だいぶ状況説明が入っていますが、次話以降はもう少しなんとかなるはず……
心地よい風が渓谷を吹き渡り、黒い髪を微かに揺らす。
澄み渡る青空を見上げ、どことも知れぬ地に大の字で寝転がる少女が一人いた。
赤と茶を基調にした魔女服に身を包んだ彼女は、かれこれ1時間ほどずっと、頭上を過ぎる雲を眺めている。
動かないのではない。
動けないのだ。
「えっと、ここは一体……どこに飛ばされてしまったのでしょうか?」
少女──アークウィザードのめぐみんは、魔力が枯渇した体が動くようになるまでもう少しだと判断すると、状況分析を始めた。
「……私は間違いなく、アクセルの街でパーティメンバー募集の張り紙を見たのです。これは確かです。私の記憶力がそう語っています。しかしそこから先の記憶がない」
ギルドの片すみにいたその募集を出したと思しき男女に声をかけた、それ以降の記憶が全くないのだ。
まるでモヤがかかったように思い出せない。
「体が動かなかったということはおそらく、爆裂魔法を撃ってMPが尽きてから、何らかの原因で転移の魔法を受けたのでしょうが……記憶がないとなると──ん?地鳴りでしょうか?」
寝転んでいる大地が微かに振動している。揺れの感じからしては地震ではない。地中の大きな生物が起こす地鳴りかも知れない。
何の気なしに首をひねり、周囲を確認しようとした。
渓谷の道を埋める絶望が、波のような形をなして向かってきていた。
「……えっ?」
微かだった揺れは次第にはっきりとしたものになり、その揺れの元凶も視認できるまでになる。
めぐみんから見て、坂道の下の方。大きな体躯をした獣頭の戦士たちが、こちらに向かって押し寄せてきているのだ。
数えることの出来る体数ではない。馬車が四台は並んで通れる幅の渓谷の道を、獣頭の兵士が埋め尽くしていた。
既に彼我の距離はおよそ200メートルか。三十秒もしないうちに獣人たちはこの場所へたどり着くだろう。
「……もしかしてこれは、ちょびーっとばかりまずい状況なのではなかろうか?」
既に表情は引きつっている。額には青筋が浮き、背中は冷や汗が吹き出した。
「獣人は王都での討伐依頼が出されるほどに凶暴な種族だと聞いています……。私がいくら誇りある紅魔族の天才とはいえ、ここは逃げの一手しかないでしょうっ!」
めぐみんは杖をついてよろよろと立ち上がると、獣人の大軍に背を向けて歩き出す。幸いなことに向いた方向にはすぐ近くに石でできた大きな砦があり、その上から人間の兵士が何人か、身振り手振りをしながらこちらへ呼んでいた。
「そこは危険だ!縄梯子を下ろすから、早くこちらへ上がってくるんだ!」
「君は服装を見るに
「危険なのは知ってますけどっ!走れないし飛べないんだから仕方ないじゃないですかー!」
めぐみんのアークウィザードとしてのレベルは6だ。そしてそれまでに得たスキルポイントは全て、爆裂魔法の威力向上へと割り振っている。従って爆裂魔法以外には何も魔法を行使することが出来ない。
今は生まれたての子鹿のような足取りで、杖をつきつつフラフラと歩くのが精一杯だ。
「ウヴォォォッッ!──サァ、者ドモヨ!今日コソ、コノ邪魔ナ防壁ヲブチ壊スゾ!コノ壁ノ向コウデ怯エル、脆弱ナ人間ノ肉ヲ喰ライツクスノダ!」
獣人の軍隊はすぐそこまで迫っている。一度立ち止まった先頭の一体が雄叫びを張り上げると、各々も立ち止まり、斧や槌などの武器を掲げた。
そして、やっと気づいたように先頭の獣人がめぐみんを睨んだ。
「……ナンダ、オ前は……小サイ女カ?」
「ちっ、小さいとは失礼な!我が名はめぐみん!紅魔族随一の魔法の使い手にして、最強の魔法である爆裂魔法を操る者なり!我が魔法の餌食となりたくなければ、疾く去るがいいだろう!」
「オ前ノヨウニ小サイ女ハ食べレル箇所ガ少ナイ。ダガ、肉自体ハ柔ラカイ!食エナクハナイ!」
「ひぃぃ!ごめんなさいやめて下さい!武器、武器下げて!話せばわかるんですお願いします!やめっ、やめ……うわっ!」
バランスが崩れ、ぺちんという音と共に、めぐみんは転んでしまった。
もろに顔面を地面へ打ち、手にしていた杖が転がる。その痛みは、背後から迫る危険から逃げることをめぐみんに諦めさせるには十分だった。
「……もうだめです、一歩たりとも動けません。どうやら私の人生はここまでのようですね。さようならみんな。ありがとう我が爆裂魔法。短くも悪くない人生でした」
「ナンダコノ人間……。変テコナ奴ダガ……マァイイダロウ。者ドモ!ユクゾ!」
ひとりでに倒れて喚かなくなった
そのうちの一体が砦の前に倒れているめぐみんに斧を振りかぶり、大きな影と殺意がめぐみんを覆う。
「あぁ、こんな良くわかんない状況で死ぬ前にもう一度だけ……もう一度だけ爆裂魔法を撃ちたかったです……」
「そこの可憐なお嬢さん、口をきつく閉じていてくれ!舌を噛まないように!」
凛々しい男の声が遥か頭上から聞こえた。
完全に生きることを諦めていた次の瞬間に訪れたのは、何者かが己の体を抱えあげ、重力に反して空へと投げ上げられる感覚だった。
「──ふぁばーーーっ!?」
「私の名はセラブレイト!アダマンタイト級冒険者、クリスタルティアの一員だ!覚えておいてもらえると嬉しいぞ、へなちょこで可愛いお嬢さん!こいつらを蹴散らした後でまた会おう!」
めぐみんの体は高く空を舞い、砦の上にいた兵士の腕でキャッチされた。ぐるんぐるんと回る視界の中、セラブレイトと名乗りを上げた男が、獣人を相手に剣を抜いたのがチラリと見えた。
飛んだ衝撃で脳を揺さぶられ、めぐみんの意識は一旦途切れる。
◆
「……はっ!?ここは!?」
目を覚ますと、フカフカなベッドの上だった。今までで感じたことのない、かつて無いフカフカ感に、思わず腕がベッドをぽんぽんと叩く。
「このベッドすっご……。ではなく!ここはどこなのでしょうか……?」
「おはようございます、お客様。ここは竜王国の主、ドラウディロン・オーリウクルス陛下の王宮の客室にございます」
至近距離からふって湧いた見知らぬ声に、びくりと体を震わせる。
声を掛けたのは、ベッドの傍に待機していた女性だった。白と黒の対比が綺麗で簡素な、ドレスのようなものを着ている。
この人はいつからここに立っていたのだろうかと、めぐみんは疑問を持った。もしや、私が寝ている時から起きるまでずっと立っていたのだろうか?
