

 

 おにぎりを口いっぱいに頬張りながら、手渡された水筒を受け取り、流し込むように口に含む。ちょっと熱くて舌が火傷しちゃったけど、パニックになっていた私の心はしっかりと保温されたお茶で完全に落ち着いた。緑さんも、その様子を見守りながら優しく微笑み、残った一つを食べ始めた。

 私達は何も話さなかった。ただひたすらおにぎりを食べ、お茶を飲む。多分、緑さんも私と同じように、今まで起こった事を整理して心を落ち着かせていたんだと思う。

 

 

 

「……ご馳走様でした」

 

 

 

「お粗末様でした〜。こいしちゃんはいつも美味しそうに食べるから、おばさん凄く嬉しいわ〜」

 

 

 

 今日の陽気に似た笑顔で緑さんは言った。普段褒められ慣れてないから、こういう事を言われると少しムズムズする。

 

 

 

「うん……ありがとう……それで、香はどうしてあんな風になっちゃったの? 昨日までは私達の事を覚えてたのに」

 

 

 

 改めて質問すると、緑さんは困った顔をしながら「そうねぇ……」と、呟いた。

 

 

 

「何処から話せばいいのかしら……まずはおばさんの過去から話しましょうか」

 

 

 

 そう言って緑さんは深く息を吸い込み、顔を私の方に向けた。

 

 

 

「こいしちゃんは、このお庭全部がおばさんの物だって思ってる?」

 

 

 

「え? ……うん。思ってるよ」

 

 

 

 実際、香もそう言っていたし、住んでるのが二人だけだったから、自然と私もそう思っていた。

 

 

 

「残念だけどそうじゃないの。この庭は、私の夫が所有してた物なの」

 

 

 

「夫? 夫って、おばさんの旦那さんって事だよね。でも、だからってそれがなんでこんなに広いお庭を持ってる理由に繋がるの?」

 

 

 

「それはね、私が嫁いだ所が、苗字である桜葉家だったからなの。こいしちゃんも聞いた事はない? 桜葉秋成って名前」

 

 

 

 その名前に私は息をのんだ。桜葉秋成は、お姉ちゃんが敬愛し、小説を書くきっかけになった小説家だからだ。もう私達が生まれる何百年も前に死んだ作家なのに、未だに人に読み継がれ、その子孫の中には、今も絵や書なんかの芸術方面で活躍している人が多い。幻想郷内では知らない人はいないと言われる程の名家だ。あの稗田阿求ですら一目置くと噂される程凄い家の人と、緑さんが結婚してたなんて思わなかった。

 

 

 

「十八年前……二十五歳の時に、おばさんは桜葉家に嫁いだの。夫は植物学者でね、とってもカッコよくて優しかった」

 

 

 

 そう言って緑さんは、遠い目で空を見つめた。

 

 

 

「その時の生活はとても幸せだった。子供はいなかったから、それだけが凄い心配だったけど、『急がなくていい。こういうのは授かり物だから、気楽にいこう』ってあの人が言ってくれてたから、ゆっくりと待とうと思ってた。でもね……」

 

 

 

 ヒュウと、少し強い風が私達の間を通り抜けた。

 

 

 

「周りがそれを許さなかった。跡継ぎはまだか、跡継ぎはまだかって追い立てられて、暇な時はいつも博麗神社に連れてかれた。そんな生活に耐えられなくなって、三年後に夫は自殺。香を妊娠するニ年前の事だったわ」

 

 

 

 緑さんの目尻の皺が、過ぎた昔を懐かしむように少し寄った。

 

 

 

「私が妊娠したと知って一番喜んだのは、桜葉家の人達だった。これで跡継ぎが生まれる。桜葉家はまだまだ安泰だって。他にも親戚がいるのだからその人達にも子供を産めと頼めばいいのにと思ったけど、どうやら親戚の子供達は全員早死にしてて、私達が唯一の希望だったらしいの」

 

 

 

 へぇ、やっぱり名家ってそういうのに一番苦労するんだね。

 

 

 

「出産の事は今でもはっきり覚えてる。薄暗い部屋で皆んなが見守る中、痛い思いをしながら香を産んだわ。あの子を産声を聞いた時は、神様から直接祝言を頂いたのかと思ってた。けど、産まれた子供を見た人達は口を揃えてこう言ったわ。『この子は鬼の子だ!』って」

 

 

 

 鬼の子? 香が? 初めて会った時から妖気なんて微塵も感じなかったのに? 

