東方悲恋録〜hopeless&unrequited love〜   作:焼き鯖

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親友のセレナーデ

 日課である弾幕ごっこでその日の私の気分が分かると霊夢は言う。弾幕の密度、形、その美しさが乱雑な時は、大抵機嫌が悪いそうだ。

 いつものように境内で行われた弾幕を終えて縁側でお茶を啜っていると、霊夢がお茶菓子を持って来た。相変わらず無愛想な表情だが、他の奴らに見せる表情よりも若干柔らかい事を私は知っている。長い付き合いの中で、飽きるように顔を合わせていれば、それくらいの機微は分かるのが親友だ。因みに今日はそこそこ機嫌がいいらしい。持ってきた桜餅に大福まで付いていた。

 

 

 

「で、恒例の占いはどうだったんだ?」

 

 

 

 面白がるようにして私は霊夢に尋ねる。最早当たり前となったこの占いは、最初こそ占われる事に抵抗感はあったものの、今では一日を平和に楽しく過ごす為のバロメーターとして私も重宝している。

 

 

 

「かなりいい方ね。負けはしたけど、弾幕の密度や美しさは魔理沙の方が勝ってたわ。あんた、今日この後何かお楽しみがあるんでしょう?」

 

 

 

「おぉ、よく分かったな。今日はこれからあいつと夏祭りに行く約束をしてるんだよ」

 

 

 

 あいつと言うのは、人里に住んでいる春という名の男の事だ。

 元々春は外の世界で建築士と言う仕事をしていたらしい。そこそこの信頼と実績はあったようで、今の若さではあり得ないくらいの地位と、それはそれは美人な嫁さんを貰ったそうだ。

 幸せ絶頂な状態の春を襲ったのは、紫の気まぐれによる無差別な幻想入りだった。あいつを魔法の森で見つけた時には既に幻想入りしてから何日か経った後だったらしく、衰弱しきった体は途方に暮れていて、それでも目には元の世界に戻ろうとする意志だけが先走っていて、見ているこっちが痛々しくて目を背けてしまいそうだった。

 半ば強引に私の家に連れ帰って、弱った体を看病しながら幻想郷の事を語った。この世界がどう言うもので、どんな奴がここに来るのかを。そして、一度この地に足を踏み入れたものは、二度と外の世界へ戻ることは出来ない事も。

 

 

 

「じゃあ……有里華や専務にはもう会えないって事なのか……?」

 

 

 

 弱々しい表情で尋ねた春の顔は今でも忘れられない。いきなり知らない場所に居たと思ったら自分はもう忘れられた存在だと言われ、ここから出る術はなく、しかも残された人達の記憶から自分の一切が無かった事にされているのだ。私だって同じ立場だったらと思うと背筋がゾッとする。だけど、ここで生きていくしかない以上は避けて通れない道だから、心を鬼にして徹底的に現実とやらを春に叩き込んだ。

 

 

 

「二人とも、あの時からは考えられない程仲良くなったわね。今考えると感慨深いわ」

 

 

 

 懐かしむように霊夢が言う。「それを言うなよ」と私は苦笑いして桜餅を口に運んだ。

 霊夢の言葉通り、出会ってから数ヶ月の間、私達の仲は最悪の状態だった。お互いに我が強く、何かにつけてすぐに口論になり、ご飯の時は互いに違う部屋で食べる有様。挙げ句の果てには霊夢やアリスの前で取っ組み合いの喧嘩になった事もあった。

 あの時のことを、二人は度々掘り返しては「どっちも素直じゃないのが悪い」と意地悪そうに言う事がある。私は幻想入り初日に霊夢の所に行こうとせずにいきなり現実を突きつけたのがいけなかったし、春は春で、いつまでも外の世界に未練を残して私に当たり続ける姿はとてもみっともなかったらしい。見兼ねたアリスに叱られて、霊夢達が見ている境内で不承不承お互いに謝ったのはいい思い出だ。

 

 

 

「あそこからだもんなー。私が春と今みたいに仲良くなったのは」

 

 

 

 どっしりと腰を据えて話してみれば、春はとても真面目なやつだった。言動や性格に若干軽い部分はあるが、建築の仕事に関しての知識は素人の私からしても目を見張るものがあったし、仕事にかける情熱も本物で、いつか人里の人間に今より安全でお洒落なデザインの家を建てたいといつも息巻いていた。

