正月三が日が終わり、日本経済を担う社会人皆様のますますのご健闘を心よりお祈りしております。
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米アジア艦隊、英東洋艦隊、および三個挺身戦隊群からなる艦隊、通称「
もしも今が快晴な昼間だったなら、左前方にはパターン半島が、正面にはマニラ湾口とコレヒドール島が見えるはずだが、どちらも闇に沈んでおり、見ることはできない。
それは、まだ見ぬ敵艦隊も同様である。マニラ湾内に停泊している深海棲艦部隊は、依然、JTFの前に姿を現していなかった。
ーー今日の早朝から開始されたルソン島制空権奪還戦は、人類の勝利で終わったと報告が入っている。
タイワンから発進した基地航空隊は深海棲艦極東最大の航空拠点であったクラーク・フィールド飛行場姫を沈黙させしめ、イバ飛行場姫、バレル飛行場姫も、日米空母機動部隊の航空攻撃で完膚なきまでに叩き潰された。
ルソン島の制空権は、人類軍が握っているのだ。
JTFがこの海域に到達できたのも、制空権奪還に貢献した航空部隊のおかげだった。
だが、その代償は大きかったらしい。
基地航空隊の損耗率は四割以上と報告が入っており、空母部隊は深海棲艦の反撃で、「ヨークタウン」が爆弾数発を飛行甲板に食らって大破し、日本海軍でも正規空母一隻が中破、軽空母一隻が撃沈されたそうだ。
それらの犠牲に報いるためにも、JTFは
「この距離に至ってすら、敵艦隊の迎撃は無し…ですか」
その時、米アジア艦隊
情報ボードには、マニラ湾およびコレヒドール島と、JTF参加部隊の位置関係が一目でわかるようになっている。
現在、TF25は、重巡「シカゴ」「アストレア」軽巡「サヴァンナ」「フェニックス」「ヘレナ」「セントルイス」戦艦「ノース・カロライナ」「ワシントン」「ウェースト・バージニア」「コロラド」の順で単縦陣を組んでおり、その右に十二隻、左に四隻の駆逐艦が付いていた。
TF25の右側には、肩を並べるように英東洋艦隊Z部隊が展開している。
こちらもTF25と同じような隊形を組んでおり、戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「フッド」および重巡四隻で構成された単縦陣の左右を、多数の駆逐艦が固めていた。
これら二個艦隊だけでも一大戦力と言えるが、JTF参加部隊はまだある。
米英の水上打撃部隊の後方には、日本海軍の水雷戦隊とイギリス海軍の巡洋艦で編成された三つの挺身戦隊群が控えていた。
「それで良い。それでこそ件の作戦は実施できるというものだ」
TF25司令官であり、同時にJTF司令官でもあるレイモンド・スプルーアンス少将がムーアに言った。
緊張も高揚も感じさせない淡々とした声だった。
「それは同意できますが、敵艦隊が積極的な攻勢に出ないことも少し不自然ですな」
日本海軍から連絡官として派遣されている星越實好(ほしこし さねよし)中佐が、流暢な英語でスプルーアンスに発言する。
「ふむ…確かに不自然だが、深海棲艦の意図は理解しかねる。もしかしたら
ムーアが情報ボードから星越に視線を移した。
フリート・イン・ビーイングとは、決戦を避けて自国の艦隊を温存し、その潜在的な能力で敵国への脅威とする戦略である。
もっとも消極的な戦法と知られており、事例としては日露戦争で旅順港に逼塞し、日本海軍の海上航路を妨害し続けたロシア極東艦隊などがある。
動かない艦隊などほっといても大丈夫、と思う人も多いと思うが、深海棲艦がフリート・イン・ビーイングを採用したとなると、日本に対して最も効果的な戦略を選択したと言わざるおえない。
