ALDNOAH.ZERO -Earth At Our Backs- 作:神倉棐
6/1「惑星総力戦体制」
【日本近海 太平洋洋上 11月23日 9時27分】
〈Exclusive Economic Zone of Japan 0927hrs. Nov 23, 2014〉
朝、先日の一方的な停戦要求からの急転直下の火星本星政府の現状追認という正式な宣戦布告から一夜が明けた11月23日。地球全域の通信電波をジャックして垂れ流された宣戦布告の通知の後、その対策や今後の方針の決定について忙しい中でケジメとして無理にでもその日の内に時間を作り改めて一帆や伊奈帆たち学生組と「Doll Drop」作戦に参加したアセイラムとライエの民間人組に軍を代表してマグバレッジ艦長から謝罪と感謝を受けた彼ら彼女らは今、朝食後から何処かに行った一帆を除きそのまま食堂にいた。
「正式な宣戦布告……か、休戦だか停戦だかするって話だったのに……」
「やっぱり会長の言った通り、火星も一枚岩じゃないってこと?」
「さぁなぁ……距離もあるけど情報統制のせいで火星の詳しいことはサッパリ。でも昨日の今日で話がコロコロ変わるってことは会長の考察もあながち間違ってないんじゃね?」
昨日の正式な宣戦布告により開戦初日とは少し違った緊張感の漂う食堂にて、伊奈帆はそう溢す。そんな呟きを起点に韻子、カームが続いて疑念を呈するも何せただの一般人である彼らでは圧倒的に判断するに足りるだけの情報が足りない。アセイラムたちも下手に情報を提供してはその正体を気取られかねず、今はただ口を噤む他なかった。
「ずっと戦争は続いてたんだ」
ただそんな彼らが議論や討論というには駄弁に近い会話をしていると、少し離れた位置からそんな声が聞こえてくる。
「鞠戸大尉」
聞こえてきた声の方角へと振り返ると、そこには何時ぞやと同じように壁にもたれかかるようにしてこちらを見ている鞠戸大尉がいた。
「それを皆が、誰もが知らないフリをしていただけだ。あのクソジジイがあのお姫さんが死んで……みんなの目を覚ましてくれただけだ」
伊奈帆やアセイラムたちの前で鞠戸大尉は淡々と、吐き捨てるようにしてそう言う。そんないっそ冷酷な発言にアセイラムが何か否定せねばならないと口を開こうとした、その時。
「大人気ないですよ、鞠戸大尉」
割り込むようにして、今ここには居なかったはずの人の声が響いた。
「八朔か」
鞠戸大尉や伊奈帆たちの視線は、いつの間にか食堂へと帰って来ていた一帆へと向けられる。そしてそんな彼らの視線を独り占めすることとなった一帆は、ちらりと何か言いたげなアセイラムに瞳を合わせてから再び口を開いた。
「
大尉を諌めるような発言と共にしれっと混じった罵倒に鞠戸大尉が「耄碌ジジイとは言ってねぇ」と、起助が「理解はできるのか」とぼやくが一帆は気にしない。ただそれでも他人、特に身内であるアセイラムやシャルロット、エデルリッゾの前だからこそこの程度で済んでいるが、今までで一番火星騎士との交戦経験が多い一帆なりにかなり腹に据えかねているのは明白である。
「戦争なんてない方がずっと良い、例えそれが次の戦争への準備期間でしかないのだとしても誰だって望んで人殺しなんてしたくない」
手の平に視線を落としつつ、一帆は「平和」とは「戦争の準備期間」でしかないと自嘲気味に言う。
「休戦も停戦も、長く続けば誰も今が戦時下だとは思わなくなる。すぐ近くの隣国が相手ならばもうちょっと危機感が持てる……いやそうでもないかも知れないけど、まぁ……国民性によっては隣国とは比べ物のないくらいに遠い星間国家が相手で休戦中を復興と銘打たれたら戦後だと勘違いしたって仕方ない」
そもそも「休戦・停戦協定≠講和・平和条約」である。つまり南極条約の正体とは、地球と火星の双方が「厄災」によって両陣営に齎された甚大な被害の収束の時間稼ぎのために「条件付き・無条件降伏」よりは遙かに容易かつ好都合な形で戦争を止められる利点を最大限に有効活用した代物でかつ性質上そこに恒久的な性質を持ち得ない。
