東方悲恋録〜hopeless&unrequited love〜 作:焼き鯖
今回で咲夜編は終了です。宜しければ石鹸屋の「after」を聴きながら読んで見て下さい。
ではどうぞ。
これは何かの夢だべか? それともドッキリだべか?
そんな事を考えながら、彼は何度も自分の頰をつねったり叩いたりしていた。やり過ぎて頰が真っ赤に腫れてしまうくらいに。
彼がそう思うのも無理はないだろう。何故なら彼の隣では……
「あら、このお団子美味しいわね。貴方も食べてみる?」
絶賛片思い中の人妻、十六夜咲夜が美味しそうに団子を頬張っていたからだ。
「へ、へぇ。ありがたく頂くだ……」
手渡された団子をぎこちなく受け取り、震える手でそれを口に運ぶ。団子のもっちりとした食感は伝わるが、肝心の味は緊張にかき消されてしまって全く分からない。
「どう? 美味しいでしょう?」
「そ、そうだべな。特にこの上に乗ってる餡子の甘さがまた団子の柔らかさを引き立てて──」
「これ、みたらし団子なんだけど……」
適当な感想を述べていたら、咲夜さんの顔が一気に曇った。
「あ、あ〜そうだべ! このみたらしのタレだべ! この甘辛いタレがまた絶妙なバランスでほっぺたがとろけ落ちそうだべ!」
「もう……」
咲夜はぷくっと頰を膨らませて怒ったが、だんだんと表情が和らいでいき、最後はクスリと破顔させた。
楽しそうにする咲夜とは対照的に、キルムーリスは冷や汗をかきまくっていた。
(ぬ、ぬわぁぁぁぁぁぁぁ! やっちまっただぁぁぁぁぁぁぁ!)
普段の生活の中で、同性はもとより異性とすらまともに接した事のない彼にとって、女性の方から「ちょっと付き合って」と言われるのは初めてのことだった。加えてその相手が人里一の名士の妻で片想い中の十六夜咲夜である。
今の彼は、緊張の許容範囲をゆうに超え、冷静な行動が出来ないでいるのだ。
(と言うか、咲夜さんがオラみたいな奴と呑気にお団子食ってたら、浮気だなんだって疑われるんでねぇか!?)
ここに来る前に咲夜と共に買い物は済ませたが、その間、人里の人達の好奇な視線は半端なものではなかった。
みんな咲夜の方を向いては綺麗だなんだとヒソヒソと話し、キルムーリスを見た時は気持ち悪いだのなんだのと陰口を叩いた。「浮気にしても、もう少しマシな奴を選べばいいのに」という、浮気の疑惑を囁く声も聞こえた。
普段から悪口を言われ慣れてる彼にとっては今更こんな事どうって事なかったが、咲夜まで謂れのない悪口を叩かれる事は我慢が出来なかった。
「あの……咲夜さん、やっぱりオラ、
「何よ? かつての上司とお茶したくないわけ?」
冷ややかな咲夜の目線に若干圧倒されながらも、なんとか言葉を繋げた。
「そ、そう言うわけじゃないだよ。寧ろ嬉しい位だべさ。けど咲夜さん、さっきも言っただけど、オラは……」
「何言ってるのよ」
そう言いかけた時、咲夜がまた吹き出した。
「私がいいって言ってるからいいのよ。陰口叩く奴って、大抵はそれしか能がないから言わせておけばいいの。それに……夢だったのよ。貴方とこうして水入らずで一緒に過ごすの」
「へ?」
一瞬言っている意味が分からず、キルムーリスの脳は凍結した。
なんとか解凍を済ませ、改めて咲夜を見ると、さっきと同じくらい頰が赤くなっている。
「な、何よ。悪い? 好きな人と一緒に過ごしたいっていう気持ち持っちゃ」
「は!? さ、咲夜さん!? お、オラの事好きだったんだべか!?」
今度は不意打ちで平手を食らった気分になった。当の咲夜は、「しまった」という表情をして黙りこくってしまっている。
「や、でも、オラ、てっきり咲夜さんはオラの事嫌いかと……」
「嫌いだなんて一言も言ってないじゃない。それに……嫌いになれるわけないでしょ。貴方の事」
か細い声で絞り出した咲夜の顔は、レミリアが見たら見境なく血を吸ってしまいそうな程真っ赤になっていた。
「だって、いっつもオラにスッゲェそっけない態度とってたでねぇか! 話しかけても目線合わせてくれなかったでねぇか!」
「は、恥ずかしいじゃない……好きな人に話しかけられたり見つめられたりしたら、私のキャラが崩れちゃうと思って……」
どうやら普段から見せてるクールなキャラを維持していただけらしかった。
しかし、それで納得するキルムーリスではない。更に質問は続く。
「じゃあ書類集めてて、たまたま手が触れた瞬間に消えたあれは!?」
「あ、危ないでしょ? 何か飛び出したりしたら……」
オラの指はナイフだべか? それとも咲夜さんの指がナイフだべか?
