ブラック・ブレットif ー深淵に堕ちた希望ー 作:縁側の蓮狐
もう誰も影胤を、ステージⅤを止められないと政府側は判断し、避難警報が出されたのだろう。半分パニックの状態で有象無象が僕とは真逆の方向へと走っていく。一区まで後僅かといった地点まで僕は来ていた。長年体を鍛えているためにスタミナには自信があったが、流石にこの距離まで走り続けると辛いものがある。横っ腹に感じる痛みに歯を食いしばりながらもペースを落とすことなく全力疾走を続ける。
避難誘導をしている警官が僕を呼びかける声が聞こえた。どうやらその警官は人情味溢れる人のようだ。僕を心配しているのか怒鳴るように「そっちじゃない、死にたいのか」と叫んでいる。この大衆の中だ。僕が蛭子影胤の仲間であるなどと判別している余裕などないのだろう。
だが余裕がないのは僕も同じだ。天童菊之丞を逃がすわけにはいかない。警官の優しい忠告を無視して僕は進み続ける。
作戦本部に辿り着いた僕の体温は失意の底に落ちかけているために氷のように冷えていた。あまりにも静かすぎる。まるで、誰もいないようだ。違う、誰もいないんだ。
恐る恐る僕は作戦本部の扉を開ける。中は、目が痛くなるほどに純白で、まるで建てられたばかりとも思えるのに、主がいなくなり幾百もの時が過ぎた廃墟のように空虚であった。
「天童菊之丞ォ! どこだァッ! 殺してやる、殺してやる、出てこいッ!」
遅かった。逃げられた。一度のチャンスを逃した。そんな事実を受け止めきれない僕は、狂ったように叫びながらいくつもの部屋を見て回る。暴力的な感情に身を任せて開けた扉は、無残な姿と化している。これでは極貧生活に追われる空き巣と変わらない。
ただこみ上げてきた激情を叫びすぎたせいで、喉は潰れそうになっていた。途中で僕の声とは気づけず、誰が僕の代わりにこの怒りを叫んでくれているのだろう不思議に思っていた。
最後に残った一室、会議室を調べようと、扉を手にあてた瞬間、ぞわりと全身に鳥肌が立ち一歩退く。
「はっ、んだよ、そういうことか」
逃げていない。天童菊之丞は、この中にいる。僕を殺すという確かな覚悟を胸にして、この会議室で僕を待っている。思わず笑いがこぼれてしまう。
焦る必要などどこにもなかったのだ。杞憂でしかなかったのだ。奴は初めから付き合うつもりだった。僕の
改めて会議室の扉に手をあて、押す。ぎぃっと音を鳴らしながら開演されるはなんとも陳腐で杜撰な、殺人鬼による復讐をテーマとしたグランギニョル。
会議室の中では、ライオス王よろしく僕に討たれるべき仇敵、天童菊之丞が森厳な面持ちで上座に座り、登壇する僕を見つめていた。
「久しいな、蓮太郎。信じられんかもしれんが、会いたかったぞ」
「気が合うな、僕も、アンタに会いたかったよ。木更さんを殺したアンタに」
「許しを請うつもりはない。だが蓮太郎、それには理由が――」
「黙れよ、理由なんてどうだっていい。結果が全てだ。アンタは木更さんを殺した。だから僕はアンタを殺す。これは何があっても変わらない」
僕の啖呵を前に、菊之丞は悲しげに顔を歪ませた。その表情はどこか父親ぶっているようで、僕にとっては腹立たしくて仕方がなかった。どうしてアンタが悲しむ。
「忠告しよう蓮太郎。貴様では私には勝てない。それでもやるのか?」
「僕のことを何も知らないくせに、ほざいてんじゃねぇよ。前言撤回はない」
「そうか、ならば仕方ない」
重々しく腰を上げた菊之丞はなんとも自然な動作で『
「聖天子付補佐官兼天童家当主、天童菊之丞。お相手つかまつろう」
間違いなく、菊之丞は戦闘態勢に入った。これより先、隙は一時も見せてはいけない。
