【完結】スパイになってしまったのだが   作:だら子

4 / 15
完全なるオリジナル話。御都合主義です。オリキャラ視点で進みます。


其の四: 「幻影(上篇)」

(この国があの男の故郷か…)

 

カフェの窓側の席に座り、様々な人が行き交う街並みをボンヤリと眺める。僕の視線の先には、己の故郷とは違う木造作りの建物があった。

道を歩く人間に視線を逸らすと、自分達にはない鮮やかな黒髪を靡かせている人々が目に入る。黄色人種特有の頬骨が高く、細い瞳やきめ細かな肌、そして子供のように小さな身長を見て、改めて僕は自分が異国の地にいるのだと実感した。

 

まさかこんなにも多くの外国人を見ることになるとは…。いや、この国では僕の方が『外国人』になるんだろうな。ヨーロッパや北米には『仕事』で何度も赴いたことがあるが、同じ白人人種との仕事である。こういった、全く別の人種が多くいる場所での仕事は初めてだった。

 

周りの人々とは全く違う、黒髪とは異なる自分の金髪を無意識の内に触る。

 

(本当に日本に来るなんて……人生、何があるか分からないな。いや、僕自身が希望したのもあるが…)

 

——僕、アドルフ・ミュラーはドイツの貿易会社に勤める、日本支部の駐在員だ。

 

小さな頃から日本の文化、特に芸術に興味を持ち、独学で日本語を勉強。祖国のドイツでも日本から輸入した着物や絵画を集め、日本製品のコレクターとしてもよく知られていた。本当は日本に旅行か移住したいと考えていたが、両親に反対され、仕方がなく日本会社とやり取りのあるドイツの貿易会社に入社。

 

そして今、四十代半ばにして、長年の夢だった日本へ、駐在員として転勤——

 

——というのが、僕、アドルフ・ミュラーの『経歴』だ。

 

本物のアドルフ・ミュラーは本国で軍人として働いている事だろう。いや、無理矢理軍人にさせられた、が正しいかな。正直に言うとあまり興味はないけど。

では、ここにいる『僕』、アドルフ・ミュラーは一体誰なのか? 何故、別人がアドルフ・ミュラーと名乗っているのか? 答えは実に簡単だ。

 

僕がドイツから派遣されたスパイだから。

 

本名は流石に教えられないが、僕はドイツ国防軍の諜報機関アプヴェアに所属する諜報員の一人だ。長年、ドイツの諜報員として世界を暗躍し、あらゆる人間を欺き、祖国に有益な情報を流してきた。

これでも経験豊富な諜報員であると自負している。なんたって任務の成功率はほぼ100%なのだから。

 

そして今、僕は日本へスパイとしてやって来た。

まあ、本来の任務は日本へのスパイ兼前任者の尻拭いなのだが。前任者カール・シュナイダーが殺害された結果、態々この僕が辺境の国、日本に来ることになった。

全く…あの男め、任務の失敗はまだしも、死ぬなんて。…まあいいだろう。来たいと常々思っていた日本に来れたのだし。

 

(僕はこの日をずっと待っていた。日本にスパイとして来る日を。この時を!)

 

先程カフェで頼んだ紅茶を飲みながら目を細めた。心地よい熱さと紅茶特有の味が口の中に広がる。僕は内心で笑みを浮かべた。

 

ずっと僕は日本に来たかったのだ——僕達に一泡吹かせた魔術師がいる、日本に。

 

数十年前、僕達ドイツ軍はスパイコード、魔術師と呼ばれる日本人を捉えた。

彼がスパイであるとバレた理由は、祖国に裏切られたから。優秀すぎる魔術師を疎ましく思った日本政府は、彼を捨てたのだ。日本政府が魔術師を裏切らなければ、僕達は魔術師を捕まえることは不可能だっただろう。その時、魔術師が抱えている情報網の一部を日本政府から聞いた際は冷や汗が流れたものだ。

 

それ程までに優秀な人材を、ただ「疎ましい」という理由だけで日本政府が彼を捨てたと知った時、当時の僕は失笑した。

 

(日本政府もその程度だったわけか)

 

彼のような優秀な人材があの国にいたことは驚いたが、その事実が霞んでしまうほど、杜撰すぎる日本の体制には笑わざるを得えない。

 

