プロローグ
「――【灰刃】、ですって?」
言ってしまってから、自分の声に含まれていた霜があまりに冷たすぎることに気が付いた。
ハンターにはいつも笑顔で接しなければいけない受付嬢として、これはあるまじき失態だ。
だけれど、これは聞き逃せない。
コクリと頷いた“白雪姫”に、モミジは声の温度を上げることなく問い詰める。
もはや相手がG級であるだとか、そんな些末事に気を配っている余裕はない。
「“当院所属の”レオンハルト・リュンリー氏は、HR7のハンターです。龍歴院のギルド統括代理である私は、彼のG級許可証を発行しておりません。どうして彼に
普段から顔に張り付けている営業スマイルも今は引っ込められ、代わりに浮かぶ無表情の奥には、確かな怒りの火が灯っていた。
そんな受付嬢の憤激に、“【白姫】ラファエラ”はなんという感動もなく、ただ短く、
「……ハルは、“いしんでんしん”だから」
と、謎の言葉を放った。
「…………は?」
その短いフレーズの中に不穏な響きを感じ取り、思考が急加速した。
閉じこめていた心の奥から、変に熱いものがこぼれだしてきた。
いしんでんしんって、“以心伝心”のことよね。
意味は?さあ暗誦して。
以心伝心。言葉に頼らず、互いの心から心に意思や感情を伝えること。また、言語による説明がつかないような、深遠の事柄や意図の微妙な稜線を、相手の心に直接伝えてわからせること。ハンターズギルド発行『
彼女は『ハルは以心伝心』だと言った。
ハルとは?前後の文脈関係から言って『レオンハルト・リュンリー』のことを指しているのだろう。
つまり、レオンハルトとは以心伝心だから言葉を尽くさなくてもお互いの気持ちを伝え合えると。
なるほど。
ラファエラとレオンハルトは、いやレオンさんは、そんな風に互いのことを愛称で呼ぶような仲ではなかったはず、というか、その『自分だけしか使っていないニックネームなのよ』アピールはいったいどういう了見なのかしら、私の許可も得ずにそんな男女の深い仲に至っているなんておかしいわ、あの人は――。
レオンさんとあんたが以心伝心なワケないでしょう!?
マタタビに飛びついたアイルーがラリるよりも早く脳内討議で結論を出し終えたモミジ・シャウラは、目の前で微かに――本当に微かに――ドヤ顔をしているラファエラへと、その事実を叩きつけてやろうと決意した。
レオンさんと私の間に、貴方の入る余地はありません。
「いやぁ、アハハハハハッ!」
そんなモミジの狂乱が炸裂する寸前、二人の間に一人の人影が笑いながら割り込んだ。
「お二人とも、再会を喜び合っていただいてるトコ申し訳ないッスけど、とりあえずはその辺にってことで!」
ギルドから【蒼影】の称号を受けたG級ハンター、アーサー・クラットマンである。
日の光を受けてオレンジ色に輝く短髪をポリポリかきながら、
「荷物の確認とか今後の予定とか、
ニコニコと笑う彼の笑顔を、氷点下の瞳でじっと見つめていたモミジであったが、ようやくいつものペースを取り戻した。
「ええ、そうですね」
“同僚”にいつもの営業スマイルで頷いてから、【我らの団】の気球船へと歩み寄っていく。
いけない、少々取り乱してしまった。
少し落ち着こうと、モミジは静かに息を吐いた。
大丈夫、私が抱いている気持ちに間違いはない。
エゴでも、計算尽でも、何でも良い。
今度こそ、逃げたことへの後悔はしたくない。
正念場はここからだ。
「時にモミジさん」
龍歴院の建物内にある小会議室の一つに、ピエロ化粧を顔に施した【蒼影】のアーサーと、龍歴院受付嬢のモミジが、机越しに向かい合って座っていた。
「“卵シンジケート”ってグループに、聞き覚えはないッスか?」
彼の問いかけに、受付嬢は営業スマイル全開の表情で、
「卵シンジゲート、ですか? ……うーん、私は
「いやぁ、それが、ギルドの組織内に潜伏している構成員がかなりの数見つかったんッス」
「まあ」
「なんでも、卵、特にモンスターの卵を至高のものとして信奉している犯罪集団紛いのヤツららしいッス。今回の発覚もどうやら氷山の一角のようだと、エイドスさんが
「ええ、ごめんなさい。私の方でも調べてみるわ」
モミジの言葉に「秘密裏にお願いするッス」と笑い返すアーサー。
「……それで?」
「『それで?』って何ッスか、モミジさん」
人懐こそうな笑みを浮かべて、アーサーが身を乗り出す。
「分かっているんでしょう?」
冷ややかな視線をぶつけるモミジには、常の接客業務における愛想が完全に欠けていた。
「彼の……レオンハルト氏の称号のことよ。どういう了見なのって聞いてるの。
【灰刃】なんて名前、私は聞いていないわ。そもそも、彼はG級に昇格してすらいない。私が認めていないんだもの。どうせ、ギルドの長老衆かG級会議で勝手に決めた名前でしょう?」