構えから見て、菊之丞が防御に徹していないと結論づけた僕は攻撃特化の型である『
一瞬の間に菊之丞との距離を詰め、腹部めがけて『
「鍛錬が足りていないな、遅すぎるぞ蓮太郎」
次の行動の準備に入ろうと思ったところで、僕は右腕の感覚を失った。
「え?」
天童菊之丞は、構えていた左手を振り下ろすだけの動作で僕の攻撃を阻止した。彼の手刀が僕の右腕を強烈な速度で叩き落としたのだ。
感覚が戻るのと同時に僕の右腕に激痛が走る。痛みのあまり瞬間的に麻痺していたと気づいた時には何もかも遅かった。
手刀に続き、胸部に向けて放たれた掌底により僕の体はふわりと小さく浮かぶ。無防備になった僕は、寸分も狂いなき『
三つの長机を壊して僕の体は冷たい壁に叩きつけられる。少しの間、僕の背は蛸の吸盤と同じように壁に張り付き、その後はずるずると緩やかに滑り落ちていった。
混濁した意識の状態で、なんとか顔を上げた僕は、護身用と思わしきデリンジャーを懐から取り出した菊之丞の姿に恐怖する。
体に鞭を打ち、言葉通り死に物狂いで何度も横に転がる。盾となる長机の下まで辿り着いたのと菊之丞が発砲したタイミングはほぼ同じだった。弾丸は頭上を通り、壁に着弾。意識が薄れていく心地よさに全てをゆだねていれば、今頃僕は永遠の眠りについていたと考えると気が気ではなかった。
正攻法では勝てない。かといって手榴弾など小道具を使おうとも、あのスピードだ。作動する前に僕はまた吹き飛ばされるだろう。用意するだけ無駄だったのだ。必要のないものを全ておざなりに捨て、身体を軽くする。
残った方法は一つ、ノータイムで作動する小細工を仕掛けることだ。
取り出したサバイバルナイフで左の掌を深めに切りつける。歯を食いしばっても声が漏れてしまうほどに痛いが、何もせず死ぬよりは良い。
鮮血が溢れ出そうとしているところで、僕は意を決し長机から飛び出そうとするが、足が動かない。
足をやられた? まさか、そんなはずはない。ならばどうして、菊之丞は何を――
全身が氷になったように冷たくなった。ああ、そうか。怖いんだ、あそこまで殺したくて仕方がなかった天童菊之丞が、怖いんだ。死が、そのまま形として僕の目の前に現れたみたいで、怖くて怖くてしょうがないんだ。誰か助けて、誰か。潰れかけた喉から幼い子どものような声が出そうだった。誰が助けてくれる? 僕を助けてくれる人がいる? 木更さん? 木更さんは死んだ。僕も死ぬ? 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたく――
『鬼となりたまえ、蓮太郎』
影胤の言葉が心の中で反響し、全ての不安材料が霧が晴れるように消え去った。
後に残ったのは、目の前の敵を殺すという、確かな殺意のみだった。
ただ一つの雑念もなく、菊之丞へと突貫を仕掛ける。ついさっきまでの恐怖が嘘のようだった。
「学習しないな」
「しているさ!」
菊之丞は再び構えを取り、僕の攻撃を限界まで引き付けている。互いの攻撃範囲に入る直前、僕は握りしめていた左手を開き、投球するように振り下ろす。
左手から放たれた多量の血が菊之丞の視界を潰そうと、彼の目へ向かって進んでいく。菊之丞は咄嗟に構えを解いて、血を振り払う。
その間に僕は『
「――『
白銀の輝きを現した凶器の切っ先が菊之丞の首元へと近づいていくが、辿り着く直前にそれは別の刀に弾かれる。勘か、それとも長年の経験によるものか、菊之丞は『
弾かれた衝撃で退く僕に反して、菊之丞は微動だにしていない。まるで長い間根付いている大木のようだ。この短時間の間で何度目かの圧倒的な力の差をまたもや実感する。
