ハンターズギルドは今日もブラック【未完】   作:Y=

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エピローグ

 キョトンとした顔をしていたレオンハルトは、次の瞬間にはにへらとだらしなく相好を崩して、

 

「あれ、モミジさん? いつの間に来てたの? 早く声掛けてくれたらよかったのに」

 

 顔を青ざめさせていたアーサーは、のんきな彼の返事を聞いて、重ねて血の気の引くような思いを抱いていた。

 

 G級二位のこの男は、危険察知という点において他のG級ハンターの追随を許さない、レオンハルトをG級たらしめる力だ。

 地中に潜って攻撃を仕掛けてくるようなモンスターはもちろん、視認の難しいはるか高高度を飛ぶモンスター達の視線にさえ気づき、果ては砂塵舞う一面砂海の船上で、遠く水平線の下を泳ぐ敵意のない古龍(ダレン・モーラン)の存在にさえ気付くほどだ。

 いくらこの受付嬢がギルドナイトであるからとは言え、コイツの警戒網をくぐり抜けられるはずはない。

 

 彼女は今、アーサーにさえ明らかに感じられるほどの強い感情を抱いているのだから。

 

 他の生命体の存在に人一倍敏感なレオンハルトがモミジの接近に気付かなかったのは、明らかな異常事態だった。

 レオンハルトの危機察知能力が低下しているのか?

 それとも……。

 

 ……ちょっと待てよ?

 

 そもそもこの人は、どのタイミングでどうやって、“かがり火亭”の奥のこの部屋に入ってきた?

 

 脂汗を浮かべながらゴクリとのどを鳴らすアーサーを、冷えた濡れ羽色の瞳で一瞥して、興味なさそうに視線を外すと、モミジはレオンハルトに優しげな表情を作って尋ねた。

 

「どうしてこの男と飲んでいるの?」

 

「いや、そりゃ、たまたまアーサーを見かけて誘っただけですけど」

 

「……です?」

 

「さ、誘っただけだけど?」

 

「……ふぅん?」

 

 穏やかな光に照らされた、簪の紅葉が揺れて煌めく。

 

「……私、一人で飲んでいてって、言わなかった?」

 

「い、いや、言ってなかった、よ?」

 

「……そう」

 

 ねぇ、とレオンハルトの肩に両手を乗せたモミジが、ようやく冷や汗をかき始めた彼の耳元に口を寄せて、

 

「レオンさん、貴方は公的に力があると認められたG級ハンターなのだから、軽々しく他の人と飲みに行ったりしてはダメって、ちゃんと教えていたでしょう? 忘れたの?」

 

「いや、でも、アーサーは俺の唯一の男友達だし」

 

「『でも』じゃありません。人間が聞かれたことに返事をするときは、はいかイエスなのだと教えたでしょう?」

 

「……は、はい」

 

 アーサーは遠くの壁を見つめて空気と化した。

 いくら違和感を覚えるような発言があったとしても、絶対にツッコミを入れてはいけない。

 

「まったく、これだからG級に上がるのはダメだと言っていたのに。貴方は他の人と比べて人間関係における経験がゴミみたいに不足しているから、簡単に騙されやすいの。頭を揺らせば鈴の音が聞こえるハンターだってこと。

 それでも、一応はギルドに所属する全ハンターの中で二番目に強いのだから面倒になるのよ」

 

「ご、ごめんなさい?」

 

「いい? ほいほい人に付いていってはダメよ。悪い虫がついたら大変になるのは私なの。貴方みたいな脳味噌ケチャワチャのお気楽さんは、用済みになったらすぐにポイなんだから。

 どんな人と接するときも、モンスターと対峙するときの心持ちを忘れないでって言ったでしょう? そんな薄い危機感では、いつとって食われるかも分からないわ。決定的な所で騙されて利用されたらどうするの? 後始末も簡単ではないのよ? 少しは力を持っている自覚を育ててくれないかしら、この人間筋肉」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 グサグサと刺さる毒の刃に、レオンハルトの肩はどんどん下がっていく。

 そんな彼に、モミジは一転穏やかな声で優しく絡め取るように言葉を紡いだ。

 

「……そんなに落ち込まなくてもいいわ。貴方は一応、私の()()の一人なのだから。友人が危険な目に遭いそうになっていたら、それを正してあげるのが道理でしょう? これはお小言と言うよりも、友人としての心からのアドバイスよ。

 ……そうね、今度からは、お酒を飲みに行くときは、原則として一人、相手がいるのであれば、私に一言伝えてからお酌しなさい。胸にキチンと刻んでおいて? これでも私、長いこと受付嬢をやっているの。貴方よりも人を見る目があるのは確かなのだから」

