惣一たちがルーミアの捜査を始めて三日後。
SRC島中央商店街の喫茶店『イリーレスト』に、また三人が集まっていた。
ただし、今日は最初集まった時のように余裕のある表情ではなかった。
「くそっ……!」
杏子が、ドシンと音を立てて色艶のいい木のテーブルを叩いた。
それへ、煩わしげに惣一が言った。
「うるさい。落ち着け、佐倉」
「これが落ち着いてられるかよ!」
杏子が怒鳴った。
「これでもう三日じゃねえか! どうすんだよ、ルーミアが無事じゃなかったら! まさかこんなに手がかりがつかめねえなんて……!くそっ、何がどうなってやがる!」
杏子の、気の強そうな美貌には焦燥の色が濃く浮かんでいた。
最初はまだ鼻歌混じりだった彼女も、いつまでたってもルーミアが見つからないことで、その安否に対する不安の気持ちがむくむくと頭をもたげてきたのだった。
不良の慰み者だのモンスターの餌だの、初日に惣一が口にした不吉な予想が、杏子の脳裏をちらついていた。彼女はぎりぎりと歯を噛み鳴らし、荒っぽく吐息をついた。
「こうしちゃいられねえ。せめてあたしだけでも、捜索を……!」
そう言って杏子は、席を立って飛び出そうとする。
それを、惣一が押しとどめた。
「待て。勝手な行動は許さん。俺がリーダーだ。戦力を分散させては貴様を雇った意味がない」
その言葉に、杏子は怒りに燃えた視線を惣一に向けた。
「てめえっ――ルーミアがどうなってもいいってのかよ!」
返答次第ではその場で飛びかかりそうな形相だったが、惣一は眉ひとつ動かさない。
「俺は最善を尽くすだけのことだ。その結果、不可抗力的にガキが死のうと、そんなことで一々心を動かされていては騎士はつとまらん。哀れなガキなど無限にいる。一々救おうとしていたら、一生かかっても救いきれん。今回の件も、あの胡散臭い妖怪の報酬が労力に見合ったと判断しただけだ」
そのにべもない言葉に、杏子がガタンと椅子を蹴った。
「野郎っ!!」
そのまま惣一に掴みかかろうとする。しかし凪が、寸前で押しとどめた。
「よしな、杏子。……河内さんはね、河内さんなりに心配してるんだよ」
「……何が言いたい」
凪の言葉に、初めて惣一が不快げな視線を向けてきた。が、今度は凪が惣一の視線に取り合わず、
「あんたは騎士団という組織で、生徒たちを守るために戦っていた。進路もたしか、警察関係を志願してたはず……それはつまり、一生かかって哀れなガキを救おうとしてるって事じゃないか?」
「……!」
凪の話を聞いた杏子が、目を見開いて惣一を見る。
その瞳に浮かぶ色を見た惣一が、忌々しげに顔をゆがめ、鼻を鳴らした。
「……可愛くない小娘だ。貴様が騎士団にいたら、死ぬほどしごき倒してやっていたところだ」
凪はやはり平気な顔だ。「どうぞ、喜んで」とでもいいたげに、くすりと微笑すらして見せた。
「最善を……尽くすって、本当かよ? 河内」
先ほどの焦燥と惣一への怒りの色に代わり、緊張とほのかな期待をにじませながら、杏子が口にした。それへ、惣一が面倒くさそうに鼻を鳴らした。
「『さん』をつけろ、無礼なガキめ。もとよりこの河内、引き受けた仕事の手を抜く気はない。すでに打てるだけの手は打った。情報が集まらんのは、敵の隠れ方が巧妙なのを示している」
「……確かに、な。この小さな島で、そういつまでもよそ者が隠れてられるってのは変な話だ」
「考えていなかったが、島内の不良グループや悪徳職員で、金で抱き込まれて協力してる奴がいるかもしれん。その線で洗うよう、麻生や探偵部に指示を出しておいた。時間はかかるが、地道に前進するほかはない。今にして思えば、八雲紫のやつは、こんな状況を想定して俺に頼んだのかもしれんな。気にさわるやつだ」
「根競べであんたの右に出る者はいないっていうからな」
