ALDNOAH.ZERO -Earth At Our Backs-   作:神倉棐

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5/4「遅きに失した布告」

 

 

【日本近海 太平洋洋上 11月22日 17時34分】

〈Exclusive Economic Zone of Japan 1734hrs. Nov 22, 2014〉

 

 

わだつみ甲板上にて行われたジ・●もどきの火星カタフラクトとの戦いから5時間が経過した同日日没直前。黄昏色に染まったソラと船体、そして眼下に広がる黒々とした太平洋の水面を眺める一帆はひとり艦橋の裏側にある艦橋構造物の屋上に居た。

 

「新芦原で1機、海の上でも1機……これで2機目か」

 

右舷に艦橋があるタイプのわだつみでそのさらに海側の転落防止用柵にもたれかかった一帆の背後、すなわち飛行甲板上では昼間一帆が撃破した火星カタフラクトの鹵獲・収容作業の真っ只中であった。

 

───新芦原の件はともかく、まず間違いなく実際に自分の手を汚したのはこれが初か……

 

一帆は柵を越え海上に投げ出された自分の手に視界を落とす。ペンだこや操縦桿だここそあれ傷ひとつない色白な手、戦闘後に手どころか身体中をシャワーで洗い流した白く清潔なはずの手のひらが、今の一帆には違うように見えた。

 

───これで立派な人殺しか

 

互いにカタフラクトに乗って戦うが故に目撃するはずのない流血、だというのに一帆は己の手のひらにソレを幻視せずにはいられなかった。

 

「これが戦争……戦争か」

 

そんな呟きとともに、一帆は開かれていた手を握り拳をつくる。必要だったから殺した、この艦を守るために、家族を守るために、戦争を終わらせられる唯一の希望を守るために、そして自分の身を守るために必要だったから殺したのだ。相手がこちらを殺す気だったとはいえただただ自分のためだけに他者の生命を奪ったことに、忙しさにかまけて今の今まで碌に覚悟を決められず、前世の記憶(原作知識)のせいで何処か現実を現実と認識し切れていなかった逃避のツケを今此処で払う羽目になっただけである。

 

「教えてくれ……俺みたいな偽者なんかじゃない、本当のリボン付きの英雄(メビウス1)……俺は、どうすれば良い?」

 

口からこぼれ落ちたのは生まれ変わって以降、ろくに吐かなかった弱音。自業自得で答えなど返ってこないことは分かり切っていても、それでも口を突いて出てきてしまったのはそれだけ心が迷い弱っている証拠といえる。故に閉じたことで手のひらの幻視こそ治りはしたものの、その暗鬱な気分までは握り潰せはしない。無邪気にただソラを見上げ、リボン付き(メビウス1)に憧れていた頃にはもう戻れないのだから。

 

「お待たせしました、八朔くん」

 

ただ一帆のこぼした呟き()は潮の風に誘われ、艦長の耳には届かなかったことは唯一の救いだったのであろう。

 

「いえ、ですが話とは?」

 

一帆はもたれかかっていた柵から身体を起こすと彼をここに呼び出した張本人であるマグバレッジ艦長へと向き直る。

 

「いくつかありますが、まずは貴方が私に提出することになる今回の戦闘詳報(アクションレポート)についてです」

 

潮風に煽られる髪を手で抑えつつ、一帆の前まで歩いてきたマグバレッジ艦長はそう言った。

 

「可能ならば……明日か明後日中には提出したい、と思っていますが……今朝の提出分に何か不備が?書式とか……」

 

レポートと言われまず思い浮かべたのは一帆自身が今朝提出したばかり──それも色々あったせいで随分の前のようにも感じるが──の物、今回のような事態を少しでも減らすことを目的に少しばかり彼女の危機感を煽ろうと早め早めに新芦原市と北九州基地での件について提出した訳だがそこに何らかの不備があったのではないかと考えたのだ。

 

「いえ、今朝提出して頂いた戦闘詳報は学生であることを考えても十分な出来でした。私が言いたいのは、20日にも言いましたが提出するのは避難先でも構わないということです」

 

しかし一帆の心配を他所にマグバレッジ艦長が伝えたかったのは不備云々の話ではなく、彼女が気にかけていたのは一帆自身の肉体面での体調や精神面での休息や調子についてだったらしい。

 

「たしかに我々地球連合軍側は戦略・戦術の両面において劣勢にあり、何であれ少しでも早くそして多くの戦訓を得たい我々としても、貴方が早め早めに纏めた戦闘詳報を提出して頂けることに助かっていることは事実です」

 

彼女は地球側では内心誰もが実感しつつ、しかし連合内では誰一人として口に出しては認めようとしない()()()()()()()()という事実を口に出して認める。

 

「しかしそれはそれ、これはこれです。戦訓は重要ですがそれ以前に貴方は学生、それも高校生です。我々正規軍の不甲斐なさ故に未だ民間人である貴方を2度……いえ新芦原の件を含めれば3度に渡って戦場に駆り出し、守るべき民間人や本艦の命運を貴方ひとりに押し付けねばならなかった事実に関しては本艦の責任者としてだけでなく連合軍人としても申し訳なく思っています」

 

その上で正直に戦訓の重要性や自身を含む連合軍全体の不甲斐なさを認めつつも、マグバレッジ艦長はそれより重要なのはまだ徴兵すらされていない民間人の一帆自身だと言う。また彼女は独断専行であれ結果的に2度も一帆に救われた「わだつみ」の艦長として目、の前にいる一帆に対し胸に手を当てつつその頭を下げた。

 

