外に出たくない。
閉じこもって居たい。
ずっとずっと、部屋の中へ。
私の世界は暗いまま。
だったら部屋の中でも、外になんかでなくても、変わらないはずだから。
だから私は外に出たくない。
だけど――ママに外に出てみたら、って言われたら、私は出ない訳にはいかないんだ。
もしママの言葉に反抗して、もしママから嫌われたら――
そんな事になりたくない。
ママから嫌われたらママの事が嫌いになってしまいそうだから。
――ママは私を思って言ってくれている、ママは私が好きだから心配してくれてるの。
そう思って、思って、外は恐いけど、光を見るのが怖いけど、ママを嫌いになりたくないからママの言うことを聞く。
――外は恐い。
光が上から差し込んでくる。
私の眼を覆った包帯も、光の所為で透けてしまうような気がする。
周りから視線が集まっている気がする。
私を、引きこもりの私を、眼に包帯なんかしている変な私を、私を、みんなが見ている。
――お願いだから私を見ないで。
見つめられたら見つめ返してしまうかもしれないから。
私を見ないで――本当は誰も、誰一人だって、彼と彼の赤い眼に憧れた私だけど、私は誰も傷付けたかった訳じゃない。
ママの手をしっかり握って、外を歩いて、そこまで私の想いが進んだところで胃の奥が酷く熱くなった。
昼に作ってくれたママのご飯が食道までせり上がって来ている。
――吐いてしまう。
人前で、不格好に。
そうしたらきっとママに嫌われる。
私を変な人だってみんなが見る――それは、嫌だ。
だから私は私の手を握るママの手を振りほどいて、訳もわからず走った。
ママの声が聞こえる。
待って、どこに行くの、私を心配するママのやさしい声。
だけど――もう口からママのご飯がこぼれ始めている。
べちゃべちゃと服を汚して、道を汚して、女の子にはあるべきじゃない醜態を晒す私に周りから視線が集まる。
だから私は止まらずに、がむしゃらに、走って走って――
「おいっ、貴様何の恨みがあって私に――」
何かに躓いて、随分と走っていなかった私は受け身も取れずに、頭から地面に激突した。
――その日から、私は週に一度だけ、部屋から出るのが日課になっている。
季節は春。
ほんのりあたたかな風が気持ちいいぽかぽか陽気。
いつもと同じ曜日の、いつもと同じ時間、いつもと同じベンチに座った私はニット帽を鼻の辺りまでかぶって包帯を隠す。
並木道は桜通りと呼ばれているようで、ここまで連れて来てくれたママが満開でとっても綺麗なの、と教えてくれた。
ふわり、風が吹く。
膝の上に置いた手に、何かが乗った気がする。
手にとって、おっかなびっくりしながら触れる。
これはきっと――
「待たせたか」
「うんん、待ってないよ」
堂々とした声。
「そうか」
短く言うと私の隣にぽすんと誰かが座る気配。
それを確認して、私はそっと手を伸ばす。
うん、いつもと変わらない小さな手だよ。
「――貴様、何か妙な事を考えなかったか?」
「そんなことないよ。ただ――」
「ただ、なんだ。何かあるなら言ってみろ」
「うん、ただお話出来て、一緒に居れて嬉しいなって」
「なっ――」
そこに居るであろう彼女の方を向いて、私はきっと笑っている。
笑えるようになった。
ぎこちなくて、ぶきっちょで、変な笑顔かもしれないけど――笑顔だ。
ずっとママの前で泣いて、パパの前で泣いていた私の顔じゃなくて。
無表情でも、怯えた顔で、悲しい顔でも無くて――笑顔。
私は鏡で私の笑顔を見てないけど、ママがそう言って喜んでくれてたからきっとそうなんだ。
「……フ、フハハハ、私の懐の深さに感謝するんだな!」
「うん、ありがとう。私とお話してくれて」
「ム、あ……ぬぅ……フン、感謝しろ」
「うん、ありがとう」
私の手がぷいっと払いのけられる。
でももう一回おずおずと手を伸ばすと、私の手をほんのちょっぴり握ってくれる。
彼女はエヴァ。
あの日、吐きながらママから逃げていた私がぶつかってしまった女の子。
