生まれつき肉体的な痛みを感じず、それどころか精神的なストレスも感じない。そんな女の子の話。

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体も心も痛まない

 昔から知識で動いてきた。なぜって、私には痛みを感じる機能がなかったから。

 医者は病気だと言った。コンクリートの道で転んでも泣かなかった私に、キミは痛みを感じない病気なんだよと告げたのだ。今思えばあの時何か感じることがあってもよかったのかもしれない。

 幼稚園の時のこと。ああいう小さな子供が集まる場には必ず乱暴な奴が居て、その時はその乱暴さが私を襲った。物が何だったかは忘れたが、私はその時持っていた玩具をそいつに取られた。その出来事は私に悲しさとか恐ろしさとか、そういったものを与えることはなかった。代わりに理不尽へ対する怒りが湧いた。玩具を取られ、その際に尻餅をついた私は表情一つ変えずに立ち上がり、その乱暴者を殴りつけた。それが気付きのきっかけとなる。

 そのようなことが続き、ある時私という人間には心の方にも痛みを感じる機能がないらしいことが判明した。心のストレスになることを一切感じないと、そういう病気らしい。そのことについては医者から言われたわけではなかったし親から面と向かい改まって言われたわけでもなかったが、それでも私はいつの間にか事実を知っていた。誰かに対して重大な事実を、その本人に隠し通すことはとても難しいことなのだと子供心ながらに実感した一件である。

 今になって考えれば私が心の病気を患っているという事実は、それを事実と認めてしまえばかなり残酷な話になってしまう。私は今までこの病気と共に生きてきたが、それは私が今までに感じたもののほとんどは病気の影響を受けているということであり、私という人間を形作っているのはほとんど病気なのだ。と、そういうことになる。心身共にもしもこの病気を患っていなければ確実に今の私は存在していなかっただろうから、病気が私を作っていると言ってしまえば否定はできない。

 しかしそれはネガティブというものだ。人はなぜか不可解なものを病気とするようで、結局私がなぜ痛みを感じないのかの原因はわかっていないのである。そうであるならばこれは確かに病気かもしれないが、同時にそれ以外のあらゆる現象であるかもしれないのだ。中学生っぽく言えば異能力であるかもしれないし、もっと簡単に言えば単なる個性かもしれない。私を形作るのは私の個性なのだと考えればほら、何もおかしいことはない。

 そんな私を育ててくれた両親は熱心で素晴らしい人たちだと思う。特に、幼い私に常識というものを教えてくれた時期の両親は本当に尊敬する。

 両親は共感は無くていいから知識を持てと言った。つまり「人は〇〇や××をされると嫌がるものだから、それをしてはいけない」というようなことを一つ一つ、その時あったことに応じて全て教えてくれたのだ。

 腹が立ったからといって人を殴ってはいけない。相手を正当な理由もなく否定したり悪口を言ってはいけない。困っている人を見かけたら助ける。相手が泣いたり怒ったりすることはしない。などなど。そういう常識を教えてもらった。

 教えてもらわなければわからなかったのだ。痛いことも悲しいことも悔しいことも苦しいことも寂しいことも、何も感じない私は知識として「普通」を教えてもらう必要があったのだ。

 おかげで日を重ねるごとに、悪目立ちをすることは少なくなっていった。同い年の子が泣いている様を見てもなぜ泣いているのかはさっぱりだが、そういうものなのだなと思えるようになっていった。それで社会的に困ることはほぼなくなったが、同じタイミングで自分のような人間には友達ができないということも知ってしまった。

当時は幼稚園の年長さん、幼い心で多くのことを悟りすぎた。

 知識のみで社会を立ち回る人間は好かれない。そう悟りながらもいつしか私は小学校に入学した。知らない面々に全員が全員を相手に緊張していた入学当初、友達を作ろうと私に話しかけてくる人もそこそこいた。

 友達がいない状態を不便だと感じたことがないので彼女らは相手をするに値しないと思ったのだが、そこは親からしっかり「話しかけられたら無視してはいけない」と教わっていたのでそれなりに対応した。結果彼女らは別の人を友達とすることに決めたらしい。

 どうでもいい思い出を一つ話そう。詳しい時期は忘れたがさすがに低学年の頃だったろう、学校でスカートめくりが流行った時期があった。

 誰が始めたのかは知らないが、元気の良い男子数名がそういったいたずら行為に及ぶようになっていたのである。今になって思えばスカートめくりなんて品性の無いことこの上ない行為だったが、そもそも小学校低学年の男子に品性を求めるのにも無理がある。

 しかしそんな落ちついた評価も今だからこそ言えること。当時の私にはスカートめくりという行為は衝撃的だった。なにしろ親から「女子はスカートをめくられると嫌がる」なんてことは言われていなかったのだから。悲鳴を上げる女子、叱りつける先生、そのどれもがカルチャーショックだった。

 ある時親にスカートめくりなるものが流行っていると話すと、私はそれからもう一切スカートを穿かないことになった。元々好きでもなかったので構わなかった。それよりも問題は、うっかり私がスカートめくりの被害者になってしまうことだったのだ。異性に下着を見られた女子は恥ずかしがるものだと教わりはしたが、そんな演技できる気がしなかったからである。

 

