ブラック・ブレットif ー深淵に堕ちた希望ー 作:縁側の蓮狐
僕は息を切らしながら高層ホテルを見上げる。
つい十分前のことだ。隠れ家というには荒れ過ぎている廃ビル、つまり影胤から指定された集合場所に到着したが、彼の姿はどこにもなかった。変に思っていながら廃ビル内を散策していると、影胤からメールが届いた僕のスマートフォンが八寒地獄の第一を味わうようにブルブルと震えた。
液晶画面上に浮かび上がる文章を見た僕は額に青筋を立てる。
『たった今クライアントからホテルを提供してもらったよ。私たちはそこにいるから君も早く来るといい。場所は――』
住所を確認し、怒りのまま僕は走り出す。
「少しぐらい僕のことを待っていてくれてもいいだろうが!」
改めて回想してみると、やはりこの仕打ちは理不尽だ。僕たち用にチェックインされた部屋の前まで辿り着いた僕は影胤になんという不満の言葉をぶつけてやろうかと考えるが、どうせうまく話をすり替えられるに違いないと気づき、溜息混じりにドアを開ける。
僕たちが泊まる部屋は上流階級が来るようなロイヤルスイートルームだった。ホテルの一室とは思えない広々とした空間に窓から見下ろせる東京エリアの風景。新築の家と見間違うまで掃除の行き届いた室内には一片のほこりも見当たらない。
初めての光景に心奪われながらも僕は室内を散策する。
リビングスペースでマシュマロのようなソファーを見かけ僕は思わず座ってしまう。座り心地もマシュマロみたいにふかふかでいつまでも座っていたくなった。けれど、そういう訳にもいかないので僕は口惜しげに散策を再開する。
純白のベッドルームに辿り着いた僕は、ベッドに寝そべる黒いワンピースを着た少女と、同じベッドに座る影胤を発見する。
「思ったより遅かったね」
「蓮太郎おそーい、亀みたい」
「これでも全力で走って来たんだよ! 言っとくけど一般人と比べたら全然早いほうだからな!」
こちらに一瞥することなく影胤は見覚えのない書類を流し読みしている。今回の依頼に関係するものなのだろうか。
「その書類は?」
「計画のちょっとした変更と現状についてまとめたものだよ。部屋に置かれていた。蓮太郎、君も読むといい」
影胤から書類の一部を受け取る。おそらく彼が既に読み終えているものだ。僕は書類に目を通してみることにした。
――『七星の遺産』の入ったケース確保のために未踏査領域へと向かった私の部下が東京エリア内でガストレアと化した。これによりプランAは失敗。ケースはガストレアと化した部下が所有しているであろう。至急ケースを持つガストレアを発見し、ケースを取り戻さなければならない状況にある。情報が入り次第そちらに連絡をする――
なぜ僕が感染源ガストレアを追わされたのか、その理由だけを確認すると僕は書類から目を離す。『七星の遺産』とはいったいなんなのか、何か大事でも引き起こすトリガー的な存在であることだけは僕でもわかるのだが。
「なあ影胤、ここに書いてある『七星の遺産』ってのはなんだよ」
「ステージⅴを召還する触媒だ」
「なッ……」
影胤の言葉を疑う。ステージⅴを召還? なにを非現実的なことを言うのか。でも、真実なのだろう。この男が、蛭子影胤がガセに躍らされることなど決してありえない。
「今回の目的は、『ガストレア新法』を潰すだけだよな?」
『ガストレア新法』。周囲の反対を押し切ってまで東京エリア統治者である聖天子がねじ込もうとする法案だ。イニシエーターや『呪われた子どもたち』の社会的地位を向上させ、共生していくための法律。僕らはこれを潰すために今こうして東京エリアにいる。