あの後ママと一緒に謝りに行って、ママが話し相手になってあげてくれないと頼んで、その時から私とエヴァは週に一度、お話をする仲になっている。
はじめは私は何を話していいのかがわからなくて、ただ怖くて、最後にまた来週と一言しか話せなかった。
小学五年生の時に引きこもって、中学に同級生が入ろうかという頃。
あの時、あの場に居た私と壊れてしまった彼女以外はみんなちゃんと中等部に上がり、変わらなきゃと思った頃。
そんな頃、私はエヴァに会った。
だから変わるきっかけに、この出会いだけは逃しちゃいけないって、怖くて、怖くて、怖かったけど――人と向かい合って、見られるということが怖かったけど、それでも勇気を出してみたんだ。
――はじめのひと月はほとんど話せなくて、半年経つ頃にはぽつぽつ会話になって、一年経つ頃には楽しくなって、エヴァが中等部を卒業した年からもっともっと仲良くなれた。
それからもう五年間も、こんな関係が続いている。
私はエヴァの姿を見たことはないが、大凡のイメージは頭の中に出来あがっている。
「魔法先生ネギま!」という漫画を読んだことはない。
前世で腐女子だった私は女の子だらけと聞いたこの漫画に手を出そうとしなかった。
だけれど、ネットに在る広告の部分でフィギュアになった彼女がぼんやりと記憶の片隅にある。
今触れている指はきっと白魚のように上品で、私の肩に微かにあたる髪の毛はウェーブのかかった金色なのだろう。
――盲目でもないのだが、私はこの世界の下になった漫画の原作キャラを――違った、うん、間違いだ。
盲目でもないのだが、私は私の友達の顔を見たことがない。
膝の隣で寝ている白杖にも慣れたものだ――情けないとホントに思う。
まだ――まだ、人に見られるのはつらい。
人に見られていると思うと、私の胸が熱くなる。
見返してしまいそうで――きっとそれだけでは万華鏡写輪眼は発動しないのだろう。
包帯越しに、閉じた眼で、私が誰を見返したって。
リスクのない万華鏡写輪眼を私は貰った。
彼が使っていた様々な術を、きっと私は使えるのだろう。
私が私の眼で私の意志の下に私が定めた対象を見ることで、万華鏡写輪眼は発動する。
私は不用意にその瞳術のひとつである「月読」を使ってしまった。
人を簡単に壊すそれを――私はただちょっとした悪戯心で。
――だからは私はいま包帯で眼を覆っているのだろう。
リスクなしの万華鏡写輪眼――そんな都合の良いものなんてどこにだってなかったんだ。
本来あの漫画では、万華鏡写輪眼は使えば使うほど視力を失ってしまう諸刃の剣。
だから私は――。
私はたぶんこれから死ぬまで万華鏡写輪眼を使おうとはしないだろう。
――でも、それでも、まだ見返すという行為が酷く怖い。
だけど――ここまで私は、母の隣に並んでだが、歩いて来れた。
一週間の内、この曜日だけは母と買い物に出掛け、エヴァと話し、外と接点を持って暮らしている。
家に居る時も、カーテンはまだ閉めていることが多いが、点字覚えて本を読んだり、日記をつけたりと、以前に比べれば生き生きとした生活を送っている。
――まだまだ私は、友人や両親の顔を見て話す事も出来ない、臆病者なのであるが。
「そういえばエヴァ、来年大学生だよね」
「なっ、ま……まぁそうだな」
「そっか。私とお話なんてしてて、受験とか大丈夫なの?」
「それは無論だ。中学生程度の――」
「中学生?」
「わー、うん、ゴホン! 高校程度の問題など私にかかればよゆーだからな」
「エヴァは頭良いもんね」
「あー、うむ、まぁな」
歯切れの悪い言葉。
やっぱり、大学受験となると大変なんだろうな。
決して高い身長ではない私よりも小さなエヴァだけど、彼女は私よりひとつ年上でウルスラ女子高等部の三年生だ。
「それよりも、だ!」
ぐぐぐっ、と私に顔を近づけてきた気がする。
声が近くなったから。
けほんと一つ咳払い、息を整えてエヴァは私に言う。
「今度友達を連れて来いと言っていたな。連れて来てやったぞ」
