南洋海戦物語〜人類の勇戦譚〜   作:イカ大王

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戦闘シーン抜きです。


第五十七話 瀬戸内の夜

1

 

「こんな所にいたのか…」

 

風巻康夫(かざまき やすお)連合艦隊首席参謀は、その声を聞いて、後ろを振り返った。

振り返った風巻の視界内には、風巻と同じく濃紺の第一種軍装に身を包み、街灯の横にたたずむ三和義勇(みわ よしたけ)GF作戦参謀の姿が映っている。

 

「どうした。こんな時間に」

 

「いや…自室で仮眠を取る気になれんからな。潮風にあたりに来た。貴様も同じだろう?」

 

風巻の問いに三和はそう答えながら、ゆっくりととなりまで歩いて来る。

 

場所は、呉鎮守府敷地内の海岸だ。

灯火管制が敷かれているため、正面に広がる瀬戸内海は暗闇に包まれている。

凪いだ波が足元の石垣に当たり、冷んやりとした水しぶきが二、三滴、風巻の肌に触れた。

二人以外、この海岸には誰もいない。後ろには鎮守府の庁舎が佇んでいるが、窓から漏れる光は少なく、人の気配は感じられなかった。

 

そんな光に照らされて薄っすらと浮かび上がる三和の横顔を見ながら、風巻は口を開く。

 

「自分が立てた作戦が今実行されていて、その成否が日本の命運を左右するとなると…おちおちと寝ていられんよ。長官の御配慮には感謝だがな」

 

今は0時17分。

予定通りならば、マニラ湾沖で統合任務艦隊と深海棲艦極東艦隊が死闘を繰り広げている時間である。

風巻としては、「第一艦隊の勝敗」や「ルソン島制空権奪還戦の成否」の時のように、常に作戦室に陣取って最新情報を得たいと思っていたが、山本五十六GF司令長官が「皆、不眠不休では判断力や思考力が鈍くなる。交代で自室に戻り、しっかりと体を休めてくれ」と指示を出したため、参謀達は交代をしながら仮眠などを取っているのだ。

 

当然、風巻も山本に言われ、自室で休養をとる事になる。

参謀達の疲労感は半端なく、目を真っ赤にしている者や、顔の血色が悪い者もいた。

それらと同様、風巻も疲労が溜まっていた。今まで作戦立案の中心になっていたこともあり、他の参謀よりも酷い状態だったとも言えよう。

 

だが、自室に戻ってもなかなか寝付けず、鎮守府の海岸まで歩き、風に当たっていたのだ。

 

「それにしても疲れてるだろう。俺は大丈夫だが、貴様はとっとと休んどいた方が身のためだぞ」

 

三和は左手で風除けを作りながら、煙草にライターで火をつける。

火の光で照らされて見えた表情は本気で心配しているようだ。

 

「なんだ、俺を心配に思っているのか」

 

その言葉に対し、三和は小さく笑った。

 

「違うな。俺は貴様ではなく、貴様がすべき役割を心配しているんだ。心身ともに衰弱している奴がGF首席参謀なんて務まらないだろう?」

 

ふーっ、と煙を吐く。煙はすぐに瀬戸内から吹き付ける海風で四散した。

 

「俺も吸おう」

 

俺は自室に戻らんぞ、という意味を込めて風巻は言った。

胸ポケットから煙草の箱を取り出し、ガサガサと中を漁る。

数秒ほど漁ったら後、くしゃりと箱を握りつぶし、「ん」と右手を三和に差し出した。

 

三和は無言でもう一本の煙草を取り出し、風巻の手のひらに乗せる。

乗せても手を引っ込めないため、「けっ」と悪態をついたのち、銀色のライターも手のひらに乗せた。

 

それを見た風巻は満足気に頷き、煙草に火をつける。

三和同様うす茶色の煙を吐き、再び暗闇の瀬戸内に目を向けた。

 

 

若干の沈黙。

 

 

二人の海軍将校は、潮風に顔を撫でられながら煙草を堪能する。

風巻の煙草の半分が灰になる頃、三和が切り出した。

 

「面白い話をしようか」

 

「………」

 

「戦場伝説」

 

「……言ってみろ」

 

数秒間の沈黙の後、次の言葉を促した。

いつもの風巻なら「そんなもんは存在せん」と言ってた一蹴していただろうが、疲労困憊のせいで突っぱねる気力も失せ、聞いてやる気分になっていた。

そんな風巻を見ながら、三和は煙草をを海に放り投げ、自信ありげに口を開いた。

 

「艦娘って聞いたことあるか……。艦艇の『艦』に、生娘の『娘』て書いて『艦娘』だ」

 