 話を戻そう。戻して、そしてここからが本題だ。前置きが長くて申し訳ない。

 私が小学五年生になった時の話である。四年生の時からクラス替えが行われ、そこで私はマリという女子と同じクラスになったのだ。

 当時の私はと言えば趣味がテレビゲーム、友達もテレビゲームといった感じの子供だった。もしかしたら見た目も暗かったかもしれない。

 小学三年生だったある日、なんとなくゲームという物に触れた私はその魅力に憑りつかれ、一緒に遊ぶ友達が一人もいないこともあり一日中ゲームをしているほどだった。ゲームは一日一時間とか、そんなルールはなくともいい加減にやめなさいと言われるのが普通だろうけれど、うちではそんなことはなかった。どれだけやっていても、「そんなに楽しいの?」と訊かれるだけだったのだ。

 きっと親は私にルールを課したくなかったのだろう。一日一時間と言われれば私はそのルールを厳守するだろうし、もうゲームは没収すると言われればおとなしく渡していただろう。もっと言えば私は、可能な限り部屋に籠って勉強だけしていろと言われれば、その通りにできる能力があったのだ。精神的にストレスを感じることがないというのはそういうことである。

 そんな娘にルールを課すことを親はしたくなかったのだろう。なにしろ友達もいなかったので、良心とか同情とか、そういうものに近い感情があったのだと思われる。結果としてはその感情に甘えることとなり、五年生になった時でも私は家に帰れば寝るまでゲームをする生活だった。

 そんな私に学校で話しかける人などいなかった。五年生にもなると大体の人が実体験や友達から聞くことによって、私という人間が異質で近づき難い存在だと知っているから。……しかしマリだけは違った。

「ねぇ、いつも一人で居て退屈しない?」

 とある昼休み、何もせずぼけーっと自分の席に座っていた私に彼女は話しかけてきたのだ。今思えばなかなかの嫌味を言われたものだが、彼女は純粋に訊きたかっただけだろう。

「……べつに」

「今から外でドロケイするんだけど、ヨウカちゃんも来ない?」

 ヨウカというのは私の名前だ。名前を書くのが遅れたが、木島(きじま)陽香(ようか)という。なんとも名前に合わない人間に育ったものだ。

「いい」

「外で遊ぶの嫌い?」

「べつに」

 この世に嫌いなものなんてない。嫌いと感じる機能が、私の心にはないから。

 微妙にしつこく食い下がるマリは私の目に新鮮に映ったが、どうせそのうち変わった者に話しかけるのも飽きるだろうと捉えていた。この時の私にマリと遊ぶ気なんてこれっぽっちもなかったのだ。

「じゃあ一緒に遊ぼうよ」

「いいよ私は。倉さん他に友達たくさんいるんだから、その人たちと遊べばいいでしょ」

 倉というのは彼女の名字、フルネームで(くら)真里(まり)という。

「もちろんみんなで遊ぶよ。ヨウカちゃんも」

「いや、だからいいって」

 少し鬱陶しさを感じるくらいにマリは食い下がった。鬱陶しい、という気持ちは私にもあるものだったのだ。他にもむかつくとか、腹が立つということに近い感情は感じるようになっていた。というのもきっと、そこから生じた怒りを発散することを私は心地よく思っていたからだろう。ストレスではなかったから感じていたのだ。

 今の私が言うならば、もうそれは座右の銘に近くなっている。怒りの発散は最高の快楽である、と。

「どうして?」

「どうしてって……仮に倉さんは良くても、他の人たちが私と遊ぶの嫌でしょ」

「そんなことないよ!」

 急に顔の距離を近づけてきたマリに私は思わずのけぞった。ぶつかってしまえば相手が嫌な思いをすると思ったから。痛い、とかそういう感じの。

「ヨウカちゃんと遊ぶのは嫌なんて意地悪言う人、あたしも嫌いだもん!」

「……あぁ、そう。ありがとう……」

 形だけ礼を言っておくが、結局その日はマリと遊びはしなかった。なにせ彼女があの発言をした時、後ろにいた彼女の友達が居心地の悪そうな顔をしていたから。私が関係していることでそういう顔をする人を見たら関わらない方が良い、昔からの経験で学習した教訓だった。

 ……ところがその次の日のこと。

「ヨウカちゃん、今日は遊ぶ気分?」

「いや……」

 まさか二度目があるとは思っていなかった。彼女から遊びの誘いが来ることも、その誘いを断ることも。昨日一日きりのものだと思っていた。油断だった。

「どうして?」

「どうしてって……そういう気分じゃない時はそういう気分じゃないんだよ」

 嘘を言った。遊びたくない気分になんてなったことなかった。高熱が出た時も体が動く限りは動かす気でいたのだから。それはさすがに親に止められたが。

「いつになったら遊ぶ気分になる? 明日?」

「百年後」

「わかった」

 なんの気なしに軽口を叩いたのだが、それがあっさりと認められた。マリは自分の友達集団が待つ中に入るとこちらに手を振って「百年後、待ってるからね」と言い校庭へと出ていった。

 もうその時の私ときたら、人生で唖然としたのはあれが初めてだったかもしれない。さぞ間抜けな面をしていただろう。昼休みが終わった時教室に帰ってきたマリと目が合い、彼女は笑顔を向けてくれたが私は眉一つ動かせていなかったと思われる。

