ぴっちりと身体にフィットするようなスーツ。
その肩口が破れて、胸元も見えていて、今の超は異常なくらいに刺激的だ。
俺の剣が反応しているのがわかる。
だけど、今はそれよりも優先することがある。
手には懐中時計――カシオペア。
麻帆良祭が盛大に終わった夜の下。
俺の記憶は偽りだったのかもしれないけれど、俺の記憶通りに超は未来に帰ろうとしている。
「……往くのか」
動揺が俺の中から湧き上がる。
喚き散らして、我儘言って、超を引き留めたいという感情に襲われる。
だが――そんなみっともない姿を見せることはできない。
英雄らしく不遜に、動揺なんてまるでないんだと振舞って、偉そうに腕を組んで俺は告げる。
「あア、私は私の戦場へと変えることにするヨ」
いつものようなかわいい笑顔で、いつもよりも満足そうな笑顔で、超はそう俺に言う。
彼女の人生を捧げた計画は失敗したのだろう。
でも今の顔を見るだけで、俺にはもう何の言葉もない。
きっと彼女はやりきったのだ。
「そうか、ならば凛と立ち往け」
「あア」
「貴様の戦場でも貴様は存分に戦いぬけるだろう」
「……あア」
故に俺は俺を演じる。
彼女がまた歩き出せるように。
俺が惚れて惚れて惚れぬいた彼女のままに。
「だが何かあれば我を呼べ。必ず超の力になってやる」
「フフッ、そうカ」
「なぜなら我は英雄田中ギルガメッシュであるからな!」
俺は笑う――消えてしまう彼女を心配させないように。
俺は高らかに笑う――身体を爆発させてしまうんじゃないかという悲しみを振り払うために。
俺は誇らしく笑う――俺は超鈴音の英雄であるために。
「……縁があればまた巡り合えるだろう――ではさらばだ」
それだけ告げて俺は踵を返す。
走りたい気持ちを抑えて悠然と、威風堂々を心がけて俺は歩く。
「ギル」
声がして、それは聞こえないのだと嘘とついて無視をする。
反応すればもう耐えきれない気がしたから。
「ギル」
もう一度声がした。
気づけば肩に手が添えられて、振り向かされていて。
鼻先をすり合わせるところに超がいた。
マシュマロよりも柔らかい彼女の唇が、俺の唇と触れ合っていた。
とんと超が離れていく。
ぼんやりとした頭で、ただただ俺は彼女を見ていた。
「ありがとウ、好きになってくれテ。ありがとウ、私を見続けていてくれテ。ギルのおかげで私ハ……まっすぐ生きれタ」
その時の彼女の笑顔は俺が見たどんな笑顔よりも魅力的で、花が咲くように満点だった。
「再見、私のヒーロー」
光の粒に飲み込まれ、超の姿は消え去っていく。
彼女がいたはずの場所にはもう誰もいなかった。
その日、俺は人目もはばからず、声が擦り切れるまで泣き果てた。
「行くのか?」
昨夜の喧騒は嘘のように、静寂に染まった麻帆良の街並み。
街灯が消え、うす明りが世界を照らし出した頃、不意に後ろから声がかかった。
「関係ねぇだろ、めんどくせー野郎だな」
こぼれた憎まれ口に苦笑が重ねられた。
振り向かなくてもわかる――やさしい顔をきっとあいつはしているんだ。
「そうか……」
それだけ言うと、あいつは押し黙る。
いつもそうだ、昔もそうだ――仲が良かった昔はいつもそうだった。
俺の言葉を待っている。
「この世界は人形だらけだ。俺が人形なんじゃなくて、世界がドールハウスなんだよ」
「あぁ」
「物語はこの世界、幻想はこの世界のほうさ」
「そうか」
「そうなんだよ。だからモブ風情が俺に偉そうな口を叩くな、めんどくせー」
「ハハ、悪いな」
反論するでもなく、咎めるでもなく、あいつはそう言う。
「だが俺はな、人形はガラスケースに入れて飾って、きちんと掃除するタイプなのさ」
だから俺は言いたいことだけを言う。
意見なんて聞かねぇ、誰にだって文句はいわせねぇ。
「俺は自由にやる」
それだけ言って俺は歩きだす。
振りむかねぇ、戻らねぇ。
行く先は帝国、思い浮かべるのはテオドラの顔。
「いつでも帰って来い、ここはお前の家がある街だからな」
そんな声に少しだけ立ち止り、俺は吐き捨てる。
「人形がえらそうに説教垂れてんじゃねぇ、俺はオリ主だぜィ」