───おそらく、月ごと二代目皇帝どころか派兵戦力の7割が消し飛んだ火星側も火星側だが、地球側としても厄災で飛び散り降り注いだ月の破片による全世界的被害からの回復のためにも、国民を宥めつつも復興を進めるためには今がまだ戦時中であることを「休戦」で戦後と勘違いさせなくてはある程度の軍縮を含めて思うように再建が進められないといった思惑もあったんだろう
全くよく考えたものだが、それが裏目に出たということだろう。現にこの戦争が13年前からのひと続きではなく「第二次内惑星間戦争」と呼称されている時点で多くの人間は今までの戦時中を戦後と勘違いし危機感を失っている上、軍縮での軍事費削減によって軍全体の人材不足と練度不足が常在化した挙句肝心のカタフラクトの開発と配備が遅れに遅れ軍規の緩みで工作員の浸透を許すどころか方面軍同士の対立が激化し半ばその実態が軍閥化していましたなど笑い話にもならない。
「結局、誰も問題を直視しなかった。箱の中の猫も観測しないならば存在しない*1というならば、誰もが観測しない問題は問題ではないと言い訳して今日や明日の生活に躍起になってそこに都合の良い現実以外を見えないフリをした。……そんな問題こそが何よりも重大で、本質的なものなのにな」
「互いに直視しなかった問題の食い違いが、偶発的に
最後の引き金となってしまった、
「
「でも?」
一帆の否定に伊奈帆が聞き返す。一帆が考えるに、この食い違いは決定的でもなければ致命的でもないはずだった。現状のような事態が起こり得る可能性を秘めてこそいたが、それはあくまで可能性でしかなかった。燻っているだけの火種のはずだったのだ。だがそれが燃え上がるところか大爆発を引き起こしたということは、そこに誰かが油どころか
「暗殺事件の発生に誰かの意思……それも悪意が介在し、現状がその
アセイラムの祈りや人々の「平和」への願いを踏み躙り戦争を起こした存在に対し、
「でも一体誰が……今のこの状況を描いていたのかなんて……」
そんな吐き捨てられたその台詞に韻子は一体誰がそんなことをしたのかと口にするが、一帆のような原作知識もなければ鞠戸大尉たち軍人のように
「そもそも黒幕なんているかどうかも分からんだろう」
とはいえ常識的に考えて一帆が言い出したことはある種の陰謀論のようなもの、鞠戸大尉の「黒幕なんているのか」という反応も当たり前である。
「かも知れません。しかし少なくとも新芦原の事件、アレが裏で誰かに
「状況証拠ばかりだな」
「ええ、あくまでこれは状況証拠から導き出した推理でしかない。でも開戦するまでとしてからの一連の流れから考えて、誰かしらが暗躍してないとここまで上手く戦争が泥沼化しないでしょう」
今あるのは一帆の誰にも言えない
「糸を引いているのは地球人かそれとも火星人か、戦況や国内情勢などの状況的には火星人の軌道騎士辺りが怪しいが断定は不可能に近い……せめて戦争を引き起こした
ただ、そうは言っても問題は一帆も原作知識として持っているのは1巻分、それも熟読した訳でもなくあらすじと流し読み程度であるということだ。暗殺の下手人や黒幕が火星側の人間であることは知っていても、その詳細な素性までは知らなかった。
「あ、もしかしたら」
「もしかしたら?」
悩む一帆、そんな一帆を見てか唐突に何かを思い付たのかポンと手を打ちつつソラが声を上げる。
「案外、戦争を起こすこと自体が目的だったのかも」
「え?流石にそれはないんじゃ……」
「それは……盲点だったかも知れない」
あれこれと色々考えていた一帆だが、ソラが言った「戦争そのものが目的」という実に
「戦争を起こすことが目的……で、その手段が火星のお姫様の暗殺。いや……新芦原侵攻の件も考えれば、もしかしたら暗殺そのものも目的のひとつだったのかも?」
まさに灯台下暗し、戦争による利権云々ではなく戦争を起こすこと自体が目的でありその泥沼化や火星の皇族──それも先の第一次内惑星戦争を引き起こした張本人である二代目皇帝ギルゼリア・ヴァース・レイヴァースの娘にして皇位継承権第一位の第一皇女であるアセイラム・ヴァース・アリューシアの暗殺が目的であるとするならば、それは「復讐」だ。