JTFの目標は、「南洋航路復活の障害となる深海棲艦極東艦隊の無力化」であるが、敵艦隊がマニラ湾の奥に引きこもっている限り、水上打撃部隊では痛打を与えるのは難しくなってしまうからだ。
JTFが目標を達せられない限り、すなわち敵艦隊が無傷でマニラ湾に引きこもっている限り、「敵艦隊が存在する」という危険がいつまでも付きまとい、南洋航路を復活することができないのだ。
だが、JTFの総指揮を執る米アジア艦隊司令部では、それに対抗する作戦を練り上げ、実施しようとしてた。
「コレヒドール島との距離一万八千ヤード(一万六千メートル)」
十分ほど経過した後、「ノース・カロライナ」艦長のアンリ・M・ステンレス大佐の報告がCICに上がる。
それを聞いて、スプルーアンスは司令官席から立ち上がり、ムーアや他の参謀と頷きあった。
そして手元の隊内電話を手に取り、口を開く。
「『サクリファリス』より全艦。オペレーション “セントラル・ガード” 発動。『デルタ』『エコー』『フォックス』三隊は直ちに増速。前進開始せよ」
「『デルタ』了解」
「『エコー』了解」
「『フォックス』了解」
それぞれの呼び出し符丁をかされた第一、第二、第三挺身戦隊群の旗艦から、命令了解の返答が届く。
今回の作戦では、日米英の三ヶ国艦隊が同じ海域で夜戦を戦うため、同士討ちを避けるために、全艦に共通の符丁が決められていた。
TF25とZ部隊の後方に位置していた三個挺身隊は、巡航速度から最大戦速に増速し、「デルタ」こと第一挺身戦隊群がTF25の左を、「エコー」こと第二挺身戦隊群がTF25とZ部隊の間を、「フォックス」こと第三挺身戦隊群がZ部隊の右をそれぞれ通過し、水上打撃部隊の前方へと進出していく。
セントラル・ガード作戦では、戦艦部隊よりも挺身隊の方が作戦の要だった。
戦域情報が素早く反映される情報ボード上では、水上打撃部隊の後方に位置していた三つの挺身隊を示す駒が、コレヒドール島の手前まで前進させられる。
「三隊とも艦隊正面に前進完了」
艦橋の見張員から状況報告が届く。
(ここからが腕の見せ所だ…!)
そう一言胸中でつぶやき、スプルーアンスは隊内電話をさらに強く握る。そして軽く深呼吸し、第二の命令を発した。
「『サクリファリス』より『キング』『ルーク』『ナイト』および『クイーン』『ビショップ』『ポーン』全艦、
符丁「サクリファリス」ことJTF司令部から発せられた命令は、「ノース・カロライナ」の通信アンテナから、素早くチェスの駒の符丁をかされた各戦隊に伝達され、受信した部隊はそれぞれの旗艦に従って変針する。
「ハードアポード!針路310度!」の号令が各艦の艦橋で響き渡り、舵輪が素早く左に回され始めた。
「『ルーク1』取舵!続いて『ルーク2』『ルーク3』取舵!」
「『ナイト』各艦、取舵に転舵します」
「『ビショップ1、2』および『ポーン』全艦、取舵へ移行!」
見張員やレーダーマンから、次々と味方艦の動向が伝えられる。
海軍史上、類を見ない夜間の大艦隊運動だが、それらの報告を聞く限り、衝突などの混乱は起こっていないようだ。
やがて、JTF旗艦「ノース・カロライナ」も変針する。
前方を進んでいた「ルーク」こと米巡洋艦戦隊が針路310度に転舵したため、それに続く形だ。
全長222m、全幅33m、基準排水量45000tの巨体が、遠心力で艦橋を右に傾かせつつ、鋭い艦首で暗黒の海面を切り裂きながら、軽巡「セントルイス」を追って左へ、左へと回頭する。
「戻せ。舵中央!」
艦の針路が310度にのる手前で、航海長のサイモン・キッド中佐が操舵室に怒鳴り込む。
舵は瞬く間に戻され、余力で「ノース・カロライナ」は「セントルイス」の後方に付く。
CICは艦橋内部に設置されているため、外を見ることはできない。
