東方悲恋録〜hopeless&unrequited love〜   作:焼き鯖

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片隅の記憶②

「お祭り……ですか?」

 

 

 

 そう小首を傾げる阿求の目の前に、チラシがパッと目に入る。

 守矢神社が主催する、妖怪の山の夏祭り。その案内図のチラシをヒラヒラと揺らしながら、持ち主である上白沢慧音はコクリと頷く。

 

 

 

「あぁ、そうだ。なんでも、今回は人里の人間も参加可能で、友人や家族なんかと一緒に来ればもっとお得になるらしい。どうだろう? たまの休みなんだ。羽を伸ばしてきたらいいじゃないか」

 

 

 

「いえ、それは嬉しいんですが……」

 

 

 

 妖怪の山の夏祭りは、阿八の時にも行ったことがあるし、現在も呼ばれていれば行くことはある。

 だが、この山での夏祭りというのは、本来であれば妖怪だけ参加可能のお祭りであり、天狗が毎年取り仕切っていたはずである。阿求は人間の里の代表として、来賓扱いで参加していた。

 それが、今年になってこの措置である。プライドの高い天狗が守矢神社の交渉を何度も断り続けてきた事は周知であり、仕方なく人間の里で開催していたこともまた知っているが、何故今になって天狗が折れたのか阿求には分からなかった。

 

 

 

「珍しいなと思いまして。天狗が山に人間を入れるなんて滅多にないことですもの」

 

 

 

「む……そこの事情に関しては私には分からないが、守矢の巫女が尽力してくれたのだろう。せっかくなんだ、翠嵐を誘って行ってくればいい」

 

 

 

「ふぇ!? な、なんでそこで翠嵐がでてくるんですか!?」

 

 

 

 顔を真っ赤にし、露骨に焦り始めた阿求に対し、慧音はニヤリと笑ってさらに追撃を始める。

 

 

 

「そういえば聞いたぞ? 阿求嬢、今は翠嵐にベタベタなのらしいな? 外で腕を組んで歩くだけでは飽き足らず、縁起の編纂時もそばに呼んで、手とか色々触ってたり触られたりしながら書いているとか」

 

 

 

 

「ど、どうしてそれを……!」

 

 

 

「使用人から聞いたんだ。毎日惚気られて困るとか、あぁなったらいつ冷めるかとか、色々心配していたぞ?」

 

 

 

「あぅ……!」

 

 

 

 使用人が言っていた事は、紛れもない事実であった。

 阿八の時分からの我慢が一気に解かれたのか、会うごとに腕にくっついて愛の囁きを繰り返したり、編纂の際には自宅に招き、書いてはいちゃつき、書いてはいちゃつきを繰り返していた。

 人間、そんな事をずーっと続けているのであれば、いつかは飽きて百年の恋も冷めるものだが、二ヶ月、三ヶ月と同じようにベタベタしていても、阿求から冷める様子は全くない。

 では翠嵐の方はどうかと問われれば、彼もまたまんざらな様子ではない。ただ、最近になって編纂を嫌がるようになった阿求をたしなめるようになり、立場がだんだんと逆転してきているようであった。

 

 

 

「まぁ、仲睦まじいのは結構だが、仲睦まじすぎて束縛しないようにな」

 

 

 

「わ、分かってますよ……それくらい」

 

 

 

「それじゃあ、私は授業があるからこれで。翠嵐にも伝えておくんだぞ」

 

 

 

 そう言いながら慧音は席を立った。一人残された阿求は、むぅと頬を膨らませつつ、ゴロンと寝転がって天井を仰ぎ見る。

 

 

 

「……お祭り……かぁ……」

 

 

 

 阿八から阿求に変わって、初めての夏祭り。それも、恋仲になって初めての大きなイベントである。

 浮かれていないといえば嘘になる。

 だが、稗田という世間体がある以上、人前、それも上白沢慧音等の有力者の前では、多少なりとも居住まいは正さなければならない。ただ、既に人里の間でその所業が知れ渡っている。要するに、今更かしこまってお澄ましをしても意味がないというわけである。

 そこを突かれてからかわれたのだ。拗ねなければやっていけない。

 

 

 

「……だけど」

 

 

 それでも好きなことには変わりないし、今更辞める理由もない。見透かされているような気がして少しだけ癪だが、今日もいつものあの場所で落ち合う約束をしているから、これからすぐにでも伝えるつもりである。

 

 

 

 

「……よし」

 

 

 

 心を整えた阿求はバッと起き上がり、髪を軽く整えると、慧音に渡されたチラシと荷物を持って出かけていく。からかわれた後だというのに、彼女の足取りはとても軽やかなものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 嬉しそうに駆けていく阿礼乙女。その音を、死角の塀にもたれて聞いているものがいた。