そうツッコミかけたが、なんとか喉元で堪える。
「風邪引いた時にお粥残したのは!?」
「最初は貴方が作ったの知らなくて、貴方だと知ったらなんだか胸が一杯になっちゃって……」
「じゃがいも剥くの褒めた後で理不尽な量を付け足したのは!?」
「貴方と一緒にいられる時間を少しでも長くしたくて……顔が赤いのバレたくなくて、やっと落ち着いたと思った頃にはもう剥き終わっちゃってて行けなかったけど……」
今まで起こった全ての疑問を、咲夜は赤い顔で答えていった。
その結果分かったことは、咲夜はキルムーリスの事が本当に好きだったけど、生まれてから今日まで恋愛感情というものを持っていなかった事、そのせいでどう接していいか分からなかった事、冷たくしたせいでキルムーリスが咲夜の事を嫌いになっていると思っていた事だった。
そして話は、
「でも……なんでオラの事、好きになったべか?」
キルムーリスにとって核心に迫るものに移った。
「……初めてだったのよ。私の事を労ってくれる人がいる事が」
団子の残る皿に目を落とし、先程とは違って落ち着いた表情で咲夜は語り始めた。
「私って能力が能力だから、やろうと思えば一人でなんでもこなせちゃうじゃない? でも、実際にそれをやろうとしたら、それなりの時間と労力はいるわけ。みんなはそれを見てないから、ただ『紅魔館のメイドは凄い』しか言わない。勿論それは誇らしい事ではあったけど、同時にとても虚しく感じたの」
そこで咲夜は言葉を切り、お茶を飲んで口を潤した。
「そんな時、貴方が声をかけてくれたのよ。休憩終わって部屋から出ようとした時だったかしらね、扉がノックされて誰かしら? って思った時、お茶持った貴方が目の前に現れて、『咲夜さん、お疲れ様だよ。お茶持って来ただ』って。どうしてって聞こうとしたら、『もう少しゆっくり休んでていいべよ。ただでさえ能力使いすぎなのに、これ以上働いたら咲夜さん死んじまうべ』なんて。初めて言われたから、その時泣きそうになったわよ」
確かにその事はキルムーリスもよく覚えている。普段、疲れをあまり見せない咲夜が珍しくその素ぶりを見せていたから少しでも休んでもらおうと思っての行動だったが、何気なく言ったあの一言がこんなおまけを連れてくるなんて当時は思ってもみなかった。
「それからよ。貴方の姿を見つけては目で追いかけるようになったのは。気付いたら貴方の事ばかり考えるようになって、遂にはお嬢様にまでバレるようになっちゃった」
話しながら可笑しそうに咲夜は笑った。
「……だけどよ咲夜さん、オラはこの通りブサイクだよ。無愛想で傴僂で、みんなからはキルムーリスって呼ばれてるだ。呼ばれ過ぎて、オラも本当の名前を忘れちまうくらいだべ。それはどう思ってるべか? やっぱりイケメンの方がいいんじゃないと思うんだべが……」
「そうね。確かに私も貴方みたいなブサイクよりもカッコいい人がいいわよ」
キルムーリスの質問を、咲夜は少しの遠慮もなく正直に答えた。やっぱりと言った感じで彼は頷き、目を落とす。
「だけど、人妖問わずどんな人でもいい所と悪い所があるのよ。貴方の場合はそれが外見に現れただけ。その顔だって、見る人が見ればとても可愛いし、愛おしいものに感じるかもしれないじゃない。少なくとも私はそう思うわよ」
慈愛に満ちた目で咲夜は彼を見つめたが、すぐに表情が曇り、誤魔化すように空を見上げた。
「なんて、人妻になった私にこんな事聞かされても困るわよね……忘れて。今の話」
申し訳なさそうに笑う咲夜の手を、彼は反射でにぎった。
「そんな事ないだよ。だって、オラも最初は咲夜さんオラの事嫌いだろなってずっと思ってたから、とっても嬉しいべさ。これで明日からの激務も十分にこなせるべ。ありがとう。咲夜さん」