 不思議そうに考え込む私を見ながら、緑さんは更に話を続ける。

 

 

 

「昔から、産まれた時から髪と歯が生え揃っている子供は鬼の子って言うのよ。それ以上に、あの子はアルビノだった。だから私達は気味悪がられて、半強制的に夫が所有してたここに住まわされたの。でも、苦痛だと感じた事はなかった。あの人が私の為に遺してくれたものだから、周りの目なんてどうでもよかったし、精一杯あの子を育てたいって気持ちが強かったからね」

 

 

 

「幸せだった?」

 

 

 

「勿論。笑顔があの人にとっても似ていたのよ〜? それにとても可愛くてねぇ〜。あの頃の香は、まさに私の天使そのものだったのよ〜」

 

 

 

 幸せそうに笑う緑さんを見て、私の顔も思わず顔がほころんだ。

 

 

 

「でもねぇ……幸せって、そう長くは続かないのよね」

 

 

 

 緑さんの顔が、暗く沈んだ。

 

 

 

「異変が起こったのは、香が二歳の時だった。いきなり口から血を吐き出して、大慌てでお医者さんに見せに行ったの。その時は肺炎かもしれないって言われてお薬を処方されたんだけど、それからまた二年後、香と一緒に遊ぼうと思って声を掛けたら、『おばさんだれ?』って首を傾げられたの」

 

 

 

 嘘……香の記憶喪失は、子供の頃からあったって事なの? 

 

 

 

「その時の私も、今日のこいしちゃんみたいにパニックになった。三日位様子を見てると、発作的に記憶が消える事に気づいてまたお医者さんの所に行ったけど、こんな症状見たことがないって言われて途方にくれたわ……」

 

 

 

 緑さんの話を聞きながら、私は指を折って年を数える。香が四歳の時は、確かフランちゃんのお姉さんが異変を起こした年だ。だとすると、この頃はまだ竹林のお医者さんは幻想郷に来ていない。

 

 

 

「不運な事に香の肺炎もこの頃に悪化しちゃってね。お金は一応桜葉家が出してくれてたけど、看病と介護が大変だった。発作的に記憶は飛ぶし、しょっちゅう血を吐くし、親戚や村の人達からは化け物の親だって糾弾されるし、この頃は本当に辛くて、地獄のような日々を送ったわ」

 

 

 

 その時を思い出したのか、緑さんの目尻にうっすらと涙が浮かんだ。

 

 

 

「一年後に永遠亭が出来たと聞いた時は、藁にもすがる思いだったわ。八意先生なら、香を治してくれるだろうって。でも、その頃には病状は進行していて、もう遅らせる事しか出来ないって言われて、記憶障害も治す事は不可能って言われて、それを聞いた時はその場で泣き崩れちゃった」

 

 

 

 緑さんの声が震えている。大きな声で今にも泣き出してしまいそうだ。

 

 

 

「それでも八意先生は全力を尽くしてくれた。病状の進行と発作を抑えるのを同時に行う薬を作って下さったの。この薬を飲んでから、香の病状は少しずつだけど良くなってきたわ。たまに発作は現れるけど、だんだんと布団から出る事も増えた。そんな時、貴女がここに来たの」

 

 

 

 そう言って、緑さんは申し訳なさそうに私の方へ向き直り、深く頭を下げた。

 

 

 

