ハンターズギルドは今日もブラック【未完】   作:Y=

29 / 67
エピローグ

 

 チカチカと白い月光を反射する小川の水面は緩やかに流れ、群影を成す稚魚たちが元気いっぱいに泳いでいる。

 

 浅く澄んでいる川の底は瑠璃色の石が散らばっているように美しく、青々と茂った木々に周りを囲まれていた。

 

 ベースキャンプ近くの、沼地では希少な『濁っていない』水。

 

 腰を(かが)めて、流れてくる川の水をすくっては、チャプチャプと肩にかけ、顔を洗う。

 

 自分の流した汗や涙、ゲリョスの返り血、色々な体液が、清らかな流水にさらわれ、少女の柔肌から落ちていく。

 

 夜空にかかる白雲の切れ間から青白い月が顔をのぞかせ、静かに身を清めるアナスタシアの顔をほのかに照らした。

 

 乱れた亜麻色の髪が緩やかな川の流れに乗せられて、ゆるゆると広がり、ほぐされていく。

 

 閉じていた目を開けて、ほっそりとした手で滑らかな腕をこすり、つるつるとした腕やわきの下を指先で丁寧に洗う。

 

 日に焼けた背中に手を回して、谷間となっている中心線に沿って手のひらで汚れを落とした。

 

 それから、栗色の瞳をキョロキョロとさせて、川底に横たわる丸い石を見つけると、ザプザプと水の流れをかき分けながら近づいて、影を作る石に腰を下ろした。

 

 水に浸かっていた胸の膨らみが顔を出し、プルリと小さく揺れて、薄桃色の先っぽから雫が飛んだ。

 

 武器を振れるのか怪しく思われるような、くびれのある細い腰を、優しく撫でるようにして洗いながら、徐々に手先を太ももの付け根へと近づけていく。

 

「ん……」

 

 小さな吐息が鼻を抜ける。

 

 鳴く虫もいない静けさの中、遠くの夜霧は微かな音も飲み込み、月夜はゆっくりと()けていく。

 

 首を大きく切り裂かれて息絶えたゲリョスの身体から剥ぎ取った皮は、水にさらして洗い終えていた。

 

 ようやく、あの幻影を振り切れた気がする。

 

 月を見上げる少女の顔は、全く憑き物が落ちたように晴れやかだった。

 

 アナスタシアの頬を伝った水滴が、ぽたりと川面に落ちる。

 

 小さな波紋は、緩やかな流れの中に沈み、少女の洗い落とした汚れと共に流れていった。

 

 

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 

 

 涼風が緑色の丘を駆け抜けて、(せわ)しなく移ろう秋と共に、頭に雪化粧をした山脈の方へと流れていく。

 

「────はい、クエスト達成確認しましたー」

 

 ベルナ村のクエストカウンターで、受付嬢のフローラが手元の羽ペンをサラサラと動かして、黄土色の羊皮紙にサインをしながら、暢気な声でそう言った。

 

「ありがと、フローラ」

 

「いえいえ。アナも、これでディノバルドも討伐だねぇ。びっくり大躍進じゃん!」

 

「それほどでも……ないかなぁ」

 

 ハンターランクは一応五だし、と苦笑するアナスタシア。

 

「それほどでもあるよ!こないだのゲリョスクエストを成功させるまでの討伐数分かってる?セルレギオス二頭、ドスジャギィ一頭、あとは小型モンスターかゼンマイ採り、以上!は!?って感じだからね!?」

 

「分かってるよ…………」

 

「そんなハンターがここ一ヶ月で、フルフル一頭、ガララアジャラ三頭、リオレイア一頭、ナルガクルガ一頭、ホロロホルル二頭、ナルガクルガ亜種一頭、ライゼクス一頭、タマミツネ一頭、ショウグンギザミ捕獲一頭!狂ったように狩りまくり!なんでやねん!なんでやねんっ!!」

 

「フローラ、どうどう。落ち着いて」

 

「これが落ち着いていられるかー!!アホじゃないの!?

 クエスト受注率メッチャ高いじゃん!レオンハルトさんという稼ぎ頭がいない今、ベルナ村の救世主はアナだけなんだよ!?これで私の評価もうなぎ登りね!」

 

「おい」

 

 赤茶色のゆるふわヘアーをブンブンと振り回すフローラを宥めながら、アナスタシアはクエスト掲示板に貼り付けられた依頼書に目を通す。

 

「実際さー、あのゲリョス討伐でなんか変わったんでしょ?」

 

「…………分かるもんなのね」

 

「分からなかったら、受付嬢なんてできないよ!私、こう見えても、ハンターの調子とか見て色々アドバイスする立場だからね?」

 

 えへんと胸を張るフローラ。

 悲しいかな、まな板の上で強調されるのはドヤ顔だけである。

 

「そう…………。はぁ、ほんと、フローラが受付嬢で良かったよ。龍歴院の方はあの女ギツネがやってるから、クエストを受けようにも受けられないし」

 

「え、なんで?紅葉(モミジ)さんだとだめ?」

 

「それは、だって、ほら、私こないだまで全然ダメダメのハンターだったじゃん?そう言うこと知られるとさ、何というか、こう、アレじゃん?」

 

