夜の空をしばらく飛んでいると、次第に館が見えてきた。
「ふーん、あれがレミィの屋敷ね」
「私の屋敷でもあるけどね」
主張するフラン。
「お姉さまがうちですることなんて、寝ることくらいだからね」
「ちょっとフランっ」
「あら? レミィ、たしか前に……」
パチュリーにジト目で追及され、レミリアは目を逸らした。
「美鈴と私だけで掃除してるからね。あ、あんまり綺麗じゃないけど大丈夫かな? さっき体が弱いって……」
「程度によるわ」
広い館を二人で掃除というのも限界がある。
「わ、私も時々は……」
ごにょうにょうにょ。レミリアの言葉は夜空の風に消えた。
「そのめいりんっていうのと三人で暮らしている、でよかったのよね?」
館にだいぶ近づいてきた。
「うん、そうだよ。あ、ほら――」
フランが指さした先には、門前でこちらを見上げている美鈴の姿があった。手を振っている。
三人はそこに降り立った。
「お帰りなさいませ。お客人も一緒のようですね」
「うん、そうだよ。えっと――」
「パチュリーよ」
自己紹介は自分ですると、パチュリーは声をはさんだ。
そこにレミリアが当主風を吹かす。
「美鈴、人数分の紅茶をお願い出来る?」
「はーい、かしこまりましたぁ」
優雅さをアピールしようとしたレミリアだったが、軽さを隠さない美鈴により露と消えた。
そこに、
「ただいまー」
と、フランが遅れて言う。その顔には得意気な笑み。
わざわざ待ってたんでしょう? と言外に言っている。
当事者の美鈴には理解出来た。美鈴はそれに苦笑で返し、館へ引っ込んだ。
「あら、フランったら律儀ね」
「親しき仲にも、……なんだっけ? だよ?」
「あぁ、気にしないでね、パチェ。この子、時々変だから」
フランの笑みが固まった。完全に固まった。
「ふふ……」
ただならぬ悪寒を感じたレミリアは急かした。
「さっ、いきましょっ」
すたこらと早足で扉に向かうレミリアの後ろから、残りの二名がゆるゆるとついていく。
館に入ると、咳の音が響いた。
「……ホコリっぽいわね」
「あー、それは気にしてなかった」
丈夫な者には分からない。
そしてその第一等が口を出す。
「駄目じゃない、ちゃんとお掃除しとかないと」
「……ほーん、はーん?」
フランは、巧みにイントネーションを操った。
「な、なに?」
たじろぐレミリア。
「別に、なにも?」
なんとなく雲行きが怪しいことを感じた当主様。
「いやほら、私は当主としてやることあるから」
食べて、寝て、外に遊びに行く。
「侵入者と戦ったり、ね?」
レミリアは前に進み出て、手を広げ回り始めた。
「いくつもの激戦をここで繰り広げたのよ?」
フランはにこにこしている。
「そうだね、そんなこともあったね。昔、すっごい汚れてたもんね。そこら中にこびりついた血を落としたのは私と美鈴だからね。おかげで変な魔法いっぱい研究しちゃった。
それに美鈴が門で撃退するから、もうここが汚れることも無くなったし。あ、それからお姉さまってなにかしてたっけ? えーと、思い出せないなぁ……なんだっけ?」
レミリアは下を向いてぷるぷる震え出した。
すかさずフォローに入るフラン。にこにこしている。
「いや、お姉さま大丈夫だよ。お姉さまのおかげで色々助かってるよ」
レミリアは顔を少し上げて言う。
「……たとえば?」
フランの笑みが急速に失われ、真顔になった。
さっとパチュリーを見た。
パチュリーは目を見開き、固まった。
私に聞かれても分かるわけないじゃないという言葉を必死に飲み込んだ。
「……レミィはスカーレット・デビルなんていわれて恐れられてるのだから、それは……カリスマ性的なものがあるとも考えられるわ」
「……ほんと?」
「そうだよ、お姉さま。そうそういわれることじゃないよ。……私だったら服汚さないし」
