朝一で起こされた。
意識が完全に覚醒する前に外に連れ出されたフランは、朝日が元気に輝いている空の下を、幽香と二人で歩いていた。
「…………」
声も出ない。
(上も、下も、太陽……)
地上の太陽が目に痛かった。初めは恨めしくそれらを見ていたが、その内それすらも辛くなって、いつのまにか視界は土色ばかりになっていた。地面に映る自分の影に隠れたい気持ちにすらなっていた。
影はふらふらと揺れている。つまりフランはふらふら歩いていた。その動きに合わせて日傘が揺れており、それを持つ手はだいぶ怪しかった。
「朝は苦手?」
「……いや、なんていうか太陽が苦手」
「こんなにも気持ちが良いのに?」
心底不思議そうに言う幽香に、フランは力なく答えた。
「あい、あむ、ヴぁんぱいあ」
「あら、可愛らしいのね」
(わっけ分からん)
顔をしかめて、頭にかぶった麦わら帽子を下に下げた。帽子の中から垂れ下がったタオルが、フランの左腕に合わせてぶらぶらと揺れている。ザ・農夫スタイル。
とにかくこの状況をなんとかしたいと、フランは幽香にこの先の事を尋ねた。
「で、何するの?」
「どうしようかしら」
(おい)
「決めてないの?」
「決める必要が無いもの。なりゆきに任せるのよ」
「そっすか」
少しだけ顔を上げ、半目で地上の太陽を見渡す。
フランの目はその細部を見ることが出来たが、そんなのそのへんの小石を落ちて観察しても同じことであり、その細微な違いなどどうでもよかった。
しかしそれこそ幽香には分からない。
その証拠か、幽香はとてもいい笑顔で言った。
「ね? 綺麗でしょう?」
「そだね」
別に花の綺麗さが分からないわけではないが、じっくり鑑賞するような趣味はない。
フランは、前を歩く幽香と自分との感覚的違いを感じた。
「ほら、あの子は周りの子と違って少し色が薄い。でもちょっと色にクセがあって――」
「はぁ」
と、相づちを打っているフランには、そもそもどの向日葵を指して言っているのかが分からない。色もクソもない。
(ていうか……)
「暑い……」
吸血鬼のフランにとっては日光が厳しかった。
「どのくらい暑い?」
と、幽香がフランの呟きに対して聞いてきた。
「え?」
「どんな感じで暑い?」
「えぇ?」
「字で書くとどんな字?」
「ごめん、どういうこと?」
「いいからいいから」
言うまで続きそうだと思ったフランは、大人しく従うことにした。
「……んじゃあ、とってもあつい。肌が焼けそうなくらい。字で書くと、暑い寒いの時に使う暑いに、熱の熱いを合わせた感じ」
「暑いに関してはそんなに語れるのに、花はそうもいかないのね?」
「ん?」
「花は『花』としてひっくるめているから、言葉が多く使えないのよ」
「どゆこと?」
「あなたは花を『花』としか見ていないということ」
「だって花じゃん。……そうじゃなくて、花にも色んな種類があるのにってこと?」
「ちょっと違うわ。その種類も、『花』の形状を見て勝手に名前をつけただけのものでしかないもの。例えばあなたのよく知ってる何か、もしくは大切な何か、なんでもでもいいわ、思い浮かべてみて?」
「……んー、お姉さま?」
(なんか負けた気がするけど)
「そのお姉さんはどんな姿をしてるの?」
「ええっと、羽があって……、髪が銀色っぽくて……」
「ね? 色々出てくるでしょう? それは私にとっての『花』と同じことなのよ。必要だから、細部の特徴を覚えてるだけ。そこに区別をつけないと、二本足で歩いてる何かと地に根を張ってる何か、になるでしょう?」
想像の中の、姉がゆらゆら揺れる。
「あなたも自然の内って言ったのはそういうことよ。区別しなきゃ、全部自然の一部の何かにしか過ぎない。人里に行って、視界に入った人間を全て記憶してる? していないでしょう?
