目隠しをしたまま太刀“骨刀”を持って佇む少女の周りを、ギャアギャアと鳴き交わすマッカォたちが、好機とばかりに囲んでいく。
彼女の持つ太刀の先は若干震えてはいたけれど、その構えを見るに、五日間の間でみっちり教え込んだ武器の扱いを身体が覚えているようだった。
危なくなったらアイマスクを取るように指示しているし、問題はないだろう。
レオンハルトは訓練が安全なものであるとしっかり判断した上で、大きな岩の上から辺りを見回した。
四頭のマッカォの群れは、大型モンスターとの狩猟において障害となるだろう、いわゆる『雑魚モンスターの処理』を覚えるのにちょうど良かった。
危険な大型モンスターたちと対峙するにあたっては、彼らから視線を外すことは自殺行為そのものだ。
自然界は、獲物の晒す隙や、ライバルの見せる油断を見逃すようにはできていない。
いざとなったら気配を頼りに攻撃を避ければいいのだろうが、正確なカウンターや的確な攻撃を仕掛けない限りは、ポテンシャルで劣る人間に勝ち目はない。
モンスターに限らず、命ある者は皆、刃で斬られればいつかは倒れる。
つまり、攻撃を受けなければ彼らを倒すことなど出来るわけがないのだ。
大型モンスターを前にすると、リノプロスやマッカォを代表とする小型モンスターたちのことは、どうしても意識の外に追いやってしまいがちになる。
しかし、一瞬の攻防が互いの生死を決定付ける過酷な狩り場においては、彼ら小型モンスター自身の生存競争行動が、致命的な結果を招くこともあり得るのだ。
小型モンスター、討伐対象外モンスターを舐めてはいけない。
ずっとソロで狩りをしてきたからこそ言える、絶対の掟だ。
かといって、彼らに気を取られすぎては全くの本末転倒になる。
だから、小型モンスターたちには視線を与えず、その気配だけを頼りにノータイムで殺せるようになる必要があるのだ。
「うーむ、我ながら完璧な育成計画だな」
幸い、ザブトンが仲介役として持ってきたギルドからのクエストは一通り消化し終えている。
今日は、ナッシェの鍛錬を全力でサポートしよう。
“アスリスタシリーズ”と呼ばれる蒼銀の防具に身を包むレオンハルトは、頭防具を被った。
顔全体を覆う青と黒の覆面が、古代林の緑の中へと溶け込んでいく。
長く鋭い槍の形状を持つ、銀色のガンランス──“ガンチャリオット”が日の光を反射して、血に飢えた獣のように砲身をギラリと輝かせる。
シダの葉の下、腰を低くして足を忍ばせながら、遠くから近付いてくるドスマッカォの頭上へと狙いを定めた。
▼ △ ▼ △ ▼ △
暗い。
何も見えない。
光のない場所は、怖かった。
嗅いだことのないニオイや、聞いたことのない音が聞こえてきて、それが堪らなく怖かった。
自分の服や汗のにおいが不気味だった。
ドクドクと音がする耳が気持ち悪かった。
でも、いくら手を伸ばしたって、暗い世界は変わらない、閉じこめられたまま変わらない。
私はただ、“フルーミット”を驚かせようとしただけなのに。
かくれんぼして、フルーミットはおバカだからきっと慌てて、そんなあの子に後ろから抱きついて驚かせよう─────。
こんなこと、しなければよかった。
誰かの後ろを歩いていないと、私はすぐに失敗してしまうのだから。
▼ △ ▼ △ ▼ △
カタカタと震える腕は、繰り返し続けた太刀の構え方をしっかり覚えていた。
どうすれば重い武器を振り回せるのか、重心の使い方や力の入れ方、武器の握り方まで、レオンハルトの全てを踏襲して、たまに入る彼のアドバイスを元に、ナッシェ自身の“太刀”を覚えたのだ。
大丈夫、私はだいじょうぶ、わたし、こわくない。
暗闇の中で幻視出来るくらいに身体が覚えた“骨刀”にしがみついて、ナッシェはブルブルと震え続けていた。
「ギャアッ、ギャアッ!」
「ひっ…………」
聞き慣れていたはずのマッカォの鳴き声が、突然悪魔の囁きの如く恐ろしいものに感じられた。
そんな危ないものは手放して、こちらへおいでよ。
四方八方から聞こえてくるその声に、ナッシェはあちこちに身体を向けなおしながら、いつ襲いかかってくるとも分からないマッカォに恐怖する。
風の音が聞こえる、木々の枝葉が揺れる音が聞こえる、地面のカビ臭いニオイが分かる、マッカォたちの獣臭さが分かる、鉄臭い血のニオイが分かる。
でも、何も見えない。
月のない晩だって、こんなに見えないことはなかった。
見える相手に、見える軌跡を重ね合わせて、そのままあの美しい弧を追いかけるだけ。
今は、何も見えない。
こんなのは一秒だって耐えられなかった。
ナッシェは、そばから見守ってくれているというレオンハルトの言葉を信じていた。
だいじょうぶ、だめになったら、先生がたすけてくれるから。
呼吸を落ち着けようとして、ふと意識の端に、飛びかかってくる“もや”を
「っ!?」
どうしよう、きたんだ、きっく?かみつき?跳んでるの?はしってきてるの?なにをされる?なにをされる?