「ごめんね。こんなに大切な事をずっと隠してて。貴女の事を信じてないわけじゃないけど、香は自分が記憶障害を持ってる事を知らなかったからうっかり喋ってしまうのが心配だったし、何よりこんな事を聞かされたら、二人ともショックを受けるんじゃないかって怖かったの」

 

 

 

 緑さんの深い謝罪に、私は何も言うことが出来なかった。

 緑さんはずっと一人で戦っていた。香に悲しい思いをさせない為に、謂れのない中傷も、香の看病による疲れも全部隠して押し殺して、ずっと一人で戦っていた。

 ドス黒い感情が渦巻く人間の心をこれ以上見たくなくて、もうこれ以上周りからの迫害を受けたくなくて、サードアイを閉ざした(逃げてしまった)自分がとてもちっぽけで弱い生き物のように感じた。

 

 

 

「……でも! 香はあんなに元気だったじゃない! あれならもう治っててもおかしくは」

 

 

 

「言ったでしょう? ()()()()()()()()()()()()()()って」

 

 

 

 きっぱりと言い切ったその口調は、覚悟を決めたように強く、大きく周りに響き渡った。

 

 

 

「今日の朝六時位に発作が起こったから、あの薬を飲んでもう一回寝かせたの……こいしちゃんならもう分かるわよね?」

 

 

 

 分かりたくなかった、嘘だと思いたかった。だけど、頭のどこかで理解してしまった。『薬が効かなくなってしまった』のだと。

 

 

 

「八意先生は、この薬が効かなくなったら余命は後一週間だと思いなさいって仰ってたわ……つまり、後一週間したら……あの子は……もう……」

 

 

 

 想像したくなかった。香が死んじゃう未来なんて見たくも聞きたくもなかった。だから私は耳を塞いで目を瞑り、緑さんの話をシャットアウトした。

 もう一度目を開けた時、私は暗くて深い森の中にいた。鬱蒼と茂った木々の影に覆われた道の先は、まるで今の私の心を表しているみたいだった。

 あぁ、またやってしまった。また無意識のうちに無意識を操って、現実から逃げてしまった。此処は何処だろう? また緑さんの所へ行けるのかな……いや、もうあの場所には二度と行けない。現実を受け止めきれずに逃げた自分は、もうあそこに行く資格なんてない。

 罪悪感と後悔の念の中、私は無意識に操られながら、フラフラと森の奥へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 コン、コン、コン。

 ベッドで眠っていると、部屋にノックの音が三回響き渡った。こんなに優しいノックをするのは、地霊殿内だとお姉ちゃんしかいない。

 

 

 

「こいし? 入るわよ」

 

 

 

 ドアが開く音と共に、お姉ちゃんが心配そうな表情で入ってきた。

 

 

 

「これ、貴女宛にって射命丸さんから届けられたのだけど……」

 

 

 

 ベッドに腰掛けながら、差し出された手紙を受け取って宛名を見る。差出人は書いてなかったが、若草色の封筒から、これが緑さんからだということが分かった。

 

 

 

「……捨てておいて」

 

 

 

「えっ? まだ手紙を見てないじゃない」

 

 

 

「いいの。別に大した事じゃないから」

 

 

 

 何気なくそう言って手紙を返したが、お姉ちゃんはなおも心配そうに私を見つめている。

 やがて、お姉ちゃんは意を決したようにこう口を開いた。

 

 

 

「……ねぇ、こいし。何か嫌な事があったの?」

 

 

 

「……どうしてそんな事を聞くの?」

 

 

 

「当たり前でしょ!? 一週間前に帰ってきたかと思ったら身体中すごいボロボロで、そうかと思ったら今度はご飯も食べないでずっと部屋に籠ってばかりじゃない! 心配しない方がおかしいわよ!」

 

 

 

 声を荒げたお姉ちゃんの目は、僅かながら赤く腫れていて、その下には隈ができていた。

 お姉ちゃんの言う通り、私は一週間前に帰って来てから三日間、一歩も外に出ていない。

 