どんな顔をしていたか、どんな服を着ていたか、全てあやふやでしょう? それはあなたが、その辺にいる視界に入っただけの人間に特別なものを感じていないからそうなだけ。あなたが花を見た時と一緒でね」
「つまり幽香には花が特別に見えてて、人間とかはそうでもないってこと?」
「少し違うわね。特別面白いのはちゃんと見分けつくもの。赤白の巫女とかね」
(それ本当に見分けついてるのかな)
「だから自然の中のものに区別をつけないと、みんな自然なのよ。――どうかしら?」
「まぁ、なんとなくは分かったけど、それでどうなるの?」
「別にどうにもならないわ。ただそれだけだもの」
「……じゃあ考えるだけ無駄ってこと?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「また分かんなくなってきた」
「え? だってそうじゃない? 自然であるあなたが考えたことでしょ? それにどう区別つけて判断をするかも、自然、つまり自由でしょう? 結局どうであろうと、あなたが勝手にそう思っただけなのだからどっちかなんて分からないじゃない」
(すごい釈然としない)
そのうち丘の上に出た。
「今日はここでお弁当を食べましょうか」
幽香は手作り感のする手提げのバックから、弁当箱を取り出した。
「はい、これあなたの分」
「あ、ありがとう」
開けると、手作り感のある可愛らしいものだった。野菜&野菜。
食べていると、さっきの話を聞いたからか、自分は一体何を食べているのかよく分からなくなったフランだった。
その後、しばらく辺りをぶらついたのち、幽香の家に帰った。
夕食を終えると、明日に備えて寝床についた。
とはいっても、さして眠くはない。
さてなにかやる事はないかと、ぐるり部屋を見渡すと、パチュリーとの交換日記が光をおびていていることに気づいた。
それを手に取ろうとした時、
「はぁーい」
紫が現れた。スキマから、上半身だけにょきりと生やしている。
「はぁい」
とりあえず返事をしたフラン。
(何の用だろ? 疲れてるのに)
「頼まれた件、ちゃんと済ませてきたから報告にきたわよ」
「……?」
言ってることがよく分かりませんといった様子のフランに、紫は眉をひそめた。
「……もしかして忘れちゃったの? ほら、本を置いてくるって話よ?」
合点がいった。
「ああ、思い出した。それのことね」
「まぁ、ひどいですこと」
しくしくと泣いたように、紫は扇で目元を覆った。
疑う前にわざとだと分かった。
しかし紫の演技は続く。
「せっかく遠いところまで行ってきたのに忘れちゃうなんて……」
頭の謎の帽子についたリボン結びの紐が、しょげた様に垂れ下がっていた。
しかし圧倒的な嘘臭さで疑うことすら出来なかった。例え涙を見たとしても怪しむかもしれない。
「……それにあなたを探すのも苦労したのよ?」
「ゆかりんならどこでも一瞬じゃないの?」
「そうでもあるけど、そうでもないのよ?」
と言うと、目の前に小さなスキマを作ってみせた。
「そうなの? なんか必要なことがあるってこと?」
「そうなのよぉ、愛と勇気と……あと何だったかしら?」
「ふざけてる? 今、解けないなぞなぞに挑戦してる感じで嫌になりそうなんだよね」
「あら、それは面白そうですわね。是非とも参加したいところなのだけど、面倒なのと顔合わせすることになりそうだから――」
ガチャ。
「あ、ゆうかりん、……じゃなかった幽香どうしたの?」
「なんか胡散臭い気配がしてたから、……ね?」
「ね?」と首を傾げる姿は大変可愛らしいものだった。もう部屋にはフランと幽香しかいない。
「ゆかりんと仲が悪いの?」
「ゆかりん? ああ、あのスキマのことね。別にどちらでもないわよ?」
そう言って「うふふ」と笑っている様も、大変可愛らしいものだった。
「そうね、明日は人里にでも行こうかしら。ええ、そうしましょう」
と、明らかに思い付きと思えることを言うと、幽香は去っていった。
フランは寝ようかと横になると、光っている日記が目に入った。
「そいや、そうだった」
と、上半身を起こした時、もう一冊のことを思い出した。
(渡してきたってことは、つまり――)
フランは軽く魔力を練り、魔法を使った。すると、ぽんっと本が一冊現れた。その本も光をおびている。
「さっそく、って感じ?」
本を開くと、『はじめまして』と書かれてあった。
フランはとりあえず返事をすることにした。
『はじめまして』
返事はすぐに返ってきた。
『届いているようですね。凄いです』
書くスピードに合わせてか、一文字、一文字、文字が現れた。
フランはその出来に満足しつつも、とりあえず返事をした。
『凄いでしょ?』
『はい』
『まず自己紹介からにする?』
『そうですね。ですが、申し訳ありませんが、明かせないことも多く』
「ふむ?」
『いえ、あの方が私に渡してきたということはそういう問題がないとも考えられますね』
『よく分かんないけど、どうぞ?』
『私の事は、そうですね……』
しばらくの間。
(悩んでるのかな?)
そう思ったフランは、早く続きのやり取りがしたいのでフォローを入れることにした。
『別に愛称とかだけでもいいんじゃないかな? 普段呼ばれてる名とかでも』
『そうですね。とはいっても、私は普段名前を呼ばれることは少ないのですが』
『引きこもりなの? 私も似たようものかもしれないけど。あ、でも、最近はそうでもないかな』
『そうなのですか。もしかしたら、ある程度似た境遇なのかもしれませんね。それで名前ですが、呼ばれるとしたらさとり様と呼ばれています。とはいえこれは少々特別なので、別のものを用意したほうがいいかと思いま』
割り込んだ。
『よろしくさとり様。私はフランちゃんでいいよ』
間。
『よろしくお願いします、フランちゃん』
『いきなりだけど、もしかしてさとり様って名前の通りのあの?』
『……もしかしたらそうかもしれません』
『じゃあ当たってる前提でいくけど、今の私の心も読めるの?』
『読めません』
『なんだつまんない』
『つまんない、ですか? 読まれた方がそのように感じるのではないでしょうか?』
『自分の心の声とか聞いてみたいじゃん』
『考えるていることなど、その者の表層意識しか分かりませんのであまり関係ないかと』
『そっか。じゃあ、自分の心を読もうとしたら、二重になる感じなの?』
『それは秘密です』
『えー』
それからは当り障りのない話などをしてお開きになった。
「寝ようかなぁ」
ふとフランは思い出した。
「っと、パチュリーの方もあったんだった」
フランはパチュリーからのほうを開いた。
『元気にしてる?
返事が無いようだから、報告だけしておくわね。あなたの外泊の件、とりあえず伝えたわ。レミィは「分かった」と一言だけだったわ。良かったわね』
『りょーかい』
と、簡単に返事をするとフランは本を閉じた。
ごろりと寝転がる。
「…………」
夜の静寂。外の虫の音も意識から遠ざかる。
(……なんだろ)
もっとあれこれと騒がれると思っていたフラン。だが、えらくすんなりといったので、なんとも言いようのない気持ちになっていた。
(まさか寂しがっている?)
「いや、まさかね」
おぼろげに感じながらも否定して眠りについた。