 ……また次の日。私は昼休みが迫ってくることにぼんやりとした危機感を覚えていた。昨日家に帰って母に「百年後に遊ぼう、って言ったら本当に百年待っちゃうものなの?」と訊いたら、「まさか。そんなわけないでしょう? それくらいあなたもわかると思っていたわ」と言われてしまったから。

 もちろんそれくらい私だってわかっていた。心のストレスと明らかに冗談とわかる冗談は全然まったく関係ないのだから。だからもう本当に、私は私の病気なり個性なりに関係なく、昨日のマリの意図がわからなくなってしまったのだ。もしも今日また話しかけられたら、返す言葉が思いつかない。当然それを嫌だと思ったりすることはないのだけれど、それでも危機感と言えそうな感覚はあった。

「今日は色鬼しよう! あ、高鬼でもいいよ」

 それはマリの声だったが、私に向けられたものではなかった。彼女の友達へ向けて放たれた言葉である。……それに私は少し反応してしまった。思考はすぐに話しかけられなかったのなら好都合だという方向へ切りかわり、校庭で遊ぶマリとその友達を見ていて、鬼ごっこ系の遊びがそんなに好きなのかなと考えるようになった。

 以降数週間、業務連絡的なこと以外でマリが私に話しかけることはなかった。

 私が耐えきれないと判断したことなんてそれが初めてだった。マリに関わることでは初めてのことが多い。初めの頃から一か月は経ったと思われるある日の昼休み、マリが遊びに行ってしまう前に私が声をかけた。

「倉さん、ちょっと話したいことがあるんだけど」

「なに?」

 好奇心によるところが大きかった。どうして彼女はあんなわかりやすい冗談を受け流さなかったのだろう、一体何を考えて百年待つと言ったのだろう。その答えを知りたくて私の方から訊きに行った。……もしかすると、いやもしかしなくても、傍から見ていればやっぱりあんなことを言いつつも友達がほしくなった人に見えたかもしれない。

 突然の部外者の襲来にほとんど取り巻きのようになっていた彼女の友達集団が一斉に一歩後ろへ引いた。一瞬にして私とマリが、まるで一対一で真剣な話でもするかのような空気が流れる。実際の話はくだらない冗談がお題なのだけれど。

「私、百年後に遊ぶって言ったよね?」

「うん」

「本気で百年待つつもり?」

 張り詰めた空気はこれも一瞬で、異様なものを見る気味の悪い空気へと変化した。

「そんなわけないじゃん」

「……え?」

 あっさりとした回答だった。あまりに軽いが、そもそもこの話は重くなる要素なんて本来何一つないのだ。

「百年も生きて待っていられるかわかんないし。ヨウカちゃん百年後も気分じゃないとか言いそうだし」

「いや、さすがに私もその時生きてるかはわからないけど」

「とにかく、百年も待つわけないでしょ? 冗談だよ冗談」

 冗談を言うにしては笑みも浮かべずに言うが、それは私が言った時も同じだった。そして彼女は衝撃的なことを言い放つのだ。

「それともまさか本気で言ってたの?」

 こちらのセリフだった。百パーセント冗談で言ったのに、まるで何もなかったかのようにしていたじゃないか。つまらない冗談だと蔑みもしなければ、面白いことを言うと笑いもしなかった。まるで何もない普通の会話のように……!

「そんなわけないでしょ!」

 なぜだかマリに負けた気がして、私はいつもより大きな声でそう言ってしまった。大きな声は人を怖がらせるから出してはいけないと、もうずいぶんと前に親から教わったのに。

 案の定取り巻きの人たちはさらに一歩後ろへと下がる。しかし、マリだけはむしろ前に一歩出てきていた。

「ヨウカちゃんってそんな大きな声も出せるんだね!」

 大きな声出せてすごいねー、と、おちょくられているのかと一瞬思った。私は怒りを発散することが好きだし、そうすると必然的に大声を出すことも多々あった。できるだけしないようにはしているけれど、それでもあった。それは学校でもほとんどの人が知っているはずだったのだけれど、どうやらマリは知らなかったらしい。

 あぁ、この人は私を根暗な女だと思っていたのだな。そう思い至るのに大して時間はかからなかった。

「そりゃあね。別に大声出すのとか話すの苦手じゃないし」

「そうなの? あ、でもそうかも。普通に話してたもんね」

 彼女は私をおちょくっているわけではない、今リアルタイムで私という人間に対するイメージが更新されているだけだ。彼女は私をおちょくっているわけではない。もちろん馬鹿にしているわけでもない。……自分にそう言い聞かせていた。

「まぁ、うん。……じゃあ話それだけだから」

 冗談をそのまま正面から受け取ったように見えたことは私の間違いだった。私がそうしたように、マリはごく自然に冗談を言って返しただけだったのだ。なんでそう考えられなかったのだろう。簡単なことに気づいた私はそれで目的を果たしたので、いつも通り自分の席に戻ろうとした、……のだが。

「それで今日はまだ気分じゃないの?」

 マリを再び取り囲もうとしていた友達集団の動きが止まる。表情も固まっていた。私もそれと同じだった。まだ訊くのか。

「……気分じゃない、わけじゃないけど」

「ほんと!?」

 友達を、いやその場の全てを置き去りにしてマリは私に近づいて手を取った。

「なら遊ぼう! ヨウカちゃんの好きなことでいいから!」

「待って……! 気分はいいって言ったけど、でも、ほら、私が入ると」

「言ったでしょ、ヨウカちゃんと遊ぶのが嫌なんて意地悪言う人あたし嫌いだって。ねぇ、みんな?」

 大勢の友達の方へとマリが振り返ると、その誰しもが顔が固まったような微妙な顔をして、錆びたパーツを無理に動かすようにゆっくりとぎこちなく頷いた。マリがどれだけ人望のある人間だったのかは今でさえも知らないけれど、あれは紛れもない脅迫だったと思う。