「ごめんねエヴァ、いろいろと迷惑ばっかりで」
私がぺこりと頭を下げると、ちょっぴりぶすっとしたエヴァはフンと顔を背ける。
そんないつものエヴァの姿がうれしくて、私の顔はふんにゃり緩む。
いつもと同じ公園で、いつもと同じベンチに座って、いつものように私は言う。
「……わたしね、大学を受けようと思うんだ」
私の言葉にひくり、エヴァの耳が動く。
きっと聞き耳を立ててる、でもこっちを向かない。
私は言葉を続ける。
「大検受けて、保育士になろうと思うんだ」
「そうか」
「ねぇねぇ、エヴァはどう思う?」
そっぽを向いたままにエヴァは答える。
ちょっぴり不機嫌そうだと思うのは、きっと私の勘違いじゃないんだ。
「ええぃ、そんなものいちいち私に言うな! 勝手にしたらいいだろうが!」
「うん、勝手にする」
びくっ、って、肩がはねたのを私の眼は見逃さない。
そんな姿がうれしくて、私は胸にあるあったかいものを差し出していく。
「さっきも言ったけど、いろいろ迷惑かけるかもしれないよ」
大事に、大切に、一言ずつ紡いでいく。
「たくさん大変なことがきっと起きるんだ」
渡すのは何って言ったって――
「だけどそれでも、ずっとずっと、私の友達でいてくれますか?」
私の大切な人だから。
差し出した手をちらちら見るエヴァ。
伸ばそうとして、引っ込めて。
傍に立っているチャチャゼロさんと茶々丸さんも笑顔だ。
私も絶対、笑顔になっているんだ。
そして少し経って、ばばーんとエヴァはベンチの上に仁王立ちして私に言った。
「……フハ、フハハハハ! イタチよッ! このエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの友人でいられることを噛みしめてありがたがれぃ!」
耳まで真っ赤にして、それを見せないように上を向いて宣言するエヴァへと私は。
「うんっ」
手を伸ばして思いっきり抱きしめたんだ。
「えぇえっ! 好きな人ができた!?」
「いや、まだ気になる、という程度なんだが……」
「これも神のお導きによるものでしょう」
血走った目で私を見る友人と、手を合わせて祈る友人に、少し早まった気がしないでもない。
喫茶店のテーブルを囲み、私はそんな友人たちの姿にため息を一つ落とした。
「年上? 年下?」
「年下だが……」
「お仕事は何をされている方ですか?」
「私と同じ教師だ」
次々と覆いかぶさっていく質問に辟易する。
だが今はこの日常を素直に喜んでおこう。
この世界こそが、私の生きる世界だと改めて実感させてくれるから。
「いやー、やっぱり麻帆良祭万々歳ね。私もー、彼氏出来ちゃったしー」
「気になる程度といっても胸に生まれた思いを自覚しているならそれは愛です。大切に、育んでいくべきでしょう」
「ちょっと、聞きなさいよ私の話もっ!」
さすが聖職者、といった風でシャークティはやさしい笑顔。
ふてくされた様子の刀子はずずずと音を立てて紅茶を飲んだ――行儀が悪いぞ。
それよりも――この二人は魔法関係者だ。
あの日、空に映っていたらしい映像が、その中で話された事柄が、全くのフィクションではないと分かっているだろう。
普段通りに接する二人がありがたいが、なんとなく怖かった。
そんな様子を察してなのだろう。
ぴんと刀子の指が私の額をはじく。
「世間じゃ男の友情男の友情って言うけどさ、女の友情のほうが無敵だと思うのよね」
「刀子、お前……」
「うさぎはうさぎ。ちょっと厳しくて固物で、でもやさしくて素敵なうさぎはうさぎよ」
「友情に資格など必要ありません。ただ想うことができるのならば、それだけで良いのです――立場などは考える要素にもならないことなのですよ」
にやついた顔でテーブルに肘をつきながら、十字を切って祈りながら、そう言いきる彼女たちが私は誇らしかった。
「それよりも初デートよ! 一発目のデートが肝心なんだからね!」
「それはよく言われていますね。どこに行くのがよいのでしょうか?」
「ん~夜の海岸線を車で走った後に高級ホテルの最上階でディナーとか」