 

「あ、ありがとう、モミジさん。助かるよ……」

 

 彼女の言葉に、表情を明るくして心からの礼を述べたレオンハルトを見て、アーサーは静かに悟った。

 よく調教されていらっしゃる。

 経験云々の話は、この人が原因だったのだ。

 道理でらしくもなくまともそうな話をしていたワケだ。

 

 口を噤んで戦慄しているアーサーを放置して、モミジとレオンハルトは会話を重ねた。

 

「それと、周りにはもう少し注意を払うようになさい。私が後ろに立つまで気付かないなんて、いくらお酒を飲んでいるとはいえ、貴方らしくない油断よ?」

 

「ああ、それは……」

 

「……それは?」

 

「その、なんて言うかな、俺的には、見知らぬ他人の視線とか呼吸とか存在とかはかなり敏感に感じるんだけど、モミジさんはそうでもないって言うか」

 

「……どういう意味?」

 

 温かみが唐突に消失した声に鼓膜を撫でられ、アーサーは怖気にぶるりと震えた。

 しかしながら、当のレオンハルト本人はなんともないといった表情で、

 

「いや、悪い意味じゃないんだよ。ほら、俺たち友達じゃん? モミジさんのことはすごく信頼してるし、本能的に警戒網に引っかからないって言うか」

 

 二十代後半男性の率直な言葉に、受付嬢はしばし唖然としていたが、すぐに表情を消して、若干の苛立ちを声色に乗せ、

 

「……レオンさん? 『信頼してるから』とか、『友達だから』とか、そう言う甘い言葉で他人を惑わしたり、誘惑したりするのは人としてどうかと思うの。それに、そうやってどこかのアホ娘みたいなチョロくてガバガバの貞操観念だと、さっきも言ったように悪意ある人間に騙されて――」

 

「大丈夫だって」

 

 まくし立てる受付嬢を遮って、レオンハルトは自信満々の笑みで続けた。

 

「モミジさんは特別なんだよ」

 

「んぅ」

 

 黒髪の受付嬢は、表情一つ変えないまま小さく呻いて、カンテラの暖かい明かりに照らされていた顔に、鮮やかに赤い一条の線を描いた。

 鼻血だ。

 

「ちょ、モミジさん! 鼻血出てる!」

 

「…………え?」

 

 細い指先で上唇をこすったモミジは、さらりと赤く濡れた爪を見て、

 

「……あら、ごめんなさい。これは、興奮したとかそういう俗物的な話などではなく、さっきラージャンに顔を少し殴打されたからであって」

 

「大怪我だよ!! 何言ってんの!?」

 

 おっ、とアーサーはにやついた。

 完璧仕事人の受付嬢が、滅多に見せない隙を晒している。

 可愛い女の子をこうやって誑し込んだのかと、レオンハルトに軽い殺意を覚えたものの、これは面白いことになってきたぞ。

  

 …………良いこと思いついた。

 

「えっと、鼻血はどうやって止めるんだっけ? 鼻腔に回復薬グレート突っ込むのかな、いや、秘薬を詰めれば……」

 

「違うわ。貴方が膝枕をするのよ。顔が心臓より上にこなくてはいけないもの。でも、変則的な膝枕でいいわ。貴方はその椅子に座ったまま、少しだけ脚を開いて。私がその間に入って床に座り、貴方に頭を預けるわ。鼻血を止めるために」

 

「え? いや、でも」

 

「大丈夫、鼻血を止めるために、特別に私の頭に触れることを許すわ」

 

 わいわいと話す二人に、ポリポリと腰の辺りをかいていたアーサーは、立ち上がって木箱を払い、

 

「モミジさん、床に座らなくても良いッスよ。コッチの椅子、つうか箱だけど、どうぞッス」

 

 その言葉に、レオンハルトの脚に座っていたモミジはすっと眉をひそめ、

 

「あら、アーサー、まだいたの?」

 

「なんだか今、大変失礼なことを言われた気がするッス。別に良いッスけど。俺はこれから()()()()()()()()()()()()()()()()んで」

 

 その言葉に、モミジは少し思案して、それから、

 

「分かったわ。貴方はもう帰って良いわ」

 

「ッス」

 

 アーサーは一つ頷いて立ち上がり、入れ替わりに木箱へ歩み寄ったモミジは、表面をさっと撫でてからレオンハルトの机の方に箱を動かして、アーサーに真剣な表情で向き直り、

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あ、なるほど」

 