 

 

 

「……行ったか」

 

 

 

 残念そうな、しかし、予想していたような声色で、はぁとため息をつく。先代のころからの付き合いで、一度はまってしまえばそれしか見られなくなる悪癖はそのままだったらしい。できれば伝えないでほしいと半ば流れ星に祈るような形だったが、この性格が続くようではそれも難しい。

 彼女はもう一息ため息をつくと、ある場所に向かうために歩き始めた。もし阿求がこのまま何もしないようであれば翠嵐だけに的を絞り、危害は加えないようにするつもりではあったが、こうなってしまった以上、巻き込まれてしまうのを覚悟のうえでやるしかない。

 

 

 

「恨むなよ……阿求嬢」

 

 

 

 そうして彼女は覚悟を決め、歯を食いしばった。上白沢慧音らしからぬ、なんとも自虐的で自爆的な覚悟だった。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 ここ数か月、あまり外出をしてこなかった阿求にとって、山登りというのは身に応えるものであった。

 何しろ不規則な生活に加え、縁起執筆に時間を割いているために運動らしい運動はしていない。ここに来るのは先代御阿礼の子以来であるからして、実に百年は時が経っている。

 ここに来ることなんてほとんどないに等しかった。

 だが、今は違う。

 るんるんとスキップしながら、集合場所である秘密基地へ向かう。流石にここまで走りきる体力は彼女にはなかったらしい。

 そうして秘密基地までのなだらかな坂道を登りきった。いつも通りであれば、翠嵐はこの丘にある洞穴の中で待っているはずである。

 

 

 

「すーいらん! 来たわよ!」

 

 

 

 阿求は洞穴の中にいるであろう翠嵐に声をかけた。会えるのが楽しみだという事を微塵も隠さない程語尾が跳ね上がった声で。

 

 

 

「……翠嵐?」

 

 

 

 しかし、反応がない。本来ならすぐに洞穴からひょっこりと顔を出して、「おっす!」なんて短く挨拶を返していたはずだが。

 

 

 

「……い。何も……」

 

 

 

 ふと耳をすますと、洞穴の奥から翠嵐の声が聞こえてきた。誰かと何かを話していたようだったが、ここからではよく聞こえない。

 

 

 

「……そういえば、私、何度もここに来てたはずなのに、この洞穴の中は一回も入った記憶がないわ……」

 

 

 

 妙な気分を感じつつ、阿求は洞穴の中に足を踏み入れた。カツン、と足音が反響する。

 洞穴は意外と深く、明かりがないと何も見えなかったが、数メートルほど歩いたところで、白い光が見えるようになった。

 

 

 

「……はい、何もありません。なので……」

 

 

 

 段々と翠嵐の声も鮮明になってきた。やはり誰かと何か話している。

 

 

 

「……翠嵐?」

 

 

 そこから再び呼びかけると、ガタンと大きな音が響いた。「また後で報告します」という声が聞こえた後、バタバタと何かを片付けるような音がこだまし、奥から翠嵐の姿が現れた。

 

 

 

「よ、よぉ! 早かったんだな! 阿求!」

 

 

 

 明らかに動揺したような声色である。

 

 

 

「うん、今日はちょっとね。それより翠嵐、いいの? 誰かと話してたようだけど」

 

 

 

「い、いいんだ! また後でも大丈夫だし!」

 

 

 

 明らかに嘘である。

 

 

 

「……ねぇ、翠嵐。何隠してるの?」

 

 

 

「え? いや、別に俺は何も──」

 

 

 

「嘘。アンタ、目が泳ぎすぎてるもん。それに私、この洞穴に一回も入った事ないし」

 

 

 

「そ、それは単に入る機会がなかっただけじゃ……」

 

 

 

「兎に角、アンタが何かを隠しているのは明白。ちょっと中に入らせてもらうわよ」

 

 

 

 目を泳がせ、尚も止めようする翠嵐を睨みつけて黙らせ、阿求は奥へと進んでいく。

 

 

 

「……ちょっと、これって……」

 

 

 

 中を見るなり、阿求は驚いた。洞穴の奥に、幻想郷ではありえない程の設備が敷かれてあるからだった。

 河童が作ったのだろうか、高性能そうなワイヤレスフォンに、如何にも馬力が違うと思わせんばかりの発電機、そこに繋がれた液晶画面に、パソコンも常設されている。

 壁にはいくつかの武器がかけられており、銃に至っては阿求にも見覚えのないものがほとんどであった。

 

 

 

「あーあ、知られちゃったか……阿求には秘密にしておきたかったんだけどなぁ……」

 

 

 

 がっくりとうなだれた翠嵐が背後から近寄ってくる。

 