精一杯の笑顔を見せながら言われたお礼に、咲夜は少し面食らった。
茶屋の人達がその光景をチラチラ見ながらヒソヒソと話しているが、二人は互いを見つめあったままで気付いていない。
「……でも、迷惑でしょ? 好きでもない女性からこんな告白をされたら」
「この際だから言わせてもらうけどな……オラも咲夜さんの事が好きだっただよ。いつの日か、オラの隣で一緒にお嬢様の為に料理を作って、偶の休憩時間で一緒にお茶を飲んで、下らない事で一緒に笑いあって。そんな取り留めのない事をずっと考えてただよ」
まぁそれは結局叶わなかったけどな。と彼は苦笑いで付け足した。それを聞いた咲夜の顔が若干ながら曇った。
「でも、がっかりはしてないだよ。オラは咲夜さんがお嬢様を喜ばせる為に結婚した事は知ってるし、オラも同じ状況なら咲夜さんと同じ選択をするべ。だからそう気に病む事はないだよ」
励ますような笑顔で彼はそう言ったが、尚も咲夜は目を落としたまま、彼の方を向こうとはしなかった。
「さぁ、そろそろ帰るとするべ! 咲夜さん、家は何処だべか? 送って行くだ……」
立ち込めた暗い雰囲気を払拭するように伸びをしながら立ち上がり、振り向きながら尋ねると、目に大粒の涙を湛えた咲夜が口元を両手で覆い隠していた。
「え!? さ、咲夜さん!? どうしたべさ! オラ、なんか気に触るような事言っただか!?」
驚きうろたえるキルムーリスを諭すように、咲夜はゆっくりと首を振った。
「違うの……貴方と同じ気持ちだった事が凄い嬉しくて……同時に貴方の気持ちを裏切ってしまった事が申し訳なくって……」
もしかすると、咲夜は心の何処かで罪悪感を感じていたのかもしれない。恐れていたかもしれない。彼女が自ら自分の心を欺いた事に。彼の思う気持ちを裏切って、その事を当人から詰られる事に。
その事を悟ったキルムーリスは、再度咲夜の隣に座り、彼女が落ち着くまで何も言わずにその背中をさすり続けた。
自分より大きい筈のその背中が、何故だかとても小さく感じた。
──────────────────────
「はえ〜。立派なお屋敷だべなぁ」
目の前に構えられた立派な門に、彼は思わず嘆息した。
通りの一角を占領するように構えられた名士の家は、大きさこそ紅魔館にはおよばないが、広さはあの阿求のお屋敷に匹敵し、ごてごてとした派手さはないが、一目見ただけで荘厳と分かるほど装飾の多さから、この家の主は相当の実力者だと分かる。
「でしょう? 夫はね、この人里の中で今一番勢いのある人なの。あの阿求に匹敵する程の力持ちよ?」
自慢するように咲夜は言った。
「へぇ〜そうだべか……」
納得するように相槌を打ったキルムーリスだが、その時彼はある予感がした。
確かにこの家に実力がある事は間違いない。だが、その背景にある部分に何処か危うさがあった。世間を知らないチンピラが、我が物顔で街を歩いているような、何も知らないが故に、その筋の者に会ったら無鉄砲に挑んでしまいそうな、そんな感じの危うさだ。
今まで失敗した事のない人生を送ってきたのか、それともただの怖いもの知らずか。どちらにしろこのままでは早々に潰えてしまうだろう。
「じゃあ、オラはこのまま帰るべ。旦那さんによろしくだべな。風邪引かずに元気でな」
そんな事はおくびにも出さず、紋柄型のような挨拶をして咲夜と別れた。
角を曲がろうとしたその時、
「がっ……!?」
突然、脳天に凄まじい衝撃を受けた。おそらく角で待っていたのだろう。図っていたかのようなタイミングだ。
(さ、咲夜さん……!)