それでも、床の傾き具合やレーダーマンの報告で、艦隊の状況は把握することができた。
艦隊の回頭はまだ終わらない。
「キング1」こと「ノース・カロライナ」に後続し、「ワシントン」「ウェースト・バージニア」「コロラド」も順次針路310へ変針し、「コロラド」が直進に戻ったのを見計らって、「クイーン1」こと「プリンス・オブ・ウェールズ」、「クイーン2」こと「フッド」も続く。
「ナイト」「ポーン」の符丁を与えられた米英の駆逐艦部隊も、主力艦が変針するのに従って転舵する。
やがて、10分ほどかかった全艦の回頭運動は、Z部隊最後尾の「ビショップ4」こと英重巡「シュロップシャー」が針路310度にのったのを最後に終了した。
変針する前までTF25とZ部隊は、真っ正面からマニラ湾口に突入するような針路だったが、310度に回頭することによって、全艦で湾に蓋をするような形なると共に、米英合同の単縦陣に移行したのだ。
水上打撃部隊は、「シカゴ」を先頭に「アストレア」「サヴァンナ」「フェニックス」「ヘレナ」「セントルイス」「ノース・カロライナ」「ワシントン」「ウェースト・バージニア」「コロラド」「プリンス・オブ・ウェールズ」「フッド」「ロンドン」「サセックス」「デヴォンシャー」「シュロップシャー」の十六隻に及ぶ一本の単縦陣に艦隊を再構成したのだ。
さらに、その左右を駆逐艦が固めており、駆逐艦の数は湾口の方が多くなっていた。
「『サクリファリス』より全艦、右砲戦。観測機発進」
スプルーアンスは全艦の回頭終了を見計らい、第三の命令を発する。
その命令は、先の命令と変わらず瞬く間に各艦に伝達され、受信した艦では、素早く内容が実行される。
重巡六隻、軽巡四隻、戦艦五隻、巡戦一隻は自ら搭載している主砲を右に旋回させてマニラ湾に狙いを定めるとともに、それぞれのカタパルトから観測用の水上機が発進させた。
それは「ノース・カロライナ」と「ワシントン」も同じである。
この二隻は射撃管制レーダーを備えており、電探照準での射撃も可能であったが、未だ光学照準ほどの精度を期待できないため、他の鑑と同様に観測機を上げていた。
軽巡洋艦の十五.五センチ砲、重巡洋艦の二十.三センチ砲、戦艦の四十センチ砲、三十六センチ砲、巡洋戦艦の三十八センチ砲、合計百六十二門がマニラ湾に向けられる。
だが、それらは火を噴かない。
マニラ沖南シナ海の海域は、不気味な沈黙を保っている。
耳に届くのは、CIC要員の息遣いと、電子機器の稼働音、遠くからいんいんと響くさざ波の音だけだ。
「まだ…動かないのか…」
星越が何かをつぶやく。
英語ではなく日本語だったため、内容はわからないが、なんとなく予想することができた。
スプルーアンスの額を、一筋の汗がつたる。
(何を…企んでいるのだ?…)
自らの拠点の目の前で、人類の大艦隊が砲を向けて展開しているのだ。
もう攻撃されてもいい頃だが、マニラ湾内の敵艦隊は沈黙を守り続けている。
スプルーアンスは、今までに二度深海棲艦と戦い、二回とも一杯食わされている。
もしかしたら今回も…という疑惑が、心の奥底で燻り始めていた。
「敵艦隊の戦力は、タ級二隻を含む戦艦五隻、巡洋艦十隻、駆逐艦三十隻です。こちらの戦力とほぼ同等な上、地の利は向こうにあります。戦いを恐れることは無いと思うのですが…」
ムーア参謀長が腑に落ちない、と言いたげに首を傾げた。
「やることは変わらない。セントラル・ガード作戦を遂行するだけだ」
スプルーアンスは、半分自らに言い聞かせるように言った。
「『サクリファリス』より『デルタ』『エコー』『フォックス』。早急に単横陣へ移行。自らの担当区間への機雷敷設を開始せよ!」
だいぶ理解するのが難しい話になってしまった…