「となれば黒幕は……」
地球や火星の両陣営への工作活動ができるほど権力や資金を持ち、他の火星の軌道騎士たちへの多大な影響力や皇帝からの信頼が厚いながらも地球人や火星の皇族に恨みがある人物など火星貴族でも一握りしかいまい。詳細は皇族であるアセイラムと詰めればかなり数も絞れてかなり良い線までいけそうだと思った一帆だったが、その思考を遮るようにして食堂に響いた声に振り返る。
「総員注目!高校以上の軍事教練履修済み者一同はブリーフィングルームに集合‼︎」
「どうしたのユキ姉」
「今からは界塚准尉って呼びなさい、コッチも正式に戦争をすることになったの」
振り返った先で一帆たちに伝えられたソレは、文字通りこの戦争が「惑星総力戦」へと本格的に移行したという事実だった。
【日本近海 太平洋洋上 11月23日 10時00分】
〈Exclusive Economic Zone of Japan 1000hrs. Nov 23, 2014〉
わだつみ艦内において、食堂や格納庫を除き大人数が集まれる唯一の空間であるブリーフィングルームでは艦長であるダルザナ・マグバレッジ海軍大佐が招集した学生や大人たちを前に演説を行なっていた。
「これより国連安全保障理事会決議国際戦時動員特例法に基づき、貴方方を我が国連軍の将兵として招集・動員します。これ以降、貴方方には兵として動員される限り軍法と軍規を遵守し、命令に従い任務を果たす義務が生じます。今まで学び習ったことを無駄にせず、勇気を持って戦いに赴き、我々の母なる地球の平和と秩序を守る戦士として活躍することを期待します」
艦長の演説を一帆たち学生組は最前列に、その後ろに数人の大学生や社会人が座って聴く。室内には司会進行役である不見咲副長などの何かしらの係や役割の者の他に、鞠戸大尉などを筆頭に幾人かの手隙の軍人たちも集まっていることも相まってミーティングルームには厳粛というには些か重苦しい雰囲気が漂っていた。
「これより本艦は途中航路を変更、種子島基地に寄港し補給および修理作業を行います」
そんな重苦しい雰囲気の中でもマグバレッジ艦長は毅然とした態度で演説を続け、その話の内容は強制徴兵された新兵への叱咤激励からわだつみの今後の話へと移り変わる。ただ、途中話に出てきた「種子島基地」という単語に鞠戸大尉が誰から見ても分かりやすいくらいの反応を示していたのを一帆は視界の端で捉えていた。
「作業終了後はロシアのウラジオストク海軍基地に向かい、シベリア鉄道を経由して地球連合本部のあるノヴォスタリスクに向かうことになるでしょう」
ノヴォスタリスク──それはユーラシア大陸北方のロシア・西シベリア平原にあるオビ川とエルティシ川に挟まれたノヴォシビルスク州の州都近郊に建設された地下600メートルに位置する広大な核シェルターかつ巨大地下要塞であり、そして避難民の避難場所としてだけでなく地球連合政府ならびに軍司令部などの主要中枢機関をも擁した
───
ふと、連合本部と聞いた一帆はそう思う。火星騎士に地球の戦争の道理が如何に通じないとはいえ、流石に避難船やその輸送列車に攻撃を加えるような人道の「じ」の字もない愚行を嬉々として行うような狂人揃いとは思いたくはない。
───生徒会の一成や誠に千早さんとか、あのサッカー部の1年のマネージャーの娘も無事だと良いが……じゃなきゃ何のために
ただ、如何せん火星側の人間には信用がないのも事実。今まで識っていたり目撃したりした火星側の人間で、一帆から見て真っ当だったのは
「諸君らはまず係の者から配属に関する適性結果を受け取り次第、各員は直ちに配備された配置について下さい」