 

 

「最近まであんなに楽しそうにしてたのに、何か人間に嫌な事されたの? 私に出来る事なら何だってするわ。だから、何があったか話してくれない?」

 

 

 

 悲しそうに問い詰めるお姉ちゃんを見てると、私まで悲しくなってくる。でも、これは私の問題だ。お姉ちゃんを巻き込むわけにはいかない。

 

 

 

「……ごめんね。心配かけちゃって。でも、本当に何でもないよ。あの時はたまたま妖怪に襲われちゃって、ちょっと苦戦しただけなの。部屋から出ないのも、その時の傷がまだ痛いし、少し疲れてて食欲がないからだよ。大丈夫だから。今日の夜にはご飯も食べられると思うし」

 

 

 

 笑顔で誤魔化したつもりだったけど、尚もお姉ちゃんは心配そうに私を見つめている。早く一人になりたいと思っていると、突然、持っていたナイフで手紙の封を切り、中の手紙を読み始めた。不意打ちだったから驚いたけど、別に捨てるものだし、まぁいいや……

 

 

 

「……分かったわよ。貴女がそこまで言うなら、私はもう何も言わないわ」

 

 

 

 溜息をつきながらお姉ちゃんは言った。

 

 

 

「でも私が手紙を見てしまった以上、お返事を書かないわけにはいかないわ。だから、貴女にお使いを命じます。私の手紙を、これを書いた方に渡して来てくれないかしら?」

 

 

 

「えっ」と、私は息を呑んだ。

 

 

 

「だってそうでしょう? 私はこの地底からは一歩も出た事がないもの。そうじゃなくてもこの手紙には宛名が書いてないから、頼りになるのは知り合いであろう貴女しかいないじゃない」

 

 

 

 ぐうの音も出ない程の正論に、私は何も言えなかった。

 

 

 

「……こいし。私は貴女の心は読めないけど、あの手紙を読んだ今なら、貴女の気持ちははっきりと分かるわ」

 

 

 

 そう言ってお姉ちゃんは机に手紙を置き、部屋のドアに手をかけた。

 

 

 

「何も言わないと言ったけど、一つだけ言わせて。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。返事は明日出すわ。頼んだわよ。こいし」

 

 

 

 そう言ってお姉ちゃんは部屋から出ていった。

 

 

 

「変わりたいなら……かぁ……」

 

 

 

 ベッドに寝っ転がりながら、お姉ちゃんの言葉を反芻するように呟く。

 私はどうしたらいいんだろう。緑さんの話を最後まで聞かずに逃げてしまったんだ。今更どんな顔をしながら会いに行けと言うんだろう。でも、会いたくないって思う気持ちの中で、しっかりと会って謝りたいっていう気持ちもあった。

 ……取り敢えず、読んでみようかな。

 悔恨よりも好奇心の方が勝り、私は机に置いてあった手紙を手に取った。

 

 

『こんにちは。いや、こんばんはって言った方がいいのかしら? お久しぶりです。いきなり目の前から貴女が消えるから、びっくりしちゃった。けど、それ位貴女にとっては悲しい事だったと思う。ごめんね。あんなに悲しい思いをさせてしまって。

 こいしちゃんが来なくなってから、丁度一週間後に香は亡くなりました。お葬式は、親族には知らせずひっそりと行いました。こいしちゃんにも来て欲しかったけど、それはおばさんの我儘だって分かっているし、こいしちゃんが辛くなってしまうだろうから、勝手だけど呼びませんでした。

 ここからが本題なのですが、私は早ければ三日までにあそこから離れなければいけません。香が死んだ事を知った親族から、この土地から出て行けと通告があり、それに従わなければならないのです。なので香の遺品を整理していたのですが、その時にどうしても貴女にお渡ししたいものが出て来たので、こうして筆を取った次第なのです。

 無理に、とは言いません。遺品と言ってもガラクタですし、こいしちゃんの気分が乗らなければ、来なくても構いません。最後に貴女と話したいと言う、おばさんの我儘なのですから。

 それでは、風邪を引かず、元気に過ごしてください。また何処かでお会いしましょう。

 香のお母さんより』

 

 

 

 嘘、緑さん、いなくなっちゃうの? 

