知らない天井だ……
「――うわぁぁぁああああッッ!!」
「うひゃぁぁぁ!?」
チチチチチ…………。
金色の陽射しが開け放した右手の窓から射し込んできて、ガバッと勢いよく身体を起こしたレオンハルトの目を刺した。
明るさに思わず寝ぼけ眼を眇め、今し方窓辺から飛び立っていったのだろう小鳥の鳴き声を追って、外の景色を見る。
稜線に白化粧を残す山の端から顔を覗かせた朝日。
緑色が覆う高台に点在するムーファの白い群れ。
赤色や黄色の気球が空を飛び、今朝は爽やかな快晴であることを雲一つ無い空を見て知った。
目に新しい景色。
上を見上げれば、真新しくて見慣れない木製の天井。
茶色の濃さを見るに、ユクモ村原産の木をふんだんに使用した家屋ではないだろうか。
ああ、こういう時に言うべき言葉はただ一つ。
「知らない天井だ……」
「……自分の家なのにですか?」
そうその通り、ここは愛しのマイホーム、長い間帰っていなかったせいで忘れていたのか、全く馴染みがないし懐かしさも感じない。
なにそれつらい。
「……忘れてたんだよ。自宅のベッドから見える光景」
「うわぁ……なんて可哀想な人」
「やめろ、俺を哀れむな……はぁ」
思わず溜め息が口をつく。
気づかないフリでもしていようかと思ったのに、なぜそれを言ってしまうのだろうか。
悪い夢を見ていたような気がするが、現実と悪夢との違いはさして存在しない。
寝起きで凝り固まった首筋をマッサージしながら、グリンと首を左側に向ける。
「……あのさ。言いたいことはいっぱいあるんだけどさ」
「愛の告白とか?」
「違う。とりあえず、ここ、俺の家だって分かってるなら、なんでお前はここでそうしているわけ?」
「センパイ、溜め息吐くと幸せ逃げてくらしいですよ。ばっちゃが言ってました。それよか、急に叫び出さないで下さいよ。びっくりしちゃうじゃないですか」
亜麻色の髪の毛を後ろで一つに纏め、クラシックドンドルマ風にアップした少女が、真面目な顔をして返事をしてきた。
キャミソールにショートパンツという非常にラフな出で立ちもさることながら、プーギークッションを腹に敷いて『月刊 狩りに生きる』をうつ伏せになって読んでいるそのくつろぎ方は、どう見ても自分の家でのリラックスの仕方である。
小麦色の肌の大胆な露出が艶めかしくて、思わずゴクリとのどが鳴った。
傍にはドンドルマ名物のクッキーの入れ物。
同じやつが、確かうちの戸棚にも入っていたはずだ。
くりくりとした栗色の目は、いかにもレオンハルトのことを気遣ってますと言う風である。
アドバイス、痛み入ります。
「おうおう、ばっちゃが言うなら間違いないな。ばっちゃの知恵袋はとっても役に立つからな、って違うわッ!」
「え、なに、違うんですか?」
「違うよ! お願いだから質問に答えてっ!? ここ俺の家だよね? お前、それはあまりにもくつろぎ過ぎじゃね? てか、なんでここにいるの? 何よりそのクッキーはどっから持ってきた? まさかうちのじゃねーだろうな?」
「んーと」
少女は少し考えてから、口を開いた。
「私の名前は、お前じゃなくて、アナスタシアですよ?」
「聞いてねーよッ!?」
「えー、じゃあなに、なんですか、なんなのよ。はっきり言って下さいよセンパイ。矢継ぎ早に質問されても、どこから答えればいいのか全然分かりませんよ」
最初からだよ。
両頬に空気を溜めて、いかにも、私、不満です、というような顔をする少女、アナスタシア。
あれぇ?
俺また自分の中できちんと話していた気になっていただけなの?
違うよね?
……違うよね?
ちゃんとはっきり言ってたよね?
たくさんって言われるほど話してないよね?
…………大丈夫だよね?