 

 それが私とマリの出会いだった。その日一緒に遊んだことをきっかけにマリは私の唯一の友達となり、私はマリの一番新しい友達になった。

 それからの学校生活は我ながら情けないものだったと思う。休み時間はもちろん授業でさえも、可能な限りはマリと行動を共にした。私の存在を邪魔だと感じていた人は多かったであろうが、それを口や態度に出す者は誰一人としていなかった。

 その理由を、はるか昔の何かしらの出来事を発端として「木島陽香はキレると手がつけられない」という噂が出回っていたからかと当時は思っていたけれど、もしかしたら理由は別のところにもあったかもしれない。だってあれ以降マリが人を脅したところなんて見たことなかったから。

 ……しかし、そんな生活は過去の自分を否定するものであった。友達がいなくてもゲームがあればいいと思っていた過去を現在の自分が否定する、可愛そうな過去だったと言わざるを得なくなってしまう。マリと一緒にいる時はそんなことを考えはしなかったけれど、一人になると自分が何人もの人間に分裂してしまうような気がした。

 その時の私は過去の私に辛辣だった。マリと遊ばないで一人でゲームをしているなんて可愛そうと、面と向かって過去の私に言うのだ。もちろん過去の私だって私なのでその言葉に傷ついたりはしないのだけれど、しかし傷つかないのと同じように、過去の私も全ての時の私と同じように気が強く報復精神に溢れている。理不尽な悪意には悪意で返そうとするのだ。親からそんなことをしてはいけないと、何度も何度も言われているのに。

「お前こそ、友達なんていなくてもいいと言っていた私を忘れてずいぶん楽しそうだな」

 そう言い返してきた私を、私はまたさらに可愛そうだと、憐れだと思った。負け惜しみを言う私なんて珍しいので少し面白かった。なので笑ってやると、私もまた笑うのだ。

 自己嫌悪に陥るのにそれからすぐのことだった。

 どうして自分はもっと前から友達を作ろうとしなかったのだろう? どうしてもっと人と関わろうとしなかったのだろう? 入学当初の私は、話しかけてきてくれる人に本当にまともに応対していただろうか? 友達と遊ぶことはゲームなんかと比べ物にならないほど楽しいことなのに、どうして今までそれを取るに足らないものとして扱っていたのだろう。

 そう考えることは後悔ではなく、過去の私への怒りであった。もしこれが後悔という形を成していれば、過去も今もひっくるめて私という人間の意識が一つであったのなら、それは医者の言うところの病気によって無いものとされていただろうに。

 そんなことを考えるのは一人でいる時だけだった。次第に私はマリから離れられなくなっていく。ちょろい、という表現が適切に思えた。

 

 六年生になった頃。

「マリ! 今日は放課後遊べる?」

「もちろん。でもヨウカちゃん友達になった時から毎日訊いてくるけど、あたし習い事とか何もしてないって言ったよね?」

「うん、聞いた。……あ、毎日訊かれたら鬱陶しかった……?」

「ぜんぜん! 今日は何してあそぼっか」

 その頃になると私はもう放課後毎日マリと遊んでいた。公園に遊びに行くこともあったし、ちょっとした買い物に行くこともあったけれど、なにより私の家で遊ぶことが多かった。ヨウカちゃんゲーム上手いねと言ってくれるマリが好きだったのだ。

「うーん、ゲーム? あ、昨日新しい映画のDVD借りてきたんだけど見る?」

「ヨウカちゃんのしたい方にしよ!」

「わかった、じゃああとでね!」

 マリと友達になってからは通学路が短くなったように感じられた。早く帰ってゲームをしようと思いながら歩いていた道は長くてイライラさせられる物だったけれど、どうしてか道の長さなんて感じなくなったのだ。

 その代わり家に帰ってからマリが来るのを待つのは長かった。一向に時計の針が進まないし、進んだところでマリが現れるわけではないというなかなかもどかしい物だった。針が進まないことにはマリが来ないことはわかっているが、進めば進むだけ遊べる時間が減っていくのを実感してしまう。インターホンが鳴るまでの間、時計の針は私よりも確実に強大な存在になっていた。

 その日マリは約束通り家に来て、映画を見たあとにいつも通りゲームをして遊んだ。それだけの時間があったのも小学生ならではだったのは明白で、私のマリに対する依存を加速させた要因の一つだと思う。

 六時になってマリが帰る時、彼女は、彼女を笑顔で送りだせなかった私を不快に思いはしなかったのだろうか。あまりにも毎日のことすぎて初めは不快に思っていても慣れてしまったのかもしれない。

 当時私は彼女とのしばしの別れを、本当にほんの少しだけの別れを笑顔で済ませられない理由は、彼女と別れることが寂しいからだと思っていた。そう自己分析していた。存在しない感情を作りだしたのなんてあの時が初めてだった。