その声はふふんと自慢げで、私は私の顔がほころんだ気がした。
「貴様、私のことを友達が居ないと思っていただろう」
「そんなことないよ」
「いーや、嘘だな。思っていた。だがな、私にだって当たり前だが友達はいるんだよ!」
「そっか。どんな子なの?」
「……気になるか?」
きっと、今のエヴァは悪戯っぽく笑っているはずだ。
声がとっても楽しそうだから。
自慢するのが好きな彼女は、きっとプライドが高いから。
だから私は――
「うん、私に紹介して欲しいな」
素直に頷くんだ。
うん、今の私もきっと笑っている。
顔がほんのりあったかい気がするから。
「こいつが絡操茶々丸だ」
「はじめまして」
ぺこりと頭を下げられた気がした。
私ふらふらと私の前に手を開いて差し出してみる。
握ってくれた手は、やわらかさの中にちょっぴりかたさがある感じだった。
「茶々丸は私と同じクラスの――」
そこまで言ったところでつい、私はエヴァの言葉を遮ってしまった。
絡操茶々丸ちゃん、彼女のことは良く聞いたことがあるから。
「中等部の二年生なんだよね? 凄く親切な子がいるってママから聞いたことがあるよ」
「いえ、そんなことは。私はただ力になりたい人の力になっているだけですので」
うん、凄く良い子だ。
「……そう! クラスメイトの妹なのだ!」
「マスター、ですが私は――」
「そして姉がここにいるチャチャゼロだ!」
「ケケケ」
「はじめまして」
どうにもエヴァの口調が乱暴になった気がする。
でも仲良くしたい私は気にせずまた手を伸ばす。
十秒か、もう少し経った頃、握り返してくれた。
さすがに姉妹だけあって手の感触が良く似ていたよ。
――肌を撫でる風が少しずつ冷たくなって、瞼越しに私に降り注ぐ光がほんのり赤くなった頃、私はエヴァに手を振って白杖を持って歩き始めた。
少し歩くと声がかかる――ママだ。
「今日は楽しかったかしら?」
「うん、前にママが言ってた茶々丸ちゃんとお話もしたよ」
「あら、それは素敵ね。彼女、商店街の人気者なのよ」
ママと並んで、私は学園都市の住宅街の方へと歩みを進める。
遠くで部活に励む同年代の声が聞こえる。
だから私は不安になって、気付けばママに問いかけていた。
「ねぇママ」
「なあに」
ママの声はとってもやさしい。
「私、本当ならもう高等部だよね」
「そうね」
「でも私、何も出来てない、よね」
私の声はとっても沈んでいる。
でもママは何も言わずに、ふぅっと私の耳に息を吹きかけて、私をびっくりさせた。
きっと今のママの顔は、さっきのエヴァよりも悪戯っぽい顔なんだろう。
そんな顔に騙されて結婚したんだとパパが笑いながら言っていたから。
「道、綺麗よね」
「うん」
話題を変えられて、ついつい生返事で私はママに答えた。
「麻帆良学園って掃除業者の人が入って掃除してるの。学生だけで掃除するのには広すぎるものね」
それは知っていた。
私がまだ初等部で、童心に帰り友人たちと遊んでいた頃の記憶に残っている。
歴史ある西洋建築を色濃く残す麻帆良学園は、なんでも文化的に貴重なものみたいで観光地のようなものにもなっているから。
もちろん学生が多い所に外部の人は入れないんだけど、それ以外は一般開放しているみたい。
「桜通りから少し離れたここの道ね、多分麻帆良で一番綺麗なの」
「そうなの?」
「ええ。いつも同じお兄さんが綺麗に綺麗に掃除しているわ。そのお兄さんは他のお掃除の人とは眼が違うの。一生懸命、何か目的のために頑張っている眼」
眼――私にとっての忌むべきモノ。
でもそれなのに、知らないからかもしれないけれど、ママは――
「あなたは自分の眼が嫌いなのかもしれないけれど、きっとあなたの目もそのお兄さんといっしょの眼――ママはそう信じてるのよ」
立ち止まって、私は傷だらけの手首に触れて、私はママの胸に飛び込んだ。
だから、私はママが、こんなにもやさしいママのために、見守ってくれるパパのために、ちょっぴりいじっぱりな友達のために――私は前に進みたい。