 

 

「どういうことなの翠嵐。アンタこれ、一体……」

 

 

 

「仕方ない、阿求にはホントのことを話すよ」

 

 

 

 ゴクリ、と阿求は唾を飲みこんだ。何か重要なことを伝えられるのかと身構える。

 

 

 

「実はさ……俺、結構前からここに住んでるんだよ」

 

 

 

「……は?」

 

 

 

 肩透かしを食らった気分である。思わず阿求は顔をしかめた。

 

 

 

「いや、俺が帰ってきたときには住んでたところが取り壊されててさ、仕方なくここを改造してしばらく拠点にしてたんだよ」

 

 

 

「いや、そんな事信じられるわけないでしょ! 何よこの機械、何横の武器! 幻想郷じゃ見たことないわよ!」

 

 

 

「これはあれだよ。外の世界からいくつかかっぱらってきたんだ。一つあげようか?」

 

 

 

「いらないわよそんな物騒なもの! というかそんな嘘、私が本気にすると思ってるの? あの因幡兎よりもマシな嘘くらい私だってつけるわよ!」

 

 

 

「ちょ……ちょっと、待ってくれよ」

 

 

 

 このまま質問攻めにしようと思っていたところで、翠嵐が待ったをかける。

 

 

 

「何回も言ってるだろ? 俺はお前に対して嘘をついたことなんか一度だってない」

 

 

 

「だけどこれじゃ────」

 

 

 

「いや、これは本当だ! 信じてくれよ! この目にはいってんのくもりもないだろ!」

 

 

 

 指を自分の目に示し、頑として聞かない翠嵐。確かに彼の眼は一点の曇りもなく、まっすぐに阿求のほうを向いている。

 

 

 

 

「はぁ……分かったわ。今回だけは信じましょう。だけど! 今度くだらない嘘ついたら承知しないんだから!」

 

 

 

 あまりの下手糞な嘘に呆れる阿求であるが、翠嵐の熱意と曇りなき眼差しに押された結果、今回は許してやることに決めた。ただし、この貸しは今日のお祭りで存分に返させてもらおうとひそかに決意する。

 

 

 

「ありがとう! 阿求なら分かってくれるって信じてたぜ!」

 

 

 

「はいはい、分かったから。それで、あんた今日、妖怪の山でお祭りがあること知ってる?」

 

 

 

「お祭り……? あー、妙に外が騒がしいと思っていたらそういう事だったか」

 

 

 

「何よ、アンタまさか、ずっとここにいたの?」

 

 

 

 阿求が尋ねると、翠嵐「アハハ……」と気まずそうに笑って目を横に流した。

 

 

 

「呆れた。アンタも人のこと言えないじゃない。で、お祭り行くの?」

 

 

 

「も、勿論だよ! 阿求の頼みを無碍にするわけないだろ!」

 

 

 

「そう、分かったわ。少ししたら戻るけど、それまで……ここにいてもいいよね?」

 

 

 

 

 上目遣いでおねだりをする阿求に対し、翠嵐は何も言うことが出来なかった。

 

 

 

 

 

 


 

 

 そうして夏祭りの時刻となった。薄暗くも、夕日の赤い光が守屋神社の境内を照らしている。

 河童の的屋や露店がはびこるその裏で、烏天狗が自身の新聞を売ろうと躍起になっている。河童も河童で、自分の露店の売り上げを確保しようと必死に声を張り上げ、祭りの空気をより熱くさせている。その中に混ざって博麗の巫女が賽銭の要求をしていたが、連れの妖怪に引っぺがされて涙目で撤退していった。

 人々の姿は今のところはまばらだが、すぐにいっぱいになるだろう。どこからか聞きつけたか、はたまた招待を受けたのか、妖精や騒霊の他に、付喪神や魔法の森にすむ魔女、果ては紅魔の吸血鬼たちの姿が見える。

 今まさに、幸せと熱狂に覆われんとしている場所に、稗田阿求もいた。

 

 

 

「このたびはお招きいただきありがとうございます」

 

 

 

 ぺこりと頭を下げた頭を上げれば、注連縄と御柱を背負いし守屋の一柱、八坂神奈子の姿。カラカラと笑いながら、神奈子は「わざわざありがとう」と片手で制する。

 

 

 

「今日は来賓としてではないからな。目いっぱい楽しんでくれ」

 

 

 

「はい。でも……いいのでしょうか。ご挨拶とか、代表としてしたほうが……」

 

 

 

「その心配はいりません!」

 

 

 神奈子の後ろからひょこッと顔を出したのは、緑色の長髪を靡かせた、守屋が誇る風祝。

 

 

 