…………くっ、コミュ障として自分のした(と思っている)発言に自信が持てなくなってきたぞ。
「なんでお前は」
「お前じゃなくて、
「……なんでアナちゃんはここにいるのかな?」
「え、アナちゃんって呼ぶの止めてくれません? センパイにちゃん付けで呼ばれると怖気が止まらないんで。主に不審者的な意味で」
泣くぞ?
アナスタシアは、腕をさすって怯える、といういかにもな仕草をして抗議してくる。
「……何この子、すごくイラッとくるんだけど」
「と言いつつも、センパイは奔放な後輩女子に振り回される休日の朝も悪くないな、と心の中でささやかな幸せを噛みしめ、日頃の疲れを癒すのでした、まる」
「変なモノローグを並べて閉めようとするんじゃない。追い出すぞ。あとそのクッキー、俺にも一つ寄越せ」
「全部食べちゃいました~」
てへっと舌を出すアナのやんちゃっぷりには、もはや呆れるしかない。
ガキだ。知ってたけど。
そもそも、久方ぶりの休日だと分かっているのなら、少しはそっとしてあげようとか、休ませてあげようだとか、そういう気遣いとかしたらどうなのだろうか。
公式休暇中のレオンハルトは、床に寝転がって雑誌を読む後輩ハンターに白い目を向ける。
と、天国が見えた。
…………おへそのあたりでクッションを下敷きにしているためか、突き出したお尻のぷりぷりっぷり。
床に押し付けられた小ぶりなお胸、浅すぎず深すぎずの魅惑的な谷間。
『キャミソールの胸元の隙間から見えそうで見えない、あ、でもあの陰ってる部分ってもしかして』というチラリズムの代表格たるアレ。
総じて、朝から非常に目のやり場に困らない格好でいらっしゃる。
お金も取られずに、十六歳の少女の春画のような艶姿が見放題である。
本当にけしからん。
ありがとうございます。
さっきはあんなこと言ってたけど、ずっとこの家で暮らしてもらっても良いですよ!
クッキーたくさん買ってきてあげるから!
今ならお家賃は0z!身体で働いてもらう(意味深)、お家賃はそれでいいから!
…………いやいや、こんなことを考えている場合じゃなかった。
そういう下世話なことを考えているから、あんな悪夢を見るのである。
ここ最近のハードワークで随分溜まっているものと思われる。
おかしいな、身体の疲れはとれているのに、ベッドから起き上がれない……。
ここからのアングルが絶景すぎて…………間違えた。
「重力が、重力加速度が強すぎる…………ッ!」
「何わけの分からないこと言ってるんですか」
溜まっているだけです、お気になさらず。
それにしても、肉体の疲労が拭われたこの感覚、やはり自宅のベッドと言うのは格別なようだ。
朝から雄大な自然の景色を見れたり、むき出しになったすべすべの太ももを見れたり、つやつやのきめ細やかな少女のお肌を見れたり。
我が家で自分の家にいるかの如く寛いでくれるほどの信頼を見せてくれる後輩を裏切るわけにはいかないのだから、見る以上のことは絶対しない。
だが、寝起きにいただいた目の保養は、肉裂き血
ひと月ぶりの我が家、最高だぜ…………!
こんなガーグァの如く働くゴミ虫のような俺に休日を下さったモミジさんはマジ女神である。
『いくら人間じゃないレオンハルトさんでも、さすがに少しくらい休んだ方が、もっと効率よく仕事してくれますからね!今日から三日間はじっくり休んで下さいね!』
下界の汚物を見る女神の如き慈愛に満ちた目、いただきました!
感謝、敬礼、アーメンッ!