 丁寧な字で書かれた手紙を見た私は、一瞬だけ焦ってしまった。このチャンスを逃してしまったら、もう緑さんとは会えない。謝る事も、話す事も出来なくなる。これが最後のチャンスだ。

 お姉ちゃんが手紙を書き終わる頃には、私の覚悟はもう出来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 今日の天気も晴れだった。雲が少し厚く、ちょくちょく太陽が隠れちゃうけど、雨が降る気配は全くなかった。

 香がいなくなった後の家は、どことなく寂しそうな感じがした。主人がいなくなって活気が無くなった家特有の寒々とした空気が、玄関から漏れるように流れ込んでくる。

 

 

 

「ごめんください」

 

 

 

 大きな声で挨拶をして、玄関の扉を開く。よく考えたら、玄関から入ってくるのは初めてのような気がする。

 

 

 

「は〜い……あらこいしちゃん。いらっしゃい。待ってたわよ」

 

 

 

 奥から喪服を着た緑さんがやって来た。ずっと泣いてたのか目は兎みたいに紅く、顔にはいくつか涙の跡が残っていた。

 

 

 

「あの……これ、あの時のお返事です」

 

 

 

「あら、わざわざありがとう〜」

 

 

 

 私が差し出した手紙を、緑さんはいつものようにのほほんとした空気で受け取った。お姉ちゃんからは、「私が書いたって言わないで」って釘を刺されたけど、なんでなんだろう。

 

 

 

「それから……この前は勝手に何処かに行ったりしてごめんなさい」

 

 

 

 そう言って頭を下げると、緑さんも申し訳なさそうに頭を下げた。

 

 

 

「此方こそごめんなさいね。何も言わずに貴女に辛い気持ちにさせちゃって。初めて出来た香のお友達だから、あまり気を使わせたくなかったの……」

 

 

 

 緑さんの声が震えた。

 

 

 

「……ごめんなさい。ちょっと感情的になっちゃったわ。待っててね、今取ってくるから」

 

 

 

 そう言って緑さんは早足で奥に消えた。

 暫くして緑さんが戻った時、手にボロボロになった一冊の本を持って来て、私に手渡した。

 

 

 

「これは、香が毎日つけてた日記帳なの。今まであった事を忘れないようにって私が勧めたんだけど、私たちの事を忘れるまでずっと書き溜めてたわ」

 

 

 

 日記を見ると、確かにその日に起こった事をほぼ毎日記していた。しかもその全てに押し花が貼ってあったり、花の絵が書かれていたりと、本当に香は花が好きだったんだと改めて思った。

 読み進めていくうちに、私達が初めて出会った日の所に行き当たった。

 

 

 

『四月二十三日、天気/晴れ

 今日は珍しくお客さんが来た。こいしちゃんって言うさとり妖怪で、今まで色んな所を放浪していたらしい。

 お母さんの話が長くてあんまり話せなかったけど、とっても楽しかった。

 みんなからずいぶん嫌われてるらしいけど、僕はそうは思わなかったなぁ。むしろ可愛いと思うくらい。さとり妖怪だからって遠ざけてる人は、本当に勿体無いと思う。

 また明日って約束したけど、会いに来てくれるといいなぁ』

 

 

 

 その隣には、私と香の似顔絵があった。二人ともいい笑顔で、とっても幸せそうだ。

 

 

 

「ふふ……香はそんな事思ってたんだ……」

 

 

 

 そこから先は、私と香の交流の事しか書かれてなかった。『今日はこいしちゃんから奇跡を操る緑髪の巫女さんがいる事を聞いた』とか、『今日はこいしちゃんと将棋をして遊んだ』とか。今まであった楽しい思い出が、どんどん私の心の中に溶け込んで行った。