薄くなっていく視界の中、大切な人の安否を憂いながら彼の意識はブラックアウトした。
──────────────────────
何か冷たい液体を顔に打ち付けられる衝撃で目が覚めた。
徐々に鮮明になっていく視界に、まず飛び込んで来たのは砂利が敷き詰められた地面だった。
まだはっきりしない意識の中、ゆっくりと顔をあげると、綺麗に掃除され、厳つい男達に囲まれたくれ縁に、二人の人間が立っていた。
一人は派手派手しい黄色の着物を着た若い男で、空威張りの自信に満ちた顔でこちらを見下している。そしてもう一人は……
「咲夜さん……」
そう、先程玄関で別れた咲夜が、申し訳なさそうな顔で見つめていたのだ。
「義景さん、ご覧の通り紅魔館の者を連れて参りました」
団子屋で聞いた楽しげな様子は鳴りを潜め、抑揚のない声で咲夜は言った。
「ふむ……確かにこいつは紅魔館の連中の一人らしいな。しかも執事ときた。よくやったぞ咲夜、と言いたい所だが……」
次の瞬間、義景と呼ばれた男は、彼女の頬を思いっきり強く張った。
「もっと他の奴を連れてくる事は出来なかったのか!? 当主であるレミリア・スカーレットはまだしも、妹であるフランドール・スカーレットや門番の紅美鈴は労多くせずに連れて来れた筈だ! それだけじゃない。お前の能力を上手く活用すれば紅魔館の全員を打尽にする事も出来たじゃないか! なのに三年掛かった結果が、こんな醜い顔をした執事の妖怪一匹だけだと!? 巫山戯るのも大概にしろ!」
無抵抗のまま罵声を浴び、張り手される咲夜を、キルムーリスは黙っていられなかった。
「やめろ! 何してるべか!」
そのまま飛びかかろうとしたが、体が思うように動かない。どうやら簀巻きにされて転がされているようだ。
「おっと。僕としたことが、
「キルムーリス。みんなオラの事をそう呼ぶだ。あんたもそう呼んでもらって構わないだよ」
「キルムーリス? これは傑作だ! その醜い外見に恥じない名前で呼ばれているなんて!」
余程それが面白いと感じたに違いない。そのまま義景は十分間程笑い転げていた。当主に相応しくない下卑た笑い声で。
やっとの事で笑いを収め、それでも吹き出しそうになるのを誤魔化すために、彼はコホンと咳払いをひとつした。
「いや申し訳ない。幾ら何でも笑うのは失礼だった。僕の非礼を許して欲しい」
「良いだよ。笑われるのは慣れてるからな。で、あんたはなんでオラをこんな所に連れて来ただか
精一杯の皮肉を込めながら尋ねると、義景は薄く笑いながら語り始めた。
「僕はね、今はこの小さな里で醸造業を営んでいるけど、こんな所で燻ってるような男じゃない。いずれは人里、ひいてはこの幻想郷全体にその名を轟かせたいと思っているんだ」
長く生きているキルムーリスにとって、こんな取って付けたような野望は聞き飽きていたが、それでも何とか顔には出さずに耳を傾け続ける。
「どうしたらそれが可能なのか? 何週間も悩んだ結果、何処か手頃な勢力を打ち倒そうと考えた。そこで目をつけたのが紅魔館だ。確かに当主のレミリア・スカーレットは、幻想郷でもトップクラスの実力を持つ吸血鬼。しかし、強者と言うのは得てして弱点が多い。あの吸血鬼とて例外ではない。それに気づいた僕は、少しずつだけど確実に兵士を整え、弱点を研究した。しかし、どうしても突き崩せない壁が一つあった。それは……僕の妻である十六夜咲夜だった」
言うなり彼は、地に伏した彼女を顎で示した。
「完全で瀟洒な従者と呼ばれるだけあって、彼女には少しも隙が見当たらない。どんなに策を講じても、彼女一人で全てが解決してしまいそうな予感がした。事実、偵察に向かわせた者の報告では、彼女には『時を操る程度の能力』を所有していると聞いていたから、尚更突破が難しい。万事休すかと思ったその時、一つの天啓が舞い降りた……彼女を取り込んでしまえばいいってね」
まさか。
驚いてキルムーリスは咲夜を見た。
「そこからはもう、トントン拍子で話が進んでね。表の顔しか知らない奴らの人望は厚かったから、あの半妖の先生に彼女とのお見合いを頼み込んだら二つ返事でオーケーしてもらえて、しかも即日で結婚の承諾も得られた。あまりに上手く行きすぎて自分が少し怖くなった位だよ」
気色の悪い満面の笑みを浮かべながら彼はそこで言葉を切った。
分かってたんだ。咲夜は最初からこの事を見抜いていて、紅魔館の人達全員を守る為に、自分から犠牲になったんだ。