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私は使用人の一人、リーゼと申します。お客様がこの地に滞在される間、専属でのお世話係を仰せつかっております。どうぞ、お見知りおき下さいませ」
「……いくつか質問をしても?」
「そのために私がございます。どうぞなんなりとお聞きくださいませ」
「ここはええとその、竜王国と言いましたね?それはドラゴンの住む王国ということで間違いないのでしょうか?」
自分の知識量にはそれなりの自信を持っているめぐみんだが、寡聞にして竜王国という国は聞いたことがない。
その名前通りに住民の大半がドラゴンの国があったのだとしたら、紅魔族に伝わる書物の情報に大きな穴があったということになる。
リーゼは考える素振りを見せず、否と言った。
「この国は確かに竜王国という名称でございますが、国民の九割九分九厘は人間種族です。国家元首であらせられるドラウディロン・オーリウクルス陛下こそ竜王と人の血を引いていらっしゃいますが、他は極々普通の人間となっております」
そこ答えに、めぐみんは少しだけ安心した。
ドラゴンといえば、獣人など比較対象にもならない高レベルモンスターだ。そのモンスターが国中を闊歩しているような阿鼻叫喚の地獄絵図には、幸いなっていないらしい。
「ありがとうございます。それでは二つ目、私がここで寝ていた経緯を教えてもらえますか?」
「承知しました。──竜王国は現在、隣国のビーストマンと交戦中の状態が数年ほど続いております。その最前線の砦から、お客様は移送されていらっしゃったのでございます」
リーゼはそこで軽く目を閉じると、「アダマンタイト級冒険者、『クリスタルティア』のセラブレイト様の口添えにより、王宮にお招きすることと相成りました」と告げた。
もう、おおよその当たりはついた。目が覚めたら突然見知らぬ一室で寝ていた状況は、「セラブレイト」という男の手引きだろう。
意識を失う直前にほんの少しだけ見た男だろうが、行き倒れた天才美少女魔法使いを丁重に扱ってくれるあたり、きっと類を見ないほどの好青年なのだろう。
そして、この国の王との繋がりがあるほどに権力を持ってもいるはずだ。是非とも良い関係を築きたい。
「その、できるならセラブレイトという方にお礼を申し上げたいです。どこへ行けば会うことができますか?」
「セラブレイト様であれば現在、陛下への戦果報告に行かれていると思われます」
「あー、そうなのですか。ではまた後ほどに」
「ドラウディロン・オーリウクルス陛下から、お客様が目を覚まされ次第でよいので話をしたいとの言伝を預かっております。ちょうど良いタイミングですので、今行かれてはいかがでしょうか?」
「う゛ぇっ!?」
竜の血を引いた、一国の王の姿を想像する。
半竜半人、尻尾があり牙がある。体の一部に鱗が見受けられ、筋骨隆々な強面の国家元首。息が炎となって熱が伝わってくる──
「ぃゃぃゃいやいやいやいやいやいや!ちょっといきなりは心のハードルが高いかなーって思うのですが!っていうかなんで!?なんで王様に呼ばれてるんですか私!?なんか悪いことしちゃいましたか!」
「──陛下のお心の内につきましては、申し訳ありませんが一介の使用人である私には説明致しかねます」
「あっ、はい。ごめんなさい」
本当に申し訳なさそうに言うリーゼに、めぐみんは思わず謝罪が口に出た。
「重ねて申し訳ないのですが、お客様が陛下への謁見をなさらないのであれば、お客様の身は竜王国の庇護の下から外れることとなります。──陛下はお客様のご想像されているであろう、恐ろしい竜のお姿ではございませんので、どうかご安心くださいませ」
「うっ、そう来ますかー。流石にそうですよね。世話になっている以上挨拶させてもらわなきゃならないですよね……」
恐ろしくないと言われても、めぐみんの知識では、竜の血を引いていて恐ろしそうではない王を想像するのは無理があった。できるならば逃げ出したい。
しかしだ。行き倒れた所を救ってもらった上に
命の恩人であるセラブレイト様との関係は良好なものにしておきたいのだ。道はひとつしかない。
「……行きます。少しだけ支度をするので、顔を洗わせて下さい」
「ご理解頂き恐縮にございます。では、私は部屋の外にて待機しております。準備が出来ましたらお声かけ下さいませ」
リーゼは一礼すると、静かに退室した。
「──この国、竜王国とやらの王様。優しい方だと嬉しいですが……ううっ、武者震いがしてきました」