「極寒チェリーどうぞ。昨日買った奴だから新鮮だよ」
「あんたが神か」
「ついに敬語が外れたか…………」
チャブダイに置いたデザートの皿に目を輝かせるアナスタシアが、順調に自分より偉くなっている現実に、レオンハルトは小さくため息をついた。
「それじゃあ早速いただきま──」
「あ、ちょっと待って」
と、レオンハルトがアナスタシアを遮った。
「…………センパイ、一体なんですか?こんな美味しそうなデザートを前にして待てとか、私はあと少しでお腹空きすぎてイビルジョーになりそうですよ。これでどうでも良いことだったら、センパイの頭かじりますよ」
「断固拒否する。てか、お腹空きすぎって、さっきまでサンドイッチ食べてたよね?猛烈な勢いで食べてたよね!?……あ、だからイビルジョーなのか…………。
…………はぁ、二人とも、午後から古代林の狩り場に行く予定だから、そのつもりで」
「…………はい」
神妙な顔で返事をしてくれるナッシェ。
師匠と弟子が板に付いてきたようで嬉しいけれども、慢心はいけない、後輩の指導は手を抜いてはいけない。
それは、彼女の命を奪うかもしれない。
そんな風に自分を高めていたレオンハルトに、
「午後は千刃竜狩りに行くのでパスでーす」
打ち上げタル爆弾がヒットした。
「え」
「ぇ」
固まる二人を置いて、アナスタシアは、じゃあいただきまーす、と極寒チェリーに手を伸ばし始めた。
アナがついて来ない、だと?
てことはつまりええと、どういうこと?
ナッシェと二人きりで、狩り?
突如、無様に波打ち始めた心臓であったが、そう言えばこの間一緒にジョーを狩ったじゃないかと思い出した途端に落ち着いた。
それに、後輩に武器を教える算段なら十年以上かけて練ってきたのだ、今の俺に死角はない。
▼ △ ▼ △ ▼ △
そうして、武器と防具を取りにアナスタシアがあっさりと引き上げていった後。
「……………………」
「……………………」
すっかり部屋を片づけ終え、午後の予定に必要と思われる道具も準備し終えたレオンハルトは、盛大に沈黙していた。
それに返すのは、やや緊張したナッシェの沈黙。
静まり返った部屋に、午後のけだるげな空気が降り、満腹と相まって昼寝を誘われる、そんな沈黙。
あるいは、話すべきことはあるけどどう切り出したらよいのか分からない故の、または、あらかじめ用意しておいたセリフを、いざ言ってみようという段階にきて二の足を踏んでいる故の沈黙。
そう、十年越しのあのセリフだ。
君は、どんな武器を使うの?
「…………」
“一狩り行こうぜ”の基本、初歩中の初歩、相手の武器種を尋ねる。
十年間このセリフをずっと大事に温め、温めすぎた故の緊張だった。
うたた寝に頷いてしまいそうな気持ちのいい空気の中で、レオンハルトは知らずゴクリとのどを鳴らしていた。
嫌に心臓の音が強く響く。
先ほどまでのアナスタシアがいる空間であれば、あっさりと出たかも知れないセリフ。
後輩の前で見栄を云々と彼女に言っておきながら、自分だって知らぬ間に見栄に支えられていたようだ、とレオンハルトは心の中で自嘲した。
そうして、そんなセリフを言うことを躊躇っている自分が改めて客観的に見えて、どうもかっこ悪いと思った。
コミュ障でぼっちな自分を受け入れていた今までを、否定しようとは思わない。
それこそが自分であり、レオンハルトという人間であった。
人と話そうとして失敗した苦い経験なら、叩き売り出来るくらいにはたくさんある。
ぼっちであることを、コミュ障であることを、後悔したことだっていくらでもある。
だけれども、そのことを恥に思ったことは一度もない。
ぼっちであることは、レオンハルトにとって数少ないアイデンティティでもあった。
それは決して、誰かに認められるようなことではない。
むしろ、後ろ指を指され、周りに嘲笑されるようなことだろう。
それでも、誰に認められずとも、ここにいるこの自分は、ぼっちであることは嫌いではなかった。
有象無象と群れずにいたことを、恥じたことはない。
誰かと持つ人間関係は、確かに未知のことであり、未知とは好奇心と恐怖を同時に誘うものだ。
しかしそれは、決して軽い気持ちで行っていいものではないように思われたのだ。
モンスターと交えるのは殺意の視線と刃のみであっても、その関わりは、重く、そしてかけがえのないものだ。
人と話すことを狩りにたとえるのは、端から見れば滑稽で下らないことのように見えるだろうが、主観的なハードルとしては同じくらいの高さにある。
それに、コミュ障ぼっちのレオンハルトにも、人間のコミュニケーションが、時には相手を傷つけながらも、何かそれ以上のものを生み出す大切な行為であると思えるのだ。
しかし、それは決して、今話すべきことを話さない理由にはならない。
その子供じみてかっこ悪い拒絶は、コミュ障ぼっちの人生が生み出した失敗となる。
それは、今まで壊さないようにと飾っていたガラス玉に唾を吐く行為であり、ぼっちとしての今までの人生を否定することだ。
ぼっちにはぼっちなりの矜持がある。
今とるべきコミュニケーションは、とるべきなのだ。
それが、ナッシェの人生を左右する大事なコミュニケーションの第一歩であるならば尚更のこと。
だからこそ、この一線は、大きい。
断裂した崖の向こう側は、未知の大地であり、足元がもろく崩れ落ちるかもしれない地面であり、まだ見たことがない宝の山なのだから。
さあ、一歩踏み出そう。
たとえ昨日までコミュ障ぼっちであったとしても、そこを抜け出すのは簡単なのだと証明してみせよう。
この少女を、一人前のハンターにしてみせよう。
「…………ナッシェ」
深呼吸してから、調合素材で膨れたポーチを片手にレオンハルトが口を開いた。
彼女の名前を呼んでしまえば、コミュニケーションとは、こんなに簡単なのかと拍子抜けしてしまうほどだった。
まるで、泥沼の中から這い出て、青い空を仰いだかのような気分だった。
育てるというのは、すごいことなのだとレオンハルトは思った。
先生は、生徒よりもたくさんのことを学び、知っている存在だ。
だけれども、先生というのもまた、生徒から学び、自分を成長させるものなのかもしれない。
「ナッシェは、どんな武器を使うんだ?」
拝啓、家族様へ。
俺、先生になります。
もしかしたら、モミジさんはこのことも考えてくれていたのかもしれないと、レオンハルトは勝手な想像をしていた。
ムーファの首につけられたベルが、カランコロンと楽しげに鳴っていた。