だが、それがどうした。それを理由にここで諦めて死ねというのか。できるわけがない。ではどうするか。じっとしていれば反撃をくらう。今から退いても距離を詰められてやられる。僕には攻め続けるしか道がなかった。アレを殺すにはそうするしかない。
弾かれた伐折羅はそのまま上空に放り投げ、全身の力を一瞬抜いて退く体をそのまま倒れさす。地と接する間際にネックスプリングで跳ね起きる。跳ね、宙に浮いている間に半回転し、頭を下にした体勢に。咄嗟の判断ではあったが、瞬時に終えたこの一連の動作に迷いはなかった。
「『
「『
技と技がぶつかり合い、衝撃波が僕らを中心にして広がる。防がれた途端、僕は重なっている菊之丞の足を小突くように蹴り跳躍。
それを見た菊之丞は再びデリンジャーを取り出し発砲。上昇していく僕とは反対に落下していた伐折羅を奪い取るように掴み、神経を研ぎ澄まし、迫り来る銃弾を斬り落とす。
上昇が終わり、自由落下が始まったところで、僕は伐折羅を鞘に納め、体を何度も回転させて勢いをつける。
幾度の回転を終えたところで、伐折羅の柄に手をかける。
――天童式抜刀術の一の型一番。
「『
雷のごとく速度で抜き放たれた伐折羅を、菊之丞は背後に飛んで回避する。しかし、『
直後、先ほどまで菊之丞が立っていた床が炸裂。剣の間合いを逸脱した、『
菊之丞が飛び散る大理石のつぶてを耐えている間に着地。すぐさま帯刀しつつ疾駆、菊之丞の横を取る。がら空きの横腹目掛けて、射出寸前の弓のごとく引いた拳を打ち出す。
「『
全てのつぶてを受け切った菊之丞は体をこちらへと向けて即座に技を放つ。
「『
洗練された技のモーションは驚異的な速度で、僕よりもワンテンポ遅れる形にまでズレを抑え込んだ。そしてその僅かな遅れによって、互いの拳は触れ合うことなくすれ違い、僕の拳は菊之丞の腹部を、菊之丞の拳は僕の胸部を襲う。
互いが互いを吹き飛ばし合い、自然と距離が生まれる。僕も菊之丞も、こみ上げてくる血を吐き出しながら敵を睨みつける。その眼差しは、たった一週間ではあったが、血の繋がりはなかったが、確かに家族であったものに向けるものではなかった。
「馬鹿者が、天童式戦闘術を外道の技にしたな」
息も絶え絶えに菊之丞は僕を叱りつける。どうやら、老いには勝てなかったようで、技や判断は一流でも、肝心の体は最初から崩壊寸前だったようだ。勝機が見えた、と僕は口角を釣り上げた
「アンタに説教される筋合いはねェよ、クソジジイ」
このまま続けても良くて相打ち。一撃で決める必要があると考え、僕は『
それに対抗するという訳ではないが、僕は菊之丞が見たことないだろう構えを取る。半身になって刀ごと腕を振り上げた、抜刀と同時に斬り下ろすような攻撃法につなげる型だ。
「蓮太郎、なんだその構えは……」
呆気に取られていると思ったが、声色は真剣味を帯びていた。未知の存在に対しての脅威を探る、そんな言葉だと認識した。
「こいつは天童式……いや、天童のものじゃねぇから、無式ってのが正しいな。無式抜刀術『
「……そうか、ならば全力を以て参るとしよう」
心臓を握りしめる一陣の風が流れてきた気がした。だが、それは風などではない。菊之丞から感じる圧の塊だ。トップギアまで上げていたくせに、菊之丞は上限値を超えてさらに一つ上のギアへ上げてきた。
緊張はない、恐怖はない、憎悪も今はない、汗は一滴も流れていない、かといって清々しい気分でもない、ただ、『アレ』を殺すという、僕自身が定めた使命を全うすることしか僕の中にはない。だって、今の僕は人ではなく、ただ人を殺すだけの鬼だから。だけど、おかしいな。違和感が突如として生まれる。何かが、欠如しているような、そんな違和感が。
「いざ」
「尋常に」
