古代林。
それは、悠久の時の隔絶を思わせる、原始の森と草原の広がる場所。
大陸の広範囲に渡って広がるウガディング火山帯の作り出す独特の地形と熱水蒸気に守られながら、今日まで旧きの面影を残す大フィールドだ。
「……ついに来てしまった」
穏やかに立ち上る火山の煙を遠くに眺めながら、ベースキャンプの近くにある丘の上でレオンハルトは呟いた。
首筋を吹き抜けていく暖かい風。
古代林は、その地形的な要因もあってか、温暖な気候が特徴である。
相も変わらず足下の土は固くなく、様々な狩り場に行くハンターにとって、“ベストとは言えない狩り場のスタンダード”であるこの古代林は、狩猟経験を積むのにいい場所なのだ。
ベルナ村から気球を使って十五分針で来れる距離にある、というのも素晴らしい。
植生の豊かさは言うまでもなく、それに集うモンスターの多様性や、厳しすぎず、けれども危険と隣り合わせの野営、ハンターとしての経験を培うのに、これ以上の場所はない。
自分がハンターとしての経験を培った
と言うわけで、ここ古代林が、心躍る『一狩り行こうぜ!』の初舞台である。
ここからは、気を引き締めていかねば。
移動の間は、ナッシェと一言も言葉を交わさなかったけどな。
……コミュ障はつらいよ。
とにもかくにも、まずは野営訓練である。
時には長距離の移動や、何十日にも渡る狩猟を行うハンターにとって、野営の技術は無くてはならないものだ。
「……『ドキドキ♡後輩美少女と秘密の合宿』!
……うむ、いいな」
エロもあるよ、とかだったら、即買い不可避の娯楽本になるのに。
ああ、誰かそう言う系の本を書いてくれないかな。
家に置くのは
「…………ぁの」
「夜はあの湖を使って……ふひひ…………」
「…………。……あ、あの」
「もしかすると、緊張のドキドキを一緒にいるドキドキと勘違いして──という例の都市伝説、“一狩り効果”に巡り会う可能性も……!」
「あのっ」
「うっひゃわぃぉうッ!?」
すっかり妄想に夢中になっていたレオンハルトは、傍らからかけられた声に慌ててケチャワチャの鳴き真似で返した。
言わんこっちゃないと呆れ顔のザブトンは、集めた薪を黙って竜車のそばへと並べていく。
ベースキャンプ周りは、つい最近緑色の悪魔に破壊されたせいで急拵えの状態である。
ベッドが新品なのはグッドポイント。
「な、な、ななな、ナッシェ、何かな?何か用事かな?問題発生?い、いきなり話しかけるのは無しだぞ?さすがのレオンハルトさんもびっくりだぜ、おうおう」
ダラダラと冷や汗を流しながら、妄想という名の独り言を聞かれていたのではとナッシェの様子をうかがうレオンハルト。
オットセイの鳴き真似は、焦ったときに出てくる少年時代からの癖である。
どこまで聞いていたかとかは、怖くて聞けない。
いつも独りで狩り場に来ているためについてしまった独り言の癖が、二人での狩り行きに慣れてきた矢先に出てきてしまった。
隣に人がいる状況に慣れてしまうとは、思ってもみなかった事態である。
慣れって怖い。緊張感ゼロ、ダメ、ぜったい。
「…………そ、その、えっと」
口ごもるナッシェ。
「い、言いにくいことかい? 大丈夫、俺は大抵の酷い罵倒にはある程度耐性があるし、文句や罵声ならどんとこいだぞ!」
むしろご褒美ですと続けそうになったが、なけなしのプライドと理性で抑え込んだ。
なお、垂れ流していた妄想について一言もらった場合は、何もかも忘れるために近くの川に走って
人間誰しも、綺麗さっぱり洗い流したい汚点の一つや二つはあるものだ。
「いえ、そう言うことではなくて…………」
目線を下に向けて言い
