「…………」
「だんまりかよ。じゃあ、俺の得意な勘で勝負しようかな。師匠にも認められてる勘だ、きっと答えを当ててみせよう」
彼は、机に手を突いて、
「手元に置いておきたいのか?」
そう切り出した。
「……それに私が答える義務は?」
「義務はないッスよ。これは
アーサーは、ひょうきんな顔のまま続けた。
「アイツは昔から、ずっと遠くにいる奴だった。手綱を操っていないと、すぐにどこかへ飛んで行っちまいそうだったもんな。正解?」
「さて、どうでしょう」
モミジはいつも通りの微笑を浮かべて応じる。
「うーん、良い線行ってると思ったんだけどなぁ。それじゃあ……あ、他の女の子のところに行ってしまわないようにしたかったとか! アイツ、女性耐性低そうだからなぁ」
「それはどうかしら」
「あ、酒飲んだら違うかもな。アイツは微妙に絡み酒だし、酔うと口数多くなるし」
ウンウンと唸るアーサーは、あっとわざとらしく声を上げて、
「今、アイツ古代林にいるんだっけ」
「ええ、そうよ」
「弟子をとらせたって?」
「ええ。彼の成長を促すためにも、頃合いだと思って」
「一ヶ月も狩り場の専属契約」
「ええ。拠点復興のためもあったから」
「偶然?」
「ええ」
「本当に?」
「……何が言いたいのかしら」
目を細めて笑う受付嬢に、アーサーは不思議そうな顔をして、
「いやね、どうして、“【白姫】ラファエラ”の到着を待たなかったのかなぁって思って」
会議室に、一瞬の静寂が降りた。
「狩り場を設定するときは、大抵ギルドがG級を派遣するじゃん。G級の彼女に応援を頼むのが普通だと思うんだけど」
「今回の件における適任者は、古代林のことを熟知しているハンターでしょう。今はまだ、古代林は龍歴院の管轄下にありますから、彼女は古代林での狩りになれていない」
間髪入れずモミジが反論するが、
「じゃあ、弟子を連れて行くことを許可したのはどうして?」
「……それは」
「わざわざ環境の不安定な狩り場に行くんだ、でも足手まといになる可能性のある新米を連れて行っても大丈夫だと貴方は判断した。つまり、慣れ不慣れはあんまり関係なくて、今の古代林も環境が比較的安定してるっていう理解があったんじゃない?」
「……彼ならばという信頼の上です」
「あのさぁ」
アーサーは腰掛けるモミジのすぐ横に立って言葉を続けた。
「それは、万全を期した上でG級を送る必要性を感じていないってことじゃん。それ、レオンハルトがG級の、しかも並みのG級ではないくらいの実力を持ってるって考えてるのと同じだよな?」
「…………」
「……もしかして、ラファエラたんとレオンハルトを会わせたくないとか?」
「彼女は関係ないでしょう」
モミジの怜悧な視線がアーサーを射抜くが、男はどこ吹く風というようにひょうきんな笑みを止めない。
「うーん、やっぱり
「恋は
「受付嬢はハンターの実力を判断するプロだから、アンタがレオンハルトをG級に昇格させないと言うなら、俺はそれに従う他ないわけで。……でも、分かってるよね?」
アーサーは、青空の下に広がる牧歌的な風景に目を細めながら、こっそりと呟いた。
「
その言葉に、モミジは眉一つ動かさずに、
「…………分かっています」
「ん? ……あ、あー!」
アーサーは突然、大きな声を出すと、モミジの背中に向けて、
「もしかして、それ狙い? たとえ上級のままでも、実力が伴っていればいいんだ。G級レベルのハンターなら、ギルドも引き止めたがるはずだよな。搦め手を使ってでも」
ニヤニヤと笑うアーサーの発想に、モミジはようやく苛立ちの籠もった表情を向けて、
「貴方、本当に擦れたわね」
「褒め言葉として受け取っておくよ。それで?」
「貴方の憶測を仮に採用するとしたら、私が彼をG級に昇格させない理由にはならないわ。お話はそれだけ? ならもう良いでしょう、私にも仕事があるの」
すっと席から立ち上がり、スタスタと歩き出したモミジの横に慌てて並んで、アーサーは媚びを売るような笑みで話した。
「ご、ごめんね? 絶対怒ったよね?」
「…………」
「煽るようなことを言って、本当に申し訳なかった。
でも、上は本当に彼を必要としているんだ。アンタを煽ったのも、俺が色々急かされているからなんだよ。なぁ、ゴメンって。俺もさ、人の気持ちのどうしようもないことは分かってるつもりだから。俺に出来ることなら協力するから!」
「…………彼は」
会議室の扉の前で止まったモミジは、追随して足を止めたアーサーへと振り返って言った。
「G級は格別に危険だから、昇格させたくない。例え彼でも、死ぬかもしれないから。それだけです」
ぽかんとした表情を浮かべたアーサーにニコリと微笑んでから、モミジはガチャリと扉に掛けていた鍵を開けた。
「…………師匠は」
そんな彼女に、アーサーはポツリと呟いた。
「仲間だった
どこか伺えぬ感情に押されるようにして、アーサーは文脈の繋がらない言葉を続ける。
そこには、彼自身の複雑に絡み合った心情が混じっているようだった。
「…………アンタは、そのために弟子をとらせたのか?」
憤りとも、悲しみともつかないそんな彼の言葉に、モミジはちらりと流し目を送ってふわりと微笑み、
「……情で押そうとしているのですか? 残念ながら、私の決心はその程度では動じませんよ?」