 加えてあいつは、人の話を聞くことも上手かった。私が研究に失敗した時はいつだってその原因を一緒に考えてくれたし、私の顔を見ただけで隠し事や悩みを見抜き、相談に乗ってくれることもしばしばあった。その度に出てくるあいつの助言は私にとって意味を成さないものが殆どだったが、それでも心は軽くなったし、春の相談を受けた後の研究は、大抵何かしらの成果を得られる事が多かった。

 そんな春は今、私の家を出て人里で暮らし、里の人達のために様々な家を設計している。たまに顔を合わせると、「忙しくてそろそろ休みたいや」と苦笑いを浮かべるが、その笑顔が本当に楽しそうで、本心から言っていない事が分かった。今のあいつは、幻想郷(ここ)へ来た時よりもずっと生き生きとして輝いている。

 

 

 

「普段はあんな性格なのに、いざ仕事となるとホント子供みたいに目の色変えるからね、あの人は。魔理沙もそこが好きになったんでしょ?」

 

 

 

「な、何を言っているんだ? 春とは単なる親友で、私はそんな……恋愛感情なんてこれっぽっちも抱いた事がないぜ?」

 

 

 

「ふーん……私の思い違いかしらね」

 

 

 

 興味なさそうに霊夢は呟くと、自分の湯呑みに口をつけて、ほぅと息を吐いた。それを見届けた私は内心大きく溜め息を吐く。相変わらず、霊夢の勘はこれでもかと言うくらい鋭く、しかもピタリと当ててくるから怖い。下手すると今日告白する事すらも見抜いていそうだ。

 霊夢の恐ろしさを改めて実感していると、鳥居の方から、宙に浮いた見覚えのある人形がこちらに向かっているのが見えた。そのすぐ後に、透き通るような肌を持つ人形遣いが小袋を抱えて階段を上って来た。

 

 

 

「あら、アリスじゃない。こんな時間に来るなんて珍しいわね」

 

 

 

「そうね、今日は人里でお祭りがあるでしょう? 私も人形劇の準備があるから、魔理沙に人里へ送ってもらうように頼んでいたんだけど……」

 

 

 

 アリスが生暖かい目で私のことを睨みつける。睨みつけられた私は乾いた声で「あははは……」と笑うことしか出来なかった。そう言えば頼み事をしてもらう代わりに送ってもらえるよう交渉していたんだっけ。すっかり忘れていた。

 

 

 

「それで、アンタが魔理沙を迎えに来たのは分かったけど、アンタが持ってるその袋は一体何なのよ?」

 

 

 

 そう言って霊夢が袋を指を指すと、アリスはニコリと微笑んだ。

 

 

 

「これ? 私が作った浴衣が入っているの」

 

 

 

「浴衣?」

 

 

 

「えぇ、魔理沙に頼まれて作ったのよ。夏祭りのために仕上げてくれって」

 

 

 

「ふーん……」

 

 

 

 やっぱり私の言った通りじゃない。そう言いたげに霊夢が私を見つめた。

 

 

 

「ち、違うぞ霊夢! これは単に気分の問題なんだ! お前だって、お洒落な服を着て出かけたい時だってあるだろ? それと原理は一緒だ! 最近魔法の研究も上手くいってないし、ここらで一つ気分転換をしようと──」

 

 

 

「そうだったの? 頼んできた時、『春に可愛いって言われるような浴衣にしてくれ!』って必死になってたから、てっきりそうだと──」

 

 

 

「わぁぁ! それを言うなアリスゥ!」

 

 

 

 強く否定しようとする度に、自分の顔がどんどん赤くなっていくのが分かる。天然を装っているであろうアリスはキョトンとした表情で私を見つめ、それに重なるように霊夢の顔にニヤニヤが浮かび上がった。

 

 

 

「何よ、隠さなくてもいいじゃない。水臭いわね……あ、まさか今日告白するとかそう言う──」

 

 

 

「そろそろ行こうかアリス! 時間あるから私も準備手伝うよ!」

 

 

 

「え? あっ、ちょっと!」

 