 くるくると進行する会話に、レオンハルトは困惑顔で、

 

「え、いや、でも」

 

「レオンさんには何も言ってないでしょう?」

 

「あっ、はい」 

 

「それに、久しぶりに二人でお酒、飲みたいし。レオンさんも、私と一緒に外飲み、したいと思うでしょう?」

 

「え、あ、いや」

 

「飲みたい?」

 

「飲みたいです」

 

 黒い瞳に射抜かれて、レオンハルトはすばやく白旗をあげた。

 こういった時は、逆らわないが吉なのだ。

 そんな彼の様子にアーサーはくつくつと笑って、

 

「じゃあな、レオン。俺はこれから、可愛い子と飲みだから!」

 

「あれ? お前、さっきはクエスト探しに行くって」

 

「言葉の綾だよ。じゃあな!」

 

 そう言い残すと、アーサーはさっさとかがり火亭の店内へと戻っていった。

 呆然とした顔でアーサーを見送るレオンハルトをよそに、店の奥からジョッキ片手に酒樽を一つ転がしてきて、

 

「さあ、レオンさん。飲みますよ。今夜は黄金芋酒です。お会計は先週のクエスト達成報酬から出しておきましたので」

 

「えっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だいたいあなたは近づいてくる女の子に対して甘すぎるんです、もう少し節度をもってですねぇ」

 

「いや、モミジさん、もう分かったから、そろそろお酒は止めた方が」

 

「なんにも分かってないですぅ! ちゃんと聞きなさい、ばかぁ」

 

「あ、いや、うん、でも、ほんとにもう飲み過ぎじゃ」

 

「なにいってんですか、あ、さては、レオンさんはまだ酔っていませんねぇ?」

 

「いや、俺も結構キテるっていうか、もう頭が痛いし……ちょっ、顔近い!」

 

「どんだけ飲ませれば酔いつぶれてくれるんですかぁ? どんどんアルコール耐性つけてくれて、コッチはもう初回サービスからすっかりご無沙汰で溜まってるんですよぉ。目を離した隙にどこかへ行ってしまうのではないかと、私は気が気でないというのに、イチャイチャいちゃいちゃ」

 

「え、ちょっと、何の話?」

 

「……ああ、そうそう、これはとあるホモ野郎から聞いた話なんですけどね。お尻からお酒を飲むと、アルコールが良く回るんですって」

 

「それヒヒガネさ……え、ちょっと? モミジさん? その手に持っているモノは一体な」

 

「えいっ」

 

「うっ」

 

「…………寝ました? 寝ましたね? 

 まったく、世話が焼けるんですから」

 

 

 

「…………イキますよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガンガンとうるさい頭痛に意識が鈍く覚醒していく。

 窓から射し込む朝日に馴染みある煩わしさを覚えながら、レオンハルトはぐったりとした気分で身体を起こした。

 ドンドルマによくある宿の一室のようだ。

 白い毛布がはらりと落ちて、筋肉で覆われた上半身が目に入る。

 

 ハンターになりたての頃とは比べものにならないほど盛り上がった胸筋、筋の張った腕、力を入れずとも浮き上がる腹筋。

 子供心に憧れた自分の姿だ。

 それは、掛け値なしに嬉しいものだ。

 よくここまで生き残ってきた。

 よく頑張ってきた。

 

 寝台から立ち上がって、鈍痛の走る頭を抑えながらインナーを拾う。

 酒が入りすぎた、今日は昼からクエスト対象地域へ出る気球船に乗るから、それまでに体調を整えなければ、ラファエラが失踪したときの対処法はどうすべきか、そういえば、どうして翌朝に支障を来すほどに飲んだのだろうか。

 ふと、昨晩は何をしていたのかということに思いを巡らせて、

 

「…………あれ?」

 

 俺は、いつここに来た?

 

「確か、昨日はアーサーのやつと飲みに行って、モミジさんが来て、二人で一緒に飲んで……あれ?」

 

 部屋の中を見回しても、この場所にきた記憶はない。

 腕に鼻を近づけると、かすかにフローラルな香りが漂ってきた。

 昨晩は風呂に入ったのだろうか。

 記憶を失うほどに飲んでいたとは…………。

 

 

「……あれ?」

 

 ふと、今し方身を起こしたベッドの枕元に、見覚えのある髪飾りが落ちているのを見つけた。

 拾ってみるとそれは、オレンジ色の葉っぱを模した飾りの付いた、銀色の簪だった。

 

 …………。

 

 

「え?」

 

 

 

「え?」

 

 


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