修学旅行――待ちに待った修学旅行である。
中学生活一番のイベントと言っても過言ではない。
それは多くの人が思うことのようで、この世界の基になっている漫画でも多くの出来事が組み込まれていた。
――関西呪術協会管轄への移動、魔法使いたちに恨みを持つ天ヶ崎千草の襲撃、狂剣月詠の胎動、そして完全なる世界の暗躍、原作主人公であるネギのライバルの出現。
何よりも――人気キャラであった桜咲刹那と近衛木乃香の融和。
とにかく重要な事柄が目白押しだ――原作キャラにとっても、テンプレオリ主にとっても。
それは修学旅行で明確な戦闘行為が行われるからであり、故にテンプレオリ主が介入しやすいからだ。
――生徒を守る、子供を守る、女の子を守る、クラスメイトを守る。
どんな立場で参加するかは別として、テンプレオリ主はそんな大義名分を味方につけて戦う機会が与えられる。
無論、俺とて俺は超の英雄になりたい訳で、そんな大義名分を味方につけて戦うこと自体が悪いとは思わない。
テンプレオリ主の多くは強い力を有しているのだから、それは当然だとも思える。
ましてや英雄と呼ばれる存在も多いのだから、英雄を目指す俺としては介入しないという行為は間違っていると断定できる。
何故なら英雄だから。
英雄だからこそ、護るべきものを護らなければ、英雄を名乗る資格はないと俺は思える。
――何故なら英雄だから。
そうではないとあまりにも英雄に憧れる人々が、英雄を志す人々が、虚しいじゃないか。
背負うと決めたなら背負い続けるのが英雄なのだ。
俺の憧れた黄金の英雄はそうだった。
この世の誰より傲慢不遜で天衣無縫で、この世のすべてを自分のモノだと公言して、この世のすべてを背負っていた。
どんな事情があるにせよ――まぁテンプレオリ主の場合は嫌だと言いながら進んで介入するパターンが多いけど――英雄と呼ばれたのなら英雄で通さなければいけないと俺は感じる。
そして英雄とは生き様だ。
すべての人生が英雄譚として語り継がれるほどの高く、深く、濃い人生の遍歴だ。
――まぁとにかくと、俺の知っている多くのテンプレオリ主の場合、この修学旅行が彼らの物語の中での大きなターニングポイント。
今現在、俺を含めた麻帆良学園の中等部三年生は修学旅行に旅立っている。
だからこそこのイベントを上手に渡っていかなければならないのだ。
ただ超のために、超に不利とならないために――
「ハワイきたーーっ!」
灼熱の太陽の下で水着だらけの同級生に囲まれた俺はどうしようもないんですけどね。
――しかたがない、これはしかたがない。
修学旅行先が京都があって、ハワイがあって、他に何かもあったかもしれないが。
だとしたってちょっと頑張れば行ける京都よりもハワイを選ぶのは当然だろう。
一応俺も提案したんだ、京都とかどーかなって。
でもクラスメイトのほとんどからはぁ? みたいな眼で見られたね。
うん、俺も当然だと思う。
俺も旅行自体は楽しみにしてたし、行くなら京都よりハワイが良いというのは本心だし、たぶん星野先生もいるから大丈夫だと信じている。
――俺は履いたサンダルの下から昇ってくる熱さを感じながら、星野先生の顔を思い浮かべた。
軍人みたいな雰囲気で、麻帆良踏まれたい女教師ランキングでも常に上位にいる星野うさぎ先生――彼女もまた転生者だった。
知ってから考えてみれば、確かに星野先生は転生者だと思えるところはある。
明らかに他の魔法使いとは異なる形態の――魔法BBA無理すんなと揶揄され称賛される技術。
TVアニメの魔法少女ばりの変身をし、ふりっふりの衣装にわざわざ身を包み、台詞とともに魔法と撃つ。