踏みしめる足先の力が、僕も菊之丞も強まっていく。
「「勝負ッ!」」
床を蹴り、爆速で駆け出す菊之丞。しかとその姿を見逃さず、目線は追い続ける。人が一人分ほどの距離まで縮まったところで僕も床を蹴り、駆ける。
その時、僕の中の体感時間が壊れる。十秒経てども、一分が過ぎようとも、目の前の菊之丞がぴくりとも動かない。僕も同様に動かない。刹那が永遠にまで引き延ばされている。
どういうことだ? と訳が分からず困惑していた僕の脳裏で、昔の記憶が映像として流れ始めた。走馬燈というやつだろう。とすれば、僕はこの後負けて死ぬのか。
どうせ死ぬのなら、じっくりと鑑賞してやろうか。脳裏にて上映される映像をゆったりと眺めるために、脳裏の中の僕はソファーのような客席に座り足を組み、頬杖をつきながらスクリーンを眺めた。
本当に、本当に懐かしい記憶だった。天童の家に引き取られ、びくびくと怯え、縮こまっていた僕に手を伸ばして、木更さんが自分のお気に入りであった花畑に連れてきてくれた時の記憶。
木更さんの提案で、お互い相手のために花の冠を作ってあげることになった。スクリーンに映る幼い僕はどうやって作ればいいのかわからず、困って泣きそうになっていた。
恥ずかしいくらい情けないな。
幼い僕の惨状に気づいた木更さんが、自分の作業を中断して僕に一から作り方を教え始めた。口調は少し高飛車な感じだが、説明はとても丁寧だった。まるで姉のようだ。
「あ、で、出来た! 出来たよ、木更ちゃん!」
形は歪だが、確かに花の冠は完成していた。幼い僕の作った冠を見ると、木更さんは目を閉じ「ん!」と言って、じっと何かを待っていた。
幼い僕は鈍感で、それが何かを待っているということすら理解していなかった。
「き、木更ちゃん。何してるの?」
木更さんは信じられないといった様子で開眼。ありえないといった感じで僕を睨む。
「冠は被せなきゃ意味ないでしょ! もう、鈍感な召使いなんだから!」
「ぼ、僕、いつ木更ちゃんの召使いになったの?」
「今、この瞬間よ!」
ああ、木更さんはこういう人だったな。突拍子のないことをたまに口走るところが玉に
「しょーがないわね、私が手本を見せてあげる」
そう言って木更さんは、いつの間にか完成させていた冠を幼い僕の頭に被せた。
「うん、似合わっているわ、可愛い!」
「か、可愛いって……うぅ」
確か、この時の僕は「かっこいいの方が良いのに」なんて言おうとしていた気がする。だけど、仕方がなく飲み込んだ。だって、僕のことを可愛いという木更さんの見せる笑顔の方がもっと可愛かったから。
可愛いと言われた気恥ずかしさと木更さんを直視できない気まずさを紛らわすために、幼い僕はふと思った疑問を木更さんに聞く。
「ねぇ木更ちゃん、この冠に使ってる花、なんて名前なの?」
「あ、それ? それはね、シロツメクサっていうの」
「シロツメクサ?」
「そう、それでね、シロツメクサの花言葉ってロマンチックなの。『幸福』『約束』『私を思って』『私のものになって』って。」
シロツメクサの花言葉はそれだけじゃないよ、木更さん。『私のものになって』って約束を破ったら、シロツメクサにはもう一つの花言葉に変わるんだよ。
『復讐』に、変わるんだよ。
『復讐』の二文字が、感情となり、急激に増幅し、欠如した部分を埋め尽くす。
そうか、何もかも捨てるのは間違いだったんだ。僕は、ただの鬼にはなれない。狂気が足りないからだ。それを補うのが、僕の場合は『復讐』だったんだ。これは走馬燈なんかではなかった。僕を覚醒させるための、欠片探しの回想。
全てが現実に引き戻される。止まった時間も少しずつ動き出す。実際ならば音速に近い速度が出ているだろう菊之丞の剣さばきが、スローモーションの世界では、全て見える。