…………するわけないだろ。
疲れてるな、頭が。
三日間も休日が貰えるというのは、『僕とモンスター達の楽しい野生生活~for One hundred days~』の予兆に過ぎないなんてことは、働くハンターにとっては最早常識の範疇である。
死んだ。
百日間は無理。
狩り場への移動というのは、意外と心身への負担が大きい。
いつモンスターに襲われるか分からない緊張感をぶつけられ続けるのはもちろんのこと、狩りの計画、イメージトレーニング、武器の整備など、やるべきことは沢山ある。
そして、モンスターの討伐は言わずもがな、ろくな休息もとらずにこれを続けるのは、ハンターとしては非常に危険であるし、1ヶ月もやってしまえば、普通は体調を崩すか、狩猟に集中できずに失敗し、命を落とすことだってある。
しかしながら、ハンター歴十一年、酒場や街に繰り出してみれば、『あ、アイツまたぼっちしてるぜ』と後ろ指をさされる気がし、近所付き合いの悪い若い男が何日も家を空けた後に戻ってくると『あら、あの人誰?何?不審者?嫌だわぁギルドに通報しなきゃ』と何もしていないのに事案に発展してしまうという苦い経験から、家に帰りたくない、だから帰らない、という選択をする現実に慣れてしまうハンターも、一定数存在する。
結果、“狩り場は家”“武器は友達”とばかりにギル畜耐性をガンガン上げてしまい、クエスト受注に一切の間をおかない、やる気無限のソロハンターが完成するのだ。
俺ことレオンハルトさんである。
最近は近所付き合いが前ほど辛くないので、普通に家に帰りたいです。
出来る限りの直帰希望。
龍歴院に帰ってはクエスト受注して出撃、帰っては出撃をひと月余裕で続けるハンターというのは、流石に気持ち悪いなと、自分でも最近自覚し始めたところ。
周りからの視線が日に日に遠くからのものになってしまっていっているのを感じ取れるのは、他人の視線に敏感なぼっちの面目躍如と言ったところだろうか。
いやぁっ、レオンハルトさんの
しかしながら、
いくらハンターであろうと、意を用いずして力を振るうモンスターが跳梁跋扈するこの地上で、人間社会から弾き出されてしまえば、コロッと死ぬか、食べられてしまうのがオチである。
その前に、ギルドナイツに殺処分される可能性もある。
何もかも、過去の自分のしでかしたことであるから、責任はとらねばなるまい。
来る野生生活に向けて鋭意を養うため、この三日間は有意義に休まねば。
「朝ご飯作ろ…………」
精神的に重い身体をギチギチと動かして床に足をおろし、立ち上がってうーんと伸びをした。
パキパキと背中から音が立つ。
質の高い寝具を使うのが久し振りだったためか、少し節々が痛い。
睡眠時間を十分にとり、朝陽をしっかりと浴びたおかげで、頭はすっきりと快調だ。
んあぁっ、全身が起きたくないって訴えかけてきてるのぉ!
もうちょっと見せてぇっ!
……なんて、思っていない。
全く思っていない。
鎮まれ邪念!
「……あ…………」
しまった、とでも言う風に、アナスタシアが声を発する。
「なんだよ、なんかマズいことでもやらかしたのかよ」
「あ、いえ……その………」
明後日の方向へ目をそらす彼女。
思ったことはすぐに言うタイプのアナが見せる妙な態度に、少しばかりの疑念と緊張感が走る。
「ん?どうした?」
「だから、その、えっと…………」
ちら、とこちらに視線を投げて、すぐに雑誌に目を落とし、また、ちら、とこちらに視線を投げては新しい朝の風景が広がる窓を眺めたりする。
「言いにくいことか?俺で良かったら相談相手になるし、男にはあまり言いたくない話題だったら知り合いを紹介するけど」
くっ、我ながら完璧な対応、まさに『悩める後輩に優しく声をかけるできた先輩の図』である。
コミュ障クソ野郎と定評のある俺ことレオンハルトさんではあるが、ことコミュ障ぼっち仲間のアナを相手にすると、自然と普通の人のように言葉が出てくるのである。
普通の人のように喋れるのである!
普通の人のように!