「代表の挨拶は慧音様が変わってくれるそうです! ですから阿求様は何も心配せずにじゃんじゃん楽しんで言ってください!」

 

 

 

 と、いうわけだといたずらっぽく笑う神奈子。一本取られたような、嬉しいような、そんな得も言われぬ気分が胸を支配する。

 

 

 

「……分かりました! 今日は目いっぱい楽しみます!」

 

 

 

 

 ニコリと笑って答えた阿求は、二人にまたぺこりと頭を下げ、勢いそのままに駆けだしていく。

 翠嵐との待ち合わせは決まっている。守屋神社の入り口、狛犬前での待ち合わせだ。既に一般客の出入りも始まっている。ここからどんどん人が増えて翠嵐の姿が見えなくなる前に合流してそのまま楽しみたいというのが、彼女の本音だった。

 幸運なことに、翠嵐はすぐに見つけることが出来た。だが、その姿が問題だった。

 浴衣姿の彼は文字通り、『祭りを楽しんでいる男の子』そのものであった。頭にはお面をかぶり、両手には綿あめに焼きそば、水ヨーヨーを持っている。待ち合わせに飽きてこっそりと自分だけ楽しんでいたことは明白であった。

 

 

 

「……翠嵐?」

 

 

 

「お! やっと来たな阿求! イヤー待ちくたびれたから先にお祭りを楽しみさせてもらった……って、どうしたんだ?」

 

 

 

 一緒にゆっくりと回りたいという乙女心を理解しなかった翠嵐に、阿求は強烈な蹴りをお見舞いする。

 

 

 

「ちょっ、痛い! 阿求痛い!」

 

 

 

「ふんだ、乙女の心理を理解しないアンタが悪い」

 

 

 

「ごめんって! 俺お祭り来るの初めてで! ついはしゃいじゃったんだよ!」

 

 

 

「嘘おっしゃい。私、祭りの後に告白してるもん。そういえば、前にもこんなことあったわね。あれから全く反省してないじゃない。アンタの頭はどうなってるのかしら」

 

 

 

 尚も蹴りを入れ続ける阿求と、それをひたすら耐え続ける翠嵐。「悪かったから! 降参!」と泣きを入れるまでそれは続き、ようやく解放されたころには翠嵐はボロボロの状態で膝をついていた。

 

 

 

「いててて……何もそんな強くしなくても……」

 

 

 

「ふん、これくらいは我慢できるでしょ。男の子なんだから」

 

 

 

 プイッと阿求はそっぽを向く

 

 

 

「悪かったよ……ほら、焼きそばあげるからさ、機嫌治してくれよ」

 

 

 

「……たこ焼き」

 

 

 

「へ?」

 

 

 

「たこ焼きとりんご飴も買ってくれなきゃ許してあげない」

 

 

 

 

 頬を膨らませてまたそっぽを向く阿求に対し、すがるように分かったという翠嵐。その一言で、彼女の顔がぱっとほころぶ。

 

 

 

「冗談よ。少しからかいたくなっただけ。ねっ、早く行きましょう? 私、これでも結構楽しみにしてたんだから!」

 

 

 

 言うなり、阿求は翠嵐の手を取って駆けだした。「わっ!」と翠嵐がこけそうになるも、すぐに持ち直して同じように駆けていく。

 人ごみの中へと飛び込んだ二人は、縦横無尽に出店を回り、年相応に楽しみ、笑った。宣言通り、たこ焼きとりんご飴を平らげた阿求は、勢いそのままにヨーヨー釣りと金魚すくいを楽しみ、射的で翠嵐に負けて悔しがった後は、秦こころの舞を見て、その美しさにほれぼれと見とれて。

 その全てが一瞬で終わってしまうのではないか。そう錯覚してしまうほど、阿求は祭りを楽しんだ。

 

 

 

「……あ! ねぇねぇ、盆踊りが始まるって!」

 

 

 

「わ、分かった。だけどちょっと疲れちった……」

 

 

 

「情けないわねぇ。じゃあ、あそこに座りながら見てましょう?」

 

 

 

 丁度いい座り場所を見つけ、二人はそこに腰を下ろす。ドン、ドンと太鼓の音が鳴り始め、盆踊りが開始される。

 カッパ、天狗、中には度胸者の人間が混じったこの盆踊りは、幻想郷らしいかつて忘れられた日本の原風景を想起させる。

 熱を帯びる祭りの会場での、たった一度の休息の時間。

 その余韻に連れられてか、阿求がふと口を開いた。

 

 

 

「……そういえば、翠嵐と出会ったのも、確かここだったかしら」

 

 

 

「あれ、そうだったか?」

 

 

 