あの時、どうして自分の事しか考えてなかったんだろう。どうして咲夜さんの気持ちを先に考えなかったんだろう。とキルムーリスの心に一種の後悔が滲み出た。
「これで紅魔館侵略まであと一歩だ……そう思った時、やはりと言うか、邪魔をしたのがその咲夜だった。彼女は最初、僕の作戦は不十分だ、このままでは負けてしまうと言い出した。そして自分が誰か手頃な者を連れ去って、人質を取ろうと提案した。僕はその提案を受け入れ、咲夜の働きに期待した。ところが、完全で瀟洒な従者の面影は何処へやら。僕が報告を聞いても失敗した、取り逃がしたのヘマばかり。妖精メイドの一匹すら連れてこない。だから罰として捕まえて来るまでメシはやらんと言ったが、それでも連れ去って来る事はなかった」
あの時の変な軽さはその為だったのか。ふらふらと頼りない足取りも。キルムーリスは昼間の出来事を思い出した。
「最初は僕も我慢してたんだけど、流石に業が煮えてきてね。今日までに誰か連れて来なかったら、明日紅魔館に攻め入るぞって脅したら、あっさりと君を連れてきてくれたってわけだよ。分かったかな? キルムーリス君?」
「……それで? 長々と語っていたようだけど、結局オラを連れ去って名士様は何がしたいだか?」
彼のその質問に、義景は呆れた顔をして再び語り始めた。
「君は顔も悪けりゃ頭も悪いのかい? 僕はね、単に君を人質として連れて来たわけじゃない。君には僕らを紅魔館まで先導し、内部に入れるよう手助けをして欲しいんだ。君は執事だからレミリア・スカーレットとの信頼も厚い。そして誰よりも紅魔館内を熟知している。僕は道に迷った旅人のふりをするから、君は僕を助けた体で内部に……」
そこからは、到底無理だとしか思えないような作戦が続いた。
紅魔館の奴ら全員の酒に睡眠薬を混ざるだの、みんなが眠ったのを見計らって館全体を取り囲むだの、合図と共に火を放ち、出てきた隙をついて攻撃するだの……
そのうち、キルムーリスの口からは忍笑いが零れ出し、遂には縛られているという立場を忘れ、それは庭全体に響き渡る程大きなものになった。
「……何がおかしいんだい?」
不機嫌そうに義景は尋ねた。
「いや、ここまで馬鹿で安直な作戦聞かされたの初めてだから思わず笑っちまっただよ。すまなかったべ。名士様」
「……僕の、僕の完璧な作戦が馬鹿で安直だと……どういう事だ! 説明しろ!」
一瞬にして余裕の仮面が剥がれた義景が怒鳴り散らした。
「あぁいいだよ。頭のいい名士様によーく教えてやる。あんたの作戦はオラの協力を前提としてるけど、オラは協力するとは一言も言ってないだよ。この時点で作戦の殆どが無駄になるべ。脅そうとしても無駄だよ。オラはブラウニー。ホフゴブリンの一種で、
余程この作戦に絶対の自信があったに違いない。淡々と紡がれる正論に、義景はギリギリと歯ぎしりをしている。
「それに、名士様は根本的な所を履き違えてるだよ。確かにお嬢様は弱点が多い。けど、それをよく分かっているのは他でもないお嬢様自身だべ。五百年も生き永らえている分、命だって何回も狙われてるから警戒だって怠らねぇ。あんたらポッと出の人間が、そんな付け焼き刃の策をこまねいて弱点を突いたって、返り討ちにあうのはあんたらの方だ」
「貴様! 義景様になんたる口をきく! 今この場で叩き斬ってやってもいいんだぞ!」
側にいた男の一人が刀を抜いたが、義景に制止され、渋々座り直した。その義景ですら、額に何本もの青筋を浮かべている。
「そもそも幻想郷に名を轟かせるなんてそんな壮大な事、不可能だべさ。あんたらは自分達の力を随分過信しているようだけど、あんたらが狙う紅魔館の人達よりももっとずっと格上の方々なんざ、この幻想郷にゴロゴロいるだ。何よりそんな事をしたら博麗の巫女が黙っちゃいねぇ」
「博麗の巫女だと? あんなもの、ただの小娘じゃないか!」
「このご時世、博麗の巫女を舐めきってる奴がまだいたべか。世間知らずも大概にするべよ名士様。彼女が異変を解決する時の強さは、まさに鬼神のそれだべさ。あんたらみたいなゴロツキは一瞬にして塵に帰すだろうよ。あんたらはあの人を人間の味方なんて思っているだろうけど、あの人は幻想郷の保全を第一に考えてる。基本は人間の味方だけど、一度幻想郷を脅かそうと考えたら最期、人間だろうと容赦しない。それはあんたら金持ちとて例外じゃないだよ名士様」
博麗の巫女という名前を聞いた途端、周りにいた男達全員の顔が青く染まった。が、その危険性を危惧していない義景だけは、顔を真っ赤に染め上げ、プルプルと体を震わせていた。
