「……なるほど。それでオレに、SRC島での調査を依頼したわけか」
長い黒髪の、鋭い目つきの少女はそう言った。
その部屋は、一言で言えば、探偵事務所だった。
会社のオフィスのような機能的な雰囲気でありながら、どこかカタギでない雰囲気も漂う。机の引き出しに、拳銃の一つも入っていそうな雰囲気があった。
「貴方の情報収集能力は、きっと彼の役に立つわ。霧間凪さん」
紫は、部屋の主である少女探偵にそう言った。
「あの大思想家、霧間誠一の娘であり、数々の戦いを潜り抜けてきた貴方なら……ね。彼は、単純に戦いに強いだけの人間は求めていない。判断力の優れた切れ者を欲しているはずよ」
「河内惣一……『綺羅星の時代』と呼ばれたSRC学園の黄金時代を支えた一人か」
凪は、この妖怪の少女が父の名を口にしたことには反応を示さず、仕事のパートナー予定者のことに意識を向けた。
「派手さはないが、堅実で隙のない戦法では、騎士団随一と言われていた。模擬戦などでも、黒星が極端に少ない。地道に守りを固めて引き分けに持ち込むか、相手の疲労や油断を誘って勝ちを拾うか。本人の性格が知れるな」
「さすがは『炎の魔女』。よく知っているわね」
「SRC島の動向は把握しておく必要があるからな」
机の上のノートパソコンで情報を検索しながら、凪は言った。
「三年前の『祇園会事件』にしても、ずいぶんと裏で派手な動きがあったようだしな。あれはやはり、幻想郷の住人、それもかなり高い地位にいるあんたとも無関係じゃないんだろ?」
「……困った人ね。聡すぎると寿命を縮めるわよ?」
「何、オレは昼行灯のフリも得意なんでね。聡さを隠さないのは、信頼の証だと思ってくれていいよ」
苦笑して言う紫に、凪も笑って見せた。
「あんたは一見胡散臭く、腹の知れない奴に見えるが、その本質はたぶん真面目なヤツだ。はるばる結界の外まで、一人の妖怪を助けに出かける程度にはね。違うかい?」
「まあ、ルーミアに色々と秘密があるのも事実だけどね。でも確かに、幻想郷の住人を見捨ててまで寝ているのは私の流儀ではないわ」
「そういう奴の頼みなら、引き受けるのにやぶさかじゃないな。オレとしても、ここであんたにすげなくするのは得策じゃないからな」
「そう言ってくれると思ったわ。だとすると、貴方の報酬は、幻想郷とSRC学園とのコネクションというところかしら?」
「学園都市に対抗するには、味方は多い方がいいからな」
凪の顔が引き締まった。
学園都市。
東京の西に位置する完全独立教育研究機関。
あらゆる教育機関・研究組織の集合体であり、学生が人口の八割を占める学生の街にして、外部より数十年進んだ最先端科学技術が研究・運用されている科学の街。
また、人為的な超能力開発が実用化され学生全員に実施されており、超能力開発機関としても知られていた。
「あんたと学園都市の理事長アレイスター=クロウリーとを比べれば、どちらについた方がいいかなんて知れきってるしな」
探偵である凪は、裏の情報を多く知っていた。
学園都市の王ともいえる統括理事長アレイスターが、裏に数々の黒い噂があることも、その噂の裏づけとなる情報も、いくつも把握していたのだった。
「あら、私も人間を食べたりしてるかも知れないわよ?」
「人間誰しも潔白ってわけにはいかないだろうしな」
挑発的に言う紫に、凪は肩をすくめて応じた。
「ただ、それが止めるべきだと判断できるものを見かけたなら止める。それだけだ」
「貴方は本当にいつもそうね。常にたった一人で世界に向かって立ち、何者をも恐れようとはしない。だからこそ貴方は誰よりも強く、誰よりも優しいのでしょうね」
「オレを褒めても何も出ないよ」
その笑顔から挑発の色を消し、かわって敬意と慈しみをにじませた紫に、凪は居心地悪げな顔になった。
「さて、それじゃ早速旅支度に入るとするかな。健太郎や正樹に事情を話して、後のことを任せてから現地入りするまでに、あと四時間ってところか」
「上出来ね。一日ぐらいの余裕はあると思うけど、早いほどいいのは確かね」
「あのお馬鹿さん、どこでどうしているのか知れたものじゃないしね。さて、それじゃ次の協力者のところへ行かないと……」
そう言って紫は、その場からスーッと姿を消した。
凪は、意に介さない。そんなものは見慣れたものだ、という風情だった。そのまま戦場に臨む戦士の顔つきになった凪は、立ち上がって戸棚を開き、カバンに様々な道具を詰め込み始めた。
「……ということなの。貴方も、力を貸してくれないかしら?」
「んだよ、かったりーなぁ。なんであたしがそんなことやらなきゃならねえんだよ」
紫の言葉に、佐倉杏子は面倒くさげな声を上げた。
そこは、とあるビルの屋上だった。
廃ビルというわけではないが、あまり人の出入りのない寂れたビルで、普段は無人のことも多い。都会の死角を見出すのが巧みな杏子が見繕ったねぐらの一つだった。
「人のために動くとか、そういうのは、なんかいやなんだよ」
「あら、本当にそう?」
あくびをしながら言う杏子に、紫はいたずらっぽく尋ねた。
「……ふん。当たり前だろ。他人のために何かしたって結局一文の得にもならねーばかりか、そいつのためにもならないもんさ。世の中結局、頼れるのは自分だけなんだからな」
「そうね。ならそういうことにしておこうかしら」
紫は微笑して言った。
「貴方の利益になることならいいのね?」
「……ま、そういうことになんのかな」
杏子は肩をすくめて、横目で紫を見た。
「けどお前、あたしに何をくれるっていうんだ?」
「そうね。たとえば、これなんかどうかしら?」
そう言って紫が取り出したものを見て、杏子の顔色が変わった。
「! それ……!」
「貴方達魔法少女は、このグリーフシードは喉から手が出るほど欲しいでしょう」
グリーフシード。「悲嘆の種」という意味の名を持つその物体は、杏子に――キュゥべえと契約した魔法少女たちにとって、生命線といえる道具であった。
「しかも貴方は今、これが余分に必要な事情もあるはずよ?」
「てめえ……何でそれを知ってやがる」
紫の意地悪げな言葉に、杏子の顔からけだるさが完全に吹き飛び、かみつきそうな表情になった。
「侮らないでほしいわね。これでも、幻想郷では大物で通ってるのよ」
その刺すような視線にも、紫はまったく動じなかった。
「貴方の性格と、そして戦闘力の高さはきっと彼らに必要になるわ。力を貸してくれるわね?」
「……うまく乗せられるのは気に入らねえが、選択の余地はなさそうだな」
不承不承といった風情で、杏子はため息をついた。
「しょうがねえ、やってやるよ。島へ行く船は、お前が手配してくれるんだな?」
「ええ。これが旅券よ」
「用意のいいこった。あたしが断ったらどうするつもりだったんだよ」
「貴方ならきっと引き受けてくれる。私には確信があったのよ」
「チッ……」
舌打ちして杏子は、旅券をひったくった。その手に、紫はグリーフシードも押し付けた。
「グリーフシードは前払いで渡しておくわ。出かける前に、彼女に渡しておいてあげなさい。あまり余裕のある状態じゃないんでしょ?」
「ケッ、お前に指図される筋合いはねーよ」
杏子は紫から視線を外した。
苦々しげな、そしてどこか切なさをはらんだ、複雑な視線を、屋上から見える街へと向けた。