「そうよ。よく覚えているわ。確か……そうそう、私が五歳くらいだったわね。慧音先生に連れられてここに来た時、お腹すかせて倒れてたのが翠嵐で、私が焼きそばを渡したじゃない。忘れちゃったの?」

 

 

 

「……ごめん、覚えてないや」

 

 

 

「え? だって、こんなに……」

 

 

 

「ごめん! 覚えてない!」

 

 

 

 いきなり叫ぶ翠嵐に驚き、思わず「ごめん……」と呟く。叫んだ翠嵐も、「ごめん」と呟き、場には暗い沈黙が流れる。

 

 

 

「……そ、そうだ」

 

 

 

 傾きかけた暗い空気を戻そうと、再び阿求が話題を振る。

 

 

 

「ねぇ、これは覚えてる? 寺子屋でさ、チルノがぼーっとして先生にチョーク投げられたの! あの時のチルノの顔が傑作で、今でも覚えてるんだけど……」

 

 

 

「それも覚えてないよ。阿求が勝手に勘違いしてるだけじゃないの?」

 

 

 

「ちょっと、いくら何でも言い過ぎよ。稗田家の力、なめないでもらえるかしら?」

 

 

 

「だってそうだろ! 確かに阿求は覚えているかもしれないけど、()()そんな事覚えてないんだ! でっち上げ以外に何を疑うんだよ! また俺が嘘をついているっていうのかよ!」

 

 

 

 そう言って翠嵐が立ち上がり、阿求を睨みつけた。その瞬間。

 

 

 

「そこまでよ!」

 

 

 突然、周りを武装した天狗と河童に取り囲まれた。「目を見るな!」「気をつけろよ!」と、騒ぎ立てている。

 

 

 

「阿求嬢! 無事だったか!?」

 

 

 

 囲んだ間から割って出てきたのは、阿求がよく知る二人の少女。その一人である上白沢慧音は、かばうように阿求を翠嵐から離し、前に立ちふさがった。

 そしてもう一人は────

 

 

 

「霊夢……さん……」

 

 

 

 もう一人の少女、博麗霊夢は、同じように阿求の前に立ち、翠嵐と相対していた。

 

 

 

「アンタが阿求をたぶらかしたってウサギね。阿求を通して幻想郷で何を起こすのかは分かんないけど、これ以上妙なことするなら私が退治するわ」

 

 

 

 これは警告よ。と、大幣を突き付けて言う霊夢の表情はいつになく鬼気迫っている。一体これはどう言う事なのか。

 

 

 

 

「け、慧音先生……これは……」

 

 

 

「もう大丈夫だ。後は霊夢が何とかしてくれる」

 

 

 

「そうじゃなくて! 翠嵐は何もしてないんですよ! なのに、こんな……」

 

 

 

「……阿求嬢、落ち着いて聞いてほしい。貴女は、今の今まで……」

 

 

 

 

 暗示にかかっていたんだ。

 重苦しい表情で慧音は告げる。が、状況を読めない阿求はただ目の前で何が起こっているかは分からなかった。それを察したのか、慧音が説明を始めた。

 

 

 

「……八雲紫から、幻想郷に妙な蜘蛛が表れ始めたと、各有力者たちに伝えられた。それは知っているよな?」

 

 

 

「はい。確か、先日の会議で神奈子様や永琳さんと話していましたが……」

 

 

 

「それがここ最近になって急激に数を増してな。どこかから幻想郷の地理が漏れ出ていると判断したらしい。秘密裏に調べた結果……稗田家に妙なウサギが入り込んでいたというわけさ」

 

 

 

「翠嵐が……? しかし、一体どうやって?」

 

 

 

 そう阿求が尋ねると、慧音は続けて彼女に尋ね返した。

 

 

 

「阿求嬢……今まで、貴女は何回あのウサギの瞳を見つめた?」

 

 

 

「えっ? ……数えてないから分からないですけど……それがどうして……」

 

 

 

「奴の眼からは、強力な暗示作用をもたらす特殊な光が発せられていてな。その光をあびると、存在しない記憶を植え付けられてしまうんだ。翠嵐といういたずら好きなウサギは、この世には存在していない」

 

 

 

「そ、そんな筈はありません! 彼は私が阿八のころからの付き合いです!」

 

 

 

 

「ならば阿求嬢、彼との思い出を覚えているのか? いつ、どこで、何をして、どのような感情になったのを覚えているか? それだけじゃない、仮に阿八殿が生きていたとしたら、どうして縁起の中に書き残さない?」

 

 

 

 厳しい口調で問い質す慧音に、阿求は「それは……」と言い淀む。

 何故なら、こうしている間に必死に思い出そうとしてみても、慧音の言う通り細かい部分が思い出せないからだ。転生すると記憶を失うとはいえ、絶対的な記憶力を持つ稗田の娘であり、かつ少なくとも百年以上は生きる妖怪の知り合いであるという十分な条件があるにもかかわらず、阿求は思い出すことが出来なかった。