 

 

 半ば強引にアリスの手を引いて、箒に飛び乗り空へと繰り出す。やっぱり霊夢は気づいていたのか。そのままあそこに居続けたらもっと弄られていたに違いない。あの巫女はそういう事に関して本当に容赦がないから、離れて正解だったようだ。

 後ろの方からは霊夢の詰る声と一緒に上海の慌てた声が聞こえ、下からは箒にぶら下がったアリスが何やら喚いている声が聞こえてくる。

 アリスには少し悪い事をしたかなと思いながら、私は一先ずアリスの家へと箒を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 里のお祭りが本格的に始まるのは、大体五時くらいからである。その頃になると暑さも大分薄れてきて、何処からともなくヒグラシの鳴き声が聞こえ始める。八月も終わりに近いこの時期は、秋の始まりを思わせる気がして、結構気に入っている。

 

 

 

「……はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 

 

 そんな穏やかで静かな空間を、私の荒い呼吸と下駄の音が切り裂いていく。待ち合わせの場所まであと少し。空を飛べば早いだろうが、箒なんか使ったら折角の浴衣の風情に似合わない。

 人形劇の準備を手伝うとはいったものの、浴衣を着付ける前まで荷物の運び出しから音のチェック、果てはリハーサルまで付き合わされ、全てが終わったのは待ち合わせの時間を大幅に過ぎた四時半だった。これが普通だとアリスは言っていたが、その時の意地悪そうな表情は、確実にさっきの事への意趣返しを含んでいた。

 春は遅れた事を許してくれるだろうが、私の方がそれでは気が済まない。なんだかあいつに借りを作ってしまったような気がしてしまうからだ。告白した後でも、私はあいつとは対等な関係を築いていきたいと思っている。こんな事でみみっちいと思われるかもしれないけど、それでも私は心の何処かでそう感じてしまう。

 果たして待ち合わせの場所に行ってみると、予想通り春は壁に背をもたれて本を読んでいた。白いシャツに青いズボンというシンプルな格好でありながら、どこか垢抜けて様になっていて、今の風景にとても溶け込んでいる。

 まるで物語の登場人物みたいだ。そう思っていると、気づいた春が顔をこちらに向け、片手で軽く会釈をした。

 

 

 

「おっす魔理沙、今日は珍しく遅いじゃんか。なんだ? まさか女の子の日か?」

 

 

 

 私の元へ寄ってくるなり失礼極まりない事を言う春に軽くボディを決める。呻き声を上げて蹲る春に、豚を見るような目で追い打ちをかける。

 

 

 

「相変わらずお前にはデリカシーと言う概念がないんだな。これが霊夢だったら命ないぞ?」

 

 

 

「まぁ、これが俺のキャラクターだから……うぅ、まだイテェや……」

 

 

 

 殆ど痛みなんかないはずなのに、春はよろよろと立ち上がって、歪んだ苦笑いを私に見せる。ピエロがよく似合うと自分で言っているだけあって、こう言った演技は本当に堂に入っている。

 

 

 

「遅くなってごめんな、春。アリスの手伝いやってたらこんな時間になっちまった」

 

 

 

「気にしなさんな。待つのも一つの楽しみだから」

 

 

 

「そ、そうか……」

 

 

 

 私の謝罪を、春は笑顔で受ける。予想通りあいつは遅れたことを許してくれたけど、普通こう言うシチュエーションは私が待つ側じゃないだろうか。楽しみが一つ減った気がして、内心複雑な気がしてしまう。

 

 

 

「そんなしみったれた顔すんなよ。折角の浴衣姿が台無しだぜ?」

 

 

 

「え……」

 

 

 

「その水色の浴衣、よく似合ってるよ。柄も紫陽花で風情があるし……って、なんでそんな驚いてんだよ。俺、そんな人でなしに見えるのか?」

 

 

 

 残念そうな顔をする春に、私は慌てて違うと答える。いきなり面と向かって似合うと言われては、驚いてポカンとするものだ。何より春にそう言われたから嬉しくて、一瞬だけ頭がショートしてしまったのだ。

 そう言うと春は「大袈裟すぎ」と笑いながら、私の頭を優しく撫でて目の前を通り過ぎた。

 