ぼそっと最後に呟きが混じった。
パチュリーはギロッとフランを睨んだ。
しかし、最後の一言はレミリアには聞こえていなかったらしく、目に見えて調子を取り戻した。
嫌な事だけは聞こえるという者もいるが、中には良い事はよく聞こえるという者も稀有ながらいる。らしい。
「で、部屋はどうするの? お姉さまの部屋?」
「それもいいかもしれないけど、本のあるところがいいわ。あなたの部屋なんてどうかしら?」
そのパチュリーの要望は、
「私の部屋じゃなくて、フランの部屋がいいんだ……」
レミリアの心へ打撃を与えた。先ほどのことで少し脆くなっており、戻ったはずの調子が崖から身投げ寸前となっている。
パチュリーは友達の新たな部分を見すぎて、似た容姿の別の何かとさえ思えてきていた。
「――と、思ったのだけど、やっぱりここはレミィの部屋にしようかしら」
「うん、それがいいよ。お姉さまの部屋がなんか一番いいと思うよ」
なんとかなった。
そこに、カタカタと物が揺れる音がした。
「あれ? お三方、いつまでここにおられるので?」
まだエントランスから動いていないフラン達の元に、美鈴が紅茶や茶菓子を乗せたワゴンを押してきたのである。
「あ、いや今から移動するよ。お姉さまの部屋ね。そう、なんといってもお姉さまの部屋ね」「はぁ」
目をぱちくりとさせながらも突っ込まずに、相づちだけをうった美鈴。そのままワゴンを軽々と持ち上げ、階段を上がり、レミリアの部屋に向かった。苦労性だが回避能力を身に着けている。
部屋に入ったパチェは呟いた。
「何もないわね」
レミリアが激しく反応した。
「そ、そんなことないわよ! あ、ほら、これ面白いわよ!」
そういうとベットの枕の横から一冊、本を取り出した。
「なにこれ?」
「中々に面白いわよ。つい読みふけっちゃうくらい」
レミリアの肩ががしりと掴まれた。
「そうだね、つい妹の部屋から勝手に持ち出しちゃうくらいに面白いね」
レミリアの肩がみしりと音を立てた。
視線泳ぐレミリアの目に、美鈴が映った。
「――お茶が入ったみたいね。さぁ、飲みましょう? ねぇ美鈴?」
苦笑いの美鈴。巻き込まれないようにしている。
フランはため息をつくと、紅茶の用意された白い丸テーブルの席に座った。他の二名も続いて座る。
「では、そろそろ私はお休みしようかと思いますがよろしいですか?」
美鈴が眠そうな様子で、フランに訪ねた。逃げたいらしい。
「うん、ありがとねー」
フランが手を振り答えると、美鈴が立ち去り、三者ゆっくりと紅茶を口に含んだ。
「なかなかじゃない」
そういったパチュリーに、なぜかレミリアが自慢げに笑ったころ、フランは話を再開した。
「で、いつ私の部屋に入って勝手に持ってったの?」
「もうそれはいいじゃない。ねぇ、パチェ?」
優雅に逃げ腰であった。
しかし追われる。
「パチュリーだったら、自室の本を勝手に持ち出されたらどうする? 怒る?」
ねずみ落としならぬ吸血鬼落とし。
パチュリーは目を伏せ、もう一口紅茶をすすると、ゆっくりとカップを置く。
そして――。
「――殺すわ。少なくとも灰にする。悲鳴も上げさずにこの世から消し去って、私の記憶からもすぐさま消去してやるわ」
無表情でいいきった。未来のことなんて分からない。
「そ、それは厳しくないかしら? ほら、悪意があったわけじゃないかもしれないじゃない?」
「いいえ、関係ないわ。後悔はあの世で十分にすればいいもの」
「だってよ、お姉さま。さて、優しく寛大な私はどうしようかしら?」
芝居がかった感じに言うフラン。
「……ごめんなさい、フラン」
「いいのよ、お姉さま。私の部屋に勝手に入らなければ。大好きなお姉さまですもの、もうこれで十分ですわ」
「ふらんっ」