…まあ、そんなことはどうでもいい。捕まえた魔術師から日本政府の情報をさらに引き出すか、又は二重スパイに仕立て上げるか、それとも殺すか。彼をこれからどうするのか考えなければ。

 

そう思いながら当時の僕は彼の元へ食事を運んでいた。その頃の僕は軍の中でもまだ下っ端であり、主に魔術師の身の回りの世話をしていたからだ。

全てがバレているのにも関わらず、「自分はスパイじゃない」と言い続ける魔術師に対して同情していたのもあったのだろう。

拷問されて疲弊する彼の手当てを甲斐甲斐しくしたり、嗜好品のキャンディーやクッキーなどもこっそり与えていたりした。他の軍のものが拷問以外で彼を痛めつけないように手回しさえしていたこともある。

 

そんな僕を不審に思ったのだろう。少々不可解だというように魔術師がこう聞いて来た、「何故ここまでしてくれるのか」と。今まで本当にスパイなのかと疑う程に一般人らしい振る舞いをしていた魔術師の瞳に、チリッと一瞬だけ真っ暗な闇の炎が灯った。

それを見た瞬間、僕は知らず知らずの間に笑みを浮かべていた。ようやく気がついたのだ。

 

——僕がこいつに甲斐甲斐しくしていたのは同情心からじゃない。優秀ゆえに裏切られた、この男の本性を知りたかったからだ。何故だか知らないが、自分の中の勘が『こいつは只者じゃない』と告げていた。

 

「何、理由は二つある。一つはただの好奇心」

「好奇心?」

「優秀すぎる日本のスパイはどういった奴なのか知りたいだけだよ」

「だから自分はスパイでは——」

「それはもういい。…もう一つは、そうだな……君というスパイに対する敬意さ」

「…」

「君は実に優秀だった。黄色人種の癖に、いや、これは君に失礼だな。君だからこそ僕達に気がつかれずにここまでやってのけた。敵ながら天晴れと感じたんだよ。そういう奴には敬意を払うのが僕の流儀だ」

 

でも、まあ、君はここで終わるみたいだけど。

 

それは心の中にしまい、小さく笑ってみせた。魔術師はそれを聞いてもなお、弱々しい一般人の仮面は外さない。大したものだ。だが、それでいい。今の言葉を聞いて舞い上がったようでは、僕がこんなことをする意味がない。

そう思いつつ、踵を返した。コツコツと軍用のブーツを鳴らしながら。

 

その会話がまさか魔術師との最後の会話となるとは思いもしなかっただろう。

 

——魔術師が逃亡した、という伝令がきたのだ。

 

上官のヴォルフ曰く、度重なる拷問でヨロヨロになった魔術師に付き添っていた兵士の、柄付き手榴弾を魔術師は掠め取ったらしい。周りに何人もの兵士がいたのにも関わらず、だ。魔術師は左手を犠牲にして手榴弾で家を爆破。その後、片腕をなくし、血だらけになりながらも逃げ切ったとか。

 

それを聞いた瞬間、ゾクゾクッと全身が震えた。まるで宝の山を目にした海賊のような、まるで子供が新しいオモチャを与えられて喜ぶような、形容し難い感覚が体を貫いたのだ。

 

いや、分かりにくいな…そう、言うならば…マジックショーを見た時のようだ。マジシャンはあらゆる手札を使い、観客をアッと驚かす。これは…ショーでマジシャンに、目を輝かせてしまうくらいの驚きを貰った…そういう感覚だ。

「やられた!」という悔しい気持ちと、凄い! という相反する気持ちが胸の中を占める。

 

度重なる拷問で疲弊していたのにも関わらず、魔術師は思考を止めなかった。いつか来るかわからない、たった一つのチャンスを逃さないように待ち続けた。フェイクの仮面を被り続けながらも、彼は只管に待ち続けた。祖国に裏切られ、四面楚歌の状況で僅かな希望を自らの手で掴み取ったのだ。

 

それはどれだけ孤独で恐ろしいのだろうか。それでも、それでも——

 

——あの男は見事にやってのけた。

 

「はは…はっはっはっはっアハッハッ、ヒィ、あっははははははははは、フゥ、ゲホッゲホッ、クッ、ヒィ、アハハハハはははっ!!」

 