 

 

「さ、行こうぜ。俺、みすちーの鰻が食べたいんだ。人も出てきたし、早くしないと売り切れちゃうよ」

 

 

 

 振り返った先で、春が笑顔で手招きしている。夏の日差しにも負けないその眩しい笑顔に、私の顔も瞬く間にほころんでいって、いつのまにか春の手を引いて駆け出していた。

 

 

 

「そうだな! じゃあ早速ミスティアの出店に行こう!」

 

 

 

「わっ! ちょっと、引っ張らないでくれよ!」

 

 

 

 かくして、私達二人の夏祭りが幕を開けた。

 ミスティアの屋台で鰻を食べる事に始まり、射的で勝負して僅差で勝って春にたこ焼きと焼きそばを奢らせ、かき氷とラムネで涼んだ後は、盆踊りやアリスの人形劇の特別公演を楽しんだりと、ありとあらゆるお祭りのイベントや屋台を楽しんだ。途中、金魚掬いに立ち寄った時に「霧雨の嬢ちゃんも遂に結婚かぁ……」なんて店の親父が茶化した時には、反射で「私と春はまだそんな関係じゃないんだぜ!」と親父を突き飛ばしてしまったが、近い将来春と結婚すると考えたら、知らぬ間に顔が緩んで来てしまった。

 

 

 

「……おい、さっきから何にやけてんだよ。気持ち悪いぞ」

 

 

 

 そして今、私は春の手を引いたままある場所に向かって森を歩いていた。

 ハッとして顔を上げると、春が苦い顔をしながらこちらを見下ろしている。余程ニヤニヤしていたのだろう、私の行動にあまり驚かない春がここまでドン引きしている。

 慌てて顔を元に戻し、いつものように元気な表情で春に謝る。訝しむ様に春は首を傾げたが、何事もないように再び私に尋ねた。

 

 

 

「で、まだ着かないのか? そのお目当ての場所とやらにはさ」

 

 

 

「そう急かすなよ。もうすぐだからさ……ほら、ここだよ」

 

 

 

 私が指差す方向には、少し開けた広場があった。中央には大きな切り株があり、丁度ベンチのように座れる以外は特に変わった所はない。ただ、昼でも薄暗い林という事もあって訪れる人は少なく、天気がいい日はここで森林浴をする絶好の場所だった。霊夢やアリスにすら知られていない、私だけの秘密の場所だ。

 

 

 

「へぇ……こんな所があったのか。静かでいい所だな」

 

 

 

「だろ〜? ここは私のお気に入りなんだ」

 

 

 

「でも……結構人里から離れたぞ? ここから花火大会見れるのか?」

 

 

 

「大丈夫だって! この霧雨魔理沙さんに任せておけば上手く行くから!」

 

 

 

「本当か〜? 今までそう言って上手く行った試しが……」

 

 

 

 春が言いかけた瞬間、炸裂音と共に上空に大きな花が咲いた。それを皮切りにして、夜空に色とりどりの光が打ち上がる。浮かんでは消え、咲いて散る光の花々は、まるで今日この時だけ私を見てほしいと自己主張をしているみたいだ。

 

 

 

「すげぇ……ここから見る花火はこんなにも綺麗なんだな……」

 

 

 

 額縁のように区切られた空を見ながら、春は一人そう呟く。私も同じように空を見上げて、空に上がる花火を劇のワンシーンのように眺めていた。

 

 

 

「なぁ……」

 

 

 

「あのさ……」

 

 

 

 告白するならここしかない。そう思って声を掛けたら、春と思いっ切り被ってしまった。春から私からというお約束の譲り合いの末、春が先に話す事になり、私は春の方に向き合った。

 

 

 

「実はさ、俺、今日魔理沙に誘われて凄い嬉しかったんだ」

 

 

 

「え……そう、なのか?」

 

 

 

「あぁ、誘ってくれなかったら俺の方から声を掛けようかと思ってた位さ。今日は本当に楽しかった」

 

 

 

 予想外の展開すぎて頭がついていかない。どうして春からそんな話が出てくるんだ。こういう事に関しては全く鈍感な奴なのに。前の嫁さんはお見合いで結婚したと言っていたし、告白も向こうの方からだったらしいし。それでも嫁さんを愛していた事には変わりないけど、自ら好意を向けられてそれに応えるような所を、少なくとも霊夢や私は見ていない。

 

 

 

「で……だ。魔理沙、今日はお前に、伝えたい事があるんだ」

 

 

 

 ……嘘だろ? 