 そして、日記帳があの日の事が書かれたページを開いた

 

 

 

『五月十三日、天気/曇り

 遂にこの日が来てしまった。前々からなんとなく察してはいたけど、いざこの時が来ると、やっぱり少し怖くなってくる。

 きっかけは、気がついたらお母さんがいつも疲れ切った表情をしているなぁ。と思った時だった。

 どうしてって聞いてもはぐらかすだけで、それ以上聞きようがなかったけど、お母さんの様子を見る限り、僕の具合は相当悪いだろうとは思ってた。それに、ここ最近物忘れが酷く、忘れた事のない花の名前を忘れる事が多くなってたから、多分それが関係しているんだと感じていた。

 確信したのは、僕が七歳の時だった。その日は体の調子も良く、空もそこそこ雲に隠れてたから、いつものようにお気に入りの場所で本を読んでたら、急にあの花の名前が分からなくなった。

 いつも来ている場所で、僕のお気に入りの場所なのに、大好きな花の筈なのに、すぐに名前を思い出す事が出来なかった。家に帰ってから思い出す事は出来たけど、その時点で僕は、心も体ももうじき死ぬんだって分かってしまった。

 だから、そうなる前に自分の気持ちを伝えたかった。こいしちゃんの事が好きだって、僕が好きなあの場所で言いたかった。

 今振り返って見ると、この告白はお世辞にも成功したとは言えないと思う。この日の為に色々と準備した筈なのに、プレゼントは忘れるしミニバラの花言葉は間違えるしで散々って感じだった。でも、こいしちゃんから綺麗なネックレスを貰ったし、何より僕と同じ気持ちだった事は嬉しかった。

 心残りなのは、彼女にプレゼントを渡せなかった事。お返しと称してほっぺにチューはしたけど、こんなに綺麗なネックレスを貰ってチューだけで済ませちゃうって言うのは、僕の中ではすごく申し訳ないと感じてしまう。

 それでも、彼女に自分の気持ちを伝えただけでも十分だ。これ以上我儘を言ったら、閻魔様に叱られてしまう。

 僕が死んだら、お母さんとこいしちゃんに沢山迷惑かけちゃうかもしれないなぁ。今のうちに謝っておこう。ごめんね、お母さん。僕のために大変な思いをさせちゃって。ごめんね、こいしちゃん。大切な君の事を忘れてしまって。

 まだまだ書いていたいけど、紙も無くなったし眠くなったから、これで最後にしよう。

 さようなら。僕の大切な人達。僕が死んだら、一番好きなあの場所に埋めてくれたら嬉しいな』

 

 

 

 最後のページを開くと、「こいしちゃんへ」と書かれた包み紙があった。中には勿忘草とミニバラの押し花で作られたネックレスが入っていて、「今までありがとう」と書かれた紙が下に敷かれていた。

 その瞬間、脳裏にあの時の香の言葉が鮮明に思い浮かんだ。

 

 

 

『良かったよ。僕が死ぬ前に伝える事が出来て』

 

 

 

 あの時から、いや、それよりもっと前から香は自分の死期が近い事を知っていたんだ。だから一日も欠かさずに日記を書いたんだ。いつか来る自分の死に備えて、残される私達に沢山のごめんなさいとありがとうを伝える為に。

 

 

 

「……本当に、貰ってもいいの?」

 

 

 

 日記から目を離さずに尋ねると、緑さんは「勿論よ」と力強く言った。

 

 

 

「ありがとうおばさん。私、ずっと大切にするね。このネックレスも出かける時はいつも身につける。これならいつでも私を見つける事が出来るから、何処かで見かけたら声をかけ──」

 

 

 

 その時の私は、一体どんな顔をしていたんだろう。笑ってたのかな、無表情だったのかな。だけど、いつの間にか緑さんが優しく抱き締めて来て、驚いた顔になった事だけは分かった。