「……さっきから黙って聞いていれば、都合のいい事をまくし立ててばかりじゃないか! そんな机上の空論、僕は認めない! 僕は幻想郷一の力を持っている! 博麗の巫女や、紅魔館の吸血鬼共に負けない力をな! さぁ、僕に協力しろ! 僕に協力すれば命だけは助けてやる!」
最早脅しにすらなっていない脅し文句に、キルムーリスは溜息をついた。
「言ったべよ。オラは妖精。自然がある限り死ぬ事はない。そんなの脅し文句のうちにすら入らないべ。だからこそ言える。このままだと、あんたの家は早々に滅びるってな」
「何故だ! 何故そう言い切れる!」
「オラは長い事外の世界で生きて来ただ。あんたみたいなのは腐る程見てきただよ。そんでもって、そいつらは大した才能もないのに口だけは達者で自分の事しか考えてないから、名を轟かせる前に殺されるか、達成しても色んな人からひんしゅくを買って失脚するかのどっちかだったべさ。あんたにあったのは商才だけ。いい加減その事に気付いた方がいいべよ名士様?」
「こいつ……言わせておけば……おい! こいつを牢屋にぶち込んでおけ! 協力すると言い出すまで拷問し続け──」
義景が言いかけたその時、その場に赤い血だまりを残してキルムーリスが消えた。
突然の出来事にその場がどよめき始めたが、ただ一人、義景だけは慌てず静かに口を開いた。
「咲夜……君かい?」
「申し訳ありません。あれ以上聞いていても有益な情報は掴めないと思い、勝手ながら始末させてもらいました。おそらく今までの事は覚えておりませんのでご安心下さい」
そう言った咲夜は全身に返り血を浴び、左手には死人特有の濁った目で宙を見るキルムーリスの首を持っていた。
「はぁ……全く。やっと人質を連れて来たかと思えば、こんな小煩くて小汚い妖精だったとはね。これで振り出しだ。今度はフランドール・スカーレットか紅美鈴を連れて来い。それまではこれまで通りメシ抜きだ。おいお前ら! メシの支度をしろ。咲夜もだ。早くしろ!」
「……はい」
一方的にそう言い残し、義景は足音荒くその場を去った。咲夜や男達も、少し遅れてその後を追う。
「ったく、なんでこう何度も何度もしくじるかね。早く誰か連れ去って来いよ。俺らまでとばっちりじゃねえか」
「馬鹿やめろ! 聞こえてたらどうすんだ!」
「アホ。聞こえるように言ってんだよ。堕ちたもんだなぁ、紅魔館の完全で瀟洒な従者も」
後ろから聞こえる罵声を振り払うように、咲夜は歩く足を少し早めた。
──────────────────────
「……ス! ……ムーリス!」
「……んぁ……? レミ……リア……お嬢様?」
気がつくと、キルムーリスはベッドの上で寝かされていた。
「はぁ、よかった。無駄な心配させるんじゃないわよ。朝から余計な体力使っちゃったじゃない」
目線の先では、レミリアが心配から解き放たれたように溜息をついた。
「オ、オラは一体……」
「紅魔館の門前に首のないお前の体が打ち捨てられるように置いてあったんだよ。今朝、美鈴さんがそれを見つけてな。一応様子を見ようって事でここに寝かせてたんだよ」
レミリアの言葉を被せるように後ろからチャーリーが現れた。
「……そうだ! お嬢様、ご飯がまだでしょう!? 今すぐに──」
「昨日の夕飯も今朝のご飯も、副執事のチャーリーが全てやってくれたわ。意外と料理上手だったから、料理長としても採用しようかしらね」
茶目っ気たっぷりにレミリアは言うと、すぐに真剣な顔つきに変わった。
「それで? 一体何があったの? 美鈴に負けず劣らずの実力を持つ貴方が、こんなにも簡単に一回休みになるなんてあり得ないわ。聞かせて頂戴。因みに拒否権はないわ」
深紅の両目が、刺すように彼を見つめる。有無を言わさない目と言葉尻の強さに、魅入られたように彼は口を開いた。
「昨日、買い物が終わった後、帰ってる途中で茂みから急に妖怪が現れただよ。あまりに突然の事だったから、対応に遅れてそのまま首を持っていかれたべ。このキルムーリス、一生の不覚だべさ」
申し訳なさそうにキルムーリスは頭を掻き、苦笑いを見せた。
「……本当かしら? 嘘をついてたら例え貴方でも容赦しないわよ?」
長く、鋭い爪がキルムーリスの喉元に触れた。
「オラは生まれてこの方嘘をついた事が無いですだ。どうか信じてくれだよ」
「……分かったわ。貴方を信じましょう。早速だけど、少し休んだら美鈴と一緒に庭の手入れを行なって頂戴。頼んだわよ」
そう言い残し、レミリアは部屋から出て行った。それを待っていたように、チャーリーが口を開いた。