 私に寂しいなんて感情あるはずがなかった。私が笑えなかったのはマリと別れて、その後すぐに過去の私と対峙することを知っていたからなのだと、それだけのことに気づくのにずいぶん時間を要した。私はマリのことが大好きだった、そしてそれに比例して過去の自分が大嫌いだった。

 ネガティブな感情なんてほとんど感じたことはなく、それに少し近いかもしれないと言えるものが唯一怒りだった。だがそれは怒りを発散することによる快楽こそが本体だ。そうであったのだけれども、しかし当時の私は自分自身への怒りの発散の仕方を知らなかった。

 たったそれだけで、こんな特殊な人間が自己嫌悪と呼べる状態に陥ってしまう。私は学者やその類の者とは全く異なるが、それでも自己嫌悪に陥る私、木島陽香という人間は興味深いものだなと、今になってそう思う。我ながら思う。

 また白状してしまうと、私は今現在でさえ自分に怒りを感じた時の対処法を知らない。実は興味深いだなんて言える立場じゃないのだ。

 

 さて、ところで合唱祭というものをご存じだろうか? 小学校や中学校によくある行事であって、高校でも存在するところは多いかもしれない。もちろん私の通っていた小学校にも当然あった。

 毎年毎年合唱祭の季節になると合唱練習が始まって、昼休みや放課後の時間がその犠牲になる。私は当然そんな行事は大嫌いだったのだが、クラスの何割かはむしろ肯定的なように見えた。そしてその何割かにマリも属しているということを、私は五年生の時すでに知っていた。

 六年生の合唱祭シーズンのことだ。六年生になってから合唱祭シーズンに突入して、六年生の合唱祭とそれ以外の学年の合唱祭は別物だということを私は瞬時に知ることになった。

「これがみんなでやる最後の合唱祭だ! 卒業までの良い思い出にするために頑張ろう!」

 そう言う担任の先生にデジャヴを感じたのが始まりだった。デジャヴの正体は簡単で、あの人は体育祭の時も同じようなことを言っていた。

 体育祭の時も合唱祭の時も、その発言に対する私の意識は変わらなかった。なにか聞こえの良いことを言っているけれど、要は適当な理由をつけて私たちをやる気にさせたいんでしょ? と。

 そもそもがおかしいのだ。みんなでやるのは最後と言うけれど、これまでにクラス替えは二回行われている。二年生の時と四年生の時も「みんなでやるのは最後の合唱祭」だったはずなのだ。でも、先生はそれには何も言っていなかった。二年生と四年生の時と、六年生の時の何が違うのだろう? 何も違わない。

 それともまさか「みんな」とはほとんど何の関わりもなかった人も大勢いる、学年単位の同級生を指している言葉なのだろうか。だとすればそれはそれで気に入らない。関わりのない人のことなんてどうでもいいじゃないか。

 そう考えるので私は先生の言うことが嫌いだった。それに伴って元々嫌いな合唱祭もさらに嫌いになった。憎んでさえいたと思う。だって合唱祭は、マリと遊ぶ時間を奪うのだから。

 しかし、五年生の時はそれほど合唱祭を問題視していなかった。もちろんマリと遊べる時間を奪われるのは腹立たしくて我慢しかねることだったけれど、偶然歌う時の並びがマリの隣だったからなんとか耐えられた。最後の方にはマリと一緒に歌うのも悪くないかもな、なんて思っていた気もする。

 それが六年生の時の合唱祭はそうもいかなかった。合唱祭の実行リーダーを決めるホームルームが開かれた時、マリが立候補したのだ。

私は実行リーダーというものがどんな仕事をするのかはっきりとは知らなかったし、クラスのほとんどの人が同じような感じだったので、基本的にそれは押し付けなすり合うものだったのに。

そんなものに立候補すれば当然すんなりと採用される。最後の合唱祭でマリは実行リーダーになってしまった。

 実行リーダーを決めた日の放課後すぐにマリを問い詰めた。

「なんで実行リーダーになんてなったの」

「なんでって、うーんそうだなぁ……」

 この時点で私はすでにイライラしていた。理由もすぐに答えられない程度なら面倒そうなことは引き受けなければいいのにと、うっかりすれば口に出してしまいそうだった。

「合唱祭が好きだから? 最後になにかしてみたいなーって思ったの」

 その時私はどんな顔をしていたのだろう。マリが合唱祭とか体育祭とか、そういう行事に積極的なのは十分知っていたけれど、はっきりと合唱祭が好きだと言われたことなんて初めてだった。価値観の違いというものを突き付けられた瞬間である。

「……そっか。頑張ってね」

「うん、ありがとう! って、まだどんなことするのか知らないんだけどね。去年のリーダーは練習仕切ったりしてたけど」

 これから始まる合唱祭実行リーダーとしての仕事に思いを馳せるマリを余所に、私のストレスは溜まっていく一方だった。発散できない怒りという、私が唯一受けるストレスを。

 

 それからの日々はあまり良い思い出がない。いや、むしろ悪い思い出しかない。私にとって「良い思い出がない」ことと「悪い思い出しかない」ことの差は実に大きなものだ。もともと悪い思い出なんてものを持つような心ではなかったはずなのだから。

 如何に嫌なことが立て続けに起こっても、それがただ単に嫌なことである限り私には「良くない」ではあっても「悪い」という認識にはならない。悪い思い出とはつまり、何かに対して怒りを感じていた思い出、それのみということになる。