 耳を疑った。まさかこんな事が起こるなんて夢にも思わなかった。足の震えが止まらない。だけど、表面上は平静を装って、春が話始めるのを待った。

 

 

 

「魔理沙、実は俺……」

 

 

 

 しばらく逡巡した後、春の口から言葉が紡がれる。

 それを見越したように、今日一番の大きな花火が空に浮かび上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 季節外れの長雨が続いたせいで、博麗神社の境内は水たまりで溢れかえっていた。それでも今日は呆れ返るような秋空で、吹く風に乗って秋姉妹が何処かで踊り狂っているような気にさせる。

 

 

 

「……で、今日の私はどうなんだ」

 

 

 

 私はいつも通り、占いの結果を霊夢に尋ねた。

 

 

 

「……最悪ね。ここ最近、ずっと。弾幕にキレも、お得意のパワーも感じないわ」

 

 

 

 予想はしていた。だって、私でも判り切っていることを霊夢に訊いているのだから。

 今の私をアリスが見たら、きっと服がびしょ濡れになっている事を怒るだろう。弾幕ごっこに負けて、水たまりに叩きつけられて、泥だらけのみっともない格好で膝をついている私を、それでも優しい声色で叱ってくれるだろう。だからこそ、その優しさを向けられるのが余計惨めな気がして、多分私は泣き出してしまうかもしれない。

 

 

 

「一体どうしたのよ。どれだけ私に負けても明日にはケロッとして立ち向かってくるアンタが、こんなに辛そうな顔を見せるなんてありえないじゃない」

 

 

 

「……はは。ちょっと風邪を拗らせちまったんだ。結構重症っぽいし、今度永遠亭に行って薬を貰ってくるわ」

 

 

 

 我ながら苦しい言い訳だが、それでも霊夢は「ふぅーん……」と言うだけで、それ以上深くは追求して来なかった。

 

 

 

「あ、そういえば今日、春さんがここに来るの。私に用があるらしいけど、魔理沙も会っていく?」

 

 

 

 今一番聞きたくない相手の名前が、霊夢の口から飛び出して来る。そういえば今日だっけ、アイツが霊夢に相談するのは。

 

 

 

「……いい。大事な話なら邪魔しちゃ悪いだろ。風邪も感染(うつ)したくないし」

 

 

 

「だけど……」

 

 

 

「悪いな霊夢。今日はこの後、ちょっとした用事があるんだ。だから私は帰るよ。付き合ってくれてありがとな」

 

 

 

「ちょっと──!」

 

 

 

 霊夢が何か言い終える前に、箒に乗って逃げるように空へと繰り出す。向かう先は勿論私の家。止まったままの魔道書の解読を再開しないといけない。

 家に着いて着替えた後、すぐに机に座って解読を始める。犠牲がどうとか封印せよだとか、具体的な事を何も書いていないこの本は、解読を試みる私を何度も悩ませてきた。

 雑然とした頭で魔道書を読んでも頭に入る筈はなく、イライラだけが積み重なっていく。とうとう私は乱暴に本を置き、そのまま机に突っ伏した。積み重なったイライラは、研究が進まない焦燥感だけでなく、もっともっと別の所にあると感じるのは私だけなのだろうか。

 

 ──俺、今度結婚する事になったんだ。

 

 あの日、春は恥ずかしそうに、それでも嬉しそうな表情で私に打ち明けた。前に住居建築を依頼したお客さんがそのお相手だそうだ。なんの偶然か、その女の人は漢字は違えど、名前も容姿も外の世界の嫁さんと瓜二つだったらしい。

 

 ──もう運命だと思ったね。その日からプレゼント送ったりデート誘ったり、色々アプローチしてやっとこの前プロポーズ出来てさ。その時はもう天にも登る気持ちだったよ。

 

 今日のお祭りも、本当だったら彼女と一緒に回るつもりだったという。ところが、その彼女が今日に限って風邪をひいてしまったため、報告も兼ねて私と回る事にしたらしい。

 

 ──で、次は魔理沙の番だけど、魔理沙はどうしたんだ?

