「思ったより早く済んだわね」
街角で缶ジュースを片手にしながら、美琴は黒子に言った。
見回りを終えた一同は、さつきと初春が本部へ戻り、黒子が美琴とともに宿舎へ戻ることになったのだった。
「そうですわね。まあ、来我さんや初春は固法先輩と一緒に居残りで大変ですけれども」
「来我さんは毎日仕事で大変ね。初春さんはなんで残ることになってたんだっけ?」
「風紀委員が集めた危険人物、組織の情報の整理ですわ。初春はパソコンを利用した情報処理の専門家ですから。今日私たちが聞いた情報も、風紀委員の扱う情報の一端に過ぎないのですわよ」
風紀委員としての初春は、黒子のように腕が立つわけではない。しかし、彼女には黒子にできないことができた。それがすなわち、凄腕のシステムエンジニアに匹敵する情報処理能力であった。それがあるため、こうして見回りの任務を終えた黒子よりも帰りが遅くなることもしばしばあった。
「あ……あれだけの話を聞いたのに、まだ何か情報が?」
「それだけこの世界が複雑化しているということですわね。今やこの世界は能力、魔法、モンスターのみならず宇宙人、異世界人など数知れない超常現象であふれ返っていますもの」
「私たちの力も超常現象なのかしら?」
「まあ一応、物理学的には人間が発電したりテレポートしたりは出来ないですからね。『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』にせよ『夢干渉波動』にせよ、その正体は誰にもわかりませんものね」
黒子はテレポート能力を発動する力を秘めた自らの両手を、不気味なものを見るような視線で見つめた。
「ま、それを言えば『火』だの『電気』だのって現象も、結局それが何なのかは誰にもわからないわけなのよね。電気の正体は昔は雷様の怒りとされてて、今は電子の運動とされてるけど、結局呼び方が変わっただけ……って何かの本に書いてあったわ」
言ってから美琴は苦笑した。
「まあ正直、私は数学や言語なんかは得意でも、概念とか考察とかそういう文系の分野は苦手なのよね」
「学園都市の学問も、基本的に理系重視ですものね。SRC学園では文系の考察も進んでるそうですから、そのうち来我さんに聞いてみるのも良いかも知れませんわね」
「そうね。案外、わからなかったことがわかってくるかも知れないわね」
そう言ってから、美琴はふと空を見上げて考え込んだ。
(あんまり考えたことがなかったものね。なんで私の力がアイツの右腕には通用しないのか、とか――)この学園都市だけ科学が30年も進んでる理由も、謎といえば謎なのよね……)
美琴の物思いは、懐からの着信音によって破られた。
「あれ? メールだ。佐天さんからか。なになに……」
言って携帯電話を開いた美琴は、
「……っ!?」
と血相を変えた。
「お姉様? どうなさいましたの?」
「黒子! こ、これ……!」
「佐天さんからのメールですわよね。何かおかしなことでも……っ! これは……!」
そのメールの文面を見た黒子も驚愕の表情を浮かべた。
佐天のメールアドレスで届いた、そのメールは。
しかし明らかに、佐天の手によって書かれたものではなかった。
そのメールには、こう書かれていたのだ。
『拝啓 御坂美琴様初めまして。佐天涙子さんの身柄は預からせていただいたわ。
賢い貴方なら、佐天さんの携帯から別人がこんなメールを送って来た時点で何が起きたか気付くのではないかしら? 私が佐天さんを誘拐した目的は一つ。御坂さん、貴方との決闘よ。今すぐに指定の場所に来て頂戴。姫士組の雄と謳われた私なら、学園都市230万人の頂点の一柱に立つ貴方を満足させられる自信があるわ。30分以内に来なかった場合、佐天さんを殺しはしないけれど、海外へ拉致させていただくわ。お友達に知らせるのは構わないけれど、警備員には知らせては駄目よ。困るからというより、無粋ですもの。警備員や風紀委員に動きがあった場合、通報したとみなして、佐天さんともども海外へ脱出させていただくわ。じゃあね、御坂さん。素敵な時間を共に楽しみましょう。貴方にとっても刺激的な体験を約束させていただくわ。
姫士組ネオユニバース元十代目姫長加茂川瀬里奈』
「な……なんですの、……これ」
黒子は茫然と言った。
治安維持に携わる風紀委員とはいえ、基本は平穏な日常に身を置く学生である黒子には、唐突に訪れた異常事態に即座についていけなかったのだ。
それは、レベル5とはいえ、黒子以上に荒事の専門家とはいえない美琴も同様だった。
「わ……私に聞かないでよ! 私だってわけわかんないわよ、こんなの……! 冗談にしか見えないけど……でも佐天さんがこんなメール出すわけないし! 佐天さん、本当にさらわれたんだ……!」
色を失う美琴のかたわらで、黒子も緊迫した顔つきで携帯電話のボタンを押した。
「お姉様、写真が添付されています! 縛り上げられた佐天さんが写っていますわ! 佐天さん、気の毒に怯えていますわ……。佐天さんの肩を抱いて笑ってる黒髪の女……これが加茂川瀬里奈?」
黒子の言った通り、そこに映っているのは佐天だった。顔面蒼白で怯えた表情の彼女に馴れなれしく寄りかかって、不敵な表情を画面に向けている長髪の女。まぎれもなく、閻一文字を背負った元姫長、加茂川瀬里奈その人だった。