紫の「全てわかっているぞ」と言いたげな笑顔を思い出して、惣一は肩をすくめた。それへ、凪が穏やかな微笑を向けた。
「フン……華々しい活躍をしていきがってるうちは、しょせんはガキだということよ。戦いはいつでも根競べだ。長い時間潜伏していれば、敵がボロを出すことも――」
惣一が言いかけると、彼の懐の電話が鳴った。
「ん? 河内さんの電話か」
ちゃんと「さん」をつけた杏子に惣一が一瞬目をやってから、携帯電話を取り出して通話ボタンを押した。
「河内だ。……玄武堂か。ああ、今はマスターDだったな。……わかった。わかったから静かにしろ。一々面倒なことにこだわる女だ」
電話の相手は、あの探偵部『SRCD』の部長だった。一瞬惣一が口にした名前を聞いて、電話の向こうからけたたましい抗議の声が鳴り響いた。惣一は、うるさそうに携帯を耳から離して、相手の言葉が途切れてから言った。
「貴様は金をもらって働いているのだろう? なら、とっとと用件を言え。俺も暇では……何だと?」
相手の言葉を聞いて、惣一が眉を動かした。
「…………わかった。確かにそれは収穫だ。場所は……うむ、メールで頼む。ただちに俺達が急行する。時間の余裕はない。切るぞ」
切断ボタンを押すや否や、惣一はガタリと席を立った。そして手早く財布を取り出し、「つりはいらん」と言い添えて、そばを通った恭祐に紙幣を手渡した。
「マスターDって、このあいだの探偵さんかい?」
凪もすでに立ち上がり、出かける支度をしながら言った。杏子だけが事態の急変にとっさについていけず、どぎまぎしている。
「ああ。ついに手がかりが転がり込んできた。不審なモンスターを商店街で発見したらしい。すぐに俺達が向かい、捕獲する。モンスターは日本語で会話をしていたから、知性があって意志の疎通も可能なようだ。とすれば、情報を聞き出せる」
そう聞いて、ようやく杏子も勇躍した。
事情さえ理解してしまえば、動くあてができたことは、今の杏子には何より嬉しい知らせだった。
「よっしゃ。そうと決まれば早速行くぜ! 待ってろよ、ルーミア!」
気合の入った声で言う杏子を見て、
「ふっ……」
と凪が微笑した。
「? なんだよ」
いぶかしげに振り向く杏子に凪は、
「いや、お前もいいやつだなって思ってさ」
と穏やかに言った。
「一見自己中心的に、わがままにふるまってるように見えるが、お前はほんとは思いやりの強いやつだろ? 人助けをしたり、悲しんでる子をなぐさめたりする方が性に合ってるんじゃないかな、お前は」
その言葉に、杏子の目が泳いだ。戸惑いの色と、そしてかすかに切なげな色がその目に浮かんだ。
「……っ。そ、そんなこと……ねーよ」
「そうかい?」
凪の問いに、杏子がやや暗い顔で足元に視線を落とした。
「あたしみてーなガキが言うことでもないかも知れないけどよ……人はさ、結局一人で生きるしかねえんだよ。誰かを助けたいと思ってとった行動が、結果としてそいつを破滅させちまうことだって……ある。だから、あたしは……誰かのためになんて動いたりしねーよ」
そう言い切った杏子が自分の目を見据えてくるのを、凪もまた目をそらさずに受け止めた。凪は杏子のその考え方自体が、すでに「他人のためを思って」いることに気づいていたが、口にだしては、
「……。そっか……」
と優しい声音で言っただけだった。
それへ、惣一がぶっきらぼうにせかす声が投げかけられた。
「何をごちゃごちゃ話している。さっさと行くぞ。標的が逃げたらどうするつもりだ」
「うっせーな。今行くよ!」
怒鳴り返して、杏子は喫茶店を出ていった。
その背を、凪は、物思わしげに眺めていた。
(……杏子。やっぱり優しい奴だよ、お前は。杏子のためにも無事でいてくれよ……ルーミア)
そして凪も決意の色を瞳にたたえると、二人の後を追って店を出た。
三人の戦士の中で、ようやく時間が動き出していた。