 しかし、それでも信じることが出来ない阿求は、唯一残った思い出を叫ぶ。

 

 

 

「いいえ! ひとつだけあります! 妖怪の山での夏祭りの時、翠嵐も一緒に来ていました! それだけじゃない! 私が五歳の時、行き倒れた彼に食べ物を恵んだことも覚えています!」

 

 

 

「……そういうと思って、これを持ってきた」

 

 

 

 

 言うなり、慧音は阿求に何枚かの写真を手渡す。

 写っていたのは、天狗や河童などの山の妖怪に囲まれて座る、慧音と阿八の姿だった。

 その中に、翠嵐の姿はない。祭りに参加している阿八の姿は、来賓として行事を真っ当にこなしているもののみで、妖怪ウサギと楽しく談笑しながら屋台を回るものは一枚もなかった。

 

 

 

「この祭りを計画したのも、翠嵐をおびき出すための罠だったんだ。このままじゃ、この幻想郷に危機が起きると、天狗や守屋神社をたきつけて……な」

 

 

 

「そんな……」

 

 

 

「理解したようね、私も気になって先代の記録を調べたけど、そんなウサギはいなかったったわ。もしかしてアンタ、月から来たでしょ」

 

 

 

 びくっと翠嵐が身を震わせた。

 

 

 

「図星ね、こんな能力、私の勘だけど、玉兎以外に使えるものはこの幻想郷においていないと確信できるわ」

 

 

 

 よく当たると言われている霊夢の勘と、尚も体を震わせている翠嵐の様子を見れば、それが真実だという事は明白だった。

 

 

 

「さあ、アンタはどうする? このまま大人しく投降すればよし、さもなければ────」

 

 

 

 言いかけたその時、フッと翠嵐の姿が消えた。

 

 

 

「な……!?」

 

 

 

「きゃあ!」

 

 

 

 気付いた時には既に遅く。目にも留まらぬ速さで阿求を上空へ連れ去っていた。

 

 

 

「追え! 奴を逃がすな!」

 

 

 

 すぐに囲んでいた天狗たちが後を追う。

 それを見た翠嵐は懐から見たことのないハンドガンを取り出し、追ってきた天狗たちを的確に打ち抜いていく。

 

 

 

「待ちなさい! 霊府『夢想封印』!」

 

 

 

 遅れて霊夢が追撃するが、当たる直前に翠嵐の姿がフッと消え、五色に輝く弾幕は無情にも通り過ぎていった。

 

 

 

「嘘! 逃げられた!?」

 

 

 

「探せ! 草の根分けても探すんだ!」

 

 

 

「生かしておくな! 幻想郷の存亡にかけて、何としても探し出すんだ!」

 

 

 

 ざわめきが大きくなる祭り会場の中、霊夢、慧音と天狗たちは散り散りに探し始めた。

 

 

 

 

 


 

 

「……はぁ……はぁ……」

 

 

 

 逃げに逃げた翠嵐がたどり着いたのは、阿求と落ち合う秘密基地。今日初めて中を見せたその洞穴の中で、彼は防衛の着々と進めていた。

 

 

 

「……ねぇ、翠嵐」

 

 

 

 そんな中、状況がまだ呑み込めていない阿求は、遠慮がちに翠嵐に尋ねる。

 

 

 

「……何だい? 今の君は人質だから、下手なことは言わないほうが身のためだよ」

 

 

 

「……本当に、嘘だっていうの? 百年以上続いてた私たちの関係は、全部まやかしだったって言いたいの?」

 

 

 

「……そうだよ。僕たちの関係は全部、君が初めて会ったときに、僕が刷り込んだ、作り物の御伽噺さ」

 

 

 

 冷たく、ハッキリと言い切った彼の言葉に阿求は「そんな……」崩れ落ちる。

 

 

 

「……どうして、私だったの? もし、あなたが月から来たとしても、身を隠す術や情報を探る手段なんていくらでもあったはずよ。なのにどうして……」

 

 

 

「簡単な話さ。身を隠すのに都合がよかったんだ。僕の力が一番効くのは人間なんだ。だけど、博麗の巫女や白黒魔法使いに接触するのは難しいし、仮にできたとしてもほしい情報が手に入るとも限らない。だから、歴史書を作り、有力でかつ、人間である君の家は、僕にとって都合がよかったんだ。それに……月からの支援なんてそんな大層なもの、期待できないしね」

 

 

 

「どうして? 霊夢さんから聞いたけど、月は産業が発展してるんでしょ? だったら……」

 