 

 無垢な表情で問いかけてくる春。

 そんな幸せそうな顔を見せられてしまっては、告白なんて出来るわけがない。その時の私は「おめでとう」だけを言って、適当な理由をつけてすぐにその場を去った。何故だかその時、涙は出なかった。

 

 

 

「……くそっ」

 

 

 

 その涙が、吐き出された言葉と共にひとりでに溢れ出てくる。一度流れた涙は留まるところを知らず、同時に鳴り始めた嗚咽が、空虚な部屋を埋め尽くしていく。

 

 ──なぁ、一つ教えてくれ。お前は私のことを、今までどう思っていたんだ? 

 

 別れ際に尋ねた質問の答えが、私の頭を支配して離れない。

 

 ──どうって……魔理沙は俺の恩人で、友人だよ。霊夢やアリスと同じ、かけがえのない親友さ。

 

 誤算だったとは到底言い難い。全ては私の勘違いだった。それで一蹴されてしまっても文句は言えない。言うつもりもない。ただ、あいつにとって私は行き倒れかけの所を助けてくれた単なる「恩人」で、喧嘩を経て気が置けない仲となった単なる「女友達」だった。それ以上でもそれ以下でもなかったのが悔しくて、女として歯牙にも目の端にも掛けられていなかったのがショックで、何よりそれに気がつかないで馬鹿みたいに一人で舞い上がっていた自分が許せなかっただけだ。

 何度も忘れようとした。何度も春を恨もうとした。だけど、忘れようとする度に春の声が私を呼び止めて、恨もうとする度に春の笑顔が決心を鈍らせて、やり場のない焦燥と悔しさがまた私を苦しめる。いっそ全部封印してなかった事に出来れば楽なのに。こんな姿を霊夢が見たら、笑われるに決まってる。

 

 

 

「……何を迷っているんだよ。私」

 

 

 

 涙まみれの目の端を右手で拭い、再び魔道書に視線を合わせる。

 私は怖かったのかもしれない。魔道書を解読する事で、楽しかった春との想い出が全部消えてなかった事にされてしまうのが。

 この魔道書の言っていることは、もう分かりきっている。犠牲にするものというのは、術者が持つ一番大切な何かだ。それが大きければ大きいほど、大切なものであればあるほど、得られる魔力も膨大なものになる。その時の代償がないとは言い難いが、私の見立てではそれはおそらくないと言い切れるだろう。仮にあったとしても、それは多分微々たるものだ。命に関わる代物ではない。

 それでもなお決心が揺らぐあたり、私は本当に臆病だと思う。もう少し勇気を出していれば、春は振り向いてくれるかもしれなかったのに。そう考えるとまた涙が出てきてしまう。あぁ、まだ未練タラタラなんだなぁと、苦笑いしてしまいそうだ。

 

 

 

「……よし、やるか」

 

 

 

 やめよう。いつまでもうじうじ悩んでいるなんて私らしくない。明るくて活発で、全てにおいて真っ直ぐなのが、霧雨魔理沙の真の姿じゃないか。

 私は席を立ち、儀式の準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 幻想郷にクリスマスイブとかいうのが伝わってきて、もう数年が経つ。私も春と一緒に過ごす事を何度も夢見ていたが、春が結婚する以上、今年からはそれも終わりだ。今夜は霊夢やアリスと一緒に過ごそうかなと考えている。

 

 

 

「邪恋『実りやすいマスタースパーク』!」

 

 

 

 スペルカード宣言とともに、私の持つ八卦炉から細い予告線が現れる。いつもの事だと霊夢がグレイズを試みるが、その時点で奴はもう私の術中にはまってしまった。

 

 

 

「な、何よこれ!」

 

 

 

 どうやら霊夢は気づいたらしい。気づいたとしてもどのみちもう遅いが。

 あの魔道書から得た魔力を元に作ったこのスペカは、ある一つの特徴がある。予告線自体にも魔力を流し、相手の動きを拘束して確実に当たるように工夫しているのだ。発射するまでの準備時間が長く、その分だけ隙も大きいが、予告線の拘束がそれをカバーする事で、前のマスタースパークに比べて格段に当てやすくなった。