 私の怒りは初め合唱祭そのものへと向いた。毎日放課後に唄いながら「なんて無駄な時間を過ごしているんだ。合唱祭なんてくだらないもの消えてなくなればいいのに」と思い続ける日々。

 本当なら三日程度で先生なり実行リーダーなり、誰かしらに当たり散らしていたはずだった。それが怒りを発散するということなのだから。しかしそれを実行することは叶わなかった。そんなことをすれば、合唱祭を好きだと言ったマリに嫌われる。私が表面上おとなしく練習に参加していたのはマリに嫌われたくない一心だった。

 嫌われることが怖かったのか? 友達を失うことを恐れていたのか? そう問われれば答えはノーだろう。私が何かを恐れるということはあり得ないから。であれば当然そこに絡んでいた感情も怒りになるわけだが、それは何に対する怒りだったのだろうか?

 その答えは他ならぬ私自身だ。私は過去の自分との戦いに負けたくなかった。マリとの関係を失って、過去の私に嘲笑されながら「おかえり」と言われることが何より嫌だった。もう当時の私は、毎日を意地で生きていたようなものだったと思う。

 合唱練習が進むごとにマリのリーダーとしての役割ははっきりしていく。まず練習時の出来を評価し、悪い点を挙げて改善に向かわせること。所謂仕切り役だ。仕切り役という意味では他にも練習を始める時みんなに一声かけたり、そういうことをやっていた。……つまり大したことはやっていないわけで。練習を聴いて評価するというのはどうしても上から目線のイメージが生まれてしまうので、もしかしたら本人は精神的に相当苦労していたのかもしれないが、私から見れば誰でもできそうな仕事だった。

 実行リーダーは仕切りとかを仕事としているみたいだけど、他のことはよくわからない。ほぼ全員がそんなイメージを持っていたと思われるが、それは実のところ本当にそれしか仕事がないという真実のもとに生まれたイメージであったようだ。

 そんなことを思っていたのも束の間、私は仕事の内容や量以外にも問題があることを知ることになる。仕事が多かったり難しかったりすれば、ただでさえ合唱祭によって削られている私とマリの時間がさらに少なくなってしまうとそれだけを心配していたのだが、問題はまったく別の点にあった。

 毎日毎日ずっとマリが仕切る合唱祭練習に参加していると、合唱祭への怒りが段々とマリへも飛び火していきそうになるのだ。この場を仕切っているのはマリなのだと考えるとどうもイライラしてしまっていけない。私とマリの時間はマリによって奪われている、なんて考えだせばそれはもう被害妄想でしかなく、いやむしろ被害妄想よりもひどい意味の分からない理不尽な思考に成り果ててしまう。

 理不尽とは私の怒りを買うものであり、そうなれば私の私との戦いはさらに苛烈な方向へと向かっていく。

 普通に考えようと頭を冷やす。合唱祭を行っているのは学校であり、それを仕切っているのは先生であり、私が恨むべきはその範囲の何かだけなのだ。マリは仕切っているように見えるだけで生徒の域は出ていない。……つつがなく練習を仕切るマリを前にそう自分に言い聞かせる日々。長く続くはずもなかった。

 練習は遅い時だと五時近くまで行われる。そんな時間になってしまえばマリと遊ぶ時間なんて当然ないわけで、そういうことが私の嫌っていることなのだが、それは去年も同じだったのでさすがに慣れていた。遊べはしないが学校でマリと一緒に居る時間は増えている、それでいいではないかと思えるようになっていた。……なっていたはずなのだ、少なくとも去年の合唱祭の時期は。

 去年できたことがなぜか今年はできない。私はその感覚にまたイラついていた。きっと合唱祭への怒りや恨みがマリへ飛び火してしまいそうな状況で余裕を失っていたのだ。当時もそれは自覚していたが、だからどうにかなるというものではなかった。気づけば私はまたゲームに没頭する生活に戻っていた。

 長々と意味を見いだせない練習に付き合い帰ればゲーム。いつからだったか本当に思いだせないのだが、いつの日からか私はそんな生活に戻っていた。案の定過去の私は私を嘲笑した。あんなに一緒だった友達はどうしたんだと何度も訊かれた。

 そんな生活が長く続いたある日、ついに私は過去の自分への怒りが限界に達したようで、深夜に包丁を持って自分の腕を切ろうしていたところを両親に止められた。止められていた、と言った方が正確だ。私は自傷行為を行おうとしたことはもちろん、包丁を持ったことさえ憶えていなかったのだから。

 今でも半信半疑だけれど、両親が言うに当時の私は夜になると度々うるさいうるさいと叫びながら自傷行為を行おうとしていたらしい。両親は私のことを過剰なほどに心配してくれたし。けれども私は「合唱祭が終われば大丈夫」としか言わなかった。合唱祭が嫌なら休んでもいいと言われたが、断った。そんなことをするくらいなら怒りに身を任せる。

 

 両親に著しく迷惑をかけつつ時間は過ぎていく。合唱練習は去年と同じくついに昼休みまでをも支配するようになった。

マリは時々私に実行リーダーは思ってよりも大変だという話をするようになったが、その目に「だからやめたい」などという意思はこれっぽっちも映っていなかった。だから私は、きっと見ている側が思っているよりも大変なんだね、という話しか返せなかった。マリも私と同じくらい大変な思いをしているのだと、そうとでも思っておかないと正気でいられない気がした。