 

 

「無理だよ。だって────」

 

 

 

 僕は作られた生き物なんだ。

 

 

 

「……え?」

 

 

 

「……君たちは知らないだろうけどね、月の都では今、奴隷を働かされるのが禁止されて、僕みたいなアンドロイドっていうのをを作って重労働を課しているんだ」

 

 

 

 これがその証拠さ。と自嘲気味に制服の袖をまくる。SU1RANと書かれた焼き印が、腕に大きく刻まれていた。

 

 

 

「僕らに基本的な権利はない。あるのは、都の奴らにおもちゃにされることと、有事の時の捨て駒。それ以外は基本的に家畜以下の存在だ。この武器だって、僕が死にに行くからって、いらない武器を押し付けられただけ。要するに、僕らはゴミと同じなんだよ。分かる?」

 

 

 

 あまりにも衝撃的な事に、阿求は口をつぐんだ。

 

 

 

「いつか、君は言ってたけどさ、月の人たちは気楽そうでって。けど、僕らにとって、月は憎い敵なんだよ。都の奴らがのんびりと生きていけるのは、僕ら下層の連中のおかげなんだ。それを知らずにそんなこと言うのは正直に言って不快だよ」

 

 

 

「ご、ごめんなさい。私、そんなこと、知らなくて……」

 

 

 

「……いいよ。今更言ったって遅いし。だから……」

 

 

 

 これで終わりにしよう。

 そう言い、翠嵐は目線を阿求に合わせると、両手を左右のこめかみに合わせ、目を見開いた。いびつな機械音とともに、今まであった翠嵐の記憶が薄れていくのが感じる。

 

 

 

「うう……翠嵐、貴方……何を……」

 

 

 

「さようなら……今までありがとう。ああは言ったけど……楽しかったぜ。阿求」

 

 

 

「い、嫌よ! 私……貴方の記憶を……失いたくはない! 稗田の記憶力を……舐めないで!」

 

 

 

 忘れまいと必死に抵抗を試みるが、抗う間に記憶はどんどんと消えていく。

 

 

 

「無理だよ。全部作り物なんだ。夢からは覚めなくちゃいけないんだよ」

 

 

 

「そ、それ……でも……私は……貴方が……」

 

 

 

「ありがとう。こんな僕に、意味を持たせてくれて。それだけでも、僕は満足だ」

 

 

 

「す……い……ら……ん……」

 

 

 

 抵抗もむなしく、阿求は意識を手放した。最後に見えたのは、泣きそうな顔で嗤う翠嵐の顔と、「見つけたぞ!」という天狗たちの声だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 それから数週間が経ったころ、食事会は再び永遠亭で開かれた。

 

 

 

「……それじゃあ、うちの鈴仙も少しは役に立ったというわけね」

 

 

 

 すまし顔で尋ねながら、八意永琳は問いかける。内容は、夏に起こった月の都の侵略、通称紺珠異変と呼ばれる異変の事後報告であった。

 

 

 

「えぇ。最後は純狐と呼ばれる神霊相手に善戦したそうよ」

 

 

 

「あの子の事だから大げさに言っているのかと思えば……明日は目一杯褒めてあげなくちゃ」

 

 

 

 八雲紫の答えに満足し、嬉しそうに永琳は笑った。

 

 

 

「しかしまぁ、よくやったものだ。幻想郷の地理がもう少し漏れていれば、もっと早くに滅んでいたかもしれん。その前に阻止してくれた霊夢や魔理沙達の頑張りには、それ相応の褒美が与えられて差し支えないと思うぞ」

 

 

 

 うんうんと、神奈子が大仰に頷く。彼女もまた、早苗の活躍が誇らしく、自慢したい気持ちを必死におさえているのが分かる。

 

 

 

「……そういえば、阿求嬢は大丈夫だろうか。気分が悪いと言っていたが……」

 

 

 

「あら、じゃあ私が見てくるわね。丁度あの子とも話したかったし」

 

 

 

「永琳殿、頼めるか。感謝する」

 

 

 

 お安い御用よと、慧音の頼みを承諾し、永琳は部屋を出る。

 前の食事会と同じように、阿求は中庭に腰を下ろし、中空に浮かぶ月を眺めていた。ただ、いつもの阿求とは少し違う、なんともうつろな目で、それが永琳の心をざわつかせた。

 

 

 

 

「気分はどうかしら?」

 

 

 

 ざわめいた気分を持ち直すように声を掛けた。振り返った阿求の眼には尚も光がない。

 

 

 

「あ……永琳さん。ごめんなさい、長時間席を離れてしまって」

 

 

 

「いいえ、大丈夫よ。それより……前と変わらず月を眺めているのね」

 