「なぁ……お前、嘘ついたろ?」
「はぁ? 何言ってるべお前。オラが嘘をつくなんてそんな事──」
「とぼけんじゃねぇ。何百年一緒に居たと思ってんだ。お前はな、嘘をつく時必ず両手を、とりわけ右手を強く握る癖があるんだよ」
はっとして彼は両手を見る。チャーリーの言う通り両手は握られており、特に右手はこれ以上ない程強く、固く握られていた。
「昨日、本当は何があった。正直に言え」
「……分かった。オメェにだけは話すだよ」
彼は深く息を吸い込むと、深く真っ直ぐにチャーリーを見つめ、昨日起こった何もかもを全て話した。
全てを話を聞き終えたチャーリーは、驚きと怒りに満ちた表情をした。
「なんっつー酷い話だ……その生良って奴ァ最低最悪の屑野郎じゃねぇか! とにかく一度お嬢様に相談を──」
「チャーリー、この事はオラとオメェだけの秘密にして貰いたいべ」
「だけど!」
「チャールズ・ベッケンドルフ!」
鋭い怒声が響き渡り、チャーリーの口が閉ざされた。普段滅多に怒った事はなく、怒る以外ではチャーリーのフルネームを呼ばないキルムーリスの、純粋な怒りが篭った声だった。
「頼む。この事はどうかお嬢様だけでなく、館の人達全員にも言わないでけろ」
「どうして!」
「オラもよ、最初は報告しようと考えたべさ! けど、あの場で咲夜さんに殺されて、目が覚めてお嬢様やお前と話しながら考えているうちに、オラ気づいただよ! 咲夜さんの気持ちに!」
悔しさが滲み出るのを抑えるように両手を強く握りしめた。
「もしもよ、もしもこの事をお嬢様が聞いて、そのせいで復讐心を燃やして、報復だなんだと称して名士様の家を襲撃したらどうなる!? 被害は家一軒だけじゃ済まねえ、下手すりゃ人里全体にまで及ぶ! そうなったら博麗の巫女だけじゃねぇ! あのスキマの妖怪様にも目をつけられて最悪殺されるかもしれねぇんだぞ! 咲夜さんはどうしてもそれを避けたかったんだ! 訳を話しても聞いてくれる連中じゃねぇ事は、オメェだって理解してる筈だろ!?」
「じゃあ出来るだけ被害を最小限に抑えるか、隠密に始末するよう説得すれば──」
「だとしても咲夜さんはそれを望んでねぇ! 仮にそんな事しても、真っ先に疑われるのは咲夜さんだ。家から消えたとなれば、隠したのはこいつらだと言う大義名分が出来て真っ先に紅魔館が狙われる! それでもお前がお嬢様に進言してこの館の人達の命を危険に晒すと言うんなら、オラはもう何も言わねぇだよ。決めるのはオメェ自身だ」
キルムーリスはそう締め、答えを求めるようにチャーリーを睨みつけた。
チャーリーは何も言わず、ただ黙って彼を見つめていたが、やがて自分の中にある気持ちを吐き出すように壁を強く殴りつけた。
「……んだよそれ。結局またお前が損をしてはいお終いってか? 巫山戯んじゃねぇよ! 何処までお人好しなんだオメェは!」
「チャーリー……」
「いっつもそうだ! 自分の事より他人の事! いい思いをした事なんて一度もなかったじゃねぇか! お前悔しくねぇのかよ? お前が心から尊敬して、心から愛している人を、こんな畜生に取られて悔しくねぇのかよ!? 確かに俺はいつも憎まれ口を叩くけどよぉ、俺はお前のいい所をいくつも知ってる! お前が誰よりも優しい事も! 物の本質を一発で見抜く目を持ってる事も! そこらへんのクソ雑魚妖精なんかよりもよっぽど価値のある妖精である事を、俺はよく知ってるつもりだ! だからこそお前には幸せになって欲しいんだよ! 生良みてぇな屑野郎がいい目を見て、お前みたいないい奴が泣きを見る世の中がまかり通るなんて間違ってる! なんでそれが分かんねぇんだ! ここまでお人好しだと呆れを通り越して逆に殺意を覚えるぞ!」
怒鳴りながらチャーリーは何度も壁を殴った。何度も、何度も、何度も。殴り続けた右手からは肉が裂けて血が滴り、壁を見つめ続ける目からは涙が筋となって流れ出た。
……チャーリー、もういいだよ。オラはもう十分幸せだべさ。憎まれ口を叩くけど誰よりも俺の事を理解してくれる友人がいて、職場も住む所も提供してくれるお嬢様に仕えていて、その妹様やご友人はとても良い人達で、何より咲夜さんに会えた。これ以上の幸せを望んだら、オラは何世紀も煉獄行きになっちまうべさ。
けど……オラだって悔しいだよ。あんな奴に咲夜さんが取られたのが、お前以上に悔しいだよ。
その言葉を口にするのはあまりにおこがましいとかんじて、彼はそれを心の中で呟いた。