『大好きなお姉さま』が脳内に反響するレミリア。そのままざっと立ち上がり、フランに抱きついた。フランの悪い笑みには気づかない。
「……あなた達の関係がよく分かった気がするわ」
ため息をつくパチュリー。
しかし、後に先ほどの発言をフランに大いにからかわれることをパチュリーはまだ知らない。むっきゅん。
話題の転換に苦心したレミリアにより多少の会話が行われたが、超絶不慣れなことにより疲労したレミリアが早々にダウンしてベッドに愛を囁いたため、パチュリーとフランは部屋を出た。目指すのはフランの自室である。
「私の部屋は地下室だよ」
「地下?」
「うん、静かだから。本読んでる時に邪魔されて、その原因を吹っ飛ばしたくなったこととかない?」
「……なるほど、地下室もいいわね。今度考えておくわ」
部屋に着くと、パチュリーは目を輝かせた。なんだか似合わない。
「……すごいわね。これ、読んでもいいのかしら?」
もう本を手に取っていた。そうそう行わない素早い動きである。
「うん、いいよー。もちろん、今度パチュリーのも見せてくれるんだよね?」
「ええ、構わないわ。対価としては充分だもの」
すでページをめくり始めている。
「……レミィに渡した入門書は冗談としても失礼なものだったようね。謝るわ、ごめんなさい」
「いいっていいって。逆の立場なら私も同じことしただろうしね」
パチュリーは本をから視線を外し、部屋をざっと見回した。
「五十年、いや六十年か、もしくはそれ以上……」
全て読み終えるまでの簡単な目算である。
「うーん、もっといい本ほしいんだけどねー。どこいけばあるのか全然わかんないんだよね」
「貴方が求めるレベルならそうあるものではないでしょうね」
「うーん」
やっぱりかーと、フランは口をとがらせた。
「私の蔵書に数冊、貴方の目に適いそうなものがあったはずだけど……」
フランは目を輝かせたが、パチュリーは目を曇らせた。ここから離れたくないのである。
「あ、……いやでも」
思いついたように声を上げるが、取り消すパチュリー。
フランは首を傾げる。
「どったの?」
「一冊だけ、今ここで貴方に提供出来そうなものがあるのだけれども、それは……なんというか途中というかなんというか……」
フランの首がさらに傾く。
「簡単に説明すると、書きかけの私の本なんだけど。それなら今ここに呼び出すことか出来る。……どうかしら?」
「見たい!」
即答。
「失望はしないとは思うけど……、まぁ、いいわとりあえず見て」
パチュリーは目を閉じて胸の前に両手をかざし、なにかしら呟いた。
紫色の発光の後、パチュリーの手の中に一冊の本が現れた。
「……これよ」
フランは受け取ると、本をかざしてじっくりと見た。
今行われた魔法に興味深々である。
「これ、本に仕組んでるの?」
と、フラン。
「ええ、そうよ。分かるの?」
「なんとなくね」
そういえばと、パチュリーは切りだした。
「レミィは本当に放っておいてよかったの?」
「うん。パチュリーを家に呼べて嬉しそうだったし、問題ないと思うよ」
「それならいいのだけど。少し、心配したわ」
「心配?」
「仲が悪いのかしらって」
「あはは。そんなことないと思うよ。お姉さまが私を嫌わない限りね」
「そう」
少し改まった表情でフランはパチュリーに問うた。
「――パチュリーはさ、生きる意味ってある?」
「……考えたことないわ。あえて挙げるのならこれかしらね」
パチュリーは本を持ち上げた。
「なるほど、パチュリーはそれかぁ」
言い終わると、フランは目を伏せた。
「……私はね、よく分かんないの。でも、私にはお姉さまがいた。ただそれだけ。好き嫌いとかじゃなくて、ただそれだけ」
「そう」
しばらく、ページをめくる心地良い音が部屋に響いた。