「……古くありませんか?」
「古くないもんっ!」
思わず顔に笑みが浮かぶ。
やはりここが私の居場所――私がなんであるかではなく、大切なのはどうあろうとするかだ。
「星野先生」
そう改めて感じ入っていたところに、声がかかる。
手に分厚い本をもって、ぺこりと頭を下げたのは綾瀬だ。
「これ、依然頼まれていたものです」
「ああ、すまないな」
「それと先ほどから何やら盛り上がっているようですが、どうやってデートを取り付けるのですか?」
ふと投げかけられた言葉に私の思考がかっちり止まる。
「……アドレスってどうやって聞けばいいんだ?」
「え~、老師は学校辞めちゃうアルか?」
「それは何とも寂しくなるでござるなぁ」
すんすんと興奮気味に鼻を鳴らす古菲に、俺は手に持った煙草を吸いながら答えた。
「まぁちょっとやりたいことが出来てな」
「そうなんですか……」
「魔法に関係することかい?」
龍宮の言葉に俺は首を振る。
魔法がこの世界にある――と知ったのは麻帆良祭の最終日のこと。
成程、どおりで俺の肉体が人の範疇を遥かに超えているのだと納得した。
ライオンやトラやホッキョクグマより強い程度ではなく、幻想の世界だけの存在だと思っていたドラゴンなんかより強いからこそ、俺は異常で異常過ぎたのだ。
この世人に欲情していたのも、彼女たちが単純に武道四天王などいう肩書を持っているからではない。
魔法のある世界でも強く生きる存在だからこそ俺は――
「知っているだろうが俺は強い」
俺の言葉に誰一人として否定しない。
ただそうなのだと、そうあるべきなのだと、訴えかけているような気がした。
「だからこの力を俺は誰かのために使いたい。俺の力で誰かの涙を止めてやれるような人間でありたいんだ」
「ではどうするんでござるか?」
「戦争や内紛が起こっている地域に行こうと思っている。そこで子供たちに勉強を教えながら、彼らの生活を守ってやりたいんだ」
まだ火の残る煙草を握りつぶしながら、俺は誓うように言葉を出す。
塵のようにバラバラになったそれは、風に乗せられ飛んで行った。
ひゅぅ、と、口笛が聞こえた。
「やっぱり老師は強いアル」
「そう、なのかな」
「ワタシの師父が言ってたヨ。誰よりも強き者は誰よりも優しき者だテ」
にっこにこの笑顔で告げる古菲にちょっと頭がかゆくなった。
そして少女はこぶしを握り、俺へと向けて構えを取る。
「だからその前にワタシと勝負アル!」
そんな言葉に苦笑で返し、俺は脚に力を込める。
だんと踏み込み俺は空へと跳び上がった。
「逃げたのか?」
「逃げたね」
「逃げたでござるな」
「追っかけっこなら負けないアルよぉっ!」
眼前に広がる空はひどく澄んでいて、何よりも広かった。
機械だらけの部屋。
そこにある椅子に座って、いつものように僕は魔力を吸われる。
「……ねぇ」
「なんですか」
「君は僕といて楽しい?」
隣に立ったすごい美人の女の子、セクストゥムに僕は問いかける。
僕の言葉に少しだけこっちを向いて、唇に手を当てながら、彼女は言った。
「……あなたは不思議です。いえ、私がこの場所以外知らないからかもしれませんが」
「ここから出たいとは思わないの?」
「私はあなたの世話をする、主のための人形ですので」
それだけ言ってまたそっぽを向く。
そんな姿がすごくさみしい。
ここはきっと悪の組織。
完全なる世界っていう名前はネギまを読んだから見たことがある。
セクストゥム自体は知らないけれど、彼女とよく似たフェイトは知っている。
同じシリーズだから――そうセクストゥムは言ってたっけ。
完全なる世界は悪い組織。
だけどここの一番偉い、いつもマントをかぶっている人はすごく僕に優しくしてくれる。
だから僕には彼がすごい悪い人にはどうしても見えなくて、ここが本当に悪い組織にはどうしても思えないんだ。
だけどここはフェイトのいる組織。
コーヒーを飲ませてくれた彼もすごく悪い人には思えないけれど、ここはネギくんと対決する組織なんだ。
きっといつか必ずネギくんがやって来て――その時僕はどうなるんだろう?