 

 

 

 前と同じように隣に腰を下ろしながら、永琳は更に続ける。

 

 

 

「どうかしら、今回の異変を通じて、月への印象というのは変わったかしら?」

 

 

 

「……そうですね」

 

 

 

 空を見上げたまま、阿求は答える。

 

 

 

「前の私は……月を美く思い、またそこに住む人々をうらやましく思いました。ですが、今は……」

 

 

 

 言い淀んだ彼女の間隙を縫い、永琳が後を引き受ける。

 

 

 

「少し複雑な感情を抱いている……というわけね」

 

 

 

 こくりと、阿求は頷く。

 

 

 

「前におっしゃっていた、月の都の奴隷……その更に下にいるかもしれない方々の事を思うと、あれだけきれいな月が、嘘まみれの張りぼてに囲まれたものに思えてなりません」

 

 

 

「あら、言うようになったじゃない。誰に吹き込まれたかしら?」

 

 

 

 茶化すように尋ねると阿求は困ったような顔をして首を振った。

 

 

 

「それが……思い出せないんです」、

 

 

 

「思い出せない?」

 

 

 

 またこくりと頷く

 

 

 

「とても……大切な人だっていうのは覚えているんです。だけど、どんな姿かも、どんな声かも、どんな顔で笑うのかも、全部……忘れてしまったんです」

 

 

 

 稗田の人間のくせに、変ですよねと自嘲する彼女に、永琳は何も言わない。ただ黙って、続けなさいと手で促す。

 

 

 

「でも……月を見ていると、その大切な人が今にも現れそうな気がするんです。『よぉ、阿求!』って、いつものように、軽い調子で……」

 

 

 

 そのまま阿求は月を見つめる。スポットライトに似た柔らかな光が、阿求の顔を包み込む。ハイライトのない目と、色白な肌も相まって、その姿はさながら人形のようであった。

 

 

 

「……そう。なら、もう少しここにいなさい。気分が軽くなる薬を持ってくるから。ちょっと待ってなさい」

 

 

 

「はい……ありがとうございます」

 

 

 

 その場に阿求を置いて、永琳は調合室へ向かった。離れ際に見た阿求の顔が、妙に印象に残る。

 ある程度距離が離れたところで、永琳は虚空に向かって声を掛けた

 

 

 

「……いるんでしょ、紫」

 

 

 

「あらぁ、流石にばれちゃったかしら」

 

 

 

 瞬間、空間が裂け、にゅるんとその裂け目から幻想郷の賢者が姿を現す。相変わらず胡散臭い笑みを浮かべている。

 

 

 

「あれだけ気配が駄々洩れなら、そりゃあ私でも気づくわよ」

 

 

 

「うふふ、そうね、次からはもっと気をつけなきゃ」

 

 

 

 どこまで本気か分かったものではない。

 

 

 

「……あの子、まだ覚えているわ。さすが稗田の記憶力ね。月の技術をもってしても、完全に消すことは出来なかったようね」

 

 

 

「それが、あの子に課せられた宿命なのよ。この先あの子は一生、月を見るたびにいる筈のない幻影を思い出しては、それを追いかけるでしょうね」

 

 

 

「……紫、忘れさせることは出来ないのかしら? あの子を見ていると、私も月の民だった者の一人として、いたたまれなくなってしまうのよ。だから……」

 

 

 

「嫌よ」

 

 

 

 あまりにもバッサリと切り捨てる紫に対し、思わず永琳は眉にしわを寄せた。

 

 

 

「言ったでしょう? これがあの子の宿命だって。下手に記憶をいじって忘れてしまったら、幻想郷縁起の編纂が難しくなるかもしれないじゃない」

 

 

 

「だからって……」

 

 

 

「それに、これを乗り越えるか否かはあの子次第だから。何か手を加えることはそれこそ失礼よ。貴女は特にそうでしょう? 月の賢者さん?」

 

 

 

「……分かったわ。私も何もしないと誓うわ」

 

 

 

「賢明ね。これはあの半妖の先生にも伝えておきなさい。それじゃ、私は戻るわ」

 

 

 

 言いたいことだけ言うと、紫は姿を消した。一人になったその場に、ひゅうと一陣の風が吹く。

 あの子はこれからどうなるのだろう。単なる記憶違いと思い直して元の生活に戻るのか、それとも、蜃気楼のような記憶を追いかけて一生を棒に振るか、彼女にもそれは分からない。分からないが、この先の彼女の生きる時間というのは苦痛と幻影に苛まされるのは目に見えて分かる。

 今からでも気分役の予備を作っておかなければと、永琳は薬を取りに調合室へ向かった。

 夜の月は、変わらず空に浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 


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