なのになぜステージⅴが出てくる? さすがの僕でもステージⅴを召還させることには躊躇が生まれる。言えばステージⅴとはガストレアの究極態だ。僕たちが追う感染源ガストレアとは比べ物にならないほどに、厄い。もし召還されれば東京エリアは壊滅し、大勢の人は死に、歴史に名を残す大災害となる。僕たちは大量虐殺の主犯となるわけだ。一人ずつ殺すならまだしも、一度に何千もの人を殺すなんてこと、僕の精神が耐え切れるかはわからない。
「その通り、ステージⅴ召還は最後の手段だ。目的としては『呪われた子どもたち』である小比奈が東京エリアを壊滅させるテロに関与しているということが露見するだけでいいからね。後はそれをクライアントがマスコミにリークする。これで世論は『ガストレア新法』に猛反対してくれるから、私たちはステージⅴを召還する一歩手前のところまでことをばいい」
僕はホッと胸を撫で下ろす。そんな最悪の場合にならなければと心配しながら。続けて僕はこの部屋に入ってから沸々と湧き上がる疑問をぶつける。
「マスコミにリークって、今回のクライアントそんな顔が広いのか? ってか、まず誰なんだよ、こんな高そうな部屋まで用意できるし、相当な金持ちっぽいけどよ」
「ヒヒッ、驚くと思うよ蓮太郎。君も知っているはずの人物、天童菊之丞だ」
「あの人が? 確か聖天子側の人間だろ? なんでまた」
まさかここでその名を聞くとは思わなかった。天童菊之丞、影胤に拾われる以前に僕を引き取ってくれた天童家の当主だ。彼は聖天子付補佐官であり政治家としての最高権力者のポストについている。そんな彼が、なぜ聖天子が推す法案である『ガストレア新法』を。
「そんなことは彼に直接訊いてくれたまえ。さて、次はこちらが質問する番だ。蓮太郎、君は先ほどの通話で民警ペアと交戦したと言ったね? もし再戦するとしたら、勝てそうかい?」
数十分前の戦闘を思い出し、客観的に考えてみる。僕は影胤に鍛えられていることもあり非凡なる強さを持っているが、武器はこの体と二丁の拳銃しかない。
「無理だな、特異的な力を持っているイニシエーターがいる時点で僕の負けは濃厚だ。もう少し手数が欲しい」
「だとしたら、早くそれを習得しなければいけないね。それをお飾りにしたまま死ぬのは君も嫌だろう?」
影胤は僕の腰に下げている刀を指差す。これは彼が僕の為に用意したものである。僕が技を習得しない限りこいつはアクセサリーとして僕の腰を陣取り続けるしか仕事がないが。
なぜ刀を持っているのか、それは天童式には戦闘術だけではなく抜刀術も存在するからだ。こちらも戦闘術同様にノウハウだけは知っているので訓練は積んでいるのだが、一向に技をものにできずにいる。理由はわからない。何が足りないのだろうか。
「努力は惜しんでいないつもりなんだけどな。ま、こいつが使えるようになるまではこっちに頼るさ」
僕は人差し指で自分の頭を二度軽めに突く。影胤に付いていってすぐの頃、僕は弱かった。温室育ちのお坊ちゃまが戦場に駆り出されたもんだ。それでも僕は何かできるようになりたくて、行き着いた先は知識だった。
影胤に頼み込んで昆虫図鑑や植物図鑑を仕入れてもらい、ガストレアのモデルをすぐに判別できるまで読み込み、僕の目に見えない力にした。これはイニシエーターとの戦闘でも役立つ。なぜなら元の生物がわかるということは、対象の持つ特徴、長所、弱点ほぼ全てがわかるということなのだから。言ってしまえばこの世界で生物に関する知識が役立たないことは無い。
突如僕の目の前にバラニウム製の刃が現れる。
「パパも蓮太郎も話長い」
不機嫌そうに少女が黒い小太刀を突き出す。彼女、蛭子影胤の娘である蛭子小比奈をよそに僕と影胤は話をしすぎた。
「わ、わりーな。後で勉強教えてやっから許してくれよ」
「じゃあ許す。蓮太郎の話は面白いから」