とはいえそんな一帆の思考を他所に、マグバレッジ艦長の話は個々の配属先について進む。配属先については軍事教練が必須科目として導入されている高校や過去に教練を受けたことのある大学生や社会人の成績や適性検査の検査結果を基に、大幅に不足するカタフラクトパイロットを中心にそれぞれの適性に応じて人手の足りない艦橋要員*2・軍医*3・看護兵・整備兵に配備されるらしい。なお、今回の強制徴兵で動員される一帆たち軍事教練履修者以外にもこの後志願制での追加募集を掛けるとのことらしく、それだけでもどれだけ連合軍──ひいてはこの強襲揚陸艦が人手不足が深刻なのかが分かるというもの。ただ、徴兵で優秀な人材を取り込み人手を水増ししたところで全体的な質の低下は避けようのない事実であり、唯一碌に顔触れが変わっていないのは補給科とC.I.C勤務員くらいである。
「では以上、解散。各員は
そしていつの間にか終わっていたらしい艦長の話は、最後に適性検査の結果配布と司会進行役の不見咲副長によって締め括られる。
「……ああ八朔一帆くん、きみは少し残って下さい」
ぞろぞろとブリーフィングルーム内にいた人間が立ち上がって去っていく中、同じくその場から立ち去りつつ係の人から渡された検査結果書を開こうとしていた一帆は何故かひとりマグバレッジ艦長に呼び止められた。
「えっと……いかが致しましたか、艦長?」
立ち止まって振り返った一帆は呼び止めた艦長に向き直る。
「ええ、少しお話しが。構いませんか?」
「はい、大丈夫です」
向き直った一帆に対し、彼女は近くの席に座るよう促すと自分もまた前後の席を回転させ対面に座る。そうこうしている内に、いつの間にか室内には一帆とマグバレッジ艦長のふたりだけしかいなくなっていた。
「まず、配属先についてです。
そこまで言って「何か質問は?」とマグバレッジ艦長は問う。正直に言って彼女の話の中で幾つか聞きたいことがあった一帆は少し考えながらその質問を口に出した。
「隊長の鞠戸大尉が
「口外は禁止、他言無用として頂きたいのですが……今朝、大尉の主治医である
PTSDなのは
「ですので大尉には主に直接カタフラクトに搭乗し出撃するのではなく、艦橋でC.I.Cや各隊の補佐として指示や助言を飛ばす
特例中の特例、マグバレッジ艦長の指揮下にいる限り対火星戦闘については「今まで通り」と艦長直々にある種の
───というか何でこんなに至れり尽くせりなんだ?
そこでふと、率直な疑問として何故ここまで艦長が気を回してくれているのかについて頭に引っかかった一帆が改めて艦長の顔を見て見るが、彼女の表情はいつも通りであり特にそこからはコレといった何かは読み取れない。
「……ところで貴方が撃破した火星のアルドノアドライブ搭載型カタフラクトですが」
「?あの
顔には出さない程度に訝しむ一帆がその理由について頭を捻っていると、彼女から見て急に黙り込んだ一帆の姿に質問はもうないものと考えたらしい艦長は思い出したかのように話の話題を先日一帆が撃破した火星側のカタフラクトへの逸らす。
「ええ、整備長……桜木軍曹が現在解析作業中ですが先程詳細の第一報が上がってきました。コックピットごと
今後の戦闘や今回の戦闘詳報を書く時に何かの役に立てば良いかとと言いつつ、彼女は折り畳まれた一枚の紙切れを軍服の胸ポケットから出し一帆へと手渡した。
「……これは」
「軍曹からの第一報の抜粋 ──現状で判明あるいは推定される敵機の性能諸元です」
開いた紙に書かれていたのは例の
「……ああ、あと機体フレームのプレートに敵機の機体名らしき銘が彫られてあったそうです」
食い入るようにその紙片に注視する一帆を他所に、ふと思い出したかのようにマグバレッジ艦長はそう呟くと彼女は一帆の手の内で広げられた紙片──性能諸元の内で現段階で判明している数少ない正確な情報のひとつであるその「機体名」をその軍人には似合わない白く細い指で指す。
「アルギュレ──つまり火星の
先日の火星側からの正式な宣戦布告とそれからの学徒動員に、突如開示された一帆自身が倒したカタフラクトの詳細な情報という余りに逼迫し立て込んだその事態に。
結局、一帆はその会話の内で艦長に感じた疑念や違和感を尋ねることは最後までできなかった。