「いやぁ、今回お話に参ったのは、ズバリそのことについてなんッス」
我が意を得たりとばかりに語尾を弾ませるアーサーに、モミジはふんと冷笑を浮かべて、
「G級許可証を書くつもりはありません」
「まだ何も言ってないのに……にべもないッスねぇ。ちなみに、理由をお聞きしても?」
「ハンターを観ることが専門の受付嬢としての判断よ。彼はG級に上がるにはまだ早いわ」
「それ、本気で言ってるッスか?」
今度は、アーサーが表情を消した。
冷たく熱せられた視線がぶつかり合う。
「アイツにG級ハンターたる実力が足りないと?」
その問いに、モミジは少し言いよどんでから、
「……ええ、そうよ」
しばらく見つめ合う二人。
「…………ハハッ。アンタも目が曇ったッスね。一体何に曇らされたのか」
噴き出したアーサーは、椅子に腰を落ち着けた。
「相変わらず失礼ね。それに、昔よりずっと不躾で嫌な奴になったわ。筆頭ルーキーの看板を背負っていたとは思えないくらいに爽やかさがない」
「それは申し訳ないッス。自分でもかなり擦れちった自覚があるッス」
頭をポリポリとかく彼は、ニヤニヤとした笑いのままで、軽口を叩いて油断したモミジに言葉を投げかけた。
「でも、ハンターの実力評価に自分の都合を混ぜちゃダメッスよ?」
遠回しなその物言いに、ドキリと心臓が跳ねた。
大丈夫、ボロはでていないはず。
表情筋を平常に意識して、言葉を返す。
「何のこと?」
「レオンハルトの実力が足りていないなんて、そんな事を本気で考えているようなアンタじゃないはずだ。そんな受付嬢は普通に外される。そして、その程度の目しか持っていないその他大勢は、龍歴院の統括受付嬢になんてなれるわけがない」
「……それは、脅しかしら」
声を押し殺して問いかけるモミジに、アーサーはにへらと笑って、
「そんなんじゃないッスよ。……ただ、これだけは伝えておくッス。上は、レオンハルト・リュンリーのG級昇格を期待してるッス。今のメンバーでは
「……それは――」
「もちろん」
何か言おうとしたモミジの言葉を遮って、アーサーは続ける。
その口調には、いくらか底の知れない感情が宿っているのを、モミジははっきりと感じていた。
「アイツには、それ相応に厳しいクエストが割り振られる可能性もあるッス。言葉を選ばずに言えば、死ぬ危険だって勿論高い。
けど、アンタも
身を乗り出したアーサーのオレンジ色の短髪に、白髪が数本混じっているのを見て、モミジは口を噤んだ。
「アイツはバケモノだ。“白雪姫”と同じ場所にいて、俺たちにも分かるくらいに、ラファエラたんよりバケモノだ」
「…………」
「今年の更新された『格付けランキング』、見ただろ?ラファエラたんが一位と僅差の二位で、レオンハルトが
「…………」
なおも押し黙るモミジに、アーサーは構わず言葉を紡いだ。
「昔から、アイツはどこか外れていた。今でこそこうして数字に出ているけど、狂っているとしか思えなかったくらいだ。俺たちの世代の中じゃ、ラファエラたんを一等、次点で俺、その後にレオンハルトを持ってくる奴もいるけど、それは違う。
二つ名ディノバルドと獰猛化イビルジョーを連日で狩る奴なんて、どう考えたってキチガイだ、脳味噌が沸いてる。あのラファエラたんだってそんなことはしない。
……あの出撃を許したのも、いや、あれをやらせたのもアンタだろ?」
「……成功すると、分かっていましたから。受注を許可しました」
「そうだろうな。アイツにはそれが出来る」
彼女の簡潔で完璧な自白を、アーサーは何と言うこともなく受け入れた。
「あの“【剛槍】ヒヒガネ”が、ラファエラたんに抜かれるのも時間の問題だってそう言うんだよ。俺たちの二個上世代でダントツのバケモノだったあの人が、狩りの累計で迫られている。そんなあの人も、ラファエラたんへの指導そっちのけで、レオンハルトのことを熱心にG級へ引き入れたがっている」
「……そうですか」
「ヒヒガネさんだけじゃない。【暴嵐】のゲンさんも、アイツのイビルジョー討伐数を評価してるし、男に全く興味を示さない【眈謀】の
G級会議では、賛成五、反対〇、棄権六でレオンハルトのG級昇格が既に承認されてる」
半分以上が棄権してるんですけれども、とモミジは心の中で思ったが、G級会議ではよくあることなので気にしてはいけない。
少なくとも、それが上の総意だと言うことだ。
アーサーは席を立ち上がって、カツカツと小会議室の中を歩きながら、核心を突く問いを発した。
「なぁ、どうしてアイツをG級に昇格させない?」
筆頭さんたちについては、ゲームでの扱いがあんまりに酷かったので多少の上方修正あり。