重要なので三回言いました。
やはり、ハンターとしての先輩・後輩関係と言うのがぼっち心理学的に効果的なのだろう。
人間はしばしば
アイツはぼっちだからハンターとしての腕も大したこと無いだろう、とか、アイツはぼっちだから彼女もいない童貞インポクソ野郎だ、とか、アイツはぼっちだからクズみたいな性格で話してもつまらないのだろう、とか。
実際にその人間のことを深く知ったわけでもないのに、レッテル貼りをしてしまう。
ソースは俺。
だが、我々が人間である以上しょうがないことではある。
相手より人間的・社会的・個体能力的な格が上か、下か、たったそれだけのことで、人間関係やコミュニケーションの形、相対したときの精神的余裕などに差が生まれるのだ。
それが、人間の進化によって獲得した性質の一つなのだから。
実際、例えぼっちであろうと、精神的優位、会話する社会的理由が存在していれば、日常会話などとは比べ物にならないほど舌がよく回る、なんてことはざらにある。
と言うわけで、できた先輩であるレオンハルトさんは迷える後輩のアナスタシアちゃんを手取り足取りアレ取り導いて差し上げるのだ、ふふっ。
「ちが、その、女の人には言いにくいと言いますか、でも男の人にも言いにくいですし、あの、センパイに言わなきゃ駄目なんだろうなぁ、とは思うんですけれども、なんとなく躊躇われてしまうな~、と言いますか…………」
「俺に配慮してんの?大丈夫だって、俺、容赦なく言われるのにはある程度慣れてるから。俺、何も怒らないから。言ってごらん?」
容赦なく色々言われるのは最早日常茶飯事なのだ。
どうでも良いけれど、ドンドルマのハンターズギルドの受付嬢さんの、『怒らないから正直に話して下さい(にっこり)』が激怒不可避ルートだった率は異常。
大量に湧いてしまったネルスキュラを生態系維持のために連続狩猟してこいって言われたから、軽く五十匹くらい狩っただけだろ!
嘘偽り無く話したのに、どうして怒られるんだよぉ!?
だが、それがいいッ!
我々の業界ではご褒美ですッッ!
…………それにしても、本人の聞こえない所で囁かれる悪口雑言の類は、なんでああも天井知らずに人の心をえぐるんだろうか。
本人たちは聞こえないだろうと思って陰口を叩いていても、言われてるこっちは結構聞こえてる、なんてことはざらにある。
別に気にしてないけどね。
陰険ぼっちインポ野郎とか言われても、全然気にしてないけどね?
「えっと、それじゃあ、言いますよ?容赦なく
「お、おう。どんとこい!」
過去に紡がれた自分への陰口に心を痛めているレオンハルトの内心など知りもせず、すぅ、はぁ、と深呼吸をして気合いを入れるアナスタシア。
…………待てよ?
この流れ、もしかして、後輩女子による真正面からの罵倒という、我々の業界では特級のご褒美を賜っちゃうやつか!?
それとも、ま、まさか、我が人生初の、あ、ああああ愛の告白!?
おお神よ、私をハンターにしてくださってありがとうございますッ!
アナスタシアという奇跡の聖美少女と巡り会えた幸運をありがとうございますッ!
「そ、その」
「おう!」
意図せず、胸が高鳴っていく。
それはあたかも、飯屋で素晴らしい料理を目の前にしたときの感動のようで。
「せ……センパイのセンパイが、狩り場から戻ってきてません!」
そして、それがほかの客のテーブルに運ばれていったときのような喪失感を伴っていた。
「…………は?」
あれ?罵倒、じゃないの?
少なくとも愛の告白ではなさそうだ。
今夜は月が綺麗ですね、はい、死んでも良いです、みたいな雰囲気ではない。
「……ごめん、意味が分からないんだけど」
ずっとぼっちだったから、先輩と呼ぶべき人もいないし…………なんなら他の人が狩猟しているところすら一度も見たことがないくらいだ。
「だ、だからっ、センパイの、センパイが…………」
「俺の、俺?」
レオンハルトさんのレオンハルトさんが、一体どうしたと?
「もうちょっとはっきり……」
…………ん?
「そ、そんなの無理ですっ!」
…………。
レオンハルトさんの、レオンハルトさん、だと?
つつつつ――っと視線が下りていく。
見るに耐えない生傷の多い胸板、密かに自信のある腹筋。
そして。
臨戦態勢になって下腹部のインナーを内側から押し上げ、立派に屹立したレオンハルトさんのレオンハルトさん。
おはようございます、世界のみなさん。
僕は今日も元気です。
…………Oh.