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一行が目にしたのは見た事もない醜く巨大な怪物だった。汚染された大地の中心部に巨人のごとき身体と、泥のような醜い色をした黒と青が入り混じった肌、そしてその四肢は長い年月をかけ育てられた大樹に似ていた。
成人男性を丸ごと飲み込める大きさをした大口は魔獣のように鋭い牙で、バラバラになっていた無数の手足を持つ怪物を咀嚼していた。
「馬鹿弟子め。誓約を破り人の姿を捨てたか……」
アイフェにとって、かつて人だった愛弟子の、ダーナ神族を滅亡まで追い込んだ怪物、フォモール族としての姿だった。それは人として、神々と結んだ誓約『ルーの血を引く者以外での戦いに邪眼は使用しない』を破った代償。ここに、かの神殺しの片割れは真の意味での『邪眼の御子』として地上に君臨した。
父より受けついだ邪眼は閉じられているが、ダーナ神族を圧倒したその身体能力は受け継がれている。
ウアタハは愛する夫の醜い姿を直視出来なかった。しかし同じ男を愛した、母スカサハが臨戦態勢として槍を構えると覚悟を決め槍を手にした。
「ウアタハ。お主はコンラを連れてここから去れ」
それは母の言葉だった。しかし、そんな忠告など到底聞ける訳がない。激情に駆られ反発する。愛しき男が怪物となったこの現状で下がる事などありえない。それはコンラも同じだった。軽薄な父より尊敬している師を置いて逃げるなど弟子として出来る訳がない。
「普段なら別に止めはしない。しかし今のお前に無茶は出来まい。それともなんだ。その腹には新たな命が宿っている。それをむざむざ捨てるのか?」
そう。スカサハの言う通り、ウアタハの中には新たな命が宿っていた。それはクニァスタとの愛の結晶。どれだけスカサハが迫ろうとも決してその身を抱かなかった男との子。スカサハとしてもその命を失わせる訳にはいかなかった。
「最早、アレは我々の知っているクニァスタではない。本当の意味の『邪眼の御子』なのだ。戦えばその子だけでなく、身重なお前の命すら保障出来ない。私と馬鹿弟子と愚妹がいてもお前とコンラを守り抜けるか怪しい」
影の国最強の戦士の二人とアルスターの『光の御子』という錚々たる勇士でも生き残れるか怪しい。スカサハはそう言っていたのだ。
「フン。確かにアレはもはや怪物となってしまったが、それでも弟子な事は違いない。間違った道に走った弟子を正しく導くのも師の役目だ」
「安心しな。あの野郎は俺が一発きついのお見舞いしてるやるからよ。お前らは待ってるだけでいいさ」
そう言ってコンラの頭を乱暴に撫でた。コンラは複雑そうに父を見上げた。クーフーリンが必勝を誓って負けた事は一度もない。すなわち怪物となった師を取り戻すという誓いだった。
「そういう訳だ。出来の悪い愚妹と馬鹿弟子がここまで言っている。私も想い人があんなモノとなっているのは見るに堪えん。畜生どもの王なんぞにさせてたまるか」
ウアタハは彼らを信じた。己の腕では届かない領域にいる英雄達。彼らがいれば愛する男は必ず自分の元に戻ってくる。ウアタハとコンラは今度こそ彼らを見送った。
ケルトが誇る最強の3人の戦士。彼らは形状こそそっくりな呪いの朱槍を構える。そして、クーフーリンはその異名に似合わない赤黒い鎧を召喚した。
「来い!
それはクーフーリンが神殺しを成し遂げた後に、クニァスタの知り合いの妖精が、かの海獣の鎧を加工したものだ。本来の機能より攻撃性を減らした代わりに耐久性を上げて、びっしりとルーン文字が彫られている。それにより身体に掛かる負担が格段に減って汎用性が増えたのだ。
3人は高い敏捷性を活かし、その巨大さ故に、動きが愚鈍な『邪眼の御子』を翻弄している。しかしその頑強な身体は一度放てば心臓を穿つという槍の一撃を受けてもなんともない。因果逆転の呪いすら弾くのだ。
「流石に堅いな。親父殿はよくこんなの勝てたもんだ」
「この槍をそう何発を受ければ神ですら呪いの重さに耐えきれんのだがな」
「いや姉上。あれは『厄災』のフォモールの王の身体だ。言ってしまえば凝縮された悪意の塊。呪いなどの負の属性の攻撃には強い耐性があるのだろう。我が弟子ながら忌々しい限りだ」
「なるほど。じゃあ師匠お手製の槍は相性が悪すぎるって訳だ」
クーフーリンは取り出したのは堅き堅頭であった。ルーの神殺しにも使用されたそれは、使用者の意思に応じた変幻自在の刃となる。
「喰らいな!