 実際見ていればマリは先生からの指示をクラスの全員へと伝えるためのパイプ役のようにされていて、精神的な負担があったと言われれば納得もできる。実行リーダーなんてわけのわからないシステムを作らずに先生が初めから仕切ればいいのにと思えば、そのことを含めて私の怒りと恨みは先生へと向かっていった。実にいいことだった。

 しかしそんなものは、「やりがいに満ちています」と大きく顔に書いてあるマリが前に出てくるたびにそちらへ吸い寄せられていく。合唱祭が好きだと言っていた彼女を悲しませたくない気持ちと、合唱祭へ対する怒りの矛先が定まらないことが何かしらの反応を起こしたのかもしれない。

 合唱祭まであと三日だという日の放課後、一通り唄い終えたあとマリが前に出てきた時、彼女が何かを言おうとしたところへ覆い被せるように私は叫んでいた。

「ああああああああ!! ああ! ああ! ああああああ!!」

 言語として成り立っていない大きな声はその場の全ての音を吸収して消えた。静まり返った教室に私の声だけが響く。

「なんで!? こんなこといつまで続けるの!? 何が楽しいの!? なんの意味があるの!? 馬鹿じゃないの! ないんだよ何も! なにが最後の合唱祭だ! どいつもこいつも馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!! むかつくんだよぉぉぉ!!」

 唄うために並んだ隊形から人を押しのけ前へ出る。一番近くにあった椅子を私は持ちあげた。そのまま振り返ると視界に入ったクラスメイトたちは何かを察したように教室の隅へと避難した。実際その危機察知能力は大したものだった。

 私は持ちあげた椅子をついさっきまでクラスメイトの群れがいた場所に投げつけた。放たれた椅子は勢いよく床に落ち大きな音を立てる。けれどもその音さえ私が上書きする。

「くそっ! くそっ! あああああぁぁぁぁぁもう!!」

 落ちた椅子を拾い叩きつける。また別の椅子を持ち同じ場所へ投げる。椅子同士がぶつかりあい音を立てる。それを私が叫び声で上書きする。

「あああああああ……!! むかつく! むかつく! みんなみんなみんなみんな……!!」

 段々と足取りがおぼつかなくなって、まるで踊っているかのように、狂った私は椅子に鬱憤をぶつける。ぐるぐると目まぐるしく移り変わる視界に入る人は茫然としている人だけで、変化がなくてつまらないと思った。先生でさえ立ち尽くしているだけなんて滑稽だった。

「あはっ、はっ、はははははっ!」

 妙な笑いが喉を伝って勝手に出てきた時、踊り狂う私の腕が誰かに掴まれた。マリだった。

「ははっ……はっ……」

 見ると、その私を真っ直ぐ見据えたその目からは涙が流れているではないか。私は目の前で人が泣いているのを見るのなんてもう何年振りなのかと考え、結局思いだせずに笑いを収めただけだった。

「ごめんね……ごめん……」

 絞りだすような声でマリに謝られて、ようやく私は少しだけまともになった。……マリが泣いている。泣かせたのは、私か……?

「無理させてごめんね……。嫌なら帰ってもいいから。だから、もうやめて」

「……違うよ。これはほら、違うんだって。別に嫌だとかそういうことじゃなくて、だから、……だから?」

 私はもういよいよ私がわからなくなってしまった。今床に散らばっている椅子は私が投げた物だ。なぜそんなに椅子に当たり散らしていたのか、全然わからない。私は合唱祭が嫌いで、でもそれが好きなマリのことは嫌いたくなくて、学校や先生のことだけを恨みたくて、でもマリのことまで腹立たしくなってきてしまって、それで、それで……それで……? 私は一体何がしたかった?

「だから……ね? マリならわかるでしょ!?」

「……うん。だから、もういいよ」

「……そっか。もう……いいの? そっか、そっかそっか。わかった」

 次の瞬間私は私は教室を飛び出した。登校時に当然持ってきていた教科書や何やを全て置いて、廊下へと逃げ出した。階段を降りる能はまだ残っていたようで、私はそのまま一階の昇降口まで走り抜けて、靴も履き替えず外へ出た。

 日が低くなってきた空を見ながら、後ろから追いかけてきていた笑い声が学校に取り残されたことを感じた。校舎を出るまでの間、気持ちの悪い笑い声が付き纏ってきたのだ。

 家に着く頃、私はその笑い声が自分のものだったことを理解した。

 

 翌日、朝食を取るべく食卓の前に座った私はしかし、一つとして口に物を入れずに固まっていた。両親が心配そうに何かを言っているのが聞こえるけれど、反射的に「大丈夫」と答えている私は、私とは独立した別の人間だった。本当の私はずっと考え事をしていた。

 「やってしまった」。そのフレーズだけが頭の中を支配している。私は昨日ついに、一番してはいけないことをしてしまった。あんなことはもう幼稚園の時から一度もなかったのに。

 マリは「もういい」と言っていた。嫌なら帰ってもいいとも言っていた。彼女は怒っていたのだろうか? ……そうは見えなかった。悲しんでいるように、私には見えた。であれば私はやはり、きっと彼女を悲しませてしまった。もういいというのは、もう付き合ってくれなくていいんだよと、そう言ったのではないか。私が合唱祭の練習に嫌々参加していたことを彼女は悟ったのではないか。……あんなことをしてしまえば悟らない方がおかしいか。