 策に引っかかった霊夢に逃れる術はなく、予告線の後に放たれた極太のレーザー砲によって無慈悲にも被弾し、地面に叩きつけられた。実戦で使ったのはこれが初めてだが、ここぞというタイミングで使えば弾幕ごっこで六、七割くらいまで勝てる確率は上がるだろう。

 

 

 

「へっへー! 見たか霊夢!」

 

 

 

 勝利の喜びを感じながら地上に降り立ち、勝ち誇ったように指を向ける。普段滅多に感情を出さない霊夢が、珍しく悔しそうな目で私を見つめ、よろよろと立ち上がった。

 

 

 

「ちょっと、ずるいじゃない! 今の今までそんなの隠し持ってたなんて!」

 

 

 

「調整に時間がかかったから仕方ないじゃないか。それに、新兵器を最後まで隠しておくのは定石だろ?」

 

 

 

「それはそうだけど……久しぶりに魔理沙に負けたから、なんか悔しいわね……」

 

 

 

 口ではそう言ってはいるものの、もう気持ちを切り替えているのか泥を手で払い落としながら澄まし顔で私にこう尋ねた。

 

 

 

「それにしても……あんた、最近変わったわよね。弾幕ごっこもそうだけど、どこか吹っ切れた感じがする。やっぱり……その、春さんの事があったからかしら?」

 

 

 

 最後の方が妙に歯切れが悪いのは、霊夢なりに私を慮ってのことだろう。なんだかんだでこいつも不器用な奴だ。

 

 

 

「まぁな。そりゃ最初は私も辛かったよ。どうして私じゃないんだーってさ。だけど、いつまでもメソメソしてたって前に進めるわけじゃないし、だったら早いとこ吹っ切れて何かに打ち込んだ方が生産的だろ?」

 

 

 

 私の答えに霊夢は納得していないのか、「でも……あんた……」と、どこか釈然としない。「まぁ、気にすんな」と軽く流し、今度は逆にこっちから質問をする。

 

 

 

「なぁ、霊夢。そう言えば今何時だ?」

 

 

 

「え? 日の傾き的にもうすぐ午後四時くらいだと思うけど……」

 

 

 

「そっか。じゃあ、これから春に会ってくるよ」

 

 

 

「ちょっと魔理沙、それって──」

 

 

 

 霊夢が何か言い終わる前に、私は箒に乗って空へと舞い上がった。

 

 

 

「じゃあな霊夢! 私は春たちと会った後でキノコとか持ってくるから! お前達は先に準備しておいてくれよ〜!」

 

 

 

 そのまま空を飛び立ち、家までのんびりと箒を飛ばす。

 予め準備してあった袋を背負い、待ち合わせの場所までひとっ飛びすると、黒いコートを着た春ともう一人、見知らぬ女性が肩を寄せ合って立っていた。多分、あれが春が言ってた百合花って言う人なのだろう。

 

 

 

「おぉーい、春〜!」

 

 

 

「よぉ〜魔理沙〜! 久しぶりだなぁ……っておい! お前なんだよその姿は!」

 

 

 

 呼びかけながら地上に降り立つと、私の姿に驚いた春が指を指しながら私に近づいて来た。まぁ、仕方ないか。あいつと会うの、優に二ヶ月位は超えてるし。

 

 

 

「ん〜? あぁ、これのことか? 何も特別な理由はないよ。イメチェンだイメチェン。乙女の私にだってお洒落したい時はあるんだぜ?」

 

 

 

 そうして私は短くなった髪を触る。事情を知らない春は、急な私の姿に慌てふためき、百合花は「似合ってるならいいんじゃない?」ときょとんとしている。春のその顔を見られただけでも、髪を捧げた甲斐があったというものだ。

 そう。私が犠牲にしたのは、春に抱いた恋心。その象徴として、自慢の髪と夏に着たあの着物を供物にしたのだ。もう私には必要ないし、これ程大きくて大切なものは早々ないからだ。