気がつけば爆笑していた。可笑しくて可笑しくて仕方がなかったからだ。

 

…魔術師は優秀だった。あそこまでの腕を持つスパイは中々いないだろう。

だが、日本政府に裏切られ、捕まった。例えどんなに優秀で天才で秀才なスパイであろうとも、捕まればその時点で終わりだ。どんな素晴らしい肩書きがあろうとも、どんなに高い地位があろうとも意味を成さない。

 

疑われず、捕まらず、有益な情報を祖国へ流す——それこそがスパイの任務であり、本質だ。疑われた時点でスパイは終わる。ましてや敵国に捕まって情報を渡したり、二重スパイになったりしてしまうのはスパイとして致命的。

 

「全てを欺き、生き恥晒してでも生き残る。それが孤独な闇だと知りながら…。

 

訂正しよう、魔術師。僕は君に『優秀だった』と告げたね。君は優秀なスパイなんかじゃない、『化け物』だ。感情に囚われず、最も最適な判断を下せる正真正銘の化け物だ」

 

その日から、魔術師は僕にとっての最強の化け物になった。

 

その後、僕はさらなる経験を積み、あらゆる国へ、スパイ活動を開始。そんな中、様々などうしようもない状況に陥ったことがある。「もう駄目だ」と思ったことすらあった。だが、その度にあの男が脳裏に過ぎり、「やらなければ」と思ったものだ。

 

例え泥水を啜ろうが、祖国に裏切られようが、罵声を浴びせられようが、何としてでも生き残る。全てを欺き、生き恥晒してでも生き残る。あの、僕が敬愛する化け物のように。

 

(…………勝負だ、魔術師。君が僕に気がつかず、僕が任務を終えれば僕の勝ち。君が僕に気がつき、僕を捕まえられたのならば君の勝ちだ)

 

日本に来たのは、僕の中の化け物に打ち勝つため。あの男ならば、きっとまだ国の影で暗躍していることだろう。片腕を失い、祖国に裏切られてもなお、あの男は必ず真っ暗な孤独の中でまだ生きている筈だ。

 

それに、数年前日本陸軍の参謀本部に新たな諜報機関が設立されたと聞く。その名はD機関。設立者は結城という男らしい。だがいくら探ってもその実体は掴めない。その結城こそあの魔術師だと僕は考えている。

 

(あの化け物を超えて、ようやく僕は最強のスパイになれるんだ!)

 

そう考えていると、僕が座るテーブルに1人の女が近づいて来た。ようやく来たか、と思いながら僕は女の方へ視線を向ける。

 

「ごめんなさい、待った?」と言いながら僕の向かいに座ろうとする女——名を、桜木八重と言う。

 

彼女は僕、アドルフ・ミュラーが勤める貿易会社の日本支部で、事務の仕事をしている職業夫人だ。陸軍大佐の一人娘であり、名門女学校を首席で卒業した才女。

更に、八重は日本人女性にしては高めの身長で、恐らく160cmを超えている。全体的にスラッとしていて、中々の美人と言っていい。

 

八重は僕を見ながら手袋で覆われた手を口に当てる。彼女のトレードマークでもある、首に巻いたスカーフを揺らしつつ、八重は申し訳なさそうに眉をハの字にへにゃりと歪めた。

 

——そして、そんな誰もが羨む才女、桜木八重はアドルフ・ミュラーの恋人でもある。

 

僕は八重が来た瞬間、パッと顔を輝かせ、はにかむように笑ってみせる。彼女に会えて嬉しくて仕方がないといった様子で声を弾ませた。

 

「全然待ってないさ。それに、愛しい恋人の為なら何時間だろうと待つに決まってる」

「もう、アドルフったら…」

「それと、君が遅れたのは君のお父様のせいだろう? 八重のせいじゃない。気にすることはないさ」

「アドルフ…そうなの…。『あんな異国人と付き合いは止めろ』とお父様が五月蝿くって、出てくるのに時間が掛かっちゃった。ごめんなさい」

「仕方がないよ。君はお父様の大事な一人娘なんだし。可愛い娘の八重が異国人に引っかかったとなれば心配するのは無理もないさ」

「いえ、お父様にははっきり言わなくちゃ。アドルフはこんなにいい人なんだって…。アドルフとの交際を認めてくれないのなら、お父様の相談に乗るのは辞めるってハッキリ言うわ!」