いつも優しくしてくれるマントの人は、フェイトは――セクストゥムは。
だから僕はずっと思っていたことを口に出す。
「ねぇ、僕魔法を習いたいんだけど……駄目かな?」
「どうしてです?」
「それは……その、いつもお世話になっているセクストゥムにお礼がしたいから」
僕の言葉に彼女は意外そうな顔を見せる。
昔と比べて表情が柔らかくなって、優しい顔をするようになったセクストゥムだけど驚いた顔はほとんど初めてだ。
セクストゥムはぱちんと指を鳴らす。
彼女の指先には小さな水の玉が出来ていた。
「先ほどの質問について、楽しいかどうかは分かりませんが退屈はしませんよ」
そこにいるのはいつものセクストゥム。
だけどその顔が僕には笑っているように見えたんだ。
俺には記憶がない。
俺にあるのは数年前以降の記憶だけで、俺の人生はそれからの数年だけ。
そんな俺に解るのは、魔法の使えない俺がなぜがアドリアネー魔法学校にいること。
それと俺の右手はどんな魔法も消し去ってしまう幻想殺しが付いていて。
ここの校長から絶対に右手から手袋をはずさないようにって言われていることだけだ。
「ちょっと、ここも汚れていましてよ」
まぁ魔法学校にいるっていっても魔法の使えない俺は掃除屋なんですけどね。
「はいはい、わかってますよ」
「ちょっとなんですの、その態度は!」
褐色肌に角を付けた、金髪の女の子は苛立たしげに俺に言う。
ったくさ、俺が何したんだろうねー。
しかし年下の女の子に顎で使われる俺……ああ、不幸だ。
「早くしない!」
「わかってますよー。……ってかそこで何してる訳?」
「あなたがサボらないように監視してますの」
ふんすとふんぞり返り、偉そうな感じ。
お給料もらってるしちゃんと働くって。
「そっ、それよりもあなた今度の休みの日は――」
なにかいってるみたいだけど、まぁ俺には関係ないだろ。
それよりも掃除、掃除だ。
「いいぜ、そこが汚れているっていうんなら……まずはそのふざけた幻想をぶち殺す!」
そう言いながら俺はモップを手に走っていく。
ちょいと臭いセリフだが、なんとなく馴染むんだよなぁ。
そこは普通の並木道。
桜通りと呼ばれる場所で、屋台を引きながら一人の男が歩いていた。
暖簾にはらーめんと書かれている。
「越えたねぇ、答えを。まぁこれからたくさんの試練が訪れて、そのたびに答えが出るんだろうけど、その答えはいつだって俺の答えを越えているんだろうねぇ」
くすくすと笑う壮年の男。
額には手拭いを巻き、無精髭を少し生やしているが、理知的な印象を見る者に与える男だった。
「答えを越えるのはいつだって人の想い」
呟くように口を開く。
だがその答えは実に確信めいていた。
「感情があって、考察が出来て、歩き出せるなら、人形も人間も変わりはない……か」
表情は歓喜一色だった。
嬉しそうに、楽しそうに、歩く男の足取りは軽かった。
「うん、やっぱりヒトは素晴らしいね」
男は歩く。
何もない並木道を。
「さて、そんなヒトを見に行くとしようかな」
風が吹き、青葉の付いた桜の木を揺らす。
そこにはもう誰一人としていなかった。