水の如き美しい刃は『邪眼の御子』に襲い掛かった。しかし威力が絶望的に足りなかった。表面的には傷がついたように見えても致命的ではない。虫に刺されたようなものである。
『邪眼の御子』は鬱陶しい小蠅を追い払うかのごとくその剛腕を振り回し、クーフーリンを押しつぶそうとした。もちろんその愚鈍な動きに捕らわれるクーフーリンではない。すぐに回避し後方へと下がった。
「牽制にもならねぇか……とんでもねぇ化けもんだな、こりゃあ。フェルディアの鎧も流石にここまで堅くはなかったぞ」
「馬鹿弟子が。そんな攻撃ではやっても無駄だ。これを破るのは並大抵の事では出来まい。厄介な事にそんなに時間はかけられん」
そういうとスカサハは周りの景色を指した。その人外染みた視力で遠くを見ると、徐々に『邪眼の御子』の足元から溢れた泥が大地を侵食していたのだ。
「アレはそこにいるだけで体内で生成された泥で大地を侵し、その瘴気は風に運ばれ無辜の民に病をもたらすぞ」
「つくづく馬鹿弟子には苦労をかけさせる。全て終わったらただでは済まさんぞ……本当にな」
溜め息を吐いたアイフェは姿が変わった愛弟子を見上げた。普段はケルトの男らしからぬ利口さを見せるというのに、時々クーフーリンを超える馬鹿をやらかすのだ。どれだけ時が経ち、怪物となってもクニァスタは馬鹿弟子だった。
「これが片付いたらその礼として、今度こそ私の身を捧げるとしよう。どうせ誓約を破ったのだからな。嫌とは言わせん」
この状況にどこか嬉しそうなスカサハ。弟子であるクーフーリンはげんなりとしてジト目で見つめた。
「師匠が言ったら洒落になんねぇからな。まぁ、これが終わればアイツに何か一言言ってやんねぇとやってらんねぇのは同じだけどよ」
朋友として自分を騙した事は怒りはある。しかしそれよりも一人で何もかも解決しようとした事の方がやるせなかった。何も言わず抱え込んできたツケが廻ってきたのだ。
「しかしどうする、姉上。あの堅固な身体に我々の攻撃は効かんぞ」
ふむと黙って考え込むスカサハだが、正解には弟子のクーフーリンが辿り着いた。
「ルーの野郎の真似をするってはどうよ?」
「かの邪眼を射抜くのか?」
「ふむ。アレの父はバロールは太陽神に石弾に射抜かれて死んだのだったな。ならば弱点は同じとみるか……」
「姉上の言う通り、アレの弱点はそうだろう。しかし問題は危険が大きすぎる。その弱点こそかの邪眼なのだぞ。それを開かせるという事は……」
アイフェはそこで言葉を止めた。かの邪眼の凶悪さはここにいる全員が知っている。特にクーフーリンはいつもクニァスタに聞かされていたからだ。かの戦神ヌァダですら成すすべなく邪眼で死んだ。それは弱点でありながら最凶最悪の必殺技というより一種の矛盾を孕んでいた。
つまりこれは誰かが囮になるしかないという事だ。それも確実に死ぬしかない一方通行の旅路。神をも殺す邪眼に真正面から挑むのだから。
「まぁここは俺だろう」
名乗りを上げたのはクーフーリンだった。この3人のうちで最速に動け、ルーの血を引くクーフーリンならば『邪眼の御子』の意識を引き付けるのには最適だろう。事実、最も狙われていたのはクーフーリンである。
スカサハもアイフェもそれに頷く。感情的には自ら名乗りたい衝動もあったが、ぐっと堪えた。合理的にそれが一番正しいと理解していたからだ。
「俺が持つ最強の攻撃を使う。これでならアイツに傷くらいは入るだろうよ。邪眼を放たせる事は可能だ。ただタメが必要になる。師匠とアイフェはその時間を稼いでくれ」
クーフーリンはルーンを身体に刻み込む。何重にもかけた身体強化は元の数倍も機能を上げる。
その間にスカサハとアイフェはそれぞれが持つ必殺の一撃を放つ。
「
「
対軍宝具並みの威力を持つ槍の投擲には『邪眼の御子』も引かざるを得ない。呪いなど関係ない純粋な破壊に、傷は付かずとも激痛は発生するからだ。
「良いぜ! 師匠。アイフェ」
ルーン魔術により先程より何倍も強化されたクーフーリンは音速を超えて『邪眼の御子』へと迫る。
その両手に握られた朱槍を頭の横へと持っていく。ミチミチと音がなり膨れ上がった筋肉が伸びる。それは必殺の構え。かの太陽神ですら後退せざるを得なかった一撃である。
「その瞳貰い受ける!
ルーの最期を決定づけたその槍は神殺しの属性を帯びている。
異形の身であれど神である『邪眼の御子』は理性ではなく、本能でその一撃の恐ろしさを悟った。しかし、その巨大な身体では避ける事は叶わない。何より、かつて人の身であった事ならば師より譲られた槍と太陽神の槍で迎え撃ったであろう。しかし理性を失くし怪物となった今、それらの武器はとうに手放している。
『邪眼の御子』が唯一取るべき方法。それは概念すらも殺しうる邪眼。それは宝具の一撃すら例外ではない死の視線。
音速を超える一撃が消え去っていく。しかしそれはスカサハとアイフェにとって十分すぎる隙。スカサハは無数の槍群を召喚に『邪眼の御子』の瞳に向かって射出していく。そしてそれらはアイフェの手にもあり次々と音速を超えて投擲していた。
三次元的にあらゆる角度から放たれた。まだクーフーリンの投擲による一撃は完全に消え去っていない。それは死角から放たれる攻撃が避けられない。そしてその瞳こそが『邪眼の御子』の唯一の弱点である。これで終わる……はずだった。
――そして、怪物は本当の■となる。