そんなものだと、何か特殊な一族の特別な形態の魔法だと思っていたが――確かに変だよなぁ。
「田中くん」
首を傾げた俺に、上から低い音が下りてくる。
ふと隣に視線をやれば視界を覆う分厚い胸板。
パーカーに身を包んでいるみたいだが――盛り上がった筋肉でムチムチだ。
「田中くんは泳がないのか?」
睨めば麻帆良の不良たちが思わず目を逸らすほどの強面とは真逆、丁寧な――というか俺を気遣うような――口調で範馬先生は俺に問いかけた。
「いや~、ちょっと考えごとをしてまして」
「なるほど」
タハハっと笑った俺の顔を、口元を持ち上げて範馬先生は相槌を打つ。
笑みは本来獣が牙を剥くという行為からくるものらしいが――失礼なことだが範馬先生を見ていると納得してしまうな。
ホント、本当に顔と体格と性格がすれ違ってるよ。
「しかしせっかくの修学旅行、楽しまなきゃ損だぞ」
「それは勿論っす!」
ぐっと拳を握れば、楽しみな気持ちがむくむくと起き上ってくる。
何と言っても俺は初海外。
前世も含めて初めての海外だ。
楽しみじゃないと言えばそれは嘘だし、楽しんでやろうと開き直っているのも事実だ。
今さら俺があの天津神零児のことを考えたって仕方無い。
俺は今この瞬間を精一杯生きるのだ――その方が英雄らしい人生になるはず。
「じゃあちょっくら泳いできまっす!」
そう告げて俺はサンダルを脱ぎ捨てて、視界の大半を埋め尽くした青に向けて突っ込んでいく。
細かな砂浜に足が僅かに埋まり、足跡だらけの砂浜にまた新しい足跡を残す。
上から降り注いできた熱によってほてった俺の身体は、下に現れたしょっぱいはずの水に触れた。
足が取られるような感覚。
だけど更に取られてしまいたいと思える、不思議な感覚。
そして俺は思いっきり顔面から水面にべしゃりと落ちたのだ。
――表面から冷たい膜に覆われていく。
ごぼごぼと水泡を吐き出す俺の三つの穴は、苦しいのだがとても気持ちが良かった。
ぱしゃりと水面から顔を出して、わかめのようにふらふらと浮いてみる。
遥か天高くに見える空は本当に綺麗で――できたら超と見たかったなぁ。
まぁ見れたとしても京都の空だったんだろうが、やっぱり修学旅行と言えば恋愛沙汰が進むからさ。
原作だってネギのことが好きだっていう宮崎がキスしちまうんだもんよ。
――俺が例えば京都に修学旅行に行けたとして、超と何かが出来るかと言われれば、それはどうかという話だ。
無論、超と話したり、一緒に京都の街を舞われたのかもしれないことは確かだが。
こと魔法関係に関しては何か出来るのかはわからない――俺は所詮凡人だ。
サボった期間はあるが、幼いころから体を鍛えてきたことは間違いない。
だが、長距離走だったら陸上部にも負けないという自信があるが、短距離走だったら陸上部においていかれる俺だ。
生まれ持った身体能力は、平均値より上かもしれないが、才能ある人間には敵わない。
それは偶に夜の警備に一緒に出る桜咲を見ていると、俺にその冷たい真実を否応なしに突き付けてくるのだ。
桜咲は――こんな言葉努力を重ねている桜咲に渡すのは安っぽいのかもしれないけれど――天才だ。
身体能力や反射神経を強化する気の量も、その運用も、戦闘センスも、獲物にする刀の扱いも、俺は桜咲に遥かに劣る。
稀に模擬戦を頼んだりするのだが、まともに打ち合えることなく地面にいつも転がされる。
どれだけ剣を振っても、どれだけ気の運用を効率化させようとしても、どれだけ経験を積もうと夜の警備に積極的に参加しても、どれだけ、どれだけ――