 

 

 

「こいしちゃん……無理しないで……泣きたい時は泣いていいんだよ……」

 

 

 

「無理? 私は全然無理なんてしてないよ?」

 

 

 

「そうね……無理なんてしてないかもしれないわね……でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()……?」

 

 

 

 言われてから第三の目(サードアイ)に触れると、開くことすら叶わない程に固く閉じたその瞳から、暖かいものが流れ落ちていた。

 

 

 

「あれ……あれ……? なんで、私の目、濡れて……あれ?」

 

 

 

 いつの間にか、今まで溜まっていたものが溢れてしまうように、二つの目からも涙が流れ落ちた。

 

 

 

「もう香はいないのに、泣いたって香に会える訳じゃないのに、なんで涙が止まらないの? なんでこんなに悲しくなるの?」

 

 

 

「もういいのこいしちゃん。貴女はもう十分耐えたわ。辛かったね。きつかったね。もう我慢しなくていいのよ。思う存分泣きなさい。おばさんが全部受け止めるわ」

 

 

 

 慈愛に満ちた緑さんの声で、心の中にあった鎖が壊れた。気付いた時には思いっきり緑さんを抱き締めて、大声で泣いていた。

 

 

 

「もっと香の声が聞きたかった! もっと香と話していたかった! もっと早く香と出会いたかった! 嫌だ! 香ともう二度と会えないなんて嫌だ! 帰って来てよ! もう一度私と話そうよ! またあそこで一緒にご飯が食べたい! もう一度香の笑顔が見たい! 閉じた瞳を開くから! 嫌な感情も全部読むから! お姉ちゃんの言う事ちゃんと聞くから! だからお願いだよ神様……香を……香を返してよぉ!」

 

 

 

 緑さんは何も言わなかった。ただ黙って、ぐずる赤ちゃんをあやすように、泣きじゃくる私の背中をゆっくり、優しく撫でるだけだった。

 

 

 私の泣き声はいつの間にか暖かな日差しに包まれた庭に響き渡り、慰めるように溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 数週間後……

 

 

 

「……いつ来ても凄い絶景ね」

 

 

 

 見渡す限りの綺麗な花の光景に、私は感嘆を吐くことしか出来なかった。

 

 

 

「ねぇ緑おばさん! お花で冠作っていい!?」

 

 

 

「ちょっとお空! 今はそんな事してる暇はないでしょ!?」

 

 

 

 すぐ近くではしゃいでいたお空をお燐が窘め、窘められたお空は「うにゅぅ〜……」と、残念そうな表情をした。

 

 

 

「そうよ。今日は宴会なんだから、遊んでる暇なんてないのよ。ほら、あんたも手伝いなさい。手伝ったらタダでお酒が飲めるわよ?」

 

 

 

 落ち込んでるところに霊夢さんが発破をかけると、お空は元気よく「うん! 頑張る!」と返事をし、お燐と一緒に走っていった。主人の私が言うのもなんだけど、あの子は本当に真っ直ぐすぎて時々馬鹿に見えてしまうわ……

 

 

 

「ふふ、お空ちゃんは可愛いわねぇ。目に入れても痛くないくらい」

 

 

 

 隣でクスクスと笑いながら、彼女はこう呟いた。私がチラッと見ると、すぐに笑いを引っ込め、仰々しい顔で頭を下げた。

 

 

 

「申し訳ございませんでしたさとり様。私の無礼をお許し下さい」

 

 

 

「……ねぇ、いい加減その呼び方で呼ぶのやめてくれない? 私と貴女の仲でしょう? みーちゃん」

 

 

 

 呆れながらそう言うと、みーちゃんは「あらそう?」と、これ見よがしに首を傾げた。

 

 

 

「だって今の私はさっちゃんの秘書なのよ? 立場的に貴女の方が上じゃない。そう簡単に昔の仲に戻れって言われても……ねぇ?」

 