「――無式抜刀術零の型三番『
僕が放つ抜刀の一撃は下からすくい上げるように菊之丞の刀を弾く。そのまま間髪入れる間も無く二撃目に移る。二撃目には菊之丞もついてこられなかったのだろう。彼は防御も回避もできない。伐折羅の刃が菊之丞の右腕を呆気なく斬り落とす。
交差が終わり、僕と菊之丞がすれ違ったところで、彼の右腕がぼとりと落ちる。
痛みに呻くことなく菊之丞は残った左手で、右腕と共に落ちた刀を掴み、構えようとする。だが、それだけの隙が与えられている間に、僕は菊之丞へと振り返り、鞘走らせ、一瞬の内に鞘に戻す。技はもう完了している。
「――無式抜刀術零の型一番『
僕が技名を呟くと、菊之丞は諦めたように刀を鞘に戻した。
「私の、負けか」
「最後に、何か言うことはあるか」
「地獄で見届けさせてもらうぞ、貴様の見つけた答えを。貴様の『生きる』人生を」
「そうかい」
復讐するは我にあり。
パチン、と僕が指を弾くと、菊之丞の体が目の前ではじけ飛ぶ。できそこないの花の冠がバラバラになっていくのと似ていた。そういえば、花言葉を教えてくれた後、木更さんの作った花の冠は作りが甘くて、ほどけてバラバラになったんだっけ。あの時、木更さんは笑っていた。「私も里見くんのこと言えないわね」って言って。今、この光景を見たら、木更さんは笑ってくれるだろうか。
頬に飛び散った菊之丞だったものの一部を叩き落とし、靴先ですり潰して作戦本部を後にした。
「お前……どうしてここにいるんだ?」
作戦本部の前では、兎の少女が退屈そうに待ち構えていた。
「お前の仲間の、変な仮面を被っているやつに、ここへ行けと言われたからな」
変な仮面被っている仲間……影胤のことだろう。彼が、僕のために生かしておいたうえに道案内までしてくれるなんて明日は世界が終わるのではないだろうか。いや、現段階で東京エリアは終わりか、笑えない。
「なんで逃げなかったんだ? 見たところ、監視されているわけでもないし、わざわざあいつの言葉に従わなくても良かっただろ」
「逃げるさ、普通の奴が相手ならな。だけど、アレは駄目だ。逃げたら地の果てまで追われて殺される」
言葉にはしないが、十二分にその気持ちはわかった。同時に彼女の観察眼が異常なまでに性能が良いものだとわかった。
「そういえば、お前のプロモーターはどうした?」
「仮面のやつに殺された……それよりお前、私に話があるんじゃないのか? 仮面のやつからはそう聞いているぞ」
そこまで言っていたのか。それ以前に、影胤は僕の考えがほとんどわかっていたのか。わかっているならわかっているって言ってほしいものだ。
小さく溜息を吐き、決心をする。まるで告白の直前のようで、無駄に心臓の鼓動が速くなる。言葉そのものは告白に近いから間違ってはいないのだが。
「単刀直入に言う。僕は、君が欲しい」
「気持ち悪いな」
玉砕であった。激戦の後のせいか、柄にもなく心が折れそうになる。
「嫌らしい意味で言ったんじゃない、僕のパートナー、イニシエーターになってほしいんだ。代価として、お前の願いは叶えられるだけ叶える」
「なるほど、それは悪くないな。なろう」
即決であった。変に話が長引くのも嫌だが、一言で終わるというのもなんだか切ない。
「それで? プロモーター様の最初の命令はなんだ? この未来のない場所から連れ出してくれ、か?」
「いや、違う」
僕はズボンのポケットから兎の髪留めを取り出す。
「この髪留めをつけてほしいんだ」
「私は着せ替え人形じゃないぞ、気持ち悪いな」
今、心にヒビが入った。確実に。