「いや……そんな、俺は……マグバレッジ艦長に頭を下げられることなんか……」

「そんなことはありません。新芦原市と北九州での件に関しては界塚くんや網文くんたちにも謝罪すべきであり、本来先日の報償の件と同時にすべきでしたが自身の不甲斐なさも相まって未だできていない点については今夜にでも時間を頂こうと思っています。ただその中でも八朔くん、貴方は別格です」

 

いきなりの謝罪に言葉に詰まる一帆だが、当のマグバレッジ艦長は連合軍人としてやそれ以前に大人として、本来軍人が対処すべき問題を軍事教練こそ受けているものの動員すらされていない学生に対処させることに恥を感じるだけの良心は確かにあるらしく艦内でも随一の多忙のはずの彼女は後悔を滲ませる。そして彼女は「それに……」と続けて夕陽に照らされた一帆の顔を改めてじっと見た。

 

「ふむ……やはりあまり顔色が良くありませんね」

 

体感にして数分、だが時間にしては数秒程度でしかないものの無言で向けられるその碧い瞳に、全ての内心──甘く見ていた戦争への恐怖と人殺しの罪悪感──を見透かされているような気がして何処か気まずくなった一帆は思わず視線をずらす。

 

「この艦の最高責任者は私です、よって私の指揮下で作戦に従事した者が起こした結果の責任を負うのは私です。貴方が必要以上に気に病む必要性はありません」

 

しかしそんな一帆の些細な抵抗もあっさりと見破られ「そう自分を責めないように」と釘を刺される。いや、もしかすると話し始めてすぐか、あるいは呼び出す前からずっと見破られ見抜かれていたのかもしれない。それだけ昼間の決闘後からの一帆の様子は見る人が見れば酷いものだったのかも知れないし、一帆に最も近しい身内や共犯者たちは()()()()()()()()ことを気にして話すに話しかけられなかったのかも知れなかった。

 

「重ねて言いますが貴方はこの艦だけでなく地球連合全体で見ても本戦争における有数の功労者です。報告を受けた機体の無断現地改修については事後承諾で承認こそしましたが、それでも貴方はもう少し我儘を言っても良いはずです。それに戦いたくない者や戦えない者を敢えて戦地に赴かせるほど私も愚かではないと自認しています。なので本格動員前の今ならまだ私の裁量で貴方の徴兵を取り止め、あるいは動員されてもパイロット以外の支援任務に割り当てるよう調整できます」

 

そんな誰もが声を掛けるのを躊躇う中で、毅然と声を掛けてきた、掛けられたのは身内(後悔)でも共犯者(負い目)でも学友(友情や尊敬)でも教官(トラウマ)でもなく「わだつみ」の最高(何やら思う所や義務、)責任者である(責任を持った)マグバレッジ艦長だった訳である。また言外に「無理はするな」と重ねて釘を刺される形になった一帆はその返答に詰まった。

 

「俺は……」

 

一帆は何と答えれば良いかが分からず、その視線は屋上の床を彷徨う。今も3日前(19日)にした誓い(罪の告白)に相違など無いが、実際にその試練()を目の当たりにしてその強大さに二の足を踏みそうになったのだ。

 

───ああ、情けない。情けない話だ

 

戦争への恐怖も人殺しの罪悪感も分かっていた、分かっていたはずだった。物語(フィクション)現実(リアル)なことも、誰も──自分さえも──が今ここで確かに「生きている」ことがだ。無意識の心の片隅に残っていた非現実性(原作知識)が産んだ無価値な楽観視を直視し、一帆は堪えた。だがそこで一帆が思い出したのは運命の悪戯(「■■」の思惑)で界塚姉弟と八朔兄妹が芦原市に移住し共同生活をし始めた日、()()4()()で並んで撮った記念写真。最初に運命(原作)に抗うことを決めた、そのキッカケだった。

 

───そうだった……そうだったな

 

本当に今更だが、一帆は真に現実に向き合わねばらならない。胸ポケットに入れたままの学生手帳に挟まれたその写真を一帆は握り締める。

 

───ああそうだ。コレが、これこそが俺の現実だ

 

生きる理由も、戦う理由も十分だった。この先、また迷うことも後悔することもあるだろうし戦争や生死への恐怖も罪の意識も消えないまま。でもそれでも一帆自身の弱さに甘さ、その戦争の恐怖も人殺しの罪悪感も全て捨てずに引きずったまま生きて行く。

 

「マグバレッジ艦長、俺は……」

 

俯いていた顔を上げた一帆が、その胸の内で決めた覚悟を伝えようとした──その時、

 

「艦長!大変です!急ぎ艦橋にお戻りを!」

 

今まで艦の指揮を代行していたであろう艦橋から飛び出す勢いで屋上に現れた不見咲副長の慌てた声に一帆の言葉は遮られる。

 

「何事です!」

「火星が、火星側からの正式通達です」

 

「緊急事態」「火星」「正式通達」。ただそれだけの単語を聞いただけで一帆だけでなく、マグバレッジ艦長にも嫌な予感が思考を駆け巡った。

 

「なんてこと……」

「ああ……くそったれめ」

 

急ぎ艦橋へと戻った艦長と共に、画面に映った映像を目にした一帆の2人は思わずそう呟いていた。

 

《宣戦を布告する、地球を攻撃せよ!我が血族に仇なす者を焼き払え‼︎》

 

今まで独断で侵攻していた火星騎士に対する火星政府からの現状追認、すなわちそれは正式な火星側からの地球連合への宣戦布告である。

 

一帆とマグバレッジ艦長の嫌な予感は見事的中していた。

 

 

 


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