 

 

 そう、みーちゃんこと緑ちゃんは、今は地霊殿で私の秘書をしている。確かに立場的には私の方が上だけど、だからって私達の友情が無くなったわけじゃない。

 

 

 

「別に私は気にしてないわよ。前と同じように接してくれればそれでいいから。それより、幽香さんはどうしたの?」

 

 

 

「暫く花畑を見てくるって言ってたわ。こんなに丁寧に手入れされた庭は見た事がないから、ちょっと参考にするそうよ」

 

 

 

 いかにもお花好きな彼女の考えそうな事だ。いつ会っても彼女は花の事ばかり考えている。

 

 

 

「それにしても、いきなり手紙を送って来た時はびっくりしたわよ。まさかこいしちゃんのお姉さんがさっちゃんだなんて思っても見なかったもん。しかも、あの土地を買い取るって書いてあって更に驚いちゃった」

 

 

 

 あの日、みーちゃんからの手紙を受け取った私は、長年返したくても返せなかった彼女への大きな恩を果たす絶好のチャンスだと思った。

 そこですぐに三日後に買収するという旨の手紙を書き終えた私は、霊夢さんと幽香さんの所に赴き、定期的に此処で宴会を開く事を条件に協力をお願いした。

 手紙を送った三日後に、私は二人を連れ、約三十年ぶりに、みーちゃんに会いに行った。あの時のみーちゃんの驚きようと言ったら、今でも鮮明に思い出せる位に凄かった。

 

 

 

「その時は丁度桜葉家の人間と一緒に家を出ようとしてたわね。その時の驚きようと言ったらもう……笑っちゃうくらい面白かったわ」

 

 

 

 そこからはトントン拍子で話が進んだ。と言うのも、その事を聞いた桜葉家の人々がすっかり怯えてしまい、「土地をやるから儂等を殺さないでくれ!」と、土下座までして命乞いをされ、一方的に土地を放棄したからだ。そして、今は名目上この土地は地霊殿のものだが、実質的な手入れはみーちゃんが取り仕切っている。

 

 

 

「ごめんね。こんなに手間を取らせちゃって。大変だったでしょう?」

 

 

 

「そんなに苦にはならなかったわ。全部私が勝手にやった事だもの。ずっと貴女にお礼がしたかったから、これくらいどうって事ないわ」

 

 

 

 そう言って微笑むと、みーちゃんも恥ずかしそうに微笑んだ。

 

 

 

「そういえばこいしは? 先に行ってるって言ってたんだけど」

 

 

 

 私が辺りを見回して探しても、こいしの姿は見えなかった。無意識で心が読めないとはいえ、今日は流石にここら辺にいる筈なのだけど。

 すると、みーちゃんが思い出したように両手を合わせた。

 

 

 

「あ、多分あそこよ。行ってみましょう」

 

 

 

 みーちゃんに案内された場所に行ってみると、そこには青と白の小さな花が咲いているのを一望できる小高い丘に出た。こいしはそこにある青いペンダントがかかった小さな墓石にうずくまっている。

 

 

 

「こいし!? どうしたの!?」

 

 

 

 まさか妖怪に襲われたのか。そう思って駆け寄ろうとしたが、みーちゃんに止められた。

 

 

 

「大丈夫よさっちゃん。落ち着いて」

 

 

 

 二、三回深く息を吸い込み、静かに近寄ってみると、こいしはスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。安心しきった顔で、委ねるように墓石に身を寄せるその姿は、まるで好きな人に膝枕されている恋人のように幸せそうだった。

 

 

 

「……また後で来ましょうか」

 

 

 

「そうね。お邪魔しちゃってわるかったわ。香。後は二人でごゆっくり〜」

 

 

 

 そう言って二人でクスクスと笑い合い、踵を返して立ち去った。

 

 

 まるで二人を祝福するかのように、暖かな夏の陽気を含んだ風が、あの二人の体を包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


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