 

力強く声を上げる八重は、女性にしては珍しく自立している。自分の意見を持ち、政治についてもよく知っている女性だ。日々新聞や本を読み漁っているらしい。周りにいる男よりも何十倍も彼女は知的であり、利巧だった。

 

その聡明さは、彼女の父から仕事の相談を受けるほどである。

 

八重の母親は既に病気で他界しており、彼女と彼女の父の二人暮らし。そんな八重は自分の父の妻のような役割も果たしていた。

積極的に自分の父の相談に乗り、解決策を提示する。彼女の父の軍での立場がいいのも、八重があってこそなのだろう。それ程までに彼女は賢かった。

 

しかし、八重には唯一の欠点がある。

——彼女の口が軽すぎることだ。

 

八重は基本的に警戒心が強い女だが、一度懐に入った人間には全てを許してしまう。恋人だとしても、他国の人間であるはずの僕に、『自分の父から受けた相談内容や、提案した解決策の全て』を教えてしまうほどに。

面白いくらいに簡単に、人が多く行き交う町や道で『日本政府の機密』を大声で言うのだ。

 

(馬鹿な女だ。自分が国を売っているとも知らずに馬鹿みたいにヘラヘラ笑いやがって。それが自分の首を絞めているのにも分かっていないのだろう)

 

内心で八重を嘲笑しながら、カフェで八重と共に談笑する。

何十分か話していた頃、不意に横から驚いたような男の声が聞こえた。声がした方向に視線を送ると、2人の男女のカップルが腕を組みながら僕たちを見ていた。

 

その内の男は『アドルフ・ミュラーである僕にそっくり』である。双子と見間違うほどに僕とそっくりなその男を見て、思わず舌打ちしそうになった。

 

そんなことも知らず、僕にそっくりなその男は嬉しそうな声色で話しかけてくる。

 

「やあ、俺の双子の兄弟、アドルフ! まさか君もここにいるとはな。八重とデートかい?」

「よせよ。顔はそっくりだが、本当の兄弟じゃないんだからさ」

「またまた〜! 苗字まで一緒の『ミュラー』なんだ。もしかしたらご先祖様が同じなのかもしれないぜ?」

「確かにありえるわね」

「ほら、俺の恋人までそう言ってるぜ?」

 

僕とそっくりな顔で、チャラチャラした雰囲気を醸し出す男。信じられないことに潜入先で僕と同じ顔の、しかもカバーの人間と同じ苗字の男がいるとは思わなかった。

 

更に救えないことに、こいつは僕と同じ会社に勤める社員である。あまりの偶然と奇跡に、思わず声を失ったほどだ。勤め先では『ドッベルト・ミュラー(※『ドッペルト』はドイツ語で二重、生き写しという意味)』などという不本意な渾名で呼ばれている。

 

(スパイは目立たないのが一番なのに、まさか目立つ羽目になるとは)

 

同じ顔があるのは仕方がない。本当に仕方がなく、同じ顔の彼を使い、アリバイ工作に役立てている。最初はどうなるかと思ったが、これが存外上手く行った。諜報活動をする際に憲兵を騙したり、欺いたりしたときに偶に利用したものだ。

 

(どんなに使えないものでも、使えるようにするのが真のスパイというものだからな!)

 

僕と同じ顔の男——僕は内心でドッペルゲンガーと呼んでいる男は、「おっと、ごめん。俺もデートなんだ。八重とルドルフを邪魔するのも悪いし、これで失礼するよ」と言いながら、隣にいる女性に声をかける。

女性は八重と僕に「邪魔してごめんなさい。また職場で会いましょう」と言って、ドッペルゲンガーと共に去っていった。

 

(確か、あの女性も僕らと同じ職場で、事務員をしているんだったかな。八重の同僚だった筈だ)

 

日本人女性にしては珍しい、八重と同じくらいの身長だったから覚えている。八重とは別学校だが、女学校を卒業していたと思う。だが、彼女はそこまで優秀ではなく、普通の人だった筈だ。

 

そう考えて、2人のカップルの存在を頭から消去した。




pixivでは一括投稿ですが、多いので分けます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。