彼が眠っていた部屋からは、暫くの間沈黙に包まれた。ただチャーリーが壁を殴る音と、悔しさに嗚咽を漏らす音だけが、まるで
──────────────────────
「…………んぁ、寝すぎたべな」
大きく伸びと欠伸をしながら、キルムーリスは眠い目を擦った。日はもう既に午後三時くらいまでは傾いている。
あれからもう幾千年がすぎた。レミリアやフランはすっかり大人になり、今では幻想郷の時期支配者候補になるとまで噂される程の実力を持った。彼が紅魔館を去った今でも八雲紫や現博麗の巫女と手を組み、その名を彼の耳元まで轟かせている。
紅魔館の人達とは今でも交流があり、偶に紅茶を飲みに出向く事がある程仲が良い。
チャーリーも、キルムーリスが辞めるのとほぼ同時期に紅魔館を去り、現在でも彼と同じ主人に仕えている。「オメェがいないとつまんねぇんだよ」と照れ隠しにいつも言っていて、キルムーリスも笑いながらそれに感謝している。
生良家は、キルムーリスの予想通り早々に潰えた。紅魔館侵略を諦めた彼は、阿求亭に攻め入ったが呆気なく捕まり、義景はその場で梟首にされたそうだ。
咲夜はそのまま消えた。というより、義景が阿求亭を襲撃する前からその姿を見たものは居らず、そのまま行方をくらませてしまったのだ。
連れ戻そうとレミリア達も探したが、ナイフの一本も見つからず、捜索は断念。その日に紅魔館でささやかながらお葬式が行われた。
そしてキルムーリスは紅魔館を去り、今は人里の小さな古書堂の主人に仕えている。あの出来事は、もう過去のものとなった。
「さぁ、早く帰って納入日を報告しねぇと、ご主人様に怒られちまうべ」
そう呟きながら立ち上って──目の前のものに驚き、腰が砕けそうになった。
「あ……あぁ……」
輝くような銀髪、ふんわりとした白いブリム、吸い込まれそうな程深い紺色のメイド服。
最後に紅魔館を去った頃と変わらない服装をした彼女が、彼の目の前に立っていた。
「久しぶりね。会いたかったわ。キルムーリス」
「……はは、オラもそろそろ焼きが回っただか。まだまだ現役かと思ったんだけどなぁ」
震える声で頰をつねるキルムーリスに、彼女はクスリと笑った。
「ふふ。相変わらずね、貴方は。迎えに来たの。小さいけど、近くの森に私の家があるわ。そこで一緒に暮らしましょう?」
「いや、でも──」
「もう十分よ。貴方はもう十分働いたわ。ここら辺で休暇でも取りましょうよ。妖怪の山でピクニックしてもいいし、人里でお団子を食べてもいいし。なんだったら、一日中家で紅茶を飲んでもいいわ。適当にそこら辺を散歩するっていうのもいいわね……貴方は何がしたい?」
「だけどもオラは──」
「何? またオラは不細工だからアンタとは釣り合わないとかぬかすのかしら? そんなの、私は気にしないって言ってるじゃない」
頰を少し膨らませながら彼女は不機嫌そうにそう言ったが、直後にその頰には朱が混じった。
「それとも……私じゃ、嫌?」
「そ、そんな事はないだよ!」
「じゃあ行きましょう? 私、この日が来るのをずっと待ってたんだから」
言うなり彼女はその白い手を差し出した。
おずおずと彼がその手を握ると、彼女も優しく彼の手を握り返した。
「さぁ、行きましょうか」
「……そうだ。ちょっと待つべ。行く前にひとつ、言いたい事があるべよ」
彼はコクリと首を傾げた彼女に微笑み、彼女の正面に立つと片膝をついてこう言った。
「十六夜咲夜さん、オラは貴方の事が好きです。どうか、貴方の時を一緒に歩かせて下さい」
言い終わった瞬間、彼は勢いよく右手を彼女へ差し出した。
「……はい。私も、貴方と一緒に永遠の時を歩みたいです。こんな私ですが、どうぞよろしくお願いします」
差し出された右手を両手でそっと包み込み、嬉しそうな顔でそれを了承した。それと同時に、キルムーリスの顔が明るく輝いた。
「……ホントに、オラでいいんだか?」
「当たり前よ。私は貴方じゃなきゃダメなの。さ、今度こそ行きましょう? 美味しいアップルパイを作ってあるから」
彼女は彼に優しく笑いかけると、その手を改めて左手に握り直して再び歩き始めた。キルムーリスもまた、彼女に優しく笑い、彼女と歩幅を合わせるように歩き始めた。
沈みかけた午後の太陽が、彼らを祝福するように照らし、導くように森の入口へと彼らを誘い、そのまま二人は森の奥へと消えた。
これ以降、キルムーリスの姿を見たものは誰もいなかった。
ただ、彼が座ったとされる木陰の下には、二つの新芽が寄り添うようにして生えていたという。