何度挑んでも、何度挑んでも、俺は一度も桜咲に勝てたことがない。
弱い気持ちが生まれたのは一度や二度じゃない。
所詮俺には無理なのではと、所詮俺では超の力になれないのではないのかと。
あれ以来一度も使おうとしていないが、結局俺には黄金の王の財宝はひとつも使えないままなのではないのかと。
――だが、だからといって、俺はもう引き下がれない。
振舞ったのだ、英雄らしく。
超の前で、英雄として。
だったら振舞い続ける以外の選択肢はもうあり得ないのだ。
もしここでみっともなく、凡人としてへタれてしまったら、それはあまりにも――カッコ悪いじゃないか。
だからこそ天津神零児が二次創作通りのテンプレオリ主だったら――俺はあの男が許せない。
あの男は、前世からこの世界に移るときに見た光から貰った力を使っていたとしても、評価された現代の英雄。
この世界全てをひっくりかえせるだけの力を持っているはずなのだ。
なのに――きっとあのテンプレオリ主は、原作通りに展開を進めようとするだろう。
――俺はいつも不思議に思っていた話なのだが、何故二次創作のテンプレオリ主は原作の展開を放っておく場合が多いのだろうか?
本当に3-Aの女の子たちのことを想うなら、新幹線の時点で天ヶ崎千草を捕まえれば良いんだ。
それから交流でも何でも深めていけば良い――超だったら嫌だが。
ともかく、わざわざ危険な目に彼女たちを合わせる理由が解らない。
俺のように出来ないのではなく、俺とは違って出来るのだから。
――いや、解らないと言ったのは嘘だな。
結局、テンプレオリ主は無駄に介入して原作を変えるのが嫌なんだよ。
無理にどうなるか解らない展開にするよりも、解っている原作を辿って要所要所でキリッっとカッコ付けた方が良いんだろうさ。
関わらないのなら関わらなければ良い。
なのに中途半端に関わろうとする姿を見ると、俺は――
「嫉妬、なのかねぇ」
ぽつりと零れたの俺の言葉は、降り注いで来る太陽の光によって四散していく。
洩れた感情が俺の本心なのだろう。
出来るのにしないその姿が、笑ってひっくりかえせるくせにこの世界に生きる人間を本質的な意味で助けようとしない彼らテンプレオリ主が――俺は嫌いなのだ。
漫画を読み憧れて、この世界で出会って本気で超に惚れた俺からすれば。
――もしかしたら俺の見る天津神は偏見に彩られて、そうなのだと決めつけているのかもしれない。
だがネギ先生が絡操を襲撃したあの場面から判断すれば、俺の偏見は大き過ぎるものではないと感じとれた。
「――チッ」
舌打ちを落として、俺は水面下に沈み込む。
瞳を気で覆い、透明な水中を見渡して、熱くなった頭を冷やしてやる。
みっともない――魅せられないな、超にこんな俺の姿は。
英雄らしくなさ過ぎるぞ。
溜め息を付いて水をかく。
目の前には男子中学生や女子中学生の生足が散乱して――そこで妙な足を見つけた。
アレは奥、深いところだ。
変に動いて泡を出している。
おいおい、まさかアレって――
「範馬先生ッ、誰か溺れてるっ!」
甲高いの叫び声が海から顔を出した俺の耳に飛び込んできた。
たしかに変な動きをしていた足の上で、もがくように暴れている人影が確認できた。
それと同時に俺の視界を大きな塊が飛ぶように過ぎ、高い水飛沫が上がった。
水飛沫はまるでアーチを描くようにして、溺れている誰かの下へと凄まじいスピードで進んでいく。
―あぁ、やっぱあの筋肉見せかけじゃなかった訳だ。
しかし――パーカーを脱ぎ捨ててバタフライで突進するその後ろ姿にとある鬼を思い起こさせたのは、俺の気のせいからなのだろうか?