 こんなことになるなら最初から言えばよかった。私は合唱祭が嫌いだ、最後だ何だと馬鹿げている、こんなことに時間を使うつもりはない、と。そんなことを言えばマリは確実に悲しんでいただろうけど、それでも昨日のよりはマシだ。そうしたところでマリと遊べる時間が増えるわけじゃないだろうけど、それでも昨日のようになるよりは……。

 どうして私はマリを泣かせてしまったのだろう……? それが一番避けたいことだったはずなのに。単純に考えて怒りを溜めておくことに限界が来たのだろうけど、でも、あとたったの三日だったのに……! それが終わればもう全部解決していたのに……。私にはそれだけのことも出来ないのか。

 ……いや、終わったことを悲観しても仕方がない。私は取り返しのつかないことをしてしまった、この事実はもうどうしたって変えられない。それよりもこれから、今日の日をどうするかだ。もし学校に行けばマリが居るだろう、マリに会うだろう、それでどうする? どうすればいい?

 きっとこのまま何もしなければマリとは話さなくなるだろう。喧嘩をしたわけではないけれど、むしろそれよりもひどいことをしてしまったから。

 喧嘩をしたあとに仲直りする方法は知っている、昔親から聞いた。ごめんなさいと一言謝ればいい、それだけ。でも、これは喧嘩ではないのだ。解決するための便利な一言なんて知らないし、それを両親に教えてくれと乞うには話さなければならないことが多すぎるし、その話さなければならないこととやらを全て言語化できる自信もないし、なによりそんな便利な一言があるなんて思えない。

 もしかすると解決手段なんてないのかもしれない。取り返しのつかないことというのは、だってそういうことでしょう? 少しでも良くすることはできないかと、こうして考えているけれど、もうそれさえ許されないのかもしれない。……だったら引きこもる? そもそも学校に行かないようにする? そうしたとして、それに何の意味があるのだ。

「お父さんお母さん、私今日はもう行くよ」

 そう言うが早いか私は席を立ち支度を始める。両親があとを追ってきて何か言っているが、もう耳に入らなかった。荷物を持った時、あぁそういえばと思いだす。

 昨日はあのあと先生が私の置いてきた荷物を家まで持ってきてくれて、その後お母さんと何かを話していた。どちらも申し訳なさそうに頭を下げているばかりで、何を話しているのかはわからなかった。先生は一度奥の方から見ていた私と目が合ったけれど、合っただけでそれ以上は何もなかった。

 じゃあね、と大きな声で告げて家を出る。大きなといってももちろん、昨日の叫び声ほどではないけれど。一歩踏みだした途端に過去の私が、いや、今の私以外のいろいろな別の私が私を蔑んできたけれど、もうそれに怒りは湧いてこなかった。怒るほどの余裕もなかった。

 学校を休むことだけは、マリに会わないことだけはあり得なかった。そんな選択は逃げだ。私に逃げなければいけない理由なんて何一つない。何があっても私は悲しまないし、つらいだなんて思わないのだから。心配なのはマリのことだけれど、それを考えて引きこもるのはそれこそ逃げだ。私という人間に限ってそれは許されない。

 とりあえず会おう。それだけ決めてひたすらに学校へと歩いた。死ぬために行くような気持ちだった。もし本当に死んでしまうとしても構わない、怖くない。そんな今の気持ちがもっと前からあればよかったのかもしれない。

 

 教室に入ると全員が私を見た。みんな、化け物でも見るかのような目をしていた。その中に一人だけ、潤んだ目で私を見てくる人がいた。

「ヨウカちゃんっ……!」

 マリは私に駆け寄ってくると両手を伸ばして、だらしなくぶら下がっているような私の手を取った。

「マリ、昨日は……」

 ごめん。反射的にそう言いそうになっていた。しかしいざ彼女の顔を見ると、目を見ると、それは間違っていると確信した。昨日はごめん、本当は合唱祭が嫌いで仕方なかったんだけど言いだせなかったからあんなことしちゃった、もうしないよ。と、ごめんと謝ることはそう言うことだ。

 そんなことを言うのは絶対に違う。でもそれなら私が言うべきことは一体……。

「昨日はごめんね」

「えっ」

 握っていた私の手を離して、謝ったのはマリの方だった。一瞬頭の中が真っ白になって、それが昨日の、自分が何を考えているのかわからなくなっていた時を連想させるから、私はすぐにそれらを振り払った。振り払ったところで、やはりなぜ謝られたのかはわからなかったのだけれど。

「今まで頑張ってくれてたんだよね。ちゃんと見てなくてごめん」

「え、いや……違う。昨日は私が悪かったから……」

 頑張ってくれてたんだね。そう言われて何かが溶けたような気がした。私の中にあった何かが。

「もっと早く気づいてあげられればよかった。ごめんね、ヨウカちゃん」

「そんな、私の方こそ、ていうか私が、その、あれ、……ごめんなさい」

 うっかりそう言ってしまった。ついでに頭も下げていた。見えていないのに、マリが笑った気がした。

 結局私はそのあと練習に参加しなかったし、本番にも出なかった。見学さえせず欠席した。マリとそう決めたのだ。

合唱祭が終わってからもまるでいつもと変わらずに、にこにこしながら私と話してくれるマリのことを私は今でも少しだけ、純粋に不思議に思っている。

 



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