よく言うよ。僕はこれまでの小比奈の授業態度を思い出す。何か動物を教えればどう斬ればいいのかと訊いてくるし、プラナリア、正確に言えばナミウズムシについて教えれば再生するから何度でも斬れると一人興奮状態に陥ったり、僕の話が面白いのではなく、小比奈の発想がおかしいのだ。
小比奈から一瞬視線を外すと、僕が小比奈を宥めているうちに外出の支度をしていたのか、影胤がスイートルームから出ようとしていた。
「どっか行くのか?」
「この後に防衛省でご挨拶をしにいくから、その時に国家元首殿へ渡すプレゼントを用意しに、ね。防衛省には君も小比奈も連れて行くから、シャワーを浴びておくといい。人前に出るんだ、なるべく紳士的に身なりは整えて行かないとね、ヒヒッ」
「わーった、わーったから行くなら早く行けよ」
影胤はドアノブを握ると、時が止められたように固まった。
「……? どうしたんだよ」
僕の声を引き金に影胤の時は動き出し、彼の首が奇怪にこちらを向く。彼の妖艶なる瞳に睨まれ、僕は一瞬パニックを引き起こしかける。僕なんかとはかけ離れた、本物の狂気を宿す彼の恐ろしさを味わいながらも、何か僕に仕掛けてくるのかと身構える。
「天童といえば、君が私に付いてきてから幾ばくか後に末の娘さんが亡くなったそうだよ」
「は?」
何の前触れもなく腕を吹っ飛ばされる。そんな気分だった。
天童家の末の娘、心当たりなんて一人しかない。天童木更だ。天童家にいた一週間、短い間ではあったが彼女には世話になっていた。たくさんの義兄から絶え間なく虐められていた時、僕を助けてくれたのが彼女だった。彼女は僕が義兄と関わらないように、暇な時間があれば花畑に連れて行ってくれて一緒に花の冠を作り、被せ合ったりした。
恋心も些細ながらに芽生えつつあった。何があっても彼女だけは殺さないでいようと心に決めていた。
でも、なんだ? あ? 天童木更が、死んだ?
このことは影胤が僕に発破をかけているだけなのだと気づいていた。それでも、冷静に対処できない。理性が欠け始めている。
「なんでも、天童家に侵入した野良ガストレアが両親ごと彼女を食い殺したそうだ」
「ありえない! 天童の屋敷は東京エリアの中心部にあったんだぞ!」
「ああ、ありえない。ありえないことだ。人為的に起こらなければねえ」
影胤の声には明らかに愉悦の色が濃く混ざっていた。彼は答えを知っている。知っていて、僕を焦らしている。癇癪を激情の声に変え、僕は捲し立てる。
「誰だ、誰がやったんだッ! 答えろ、影胤ッ!」
「天童和光、天童日向、天童玄啄、天童凞敏、そして――天童菊之丞」
それだけ言って影胤は退出する。
僕は思ったよりも落ち着いていた。自分でも驚くぐらいに平常を保てていた。平常なのは小比奈も同じであった。が、それは僕の怒りには無関心ということからだ。
「蓮太郎、早く勉強しよ」
「ああ、そうだな」
僕たちの生活に必要なものが入っているバッグから教材代わりとなる図鑑を取り出し、今か今かと心待ちにしている小比奈へと兎について教えながら、あることを決心する。
ステージⅴを召還してもいい、彼女が存在しない東京エリアに未練などない。修羅に落ちても、鬼となっても、影胤のように狂気を我が物にしても、どんな手段を持ち出しても天童菊之丞と対峙し、殺す。奴にどんな理由があろうが関係ない、絶対に殺す。
この時、僕は腰に下げる刀に名を授けたんだ。『
タイトル通りのお話会です。
影胤さんたちは原作一巻の時はどこを住処としていたのでしょうか……漫画版四巻ではホテル(もしくは高層マンション?)にいる絵があったのですが、やはり彼は謎に包まれすぎています。
ともかく全国の木更さんファンに謝罪を