『無音』   作:閏 冬月

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第32小節 桜には彩を添えて

「彩葉……、何、やってるの? ねえっ!答えてよ!」

 

桜花は私の腹部から右腕を引き抜こうとしない。ここで引き抜いてしまえば、妖怪になってしまう。そんなこと、私がさせない。桜花が私を守ると決めたように、私も決めてあることが1つだけある。

桜花は私が守るんだ。

 

「おう……か……」

 

全身から力が抜けていく。

彼女の頭へと手を伸ばしたいというのに、腕が上がらない。それどころか、気を抜いてしまえば糸の切れた人形のようになりそうだ。

 

「そのままでは困る。見てられねえよ」

 

蒼月 空がそういうと、不自然に両の腕が持ち上がる。

目を凝らせば、何かよく分からないもので出来ている糸が身体中に巻きついていた。

 

「お前! 彩葉に何をした!」

「大丈夫、大丈夫だよ。桜花」

 

波が鎮まる。痛みの波は鎮まり、先ほどまで感じていた激痛は霧散していた。痛みはないけれども出血は止まらない。いつ、失血死するかは分からない。ならば、仕事は早いにこしたことはない。

 

「届けろよ、そんでもって響かせてくれ。お前()の、最期の感情を」

 

言われなくても、分かっている。恐怖なんてものはすでに消え去った。今であるならば、あの音を奏でることができる。私はそう、確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「1度の死を知った魂は記憶をもう一度失い、転生する他ない。それを知っていたとしても、お前はその道を何度も辿るのだろう。空音 いろは」

 

 

 

 

 

 

 

 

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桜花に血が付くことを嫌っていたが、彼女に触れることが出来るのもこれが最期だと思うと、そんなことは気にしてもいられない。

ゆっくりと、桜花の背中に手を回して、肩に顔を乗せる。

 

「桜花、大丈夫だよ。落ち着いてね。私もそろそろ疲れたんだ。だから、一緒に休も?」

 

ずっと、君と友だちとして一緒に過ごしてきて、大変なこともあったけど、君と友だちになったことを後悔したことはないんだ。

最高の友だちだったよ。さよなら、桜花。

 

彩葉としての仕事はこれまで。

 

ここからは、いろはとしての仕事。

 

これまでの思い、これからの願い、今の感情、彩葉といろはの全てを詰め込んで。

 

この想い、旋律に乗せて。

 

「『無音』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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この音を初めて聞く者も、20年前に一度か二度ほど聞いたことのある者も、彩の着いた無音に聞き惚れていた。

どんな声を発しようとも、一切の雑音を許さない無音。

10分44秒の演奏。それは二人分の想いを込めたメロディー。

 

 

 

 

 

 

 

 

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演奏を終えた“いろは”は息を引き取っていた。

本来の幻想郷の色を見ることなく。

 

「ねえ妖怪。彩葉が死んだのって私のせい?」

 

妖怪は首を静かに横に振る。

 

「お前がいなければそいつは生まれていない。お前と運命を共にしてんだよ」

 

そっか、と呟き、右の手を彩葉から引き抜く。さっき、彩葉がしてくれたことと同じように背中に手を回す。

命がけで彩葉は私を守ってくれた。

 

「彩葉、ほんとごめん。それと、守ってくれて、ありがと」

 

私の中にいた妖怪はいつの間にか鎮まっていた。

感謝したところで、彩葉が生き返るわけではない。すぅっと消えていく彩葉の体温を逃さないように強く抱きしめる。それでも、体温は消えていく。

逃げないで、もっと、彩葉と一緒にいさせて。こんな私と友だちになってくれた、唯一なんだ。

 

無情にも彩葉の体温は失われ、私に抱きしめられたまま、彩葉は死んだ。

 

「泣きたいなら泣けよ。博麗の巫女である前に、お前は一人の人間なんだからよ」

 

その言葉がトリガーとなったのか、私の中に湧き上がっていたありとあらゆる感情が崩壊した。

 

「あ、あぁあああ__________!!」


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