少し緊張しているのだろうか、筋肉に僅かな硬直具合が見てとれた。
改めて、こうして向かい合ってみると、ナッシェの小柄な体躯に新鮮さを感じる。
レオンハルトはドンドルマ時代から背の小さい方ではなかったし、周りにいるアナスタシアや昔馴染みの
アナスタシアは大柄というよりも、すらっと長いタイプであるが。
ナッシェの年齢を考えれば、まだまだ成長の余地はあるが、それにしたって彼女の細さとちっこさはハンター全体を見渡しても奇異に映る。
まあ、ナッシェがドンドルマのギルドにいるような、ゴリラ型のハンターのようになってしまったら、それはそれで色々と死ねるが。
「こ、こうみえてレオンハルトさんのプライバシー保持能力はベルナ村一だ、何でも言ってくれて良い」
思わず想起した巨大なナッシェの像を頭から振り払うように、レオンハルトは言葉を紡いだ。
「あ、でもあんまりセクシャルな話題だと、今はアナもいなくてアレだから、そこら辺は適宜判断ってことで」
自分に出来る最大限のジョークを放ったレオンハルトに、ザブトンが「ニャんですと…………!?」と驚愕の視線を送っていたが、脱コミュ障を目指す当人は努めて無視した。
「秘密は守る主義だからな」
先生らしく、胸を張っていようと見栄を張るレオンハルトに、
「…………ふ、へ」
と、硬くぎこちないながらも、ナッシェがほんの少しだけ笑った。
ユクモ村の近くで見られる
プロのぼっちとして培ってきたぼっち力──簡単にはオトされない力──がゴリゴリと削られていく感覚に、痛みのある既視感が伴った。
同じ失敗はしまいと密かに身を引き締めるレオンハルトとは対照的に、彼の全力のジョークに多少気持ちがほぐれたのだろう、ナッシェは一呼吸置いてから、彼に尋ねた。
「…………その、なんとお呼びすればよいのかな、と」
顔を赤らめながら、レオンハルトのことをなんと呼べばいいのかと聞いてくる少女。
天使かと思った。
「…………そ、そうだね、狩りの時はサクッと呼べるような名前が良いだろうね、うん、レオンハルトはどう考えても長いし……え、ええっと………」
なんとか思考を復帰させながら、ピンク色に染まりそうになる脳みそを正常軌道に戻そうと躍起になる。
くっ、鎮まれ、レオンハルトの撃龍槍!
「まあ、俺は一応ナッシェの先生になったわけだし、先生とか、あ、師匠とかでもいいし」
一応、十年間もの間修正をし続けてきた台本には、「俺のことはレオって呼んでくれ!(イケボ)」との書き込みがあったが、いざそれを言うとなると若干どころではない気後れを感じたために没案となってしまった。
「ナッシェが呼びやすければ、どんな呼び方でいいよ」
結局、丸投げした。
会話経験不足が祟って、自分を呼んでもらうその呼び方でさえ決められないとは……。
「…………じゃあ、先生、って呼んでも、いいですか?」
そして、ナッシェの紡ぐ先生のフレーズは、レオンハルトの心の奥に深く染み渡った。
「……もちろん、いいね」
ああ、これだよ、これ。
エロエロとかえっちぃのとか、そういうもの無しで、自分の教え子に先生と呼ばれる感動。
いいね、グッとキタ。
「分かりました。レオンハルト先生、改めまして、今日からどうぞ、よろしくお願いします」
そうして、綺麗な角度のお辞儀をするナッシェに、
「もちろんだとも!」
気力が120パーセントほど回復したレオンハルトであった。
「それじゃあナッシェ、さっそく調合の練習といこうか!」
「ぇ」
「古代林は色々な素材が採れるからね!さあ、出発しよう!」
意気揚々と、素材が入るからっぽの背嚢を引っ提げて、レオンハルトは古代林へと踏み出した。
「…………せんせ、武器は…………?」
「あっ」