「あー、レオンハルトさんを巡る恋愛戦争に不利だと」

 

 したり顔で頷くフローラ。

 

「そ、そんな事は言ってないでしょ!?」

 

「でもそうでしょ?『ライバルのあいつにこのことを知られると、あの人に私のダメなところを言わない代わりに~、とか言われちゃう!』みたいな」

 

「ち、違うし」

 

 日に焼けた頬を僅かに赤く染めながら、アナスタシアは否定した。

 

「『ああ、私のことをもっと見て欲しいけど、こんな私は見られたくないの! どうしよう!』」

 

「そろそろ口閉じて? 殴るよ?」

 

「はいはい、乙女乙女」

 

 襟元を開けて、ヒラヒラと手を扇ぐフローラに、アナスタシアは溜め息を吐いた。

 里にいた頃は、同年代の友だちなんていなかった。

 今は、こうして気を許して話し合える友だちがいる。

 その変化は、少なくとも悪いものではないはずだ。

 

「大丈夫だよ。アナがダメダメハンターだってことは、多分紅葉(モミジ)さんも知ってるし」

 

「え、なんで?」

 

 まさか、と顔色を変えるアナスタシアに、違う違うと手を振って、

 

「私が告げ口したってことじゃないよ。

 ほら、アナって“クルマルの里”から引き抜かれたハンターなわけじゃん? 十五の女の子が、精強(バケモノ)揃いで知られてる辺境から送られてきた“最高の戦士”って言うんだから、ギルドも当然注目するし。

 その子がG級の、しかも極限化個体のセルレギオスを一頭討伐してそれっきりだって言うのは、アッチでも確認済みだと思うよ。

 G級の極限化セルレギオスは、あの“白雪姫”が倒したっきりだったから、結構騒がれてたもん。

 アナが積み上げてきた大量のクエスト失敗とか、それも含めて、あの人が確認してないとは思えないよー」

 

 抜け目ないんだよねぇ、と感心するように頷くフローラ。

 

「でも、私のこと、そんな風に言ったことなんて一度も…………」

 

 困惑するアナスタシアに、

 

「だって、ほら、あの人、わりとウソツキだし」

 

 と、こともなげにそう言った。

 

「…………そうなの?」

 

「まっ、悪い人じゃないし、レオンハルトさんを除いて八方美人貫く人だけど、優しいよ。弟子だった私が言うんだから間違いないよ」

 

 そう言って、またドヤ顔をするフローラ。

 この少女は、どうしてここまでドヤ顔が似合うのだろうか。

 

 顔馴染みの、けれど一度もクエストの斡旋をしてもらったことはない受付嬢の営業スマイルを思い浮かべながら、アナスタシアは依頼書の一枚に手を伸ばした。

 知られていたなら知られていたで良い。

 今となっては、そんな小さなことに拘って、一歩踏み出すことを躊躇っていた自分さえ、可愛いものだと思える。

 あの時前に出した足は、少なくとも間違ってはいなかったと、確かにそう思えた。

 

「ところで、レオンハルトさんのことなんだけどさ」

 

「…………何?」

 

 “ティガレックス一頭の討伐”と書かれた依頼書を手に取り眺めながら、何でもないことのように話を振ってきたフローラに、何でもないような顔をしながら聞き返すアナスタシア。

 

「今日辺りに古代林から帰ってくるって、さっき紅葉(モミジ)さんが嬉しそうな顔して言ってたよ。なんか、資材運びの護衛ついでらしいけど」

 

「ふーん…………、…………そう」

 

 カランコロンとベルが鳴る。

 ムーファの間延びした鳴き声。

 耳元を吹き抜ける風が、亜麻色の髪をサラサラと流した。

 

 今日もベルナ村はのどかだ。

 風が心地良い。

 

 少しの間沈黙を守ってから、アナスタシアは事も無げに口を開いた。

 

「…………うーん、今日はちょっと、お仕事休もうかな。最近、連日クエストに出てたし、疲れも溜まってきてる気がするし、そろそろゆっくりお風呂に浸かって、一眠りくらい入れなきゃかなぁと思ってたんだよね」

 

「ふーん。そーなんだー。それじゃあしょうがないねー」

 

 独り言のような棒読みをするアナスタシアに、フローラはニヨニヨと笑いながら相づちをうつ。

 もちろん棒読みである。

 

「そう言うわけだから、じゃあまたね」

 

「うん、またねー」

 

 背を向け、手を振りながらスタスタと歩いていく黄金のハンターの後ろ姿を身ながら、フローラはひとりごちた。

 

「みんな分かりやすいなぁ、もー」

 

 

 上がる口の端を手で隠しながら、ホームに戻る少女の腕から、狩りに赴けなかったことに文句を言うように、エルドラーンが空に飛び立つ。

 

 金色の翼が、太陽の光をキラキラと反射した。

 

 

 

 

 そんな様子を建物の陰に背を預けながら見ていた男が、ぽつりと呟く。

 

「みんな面倒だなぁ、もー」

 

 白化粧の施された頬を小さく歪めながら、青いマントを翻して、静かにその場を去っていった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。