 魔道書の力は絶大で、儀式から三日で自分でも分かるぐらいの膨大で強大な魔力をその体に宿した。この二ヶ月、私はずっと魔法の森で魔力の制御を行い、苦心の末に漸くコントロールが上手く行くようになった。心配していた代償も、髪を定期的に捧げるだけでそれ以外は要求されていない。虫がいい話もあったもんだと、後で苦笑した程だ。

 

 

 

「まぁ、細かい事は気にするな! それより、そっちの女の人が春の婚約者か?」

 

 

 

 そう尋ねると、隣にいた女性がちょこんと頭を下げた。

 

 

 

「はい、北見百合花と申します。魔理沙さんの事は春さんから色々聞いております。今日の天体観測も、魔理沙さんが提案してくれたのでしょう?」

 

 

 

「おう、そうだ! 君たちカップルももう少しで夫婦になるからなぁ。思い出作りの一環として、こうして誘ったんだよ」

 

 

 

「わざわざありがとうございます。お話に書いた通り、優しくていい人ですね」

 

 

 

 再び百合花がちょこんとお辞儀をする。まるで小動物のような可愛さ。春が惚れるのも分かる気がする。私には絶対に真似は出来ないだろう。

 

 

 

「いいんだいいんだ! 今日は気にしないで楽しんでくれ! それじゃあ早速……って、どうしたんだよ春。今更予定変更とか言うんじゃないよな?」

 

 

 

「いや……そうじゃないんだ。髪が長かった頃のお前の方が可愛かったから、勿体ないなぁって……」

 

 

 

 目的地に歩き出そうとした足が、春の言葉で立ち止まる。

 後悔がなかったと聞かれれば、勿論あったと答えただろう。髪を生贄に捧げたことは、それまでの私を殺す事と同義だからだ。どうせ見てもらえていないならいいやという、多少の自棄も含んだ儀式の後で、やっぱり止めておけば良かったという取り返しのつかない感覚も当然抱いた事も何度かある。それを押し殺して、全部忘れて生きようと考えていたところにこれだ。ずるいなんて言葉じゃ足りない。どうしてそれをもっと言ってくれなかったんだと、思いつく限りの罵倒を浴びせてやりたい。

 だけど、これでいいんだ。私の恋はもう叶わない。無論、私はあいつ以外の男と恋をするつもりもない。なら、もう封印しよう。私は親友の立場から、あいつらの事を応援するんだ。気づいて貰えなくたっていい。あいつが幸せならそれで十分だ。

 いっそ男に変わった方がもっと楽なんだろう。気兼ねなく側に居られるなら、男として生まれれば良かった。

 

 

 

「おい、魔理沙? なんとか言ってくれよ」

 

 

 

 何も答えない私を心配して、春が窺うように声をかける。やめてくれよ、そんな顔されたら今までしてきた決心が鈍るじゃないか。

 もう私は髪なんて伸ばさない。浴衣なんかのお洒落もしない。後の恋や女の全てなんてかなぐり捨ててやる。あいつの側に居ることが私にとっての幸せだ。それ以外の幸せは要らない。例えそれが偽りのものだったとしても、その幻想を抱いたまま死ぬまで生きたいんだ。こんな事を霊夢やアリスが聞いたら、冗談でしょって怒ってくれるのだろうか? 

 

 

 

「……何言ってんだよ。私が可愛いなんて、春らしくないぜ。間違っても嫁さんの前でそんな事は言う言葉じゃない。浮気だなんだと変な誤解を招くぞ?」

 

 

 

「そ……そうか……悪かった」

 

 

 

「ほら! そんな事より早く行こう! いいスポット知ってるからさ!」

 

 

 

 半ば誤魔化すように歩みを再開し、目的地まで二人を案内する。場所は春と来たあの場所だ。きっと二人なら気に入ってくれるだろう。

 ふと空を見上げると、暗くなりかけた空に、少し早い流れ星が流れた。涙のように見えるそれは、夏に見た花火のように儚く消えた。

 

 

 




……遅くなって申し訳ありません……どうも、バレンタインにはバイトを入れました。焼き鯖です。

ここまで投稿するのに約五ヶ月かかりました……本当にごめんなさい!モチベーションが死にかけてました……

次回はもう少し早くあげようと思います(フラグ)。それでは次回までごゆるりと……していただけたら幸いです。

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