「はぁ?」

 

風巻は反射的に聞き返す。

コイツは何を言っているんだ。と言いたげな表情だ。

 

「初めて聞いたか」

 

「いや、名前だけはな。知ってるよ」

 

三和の狂言に蹴落とされつつ、風巻は答えた。

「艦娘」というキーワードは、海軍内の噂を通じて小耳に挟んでいる。

艦娘とやらに関する噂は多彩を極めるが、「艦に宿る魂が女性の形をして現れたもの」という内容は、それぞれの噂での共通の見解だった。

 

日本は今、深海棲艦という正体不明の敵と戦っている。

そのため、将兵の間でさまざまな憶測が持ち上がり、それが原因でいくつかのおかしな噂は流れているのだろうと、風巻は当たりをつけている。

「艦娘」の噂も、そんなありきたりな憶測の一つだろ。と、風巻は三和に言ってやりたかったが、ここは黙って次の言葉を待った。

 

「実はな…その艦娘とやらなんだが」

 

ここで三和は言葉を切り、周りを見渡した。

誰もいないことを確認すると、声を細める。

 

「だいぶ前から、DISSが調査に乗り出しているらしい」

 

「DISSが?」

 

これには風巻も驚きを隠せない。

 

“DISS"とは、深海棲艦戦略情報研究所(Deep see fleet Institute for information Strategic Studies)の英訳の略称である。

従来、日本海軍内では「深戦研」と呼称されていたが、外国軍との会議や調整の時などに不便なため、英訳がつけられてている。

以後、日本海軍内でも英訳の呼び方が定着していた。

 

風巻も三和同様、煙草を海に放り投げ、数秒間思案顔になる。

そして顔を上げ、口を開いた。

 

「大本営陸海軍部の特務機関を動かすほどの噂が…。考えたヤツは大したもんだ」

 

信じる気はないようだ。

風巻は「噂」という単語を強調する。

 

そんな態度を華麗にスルーし、三和は話を進めた。

 

「海戦中の艦艇上で、『半透明の女性の姿を見た』って目撃情報が相次いでるらしい。決まって沈没する船でな。詳しいことは知らんが、第一次ルソン島沖海戦で沈んだ『足柄』や、潜水艦に撃沈された『高雄』が主な例だ。特に『足柄』では、当時の砲術長ほどの階級の高い者が、目撃を証言しているんだと」

 

ここで三和は風巻の方を向き、「中佐の階級を持つ者が虚言を弄するとは思えん。どうだ風巻。興味深いだろぉ」と笑いながら言った。

 

「いかんぞ三和。GF参謀たるもの、そのような噂を馬鹿正直に信じては」

 

「だが、現にDISSは動いてる。この情報に軍事的価値を見出したんだよ。大本営は」

 

確かに、それが事実ならば大本営はその噂を「単なる噂」と考えず、深海棲艦との関連性などを考慮しているのかもしれない。

しかし、「艦娘」についての噂や、「沈没しつつある艦上で半透明の女性を見た」という目撃情報から、どこをどう考えれば特務機関を動かすほどの価値を見出せるのか、風巻は疑問だった。

 

「………その元『足柄』砲術長の名は?」

 

三和の伺うような視線に耐えかね、風巻は質問する。

 

「寺崎文雄…というらしい。今は『日向』の砲術長だ。戦死してなかったらな」

 

二本目の煙草に火をつけながら、三和は答えた。

「日向」は第一艦隊の一員として、深海棲艦太平洋艦隊を迎え撃っている。かなりの激戦だったようだから、その事を言っているのだろう。

 

風巻は「艦娘」のことを脳の片隅に入れておく事にした。

 

 

DISSの動向は、少し不審である。

GF首席参謀の自分にすら知らされていなかった事にも、少しの疑問を感じる。

口調からして三和も、そのことは知らされていなかったようだ。

 

「ま、DISSの所長は情報の鬼って言われた山口文次郎大佐だ。彼からしたら、どんな情報源でも深海棲艦の正体が分かる可能性があるなら飛びつくのかもな。それがたとえ噂っていう曖昧なものでも」

 

三和はそう言って肩をすくめたが、風巻の疑問は解けなかった。

 

 

瀬戸内海は、相変わらず闇に沈んでおり、はっきりは見えない。

さざ波の控えめな音が周囲を包み込み、心地よい潮風が顔を撫でる。

 

三和の吐いた煙が、庁舎から漏れる光に照らされながら、空に昇っていく。

 

「艦娘、ね……」

 

風巻はその煙を目で追いながら、ぼそりと呟くのだった。

 

 

 

 

第五十七話「瀬戸内の夜」

 

 




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