会議室にポツンと残ったアーサーは、椅子に座ったまま、しばらく考え込んでいた。
「……うまくいくわけないだろ、そんなの」
何だかんだで詰めが甘いと師匠に何度も言われてきた通り、自分はやっぱり甘いハンターだったようだ。
私情は切り捨てることこそ、
これ以上は流されちゃいけない、ただの昔馴染みなだけだ、一番に考えるべきは
当然、色々と工作して彼女の思惑を外させるのが正解だ。
モミジのやり方は、綱渡りどころの騒ぎじゃない。
ネルスキュラの垂らす糸か、背面のガララアジャラの鳴甲か、どちらか一つが生き残るための選択肢で、どうみても彼女のやり方はうまくいきそうにない。
アーサーの知る彼女は、そんな思い切ったことが出来る人間ではなかった。
絶対に成功するはずのない勝負だ。
下手をすれば、ギルドを敵に回すような、そういう危険な賭けなのだ。
彼女だって、自分の置かれている状況が、アイツの周りのことが、どんなものかはよく分かっているのだ。
今日の話しぶりからも、それは確かだった。
追い詰められたからか、得意の人誑しなのか、狂言なのか、本当に狂ってしまったのか。
ギルドナイトにあるまじき自分勝手さ。
「――面白くなってきたッスねぇ」
鼻歌を歌いながら会議室を出るアーサー。
その顔には、泣き笑いする道化師の化粧をし終えていた。
エイドスさんも人使いが荒い。
この状況で、どうやってアイツをG級に上げさせると言うのか。
それを俺に押しつけてきたところもたちが悪い。
友だちとしても、アーサーという人間としても、この上なく嫌な仕事だった。
「ま、アイツはG級に上げるけどね」
情だけでは動かないような決心で動くのが、俺たちギルドナイトなのだから。
▼ △ ▼ △ ▼ △
一方、ベルナ村の武具屋へ
「ポワレ、首尾は?」
「バッチリです、お嬢。先方も満足頂けたようでした。まあ、今回は上位ガララアジャラの卵でしたからね。ウヘヘ」
「そう」
書類への記入をする手を止めずに、モミジは短く、
「当然だけど、くれぐれもギルドにはバレないようにして。一部の活動が露見してるから」
「ヘヘッ、分かってまさぁ。ギルドナイトに感づかれると厄介ですからね。あいつらの
【我らの団】が運んできた資材をロープで括り付けながら、ポワレは愉しそうに言った。
「……
「それが、裏ボスのことは本当に情報が少なくて、存在している噂があるという情報しか……」
「……そう、いいわ。ありがとう」
「ウヘヘ、申し訳ねぇです……」
これでいいのかと自問して、これ以外の道はないと自答した。
どう言い繕おうと、この気持ちには抗えないし、消去してしまうことも出来ない。
いきなり弟子を押しつけたことは失策ではなかったか、常識から逸脱している彼をあの少女にあてて、何も問題はなかったのか、彼に踏み込んでしまったことは間違いではなかったのか。
倫理は、首尾は、職務責任はどうだっただろう。
後悔することはたくさんある。
それでも、何故かは分からないけれど、ここで逃げてしまおうとは思えなかった。
大丈夫、あの人の強さは人外の域にある、少女一人を守るくらいはワケないはず。
むしろ、狩り場においては、彼の後ろが一番安全な場所なのだ。
あの子はハンターになりたいんだと、強い眼差しでそう言った。
どんなに苦しくても、格好いい英雄になりたいんだと。
自分を重ねたんじゃない、一人の少女の将来を奪ったんじゃない、大丈夫。
ギルドナイトの職に就いてから捨てていたはずの良心に、大丈夫、大丈夫と言い聞かせる。
今日、【白姫】と会うことが出来たのは、もしかしたら自分にとってプラスだったかもしれない。
自分の中の、一番奥から沸き上がってきたこの感情は、捨てることなど出来やしない。
彼女には、少しきつく言い過ぎた。
ラファエラさんは分かりにくい人だけど、よくよく見れば彼女の人となり、感情なんかは分かるのだ。
同じ土俵にいない人には全く興味を示さないけど、根っこの部分は心優しくて、今日は私の言葉に明らかに傷ついていた。
訓練所にいた頃は、いつも独りでいた彼女に近づこうと努力していた。
もしかしたら、私を友達か、そうでなくてもそれなりに親しい存在だと思ってくれていたかもと、モミジは夢想した。
【白姫】ラファエラは、ほとんど人に話しかけないことで有名だし、初対面の人間には絶対に目も合わせない。
少なからず、私という人間を覚えてくれていたのだ。
そのことが、少し嬉しくもあり、心苦しくもあった。
でも、とモミジは心の中で呟く。
彼女に遠慮して、彼の横に立つことを諦めるなんて無理だ。
どんなに逃げようとしても、この気持ちからは逃げられない。
どんなに悲しくても、彼の横を誰かにとられてしまうかもしれないことを思えば、何と言うこともない。
フルフルを模した人形を抱いて、静かに涙を流す。
彼がくれた初めてのプレゼントだった。
訓練所にいた頃、「フルフルが好きだ」と言って周りをドン引きさせていた彼のことだ、きっとそれが一番のプレゼントだと思って贈ってくれたのだろう。
こんなに近くに来たのに、どうしてこれほど遠いのだろう。
でも、その痛みすらも心地良い。
「もう二度と、置いていかないで」
ああ、なんて。
なんて苦しくて、幸せな気持ちだろう。
その気持ちを抱くことに、後悔は覚えなかった。