「だからそういう意味で言った訳じゃなくてな、その、お前の髪、長いからさ、纏めたらどうかなって思ったんだよ」
「なるほど、だが悪いな、私は髪を留めたことがないから、どういった感じでやればいいのかまるでわからん」
「……僕もわからねぇ」
しばしの間、僕と少女の周りが静寂に包まれる。それを破ったのは少女の笑い声だった。なんだか馬鹿らしくなって、僕も彼女に釣られて笑う。笑う度に負傷した部分がひどく痛んだが、構わず笑い続けた。ひとしきり笑い終えると、少女は土で汚れた人差し指で、笑い泣きの結果流れた涙をすくう。
「ふぅ、笑ったのは久しぶりだ」
「僕もだ」
笑いすぎて筋肉疲労を起こした腹部を抑えて、青ざめた顔をしながらも同調の意を示す。
「ところで、プロモーター、お互い名前を言ってなかったな。私は藍原延珠だ。お前は?」
「僕は、里見蓮太郎だ。これからよろしく頼む、延珠」
「こちらこそ、よろしく頼むぞ、蓮太郎。で、これからどうする?」
「とりあえず、影胤から指定された場所まで行って、合流する。ああ、影胤ってのは、仮面のやつの名前だ」
「そうか、じゃあ早速行くとするか」
そう言うと、延珠は僕の方へ手を差し伸べた。その姿が、酷く、彼女を、木更さんを思い出す。花畑へと連れて行ってくれたあの日、僕に手を差し伸べた木更さんの姿を。
『ほら、里見くん、行くわよ!』
「木更、さん」
小さな、とても小さな、風の音にかき消されそうな呟きだった。けれど、延珠はそれを聞き逃さなかった。
「木更? 誰だそれは? 他の仲間か?」
「いや、好きだった人だよ」
「ふーん、そいつは可愛かったのか?」
心なしか、延珠の機嫌が悪くなったような気がした。声も、少しばかり低くなったような気もしなくない。
「ああ、可愛かった」
「私よりも好きか?」
自信過剰かお前はとツッコミを入れたかったが、そう言ってしまえば、僕よりも先に合流地点に辿り着いて一人で拗ねそうだと思い、言葉を飲みこんだ。
「僅差で、延珠より好きだ。初恋と思い出の補正が入っているからな」
「そうか……」
延珠は顎に手を当て、目を閉じると「んむむむ」といかにも何か考えていますといった雰囲気を出し始めた。
「お、おい、どうした延珠?」
僕が延珠の肩に手を乗せようとしたところで、彼女は答えに辿り着いたようで、開眼する。
「決めたぞ、蓮太郎」
「な、なんだよ」
「二年だ。二年以内に木更とやらより私を好きにしてみせる!」
唐突な告白であった。延珠の告白によって呆気に取られた僕を、彼女はいともたやすく背負う。延珠は勝手に僕のズボンのポケットを探り、合流地点を記したメモを取り出す。
「この場所に向かえば、いいんだな。任せろ、すぐだ」
「あ、ああ。それより延珠、さっきの発言はどういう意味――」
言葉を言いきる前に延珠は急発進する。ニトロエンジンで加速した車に乗っているのではないかと錯覚する速度だ。前方から押し寄せてくる重力に逆らい、延珠の顔を見る。先日見かけたものとは別人と思うほどに晴れやかな表情をしていた。僕も、彼女のような顔をしているのだろうか。
この日、東京エリアは壊滅し、僕たちが引き起こした事件は歴史に名を残した。同時に、僕の人生が少しばかり変わった。
藍原延珠との出会いにより、この先、僕の人生がどのように展開されていくかは、また別の機会に。
これにて完結です。あっさりとしすぎだし二巻の内容はやらないのかとか自分でも思うのですが、正直東京エリア壊滅した場合、どうやって二巻の内容やればいいのだろうと迷い迷って思いつかなかったのが原因です。
花畑のネタはコミカライズ版のブラック・ブレット三巻扉絵からです。あの世界に花畑とかまだ存在しているのだろうか。