いやだ、死んじゃう。
アイマスク、さっさと取ってしまえば良かった。
永遠にも感じられるような一瞬の中で、ナッシェは真っ暗な自分の心の中に、アイマスクを取りたがらなかった自分を見つけた。
何も見ていないはずなのに、全てが見えているかのようにマッカォの群れを殲滅していくハンターの勇姿。
降り注ぐ血と臓物の雨の中、必殺の刃を振り続けるあの人のような、圧倒的な英雄の偶像に、どうしようもない憧憬を覚えていた。
もしかしたら、自分もあの場所にいけるかもしれないと、そんな欲が出てしまったのかもしれない。
もう、どうにもでもなれ。びば、人生。
目を閉じても変わらない暗闇の中で、太刀を振るう
太刀を縦にして、襲ってくる衝撃を後ろに流し、反動をそのままにカウンターの一撃。
「────ギッッ」
肉を断つズブリとした感触が手に伝わってきて、あとは目の前のお手本通りに身を引くだけだった。
跳びかかりの勢いのまま、ドシャリとマッカォの身体が地面に落ちたのを感じる。
やった…………?
“もや”のようなものが消える。
代わりに、はっきりとした白い何かが、真っ暗闇の中に三つ現れた。
その中を、誰よりも速く縦横無尽に動き回る憧憬の背中を、ナッシェは夢中になって追いかけた。
正確な突きで腹部を切り裂き、斬り払いで一匹を掠めて牽制しながら、後ろへと振り抜き、頭を飛ばす。
動揺する足音の主へと方向を転換して、押し切るようにもう一頭。
気づけば、古代林に吹き渡る風の音だけが聞こえてきた。
その風に乗って、遠くからヒタヒタと走ってくる獣の気配が流れてきた。
一、二、三…………五頭。
風の髪を弄るに任せ、神経を集中して心を落ち着かせる。
大丈夫、私なら出来る。
今の太刀筋は、これ以上ないほど完璧だった。
すなわち、たった今、あの刃の軌跡に最も近い場所に立っていたのだ。
心が
あの人の隣に、自分がいる。
「いけるか?」と背中合わせに聞いてくる英雄の声に、
「うんっ!」
と答えて、ナッシェは前方へと走り出した。
もう止まることは出来ない。
塔の上で救済を待つ“囚われお姫様”の夢より、英雄の隣に立てる夢を見る方が、ナッシェは好きだった。
誰が何と言おうと、レオンハルトというハンターは、ナッシェにとって最高の英雄だった。
雷雨の中で壊れた暴食を叫ぶイビルジョーを、完膚無きまでに叩き潰したその背は、すぐ目の前に立っている。
目の前ではダメなのだ。
その隣に、私は立ちたい。
存分に教え込まれた太刀の振り方を遺憾なく発揮する。
飛びかかってくるマッカォを飛び込みながら避けて、すぐさま方向転換、“ブーンてなって、バーンみたいな”気刃斬りの一文字斬りを繰り出し、後ろに回り込んだ
残り二匹。
逃げ腰になった肉食モンスター。
“ブゥゥゥン”と気を溜めながらバックステップ。
全力の踏み切りで前に跳び、回転斬りを二連続で叩き込んだ。
緑色の胴体と泣き別れするマッカォの頭を、暗闇の中から見る。
心臓の高鳴りが、今は心地良い。
きっと、足りていなかったのはこれだったんだと、ナッシェは陶酔の思いで悟った。
血沸き肉躍るような、真っ赤で熾烈な闘争の中、レオンハルトの剣を作るモノの一端にナッシェは手を伸ばして────。
違和感に気づいた。
それは、視界に頼っていた常ならば分からなかっただろう、ほんの小さな違和感。
どこがおかしいんだろう。
手?耳?鼻?────足?
こちらへと近付いてくる
理解の埒外を突き進んでくるそれは、ここ最近で最も自分に向けられた意志──明確な殺意をもってナッシェへと接近していた。
それはまるで、大地そのものが彼女へと牙を剥いているかのような、恐ろしい感覚だった。
お前は、足を踏み入れてはいけない場所に来てしまったのだと、大いなる何者かが怒号を上げて迫り来る。
ガクガクと揺れる身体は、地面の動きによるものだった。
恐怖からくるものではないことにひとまず安心する。
全身から余計な力が抜けて、とりあえず太刀を構えた。
それは、ナッシェにとって全く自然な行動になっていた。
真っ白になる頭の中に、得体の知れない感情がわき上がってくる。
そうして、アイマスクをつけたまま血の海の上に立つ少女は、真下から飛び出してきたブラキディオスの爆砕拳に、小さなお腹を防具ごと殴り上げられた。