美琴はその写真を見て憤慨した。
「なんて性悪な誘拐犯よ……。恐がってる女の子の横でにやにや笑うなんて! 黒子っ! 今すぐこいつ、ブッちめに行くわよ!」
「お姉様! どうか、冷静なご判断を! これは罠ですわ。ただ突っ込むだけでは、何が待っているかわかりませんわよ!」
「だ、だとしても……! 時間が指定されてるわよ!? 殺されはしなくても、佐天さんが海外へ連れ去られてしまったら、どうにもならないわ!」
その言葉に黒子は眉をひそめて考え、
「た、確かに……。ですが、初春たちにも連絡を。犯人は元姫士組姫長と名乗っています。来我さんなら、何かわかるかも知れませんわ! 私もお姉様と同行しましょう。その途中で、初春さんにメールを送りますわ!」
「わかったわ。すぐ行きましょう」
言って美琴はキッと眉を上げた。
「加茂川瀬里奈……! 何のつもりか知らないけど、私の友達に手出しをしたら、ただじゃ済まないわよ!」
未知の相手に友人がさらわれ、自らは戦いを挑まれたと知りながら、美琴の心に怯みはなかった。
その心と、そして瞳に映るものは、電撃姫の二つ名にふさわしいもの――闘志であった。
「佐天さんが誘拐された!?」
風紀委員・第一七七支部。
初春と黒子の先輩である固法美偉(このり・みい)は、驚いて叫んだ。
初春も、真剣な顔で携帯電話を見せた。
「はい。白井さんからこのメールが! 事情を説明したメールと、犯人からの脅迫メールの転送が……」
と、そのメールと写真を見たさつきが目を見張った。
「これは……っ、加茂川元姫長!?」
「知ってるの、来我さん?」
「はい、固法さん……。姫士組の二代前の姫長で、姫士組中興の祖と最悪の逆賊という相反する評価を持つ人物です」
苦いため息をつきながら、さつきが答えた。
「先代姫長で現副長の十四蔵さんの師匠でもあり、非常に有能な人物だったとか……。私は面識がありませんが、うちの隊長の原先輩から色々話を聞いていましたから……」
「どうしてそんな人が、佐天さんを誘拐するんですか? 姫士組といえば、SRC島の風紀委員のようなものじゃないですか」
「原さんの話では、大変な愉快犯で、人を困らせるのが大好きな変人だったとか。あまりに奇行が多すぎて、味方から不信任案を突きつけられて失踪したんです」
「ずいぶんと厄介な人物みたいね……」
固法は眉をひそめた。
「この脅迫メールから判断すると、御坂さんがレベル5であることで腕試しを挑みたい、と読めるけど?」
「その解釈でいいと思います。腕試し自体は、姫士組の気風に合った習慣ですし。うちは元々、規律の厳しい騎士団に比べると、豪放であることを好む気質がありますから」
「風紀委員とも結構違うんですね」
「佐天さんは安全なの? 警備員には知らせるなと、メールには書いてあるけれど――」
「はい……。確かに不用意に加茂川元姫長を刺激するのは危険かも知れません。彼女が糾弾され失脚したもう一つの理由……それは3年前の祇園会事件の時、内部粛清をやったことにあります」
「しゅ、粛清!?」
「祇園会事件……確か能力者至上主義を掲げた個人生徒会『祇園会』による武力蜂起の事件だったわね」
「はい。SRC島全土が戦争状態になり、大勢の学生が死亡した悲惨な事件です。この混乱状態に乗じて、犯罪組織のスパイなどが自警団に入り込んでいたのですが……」
「加茂川さんは、そのスパイを粛清したと?」
「はい。綿密な調査にもとづき、一人の間違いもなく確実にスパイだけを処刑したそうです。ですが、そのやり口は非常に残忍で、大勢の隊員の前でスパイをつるし上げ、剣や銃で殺害したんです」
「ひ……酷い……!」
風紀委員に所属しているとはいえ、基本的に平和な学生である初春にとって、それはまるで異次元の出来事のような、信じがたい話であった。
「学校でそんなことを……」
初春に比べれば荒事に慣れている固法も顔をしかめた。慣れてはいても、瀬里奈のしたことが、学校であっていいようなことでないことには変わらなかった。
さつきも厳しい表情で言った。
「……加茂川元姫長は異常者です。刺激した場合、何をするかわからない危険性があります。固法さんにも、慎重な対応をお願いします!」
「わかったわ。貴方も、姫士組の先人が前科者になるのは避けたいでしょうしね。加茂川元姫長は、金品や人質を要求してるわけではないのよね。御坂さんが決闘に応じれば、佐天さんを解放すると……」
「はい。彼女は約束は守る人だと聞きましたから。私は指定の場所へ行きます。万一のことがあった場合、何があっても加茂川さんを止めなくては」
「でしたら、私も行きます! 佐天さんは私の大切な親友ですから……!」
決然とした初春の言葉に、固法は少し逡巡してから、ため息をついた。
「……仕方ないわね。後の始末は私がしておくから、気をつけて行きなさい。かつての先輩とはいえ、相手がそんな異常者なら、くれぐれも対応には注意するのよ」
「はい。固法先輩からのご指導、必ず役に立てて見せます。加茂川さんが罪を犯すことのないよう、何とかして止めないと!」
「佐天さん……無事でいて下さい!」
決意を胸に、二人の少女は風紀委員支部を飛び出した。
部屋に残った固法は、さっそくパソコンへ向かって高速でタイピングの指を走らせつつ、内心で友人の安全